家族の風景「父上、母上。どうしても外せない用事があるので、王の仕事を、この日だけ代わってもらえないでしょうか」
レックが私たちにそう言ってきたのは、少し前のこと。
その日が、今日。レックは朝から急いだ様子で伴もつけずにどこかへ出かけていき、私と夫は随分久しぶりに玉座に座った。
夫は久しぶりの公務に張り切って、玉座に座って王に面会を求める人々の話を聞き、側の大臣に指示を出す。私も久しぶりに玉座に座って、微笑みながら人々の話を聞いて、たまに口を挟んだりして。そして王の間から人々の波が引いて、誰もいなくなった、その時。
レック王のお帰りです、と、妙に慌てた様子で兵士が報告にやってきた。あら、もう帰ってきたのかしら、お昼にもなっていないのに。思ってたより早いわね、と夫と話していると、レックが王の間に姿を現した。
いえ、正確には、レックと、つい先日までこの城の建て替えに従事してくれていた、大工の棟梁のハッサンが、ふたりで。
まるで、公務の時に夫と私がするように、…王と、その伴侶であるとでも言うかのように、しっかりと腕を組んで。
「ただいま帰りました。父上、母上、今日はご迷惑をおかけしました。ありがとうございます、助かりました」
そう言って頭を下げるレックに、夫は、「あ、……ああ、いや、なんて事はない。久しぶりに玉座に座れて、楽しかったぞ」と、動揺を隠しきれない口調で声をかけた。
レックは、それは良かった、と言って笑い、そして、真剣な顔で私たちを見て、再度口を開いた。
「父上、母上。お話があります。もうお分かりかもしれませんが、オレは以前からハッサンと愛し合っていて、…そろそろ、結婚したいと思っています。ハッサンのご両親にも、先程お会いしてきました。先方には、それはもう、すごく驚かれましたけど、一度きりの人生なんだから、好きにしたらいいと言ってもらいました。オレは、……父上と母上にも、できれば、そう言ってもらいたいと思っています」
隣の夫を見ると、夫は、口をあんぐりと開けて、驚愕した顔で固まったまま、レックを見ていて、私は思わず少し笑ってしまった。
…ようやくわかった。おかしいと思ってた。
レックは即位する前から、そして王になっても、見合いの話も縁談の話も一切、取り付く島もなく断り続けていた。あら、もしかするとこれは誰か心に決めたお相手がいるのかしら、と思っていたら、今度はなんと、法律を作った。一定の年齢に達しており、双方が望みさえすれば、どんな相手とでも、性別も身分も関係なく、自由に結婚することができる、という法律を。さてはお相手は王族や貴族ではない方なのかしら、と思っていたら、まさか、…この、ハッサンだったとは。そこまでは見抜けなかった。確かに、城の建て替え工事中に、ふたりで仲が良さそうに話をしているところをたまに見かけたけれど、それは共に旅をした仲間だからなのだと思い込んでいた。
……レックは、昔から、優しい子だった。優しいけれど、小さい頃から少し気が弱くて、本当は自分がやりたいのに、好きなおもちゃも、遊びも、他の子がやりたいと言えばすぐに譲ってあげてしまうようなところがあった。優しくて本当にいい子ね、と他の人からはよく褒められたけれど、私は、…そんなレックのことが、少し心配だった。でも、若かった私はそんなレックに甘えて、色んな苦労と我慢をさせてしまった。本当に至らない母親だったと、今になって思う。いくら後悔したって、もうどうしようもないけれど。
それでもレックは文句ひとつ言わず、ムドーも大魔王も倒し、王になって、もちろん親としてこんなに誇らしいことはないけれど、…こんなにいい子で、本当に大丈夫なのかしらって、人のために働くばかりで、自分のことは後回しで、辛くないのかしらって、ずっと、心の内で心配していた。
「レック、あなた、…私たちがもし反対したら、どうしようと思っているの?」
その私の言葉に、王の間にいた全員が固唾を飲んだ。レックはその言葉を聞いて、少し目を伏せ考えた後、改めて私の目をまっすぐに見て、こう言った。
「その時は、この国を出ようと思っています」
夫が、何い、と慌てた声を出す。私は、夫の方を向いて、「お願い、レックとふたりで話させて」と言うと、またレックに向き直った。
「そう。国を出て、どうするの?」
「今のオレには、もうひとつ故郷があります。ライフコッドという村で、ターニアという妹がいます。そこに行くか、それか、旅に出るか、どちらか。……別に、どちらでもいい。オレはハッサンと一緒に生きられるのなら、それだけで幸せですから」
そう言って、私を真剣な眼差しで見つめてくるレックに、私は微笑んだ。
レック。あなたは本当に変わったのね。強くなったのね。自分が欲しいものを絶対に諦めない、そういう気持ちを持った上で、ちゃんと、そう言えるようになったのね。もう、あの、優しくて、気弱な子どもだった、人に譲ってばかりだった頃のあなたとは全然違う。本当に大きく成長して、見違えるよう。あっという間に、大人になって。
少し寂しい。でも、本当に嬉しい。
「ああ、レック、……立派になって。自分で、自分に相応しいと思う、素敵な人を見つけたのね。本当に嬉しいわ、おめでとう。あなたがそれで自分が一番幸せになれると思うのなら、私たちのことなんか気にせず、好きになさい。ハッサン、まだまだ未熟で至らない息子ですけれど、親子ともども、どうぞよろしくお願いしますね」
そう言って私が頭を下げると、ハッサンも恐縮したように、慌てて深く頭を下げた。
「王様、王妃様、……オレは、身分も高くないし、大工仕事と戦うことくらいしか取り柄がない男ですけど、でも、レックを幸せに、そして、大切にしたい気持ちだけは、他の誰にも負けないと思っています。……こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
緊張した面持ちでそう言うハッサンに、私は微笑んだ。その気持ちがあれば充分。あなたが選んだ人は、本当に素敵な人ね、レック。レックは幸せそうにハッサンを見上げ、ハッサンもレックを見て照れ臭そうに笑う。
似合いのふたりだわ、と思いながら見ていると、夫が「ちょ、ちょっと待ってくれ」と情けない声を出す。
「レック、……いや、レックがそれで幸せならそれでいい、わしもその気持ちはシェーラと何も変わらん。だが、世継ぎはどうする? ……わしとシェーラとの間には、もう子どもはお前しかいない。そしてお前は王だ。王は、身分が王であるから王なのではない。王であるからには、責務を果たさねばならん。国と民のために、後々のこともきちんと考えておかねば」
レックは、その夫の言葉に、はい、と頷いてから、「実はもう考えてあります」としれっと言い、夫は、えっ、と言って目を丸くした。
「フォーン城の、フォーン王とイリカ王妃の間には、今、王子が3人います。第2王子か第3王子を、養子にもらえないかと頼んだら、まあ、口約束ではありますが、構わないと」
そう言って、レックはにっ、と悪戯っ子のように笑う。私はそれを聞いて、ふふ、と笑った。
「流石だわ、ちゃんと考えていたのね」
「もうそこまで手を打っておるとは、…前から思っておったが、シェーラによく似ておるよ、お前は。しっかり者で、そして、一度言い出したら聞かないところがな。流石は親子じゃ」
レックが、光栄です、と言って笑う。
「あの、それで、早速なんですが、盛大に結婚式をやろうと思って。折角城もハッサンが建て替えてくれて綺麗になったことだし、賑やかに」
「おお、それはいい! 宴じゃ宴、そうとなったら早速準備に取り掛かろう! よーし、誰を呼ぼうか? レックは顔が広いからな、いや、これは忙しくなるぞ、わっはっは! おい大臣、早速招待客のリストアップを」
「ちょっとあなた、まだあちらのご両親との顔合わせも婚約の儀も済んでいないのに、そんな」
「……レック、お前、おふくろさんにも似てるけど、確かに親父さんの血もちゃんと継いでるよ」
夫とレックが笑い合う側で、私とハッサンはため息をつき、苦笑いする。
「ごめんなさいね、……本当に苦労をかけるかもしれないけれど、レックをよろしくお願いするわね、ハッサン」
「大丈夫です。自分で望んだことですから」
そう言うハッサンの目は暖かい光に満ちて、本当に愛おしそうにレックを見つめている。そんなハッサンと、幸せそうに笑うレックを見て、私は胸がいっぱいで、みっともなく泣き出しそうになってしまって、少し困った。