座敷「五条が薦めてくる店って大抵、座敷だよな」
家入がそう言って、手にしているロックグラスの氷をからりと鳴らした。卓の向こう側から五条を、そしてその肩にもたれる庵を眺めている。
「気づいてたんだ」
「気づかないとでも?」
「気づいてない人もいるでしょ」
ここにさ、と肩にもたれかかっている頭をなでた。その程度の刺激ではむずかりもしないほどに、彼女の眠りは深い。
酒席の庵は酒精に肌を赤く染め、瞳が潤み、喋り方が間延びして、舌が回らなくなり、語彙力が低下する。そこからの展開は、ニコニコと笑んで生徒たちの成長を語り続けたり、涙ながらに自らの不手際を猛省したり、卓をたたいて五条の振る舞いに難癖をつけたりと、日によってさまざまである。
どのバリエーションであっても、酔いの回りきった庵は最終的に、姿勢を正したままでいられなくなる。メトロノームのようにゆらりゆらりと身を揺らして、ついには重力に屈してバランスを失う。
今日の庵は懲りもせず、隣に陣取る五条への説教大会を開催した。卓をばしばしとたたいていた庵の手のひらは、次第に五条と庵の間の畳をたたき、五条の膝をたたき、腕をたたいた。その合間にも庵の酒はぐいぐいと進む。スイッチが切れたおもちゃのように庵が五条の肩口にどさりと倒れかかるまでは、それほど時間を要しなかった。
庵は気づいていない。酔っ払って寝落ちして、五条の肩にすり寄ってしまっていること。そのために、元々いた位置からは優に体ひとつ分ずれた場所に移動していること。使っていた座布団など、まるっと無視して畳の上に座り込んでいること。これまでも、今も。
「椅子だと落ちるって、心配してる?」
グラスの中の氷をからから鳴らし続ける家入が問うたのに、五条は「まさか」と笑って返した。座敷だから庵が酔ってバランスを崩しても落ちないなんてのは、五条にとっては結果論だ。目的ではない。
家入も「うん、だよな」と特に驚かない。
「心配してるなんて言われたら、君の正気を疑うところだった」
「酷い言われようだね、僕」
手のひらで髪の手触りと頭の丸みを楽しんでいると、店員が焼酎のお代わりと水のグラスを運んできた。家入は水を五条のオレンジジュースの横に置く。チェイサーだったのだろうが、家入は少なくともまだ必要としない。たぶん、庵が目が覚めたら飲ませるつもりだ。
家入はさっそく新しいグラスに口をつけた。
「椅子だとすり寄ってきてくれないってとこじゃないの。座敷なら、先輩がズレてくのを妨げるものがないわけだからね」
「硝子が気づいてても意味ないんだけど」
五条は隠しているつもりなど全くないが、肝心の庵は意識がないか記憶がないかのどちらかだ。結果として、コアラよろしくしがみつかれることで五条の腕が庵の腕と分け合う体温は、五条だけが知るところとなっている。
昼間の五条を睨み据える庵の視線に、夜はあんなに熱いのにねと下らないことを考えて五条が内心ほくそ笑んでいることにも、庵は気づきやしないのだ。
(2111110800)