夕焼けに包まれるマジカルストリート。多くの買い物客が帰路に着くなか、大通りを外れた路地裏の店が明かりを灯し始める。
タイルが所々欠けた道に、ざくざくとほうきをかける黒髪の男。両手の爪は深い赤で、小指と薬指には金色の指輪を嵌めている。その手が、小さな扉に開店のサインを掛けた。
白いシャツに締めたクロスタイの角度を直しつつ、男は扉の中へと入っていった。
――
「ねぇジャジー、卒業後の進路決めた?
まだ?まぁそりゃああと1年あるけどさ。
じゃあ世間話程度に聞いてくれる?
……僕とジャジーで一緒に店でもやろうよ。
小さくていいよ、路地裏とかで。カジノの店」
――
店内の清掃をしながら、今日は何故か、学生の頃の会話を思い出していた。
黒髪の男――ジャズは、一通りの準備を終えた。間もなく開店時間、バックヤードで着替えているであろうリードを急かしに行った。
通りに酔客が増える頃、二人の青年が小さなカジノバーの扉を開けた。カラン、と扉のベルが控えめに鳴る。
来客に気付いたジャズが二人を迎えた。
「いらっしゃいませ。当店のご利用は――初めてですね。システムのご説明を致します」
ジャズがカウンターの中へ回る間、眼鏡をかけている青年たちは物珍しそうに店内を見回した。店の広さは、コンビニ程度だろうか。入口からすぐには、椅子が三脚ほどのこぢんまりとしたバーカウンター。壁いっぱいの棚には酒瓶や美術品が整然と並べられている。
フロアの奥にはスロットマシーンが数台並び、中央の大きなカジノテーブルには金髪のディーラーと、カップルと思しき男女が座っていた。
「――スロットは空いている台をご自由にご利用いただけます。テーブルゲームは日替わりで、本日はポーカーを――」
ジャズの説明を、二人のうち小柄な方は何度も頷きながら熱心に聴いていた。すらりと背の高い方は反応が薄く、説明よりも小柄な青年の方を注視しているようにも見える。
「ルールはご存知ですか?このカウンターで練習することもできますが」
ジャズが顔を上げると、小柄な青年はにこりと微笑んだ。
「ポーカーならわかります!学生の頃、友達に教えてもらって良く遊びました」
「そうですか、オトモダチに……」
そこまで言って、ジャズははっとした。
オトモダチ、という懐かしい響きに、思わず素の声が出る。
「えっ……?」
小柄な青年は、あっ、という顔をして、かけている眼鏡をはずした。ぼんやりとしていた印象がみるみる濃くなり、認識できたのは魔界で一番の有名悪魔――
「イ"ッッ…………ルマくん……!!」
囁くほどの小声で叫んで、ジャズが冷や汗を吹き出す。カウンターに身を屈め、ひそひそと話し出した。
「ちょ、魔王様……ッ、突然こんなとこ……ッ」
「えへへ、ジャズくんとリードくんのお店、一度来てみたかったんだよね」
ニコニコと屈託のない笑みは学生時代と変わっていない。ジャズはまだ動揺したままだが、客の少ない日で良かったと安堵する。
「いや、そりゃ嬉しいけど、護衛もつけずに……」
「護衛ならいるよ」
入間が横を振り向くと、長身の青年が眼鏡を外した。
「久しぶりだな」
「アッ…………………アスモデウスッ……………!!」
魔王様と側近の登場に慌てているジャズに少し申し訳なく思いながら、入間は笑顔でドリンクとチップのセットをオーダーした。
「突然でごめんね、今日は思ったより仕事が早く終わったから……アズくんにわがまま言っちゃった」
「いえ、業務も終わりましたし、入間様が仰るのですから全くわがままなどとは思いません」
相変わらずの二人の様子に、ジャズも少し気を取り直してゲーム用のチップを用意し始めた。
「まぁ俺もちょっとびっくりしたけど、来てくれた事は本当に嬉しいよ。1杯おごるけど、イルマくん何がいい?」
「わあ、じゃあ……お任せしてもいいかな。アルコールは薄めで」
「かしこまりました」
ジャズはいたずらっぽく笑ってから、うやうやしく頭を下げた。入間とアスモデウスも笑い返して、認識阻害グラスをかけ直した。
入間のチップをトレイに載せ、ジャズが二人をカジノテーブルへ案内する。丁度先客が席を立つところのようだった。
「こないだは勝ったのに!5万ビルも負けちまった……」
「今日は私の勝ち〜!ほら、おごってあげるから行こ!」
男女と入れ違いに、入間が席に着く。リードはテーブルのカードを集めてシャッフルしながら、いま席に着いた青年とジャズに目を向けた。
ジャズがチップトレイをテーブルに置いた直後、一瞬だけ人差し指をテーブルに付けた。新規の客であるがルール説明は不要、という合図。
着席したのは小柄な方だけで、長身の青年はその背後に立った。ゲームをするのは小柄な青年だけのようだ。カードをテーブルに置くと、リードは軽く頭を下げた。
「ようこそ。本日のテーブルゲームはポーカーです。僕がお相手しますが、お好みのスタイルがあれば伺いますよ」
リードはジャズと同じように、シャツとクロスタイ、黒のベストとスラックスに身を包んでいる。ディーラーらしく丁寧な言葉遣いながらも、人懐こい笑顔と弾むような抑揚は変わらないままだ。
入間はそんなリードを見て嬉しくなり、学生の頃よく遊んだルールを提案した。
「ドローでどうでしょうか」
「かしこまりました」
リードは飄々と返事をして、カードを念入りにシャッフルする。
その間に、先客の精算を済ませたジャズがドリンクを運んできて入間の側へ置いた。
リードは客に悟られないよう、ジャズの手元に視線を走らせた。淡いブルーのカクテルが注がれたロンググラス、敷かれたコースターは鮮やかな紫色。
ジャズとリードの間には、無数の暗号があった。テーブルに突き当てる指の他に、コースターの色や形、マドラーの種類、ミントの挿し方や氷の形、運んでくる時のトレイの色に至るまで、考えつく限りのメッセージが仕込まれている。
先程の男女の客についても、ジャズが勝敗を密かに指示していた。数回の来店で関係を見極め、どちらをどの程度負かすか勝たせるかを判断した。その結果気持ちよく帰ってもらえれば、リピーターになってもらえる可能性があるからだ。
もちろんリードに全て任せる事も多くあるし、リード自身、ジャズの指示に沿ってシナリオを組み立ててゲームを運ぶのはスリルがあって楽しいものだった。
(紫、ねぇ……)
リードの瞳の色である紫色のコースター。マドラーやトレイでの追加指示は無い。これは、「リードの好きなように遊んで良い」という暗号だった。
(ルールもわかってるみたいだし、もしかしたらそこそこのギャンブラーなのかも)
いまいち探りにくい青年の顔を見つつ、リードがカードを配り始めた。
入間にドリンクを運んだ後、ジャズはアスモデウスの手にコースターを握らせた。アスモデウスが何かと思いコースターを見ると、裏側に「貸切にしたから楽にして」との走り書きがあった。
リードと入間がドローポーカーを始めたのを確認すると、アスモデウスはそっとテーブルを離れた。目線は入間に向けたまま、カウンターのスツールへ腰掛ける。
「気を使わせてすまない」
「いいや、せっかくならアスモデウスにも息抜きしてもらわなきゃ。何か飲むだろ?」
カウンターの中からジャズが笑いかける。アスモデウスはふっと息をつくと、カウンターテーブルに肘をついた。
「ああ、ノンアルで……あとは任せる」
「かしこまり〜」
てきぱきとグラスや瓶を用意し、ものの数十秒でドリンクを用意する。アスモデウスの前に差し出されたロンググラスは、淡いさくら色をしていた。
「これは俺からのおごり」
「いや、支払わせてくれ。開店の祝いに来れなかったからな」
律儀だなぁと笑いながら、ジャズはカウンターにもたれかかった。
「忙しそうだもんな、魔王様」
「ああ。睡眠時間は確保させてるが、イルマ様ご自身があれもこれもと欲張りがちで……」
カジノテーブルの入間とリードを眺めながら、ジャズとアスモデウスはつらつらと話し込んだ。ジャズもいつの間にかワインを傾けている。
「さすがイルマくんだなぁ」
止めるのに苦労する、とグラスを傾けたアスモデウスは、言葉とは裏腹にとても充実した笑顔を浮かべていた。それから店内を見渡して、
「しかし、お前達が店を持つなんて意外だったな。きちんと営業できているんだな」
少し引っかかる言い方だが、まぁアスモデウスだしな、と思ってジャズは気に留めなかった。
「んん、まぁ、似たような仕事はした事もあったし」
フルフル軍曹に連行されて働かされたのは地獄ではあったが、結局いま役に立っている。ワイングラスをあおってから、ジャズはテーブルで真剣な表情をしているリードを見た。
「やろうって言い出したのはリードなんだよ。最初は冗談半分だったんだけど」
――
「ねえジャジー、1年の頃、家庭訪問があったの覚えてる?
あはは、あれ参ったよねぇ。
でもさぁ、その時、遊びと利益を両立出来るようにって
言われたんだよ。
その時はそんなうまい話あるかよって思ったんだけどさ」
「ジャジーはお金の事、詳しいし。
店は任せるから、賭場は僕に任せてよ。
……言っとくけどきっと稼ぐよ、僕。」
「本気かって、あはは、正直思いついただけだし。
まだ僕にもわかんない。
でもさ。
楽しそうって、思うんだよ。」
――
卒業から数年後、まだあの話を覚えているか、と預金通帳をリードに見せた時の事を思い出す。これは開店資金として使っていい金だけど、リードなら6倍にして返してくれるだろ?と持ちかけたのだ。
するとリードは不敵な笑みを浮かべて言った。
舐めんなよ、666倍にして一生遊んで暮らせるようにしてやるよ――、と。
「成程、お前もシャックスも賭け事が好きだったからな。お互いに得しかないわけだ」
アスモデウスがグラスを傾け、ジャズの出したチョコレートをつまむ。ジャズもチョコレートを一口かじって、
「まぁ、それだけって訳じゃねえんだけどさ……」
そう呟いた時、リードの素っ頓狂な叫び声が響き渡った。
入間が認識阻害グラスを外したようだった。
「い、い、ぃるま、くんっ……!?いや、まぉぅさま……っ」
先刻のジャズ同様、リードは消え入りそうな声で狼狽えていた。
「リードくん久しぶり!やっぱりリードくんとゲームするのは楽しいなぁ」
カクテルのせいか勝負に興奮したせいか、うっすら頬を染めた入間が上機嫌に笑っている。呑気な魔王様とは対象的に、ゲーム中はすましていたディーラーはこれまた大量の冷や汗をかいている。
「ちょ、イルマくんひとり?大丈夫なの?アズアズは?側近でしょ?ここそんなに治安良くな……ぎゃっ!」
リードが小声でまくし立てていると、後ろから脳天を突かれて悲鳴を上げた。いつの間にか背後に回っていたジャズが、リードのつむじを突いた挙げ句、ぐりぐりとこね回している。
「リードぉ、今日は貸切にしたから普通に喋って大丈夫だぞ」
「か、貸切?へ?」
ニコニコしている入間と、ワイングラス片手のジャズを交互に見ていると、入間の横へやって来たアスモデウスも認識阻害グラスを外した。
「私ならここに居るが」
「あ、あ、アズアズも来てるぅぅぅ!?」
一通り事情を話し、キンキンに冷やしたトニックウォーターを飲ませ、リードを落ち着かせた。
「イルマくんさぁ〜、今度来る時は先に連絡してよね」
「え〜?またびっくりさせたいんだけどな〜。それに普段の街の様子が見たいんだもん」
「わかるけどさぁ〜……なんかあった時アズアズの寿命が減っちゃうから僕らにだけでも連絡しといてよ〜」
すっかり学生時代と同じようにはしゃいでいる。リードはジャズにハイボールを注文し、シャツの襟元をゆるめた。
「よっし、イルマくん、もうひと勝負いこっか!」
「うん!あっジャズくん、お酒おかわり!あと何か食べたい……いいよね、アズくん?」
ええ構いませんよ、とアスモデウスは入間の隣へ座った。
「私も参加します。二人でシャックスをこてんぱんにしましょう」
「はァ〜?言っとくけど手加減しないよ?じゃあホールデムでどう?」
望むところだ、とアスモデウスが身を乗り出す。
ジャズは心地好く酔いながら、四人分の飲み物と肴を用意する。勝負が決まるたびに上がる笑い声やら唸り声やらが店じゅうを満たしていた。
勝っても負けても、今夜は恨みっこなし、魔王様にだって無礼講。
楽しそうに笑っているリードを見て、ジャズはとっておきのワインを開けた。