視線 がらら、と引き戸が大袈裟な音を立てた。
「おっじゃま〜」五条の声だ。
「邪魔な自覚あるのね」机に座って目線は手元の書類仕事から動かさないまま、庵が言う。「自覚あるなら帰ってくれたらいいのよ。はい、さようなら」
「あいさつとか定型文って知ってる? 歌姫」
おお冷たい、とわざとらしい声を上げながら入ってきた気配に観念して、戸口へ目を向ける。そこにいたのは、大柄な体に黒ずくめの服をまとって、目元と髪だけは真っ白という珍妙な姿をした男だった。
ずんとした存在感を生む黒の上下も白く光を透かす髪も、知ったものではある。しかし目元が包帯で隠されているのは初めて見る姿だった。彼の目元は胡散臭いラウンドのサングラスが隠していたはずだ。あれはどこへ行ったのか。
「アンタそれ、何」
彼には反転術式という自己回復能力がある。だからまさか怪我ではあるまいとは思うものの、庵の心臓は常よりテンポを上げていた。部位が部位であるだけに。
「それって?」
「目元」
「ああ、これ?」目元を覆う包帯に親指を引っ掛けながら五条が首を傾げる。
「そんな完全に覆っちゃって見えるもんなの?」
「まあね。そこは僕の目だしー」
「……あっそ」
真面目に話す気ないなコイツ、と庵は思った。脈拍も落ち着きを取り戻す。
彼の目にはサーモグラフィーが温度を示すがごとくに呪力が見えているというのは、庵も学生時代に聞いたことがある。遮光度の高いサングラス越しであっても、まとう呪力そのもの、ないしはその名残を見れば視覚に不足はないのだとも。ただ、それは人にしろ物にしろ形のあるものが見えるというだけの話ではないのか。
書類上の文字は呪力の視覚にどう映っているのだろう。庵の隣に空いていた席にどかりと座り込んで、何もう今日の報告書いてんの真面目〜などとのたまっているあたり、認識するのに不足はないようだが、この男は一体どこまで規格外を突き進むのか。
庵は目線を書類に戻して、ペンを走らせる作業を再開する。ペンは共用のデスクから適当に使わせてもらっているもので、書き心地がよかった。引っかかるとか、インクの出が悪いとか、逆にインクだまりがひどいとか、そういう集中を阻害する要素がない。
であるからには、やけに集中が散漫になってペンが進まないのは、右側に居座る気配のせいでしかなかった。何か作業をするでもなく、庵の書類に助言(という名目の邪魔)をするでもなく、五条はただ座ってこちらに顔を向けている。
「アンタいつまでそこにいる気?」放り出しそうになるペンを握りしめて尋ねる。
「僕がここにいて、何か問題ある?」五条はわざとらしく首を傾げた。
反射的に睨みつける。ケラケラ笑いながら庵に向き合った五条の顔は、庵の目にばちっと重なる角度だった。
隠しているのがいけない、と思う。隠すから、その裏に想像力を働かせてしまう。目元が包帯に隠れてさえいなければ、あの青いまなざしを想像して意識したりなんてしなくて済むはずなのだ。
「視線がうるさい。見ないで」
「日本語がおかしいよ、歌姫センセ」
(2110160512)