朝食　おっ、と五条が声を上げるのが聞こえた。
「これ去年も買ってくれてなかった？」
　庵が目玉焼きを作るコンロの火を止めて振り返って見れば、目敏く冷蔵庫からりんごジャムの瓶を見つけて取り出している五条がいる。手作りとラベルに書かれたそれは、確かに去年も冷蔵庫にラインナップしたものだ。ごろりと大きめの果肉が残っていて食感が楽しく、甘い中でも酸味が引き締めてくるのがいいと五条が言っていたのを一年たっても覚えていた。今年もスーパーに陳列されているのを見たら、つい手に取ってしまったのだ。今日は庵も食べてみたいと思っている。
　それをマーガリンと一緒にテーブルに置いた五条は、足を止めず朝食用のカトラリーをカップボードからそろえて鼻歌まじりにテーブルを整えていく。部屋のどこに何があるかを尋ねてこなくなったのはいつだったか。もうすっかり勝手知ったるといった様子だ。
　トースターがタイミングよくチンと焼き上がりを教えてくれた。フライパンから目玉焼きをそれぞれの皿に滑らせ、トーストを添える。五条の分は二枚。冷蔵庫の中身を総ざらいした野菜スープをカップによそっている間に、目玉焼きの皿も五条がテーブルへ運んでいく。
　——ジャムないの？
　そう言われたのは、庵が五条と迎えた最初の朝だった。冷蔵庫、ひいては部屋の借り主である庵は甘いものを嗜好しないのだから、あるわけがなかった。庵が朝食にトーストを食べるならマーガリンを塗る。実際はトーストだけして、おかずの塩味と合わせてさくさく食べてしまうことの方が多かった。なんなら、朝は基本的に炊き立てのご飯派だった。
　朝に炊き上がるご飯というものは、前日の夜なりに米を研ぎ、炊飯器をセットし、予約のボタンをポチリとやってやらなければありつけない。そこに五条と夜を過ごすという要素が組み込まれると、途端に翌朝の炊き立てご飯に向けての仕込みが果たせない夜が増えた。
　最初の朝がいい例だ。夜を閉じて朝を迎えるための用意などまるでないまま二人で床へなだれ込んだ結果、白々と明けた朝の光を受けて寝不足と気だるさを訴える体に鞭打ってたどり着いた台所で庵を迎えたのは、ほかほかの炊き立てご飯ではなく冷たい食パンと残り物のみそ汁だった。そこに来ての最強様の『ジャムないの？』である。ちぐはぐな食卓を囲みながら、食べるものが出てくるだけありがたいと思いなさい、と食育も真っ青な発言を投げ返したのを覚えている。
　そんな夜と朝を何セットか繰り返すうちに、庵は炊き立てのご飯を食べるタイミングが夕食になったことに気づいた。たまに気分転換で買っていた食パンを定期的に買い足していることに気づいた。冷蔵庫の一角にマーガリンと一緒に甘いジャムを切らさず並べていることに気づいた。五条が訪ねてきた夜、米を研ぐことを諦めている自分に気づいた。
　庵と五条が囲むこの朝食は、そんな変化の積み重ねの上にある。手を合わせていただきますと唱和する、これだけは変わらないけれど。
　五条はさっそくりんごジャムの瓶を手に取った。大きな手は未開封の瓶も難なくするりと開けて、バターナイフでジャムをトーストに塗り広げていく。
「アンタほんとに甘いもの好きね」
「そうだね、好きだよ。でもジャムトーストは甘いものっていうか、ここで食べると割増で好きって感じ。歌姫が炊き立てご飯よりも僕を優先した結果だもんね」
　ジャムを用意するようになってからは切らさないあたりもポイント高いよ、と言ってから、五条が大きくひと口、りんごジャムたっぷりのトーストにかじりついた。
　いらんこと言っていらんこと引き出しちゃったな、と思った。朝だというのに、まだひと口も食べていないうちから食傷気味だ。りんごジャムは諦めて素のままのトーストにかじりつけば、五条が向かい側からにやにやと眺めてきている視線を感じる。ああ、甘い。

（2112091335）