ケーキ カラカランと鳴ったドアベルの音に、いらっしゃいませと反射で口にしながら店の入り口を見た。ドアを少し潜るようにして入店したその若い男性は、光に透ける白い髪が眩しい。それに対して目元はサングラスに覆われている。長身に見合った長い足で数歩、進んできた彼は、カフェスペースまでは行かずにガラスケースの前で立ち止まった。
男性はしばらく遠巻きにケースに並ぶケーキを眺めていたが、そのうちに一歩前に出て覗き込んだ。一種類ずつ吟味しているようだ。私はカフェ用のカトラリーセットを磨きながら、注文に身構えておく。ねえ、と声がかかったのは、一通り磨き終えて布巾を畳んだタイミングだった。
「甘さ控えめなのって、どれ?」
男性は身を起こして、ガラスケースを指差しながら尋ねてきた。
「チーズケーキはすっきりとしたレモンの風味で人気がございます。フルーツタルトも、ベリー多めですのでさっぱりとした酸味を楽しんでいただけるかと。こちらのチョコレートケーキはベリージャムを挟んで、ビターチョコに合わせてクリームも甘みをおさえています」
ラインナップのケーキをざっと見て、順々に手のひらで指し示しながら説明していく。うちのケーキは砂糖の甘さより果物の味わいを推しているので、元々甘さは抑え気味だ。特に案内した三種類は、甘いのが苦手なお客様にもコーヒーと合わせておいしく召し上がっていただけていると思う。
「んじゃ、チーズケーキを一つ」
男性は人差し指を立ててそう言った。それから、ショートケーキ、チェリータルト、ミルクレープに自家製プリンを一つずつ注文した。甘いものは苦手なのかと思ったが、そうでもないのだろうか。
さっと紙箱を組み立てて、注文通りの品を並べた。仕切りの紙板を挟みながら、添える保冷剤の数を確かめるために持ち歩く時間を尋ねる。
「すぐ着くから一つでいいよ。フォークとかは無しで、お手拭きだけ二つお願い」
かしこまりましたと言葉の通りに保冷剤一つとお手拭き二つを添えて、箱を閉じる。箱を持って男性をレジへ誘導しながら、お手拭き二つってことは二人で食べるってことかな、と思った。わざわざ甘さ控えめなものをと選んだくらいだから、チーズケーキとそれ以外とで分け合うのだろう。甘さ控えめを一つと、甘いものをたっぷり。極端な組み合わせだけれど、好みの差を超えてテーブルを共にしたい人がいるのなら、羨ましいものだ。
カラカランと鳴ったドアベルの音に、いらっしゃいませとあいさつしながら店の入り口を見る。顔を横切るような傷のある女性がお一人、ドアを開けていた。すっと伸びた背筋が潔く、切れ長の目は飴色。レジにいた私と目が合うとその目をふわりとゆるめて、小さく会釈をしてくれた。
カフェスペースのご利用だという女性に、カウンター席かテーブル席かの希望を聞く。
「待ち合わせをしているんです。テーブル席でもいいかしら?」
当然、問題ない。日当たりのいい二人がけの席へ案内する。席に着いた女性は腕時計をちらと見てから、ホットコーヒーを注文した。
コーヒーメーカーに豆とコーヒーポットをセットして、ドリップスタート。ブラックとのことだったので、コーヒーフレッシュもシュガーもいらない。待っている間にお冷を女性のテーブルへサーブする。そうしているうちにドリップを終えたコーヒーをカップに注いでいると、ドアベルの音が聞こえた。いらっしゃいませと例のごとく反射で顔を上げれば、いつぞや来店した白い髪の男性が入店してきていた。
あのときとは違い、男性はガラスケースの前を通り過ぎてカフェスペースを見渡しているようだった。さきほど飴色の目の女性を案内したテーブルを見て、その回らす首が止まる。にい、と口角を上げてから、待ち合わせしてる人がいるんだと私に告げて、そのままずいずいとフロアを進んでいった。
ホットコーヒーをのせたお盆にお冷を一つ追加して、女性のテーブルへ行く。
「アンタが時間通りに来るなんて、珍しいこともあるものね。明日は初雪かしら」
「ま、こんなときくらいはね」
「ねえ。ここって、前のチーズケーキのお店よね」
「覚えてたんだ」
言いながら男性はコートを脱いで、女性の向かいの席の背もたれにかけた。流れるような動作でその席に座り「よかったね、ボケるのはまだ先みたい」と言った男性の手の甲を、女性の指先がぐねりとつねる。
その小気味良いやりとりに割り込むのは申し訳なかったが、一言声をかけてから女性の前にコーヒーを差し出した。男性の前にお冷を置きながら、追加の注文をうかがった。
「僕、ホットココアとショートケーキとモンブラン」
「あと、チーズケーキをお願いします」
私も覚えている。あの日のチーズケーキは、この女性のために選ばれたのだ。そしてきっと、彼女に気に入っていただけた。
かしこまりましたと言った私は、この日一番の笑顔だったはずだ。
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