「よく言えました」 撃沈、というテロップが似合いそうな五条の姿を、庵は初めて目にしている。力の抜け切った頭部は重い。五条はスキニージーンズに包まれた庵の太ももを枕にして、居酒屋の座敷で伸びていた。一緒に飲んでいた面子は「ひびく」という五条の言に従って、庵を残して少し離れて控えめな宴席を続けている。家入も、時々見にきますねと言って移動した。
最初はあおむけだったはずだ。一度水を飲ませたときに身を起こしたあと、再び横になる際にまぶしいとかなんとか言いながらもぞもぞと動いて、庵の側に顔を向ける姿勢になった。両腕が庵のそばに力なく投げ出されている。
家入はじめ気の知れた面子での飲みの席に遅れて合流した五条が「疲れたー! これもらうね」と言って庵の真横で一気にあおったのが、酒のグラスだった。ウーロン茶とウーロンハイの勘違い。みるみるうちに赤く染まっていく五条の顔色を見た庵が男の失態に気づいたころには、彼の顔色は紙のように真っ白になっていた。「きもちわるい」とかろうじて主張して、五条は重力にまかせて庵のいる方へ倒れ込んだ。
「ソフトドリンクだったらストローついてんだから、ちゃんと確認してから飲みなさい」
「ストローかなって」
くろいの、と五条が言ったのは、ウーロンハイのグラスにささる、プラスチックの黒いマドラーのことのようだ。これがストローに見えたというのなら、五条は酒を飲む前から相当に疲れがキていたのでないか。
「う」
五条が何やらうめきながらゆっくりと、また頭の位置をあれこれ変えている。収まりのいい場所や角度を探しているのだろう。もし悪ふざけで酒をあおったりした結果が今のこれだとすれば、容赦なく膝から転がしてやるところだ。自業自得なのだから。
今回の発端は五条の勘違いにあるものの、勘違いを誘引した疲労は、その原因を五条の自己責任としてしまうわけにいかないだろうと、庵は思う。五条が特級呪術師であることも、特級案件に対して迅速な対応を期待できるのが高専管轄下においては五条一人であることも、その五条に特級を含むいくつもの任務がなだれ込んでいることも。どれひとつとして、五条のせいでそうある、という類いの事態ではない。
二級以下の術師にとって、一級以上の呪霊対応は荷がまさることが多い。低級の術師が束になったところで、一級呪霊の側も複数体となれば退避・応援要請・待機の一手だ。かといって、十分に対応できるはずの準一級、一級術師は、そもそも術師の絶対数が少ない中で無尽蔵に湧いて出てくるなんてことはない。
結局、この不均衡な構図の割を食っているのが五条なのだ。本人は「人使い荒ェ〜」などと文句をたれつつ、その実あっけらかんと日々の任務をこなしているものの。
太ももの上の五条がふと落ち着いた。いい位置を見つけたようだ。
「まだ気持ち悪い?」
「あたまいたい」くぐもった声が返ってくる。「たすけて、うたひめ」
庵は片手に持っていたビールジョッキを卓の上に置いた。いわゆる膝枕の姿勢に収まっている男の頭をまじまじと見ながら、ゆがんだらいけないとサングラスを外してやった。五条に抵抗はされない。
「水は飲んだんだし、寝られるなら寝てなさい」
ん、と相変わらずくぐもった声が聞こえた。すう、は、とゆっくり繰り返される呼吸が、次第に深く、長く落ち着いていく。庵の太ももに沈む重みも増した。
——たすけて、うたひめ。
庵の太ももに押しつけられてひしゃげている男の白い髪を、指先ですく。汗で指先がじわりと湿ったが、嫌悪感はなかった。
(2110270616)