ジャンク「あっれー。飯、食いっぱぐれちまったんだ?」
喉が渇いたので水を飲もうと五条が共用のキッチンスペースに赴くと、先客——どんぶりに卵を割り落としている庵がいた。力加減を間違えたのか、殻がいくらか砕けてどんぶりに落ちたのが見える。ぶきっちょ、と五条が言うが早いかものすごい勢いで足を踏み抜かれそうになった。咄嗟に無限で受ける。
庵が夕方から祓除任務に出ていたことは、庵と懇意にしている同期から聞いていた。大方、任務が長引いて、夕食には遅すぎるこんな時間に一人台所に立つ羽目になったのだろう。寮母はもう帰ってしまったから、自分でなんとかするしかないのだ。
どんぶりをのぞけば、生卵がのった茶色のかたまりがあった。なんだこれは。五条の想像は大盛りの卵かけご飯だったので、予想から大きく外れる中身に思わず庵を見下ろす。
「アンタ、これ食べたことない?」
庵が五条にペラペラと振って見せたパッケージは、白とオレンジのボーダー柄が特徴的だった。CMくらいは見たことがあるが、実際に食べたことはない。とはいえ、ばっちり商品名とイメージ写真が印刷されていて、いくらでも知ったかぶりできるように思う。
「目玉焼きがのってる即席ラーメンだろ」
「その発言で、何も知らないってのがありありと分かるわ。目玉焼きじゃなくて生卵」
これだからおぼっちゃまは!と庵は芝居がかった物言いの傍らでコンロの火を止め、蓋がカタカタ浮いていたやかんを持ち上げた。とぽとぽと熱湯を注いだどんぶりに、鍋の蓋を乗せて冷蔵庫に向かう。
「これ、マジで『すごくおいしい』?」
作業台に放られたパッケージを拾い上げ、印字されたキャッチフレーズを読み上げる。
「正直、『すごくおいし』くはない。空腹ってスパイスが偉大なのよ」
何のスイッチが入っているのか、庵が冷蔵庫から取り出した細ネギを振り返る勢いに乗せてびしりと五条に突きつける。まな板の上でネギをいくらか刻んで、また冷蔵庫を開けて戻した。
共用の冷蔵庫は中の食材もほとんど共有物という状態だ。名前を書かない限りは誰に使われても文句は言えないし、言わせない。お互いさまなのである。
庵がまな板と包丁を洗っているうちに、お湯を入れてから三分を迎えた。鍋蓋を持ち上げると、湯気とともに濃くしょっぱい匂いが鼻腔を襲った。
「うわ、すげえ匂い」
「何勝手に人のもの開けてんだ!」
庵の怒声は気にせず、どんぶりの様子をうかがう。丸々とした黄身は相変わらず鮮やかで、期待した白は見当たらない。代わりに、とろりと少し濁った卵白が表面を覆っていた。
「目玉焼きもどきは? 卵、でろでろなんだけど」
「……現実なんてこんなもんよ」
言いながら、庵が五条の横から刻みネギをどんぶりに散らした。白身が固まっていないこと以外は、パッケージの写真通りだ。こうなると余計に固まりきらない白身が気になってしまう。
五条の目の前からどんぶりを取り返した庵は黄身に箸を突き刺してから、ざっくりとラーメンを混ぜた。どんぶりの中身は卵かけご飯ならぬ、卵かけラーメンといった様相だ。
庵はいつの間に用意したのか汁椀にいくらか取り分けて、それを「ん」と五条の前に差し出してきた。くん、と主張の強い香りを再び確かめているうちに、箸も渡される。
ぺろぺろとした扁平な麺を箸でつまみ上げ、一気にすすった。
「なにこれ、やべえ! めちゃジャンク! こんな時間にこんなもん食っていいの、歌姫ェ」
五条は込み上げてきた笑いに抗うことなく腹を抱える。これはラーメンというより、スナック菓子に近いように思う。そういえば、お湯を入れる前の麺のかたまりを砕いたようなスナック菓子があるのではなかったか。
「コンビニ寄りそびれて、もうこれしか食料なかったんだよ!」
「疲れてるからって、ぼんやりしてっからだろ。次は飯時に間に合うように頑張れ〜」
「うっさい。いつもこんな時間になるわけじゃないからな」
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