闖入者 アルコールが回ってふらふらとおぼつかない足で、庵はなんとか目当ての部屋の前にたどり着いた。
バッグをひっくり返す勢いで鍵を探し出して、差し込む。……差し込めない。入っていかない。おかしい。
これ家の鍵じゃなくて高専の寮の鍵だよな、と己がつまむ鍵をまじまじと見る。なんの変哲もない刻みキーであるのは自宅の鍵も同じだが、それにぶら下がっているのは目の前の部屋番号が書かれたラベルが貼り付いているプレートだ。家の鍵ではない。自宅の鍵には推し球団のユニフォームキーホルダーをつけている。
なんで入んないのよ鍵、と庵はヤケになってドアノブを回した。すると、つかえることなく回る。さらに引けば戸が開くではないか。隙間から漏れてくる光に目を丸くした。
まじ? やったあ、入れるじゃない。
入ってしまえば内から施錠もできる。鍵のことは明日、部屋を貸し出してくれた補助監督に聞けばいい。今はとにかく髪を解いて、服装をゆるめて、横になって、寝てしまいたかった。
意気揚々と戸を開けて、中に入る。サンダルを脱ぐために少し身をかがめたら、バランスを崩して転んだ。情けねー!ときゃらきゃら笑ってしまう。それでもなんとか金具を外して脱ぎきったサンダルを放り、部屋に上がり込んだ。
髪のリボンを外しながらミニキッチンを抜ける。そうして奥のワンルームに入ってベッドの存在を認めた庵には、そのベッドに身を投げ出す以外の選択肢などなかった。
勢いよく飛び込んだ体をスプリングがふわりと受け止めてくれる。こんないいベッドが据えられているのは珍しいな、と思う。当たりの部屋かもしれない。そういえば、部屋に入った時点で電気がついているというのも珍しかった。
足にまとわりつくようなスカートを脱いで、ブラウスのボタンも上から二つ三つ外す。息がしやすくなった。なんだか嬉しくなったので調子に乗って、深く息を吸って吐いてと深呼吸を繰り返す。
どろどろとした眠気が酸素とともに身体中に満ちていくようだった。庵は抗うことなく、泥濘に沈むように眠りに落ちた。
……あ、鍵かけてない。まあいいでしょ、女子寮だもの。
◇
五条は自販機で買ったコーラを片手に、数年かけてなし崩し的に自室に仕立て上げた男子寮の一室に戻った。
空けるのはほんの数分だからと施錠はしていなかったので、そのままドアノブを回す、つもりだった。ドアノブを握ったまま、五条の手はぴたりと固まった。
部屋に、歌姫の気配がある?
もう十年は関わりのある女の呪力だ。五条の目が見間違えるわけなどない。何かしているのかと扉越しに呪力を伺ってみるものの、呪力に動きはなかった。おとなしくじっとしている様子だ。
何する気か知らないけど、こっちが脅かしてやろうじゃん。
音を立てないようにそっと戸を開けた。玄関には女物のサンダルが転がっている。スニーカーを脱ぎながら見渡したミニキッチンには、これまた女物のバッグが放られていた。そばには白いリボンもひらり。
サンダルをそろえてスニーカーの隣に並べ、バッグとリボンを拾い上げる。足音を殺して奥の主室に近づきながら、脅かし方を考えた。
ここはやっぱり、物陰か後ろから「わっ!」かな。
古典的だからこそ、引っかかるのが悔しいやつだ。驚いて飛び上がって顔いっぱいを真っ赤に染める、そんな庵の姿を思い描く。全くもって歳上には見えない。ムキになってキーキー言うのだろう。
そしたら、「人の部屋で何してんのー?」って言ってやろ。
先に仕掛けたのは歌姫の方だ、とにやにやしそうになるのをこらえ、こっそりと主室を覗き込む。しかし庵の姿はパッと見当たらない。隠れているのかと視線を巡らせると、生っ白い脚が目に飛び込んできた。
見慣れたベッドの上、見慣れない生脚がすらりと二本。
唾液がじわりと湧いてきたのを、ごくりと飲み下す。五条の視線はつい、滑るように、吸い付くように、まろい輪郭をなぞっていく。しかしその曲線もいつしか白いブラウスに覆われてしまった。柔らかなものの気配を、しわくちゃの布がおざなりに隠している。
そうしてさらに視線を動かせば、案の定というか、なんというか。まるで据え膳なシチュエーションには全くそぐわない、健やかな庵の寝顔があった。
五条の中で何かがぷつんと切れる。
「人の部屋で何してんの⁉︎」
勢い任せに時間も考えず声を荒らげて、さらにはバッグを床にたたきつけた。バッグから転がり落ちた鍵には、この部屋と同じ部屋番号のプレートがついている。拾い上げて裏を見ると、〝女子寮〟と書かれていた。
(22.08.16 05:16)