私の進むべき道はどうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。
私はいつだって良い子にしてきた。
小さな頃から素直で、反抗らしい反抗はしたことがない。
親や先生の言いつけは必ず守った。
中学だってママが望んだから友達が誰も行かない私立の進学校に進んだ。
ママはいつも言っていた。
『今は辛いかもしれないけど、将来きっと麻琴のためになるわ』
私はママを信じた。
ママは厳しいけどいつも私のことを第一に考えてくれていた。だから、ママが導いてくれれば絶対上手く行く。
そのはずだったのに……。
「穂風さん?」
「え?」
名前を呼ばれて、我に返った。
目の前には無人の教卓、そして階段状に机が並んでいる。大学の教室のような場所だ。
いや、実際ここは教室なのだ。
「あれ、名前違ったっけ……?」
もう一度声を掛けられる。
後ろからだ。
振り返ると、色の薄い髪を左で束ねた少女が不思議そうに深黄色の瞳で私を見下ろしていた。
「えっと……小日向、先生?」
先程の説明会でたしかそう名乗っていたはずだ。私とそう変わらない年齢に見える彼女は、驚いたことにこの学校の立派な教員なのだそうだ。
「うん、そうです。小日向律です」
覚えていたことが嬉しかったのか、彼女は朗らかな笑みを浮かべる。その表情はどこか幼く、やっぱり先生には見えない。勉強を教えてくれる近所のお姉さんといったところだろう。
「それで、あなたは新入生の穂風麻琴さんだよね?」
「はい……その、新入生と言われてもピンと来ないんですけど」
「あっはは、そうだよね。急に魔法の勉強をしましょうって言われても困っちゃうよね」
そう、ここは魔法使いの学校なのだ。
映画から抜け出してきたような場所に、私はいる。
「あの、私に何かご用ですか……?」
「うん、ちょっと心配で。様子を見に来たの」
「ああ……」
「お母さんのこと、助けてあげられなくてごめんね……」
ママは呆気なく私の目の前で死んだ。
何が起こったか分からなかった。
ただ、現実にママは一瞬で物言わぬ肉塊と化した。
ああ、次は自分がこうなるんだ。
半ばそう確信していたのに、そうはならなかった。
この人が助けてくれたから。
「いえ……そういえば、まだちゃんとお礼が言えてませんでした。ありがとうございました」
私がそう言うと、小日向先生は頷きながらも複雑な表情を浮かべた。
ああ、これは見透かされてるなぁ。
生き残ったことへの喜びはたしかにある。だけど、同じぐらい……いや、それ以上に私の心を占めているのは自分だけ生き残ってしまったことへの後悔だった。
「まあ、気持ちは分かるつもりだよ。私も最初そうだったから」
「先生も……?」
「私もね、帆風さんと同じなんだよ。普通に暮らしてたのに、眼の前で両親や知人を奪われて、それなのに自分だけなんともなくて……しばらくは生き残った自分を責めたよ。そんな状態で魔法使いになったって言われても、困るよね」
表情は穏やかなままだったが、その声は色を失いとても平坦なものだった。
「だから、全部とは言わないけど帆風さんの心境も理解はしているつもり」
「お隣、失礼するね」と言って、先生が隣の席に腰を下ろす。背丈は私と同じぐらいらしく、目が合った。
「あの、それで私はどうしたらいいんでしょう……?」
目下の問題は、それだ。
とりあえずこの学校に放り込まれた私だが、どうするかは意志を尊重すると言われた。
けれど、常にママに進むべき道を決めてもらっていた私に、急に人生の決断をしろと言われても荷が重すぎた。
「うーん、どうするべきと言われると私もすぐにこうしろとは言えないかな」
先生は結んだ髪先を弄びながら思案に耽る。
しばらくしても答えが返ってきそうにないので、私は質問を変えた。
「じゃあ、先生はそんな境遇でどうして魔法使いになることを選んだんですか……?」
「選んだといえば聞こえはいいんだけど……最初はね、考えることから逃げてたんだよ。とにかく何かをやらなきゃ気が変になりそうだった。それに、自分の身体に宿っている力が怖かったんだ」
髪をいじる手を止め、先生は私の方に向き直る。まっすぐ、私の目を見る。
「自分の家族を奪ったものと同じ力が自分に宿っている。でも、自分はそれについて何も知らない。これって、いつ暴発するかわからない銃を持ったまま生活するようなものだよね?」
そう言われて、背筋に悪寒が走る。そうだ、下手をすれば今度は私があの光景を生み出すことだってありえるんだ……。
私は思わず自分の体を抱く。
「そう、私も今のあなたと同じだった。だから、勉強することにした。知らないことが一番怖いから」
先生は小さく笑って、私の頭を優しく撫でる。
「幸い、勉強は得意な方だったから、少しずつ扱い方を覚えた。まあ、そのせいでいきなり現場に駆り出されたりもしたんだけど……でも、そのお陰で怖かった自分の力が誰かを助ける力になることが分かった」
「だから、」と先生は続ける。
「今では魔法使いになって良かったと思ってるし、私が教える生徒の皆にもそう思えるようになってほしいと思うの」
「魔法使いになって、良かった……」
「現実にはそううまくはいかないけどね。自分に宿った魔法の力を憎み続けてしまう人は一定数いるし……」
その時、小柄なおかっぱ頭の少女が駆け足で教室に入ってきた。何度か見掛けた制服とローブを身に着けているから、ここの生徒なのだろう。
彼女はこちらの姿を認めると安堵の表情を浮かべて、私達の方へやってきた。
「律さん、こんなところにいたんですね。もう分科会のお二人がいらっしゃってますよ」
少女は少し息を弾ませて、先生にそう告げる。
「あ、もうそんな時間?ありがとう、ともりちゃん」
先生は立ち上がって大きく伸びをする。
「ごめんね、私はもう行かなくちゃ」
「行くって……」
「あなたをこんな目に合わせた相手をやっつけてくるんだよ」
イタズラっぽく笑ってシュッシュと拳を突き出す先生。その頼りない姿に思わず笑ってしまった。
「あ、ひどい。先生はこれでも結構強いんだよ?」
「いえ、疑っているわけじゃないんですけど」
「そう?ともかく、話の続きは帰ってからしよう。結論はそれから」
「いえ」
今度は私が先生の目をじっと見据える。
「決めました。私は小日向先生から魔法を教わりたい、そう思います」
迷いはまだある。
だけど、私と同じ境遇から立ち直り、強く進む先生の姿はきっと今の私の支えになるはずだ。
魔法を教わって、その先どうするかは今はわからない。
だけど、何もかも拒否して家に戻るよりはいいはずだ。あそこには、それこそ何も無いのだから。
「……そう、わかったよ。ともりちゃん、悪いけど手続きに付き合ってあげてくれる?」
「分かりました。それよりも早く行ってあげてください、他の新入生の子が折原さんを怖がっちゃって」
「あー、話すと結構可愛げあって良い人なんだけどね……」
先生は困ったように笑う。
「先生」
「ん?」
「お気をつけて」
「ん、ありがと。行ってくるね」
力強く笑って、先生は教室を後にする。
私も、いつかあんな風に笑える日が来るのだろうか。
それは分からないけど、ひとまずの目標は出来た。
目標が定まってるなら、あとは努力するだけだ。
大丈夫だ、私だって勉強は得意なんだから。