オムファタルの憂鬱 Side:H
友達が欲しかった。
たぶん、普通の人なら簡単にできるはずのそれがオレにはとても難しかった。
オレが笑えば、オレが話しかければ、オレが触れば、忽ち目の前の相手の瞳に星が灯ってしまうからだ。
その星は恋だったり、憧憬だったり、信仰だったりして、少なくともオレが欲しいものではなかった。
だからオレは凡人になりたかった。他人と普通に対等な友達になれる存在になりたかった。
この人間なら大丈夫じゃないかと、人を選んでみても、オレの期待は易々と打ち砕かれて、「ああ、また駄目だった」を繰り返す。なんてことないように、友達の話をする周りの人たちのことを、毎日酷く羨んだ。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。――マタイによる福音書 七章七節ー八節
これはオレの好きな聖句だ。オレはこの言葉を信じ、オレに星を見ない人と出逢いたくて、ずっとずっと探し求めた。そして、陽が昇って、落ちて、昇って、また落ちてを幾度となく繰り返したその果てに、オレは漸く見つけたのだ。オレが何より探し求めた、その人を。
はじめてだった。オレを「特別」にしない人。オレと対等でいてくれる、その素養を持った人。
神様がオレにくれた祝福だと思った。
物語のなかでしか知らなかった「友達」がオレの隣にいる。嬉しかった。楽しかった。幸せだった。それがあれば他になにもいらないと思うくらい。友達ってこんなに素敵なものだったんだ。積年の想いが報われた気がした。
だから、オレが貰った分の祝福をオレの「はじめての友達」であるお前にあげられたらな、と当然のように考えた。お前の望むことは何でも叶えてやりたくて、それがどんなことでも全然苦じゃなかった。そして、そんなオレにとって特別なお前の、特別になりたいと思った。
そこで、はた、と気づく。
頭から冷や水をぶっかけられたような心地がして、身体の芯から冷たくなっていった。
お前に出逢う前のオレは、互いを特別扱いしないことが対等なのだと思っていて、それが「友達」というものだと思っていた。これまで、オレと関わっては勝手に幻想を抱いてオレの特別になろうと躍起になっていた他人をみて、そういうやつらはそう望む時点で凡人なのだと、正直少し見下していた。
じゃあ、今のオレはどうだ? オレが心のなかで見下してきた人間と今のオレのどこが違う?
オレはたぶん、他人にとって常に完璧で究極の存在だった。そう振舞おうとしたわけではなく、他人の瞳にはなぜかそう映るらしかった。他人は皆、そんなオレを愛した。
お前はどうだろうか。お前と一緒にいるときに、オレは自分を取り繕ったことはない。ということはきっと、お前が見ている俺もそうなのだろう。
ならば、お前に出逢って凡人になってしまった俺は、隠さなければならない。お前に気づかれないように、幻滅されないように。
俺は人生ではじめて自分を偽った。それからしばらくして、お前が俺に神妙な面持ちで声を掛けてきた。
「おまえさ、俺に何か隠してることあるでしょ」
俺にとって、それは死刑宣告に等しかった。
Side:L
この世に存在する全てのものに興味がなかった。
他人に意味はなくて、俺にも意味はなかった。
どこにも属さず、何も語らず、何も成さない俺を、他人はまるで別の星から来た者のようだと言った。
本当にそうだったらよかった。俺が異星人だったら、俺が他人に理解されないのも、他人を理解したいと思えないのも、確かに地に足をつけているのにずっと宙に浮いているような心地がするのも全部その所為にできたのに。
俺はこうやって、生きているうちから幽霊みたいに存在が不安定な状態で、なににも見つけられず求められないまま、この世になんの痕跡も残さず、ただ静かに死んでいくのだろうと思っていた。それでいいと思っていた。
そんな無色透明だった俺の世界は、ある日突然革命される。
全ては、ある人に出逢った所為だった。
一目見て、わかった。この人は俺と同種だ。この世界の枠組みから外れたところにいる人。
この人なら他人から異星人と呼ばれる俺のことを理解してくれるかもしれない。そういう考えが脳裏を過って、俺は心の底では誰かに自分を理解して欲しいと思っていたのだと気づいた。そして理解されないことが寂しかったこと、それに気づきたくなくて全てから目を背け、耳を塞いでいたことも。
あいつは俺を「友達」と呼んだ。はじめての友達だと。俺ははじめて、自分が何者かになれた気がした。嬉しかった。楽しかった。幸せだった。それがあれば他になにもいらないと思うくらい。
俺たちは対となる連星だ。あいつが主星で、俺が伴星。
俺たちの間には万有引力のようなものが共有されていて、互いが互いの周りをぐるぐる回っているのだ。互いの寿命が尽きるまで。
だから、俺はいつだって、神の寵愛を受け、完璧で究極の存在としてこの世界に産み落とされたあいつのことを、なんでも知りたいと思ったし、理解したいと思った。あいつが俺を見つけてくれたみたいに、もしあいつになにかあったら、どんな微細な変化でも俺が誰より早く気づいて、手を差し伸べてやりたかった。そうやって互いを補い合って支え合うのが「友達」というものだと思っていた。
そういう理由で、一見するといつもと変わらないように見えるが、最近どこか違和感があるあいつが心配になって、俺は心に浮かんだことをそのまま音にしたのだ。本当にただそれだけだった。そんな俺にあいつは応えた。
「お前にだけは死んでも言わない」
そして、あいつは今までで一番綺麗に笑って、俺の前から消えた。
Side:O
僕は観測していた。
僕の魂の片割れが、最近一人の人間に入れ込んでいることを。
僕と同じ日に、同じ人間から産まれ、同じ容姿をしている片割れは今、僕の知らないところで僕の知らない人と僕の知らないことをしているようだった。
なんで知っているかって? あの子が教えてくれるからだ。嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに、僕が見たことないような顔で。
そんなあの子の変化を、僕は素直に良かったな、と思う。ここに至るまでのあの子の苦悩を知っていたから。
どうして、俺は他の人みたいに上手くできないんだ、と泣く姿を知っている。
望んでもいないあらゆる感情を向けられることに苛立つ姿を知っている。
自分の探し求める存在には永遠に巡り逢えないのではないかと、不安や孤独に押しつぶされそうな姿を知っている。
完璧で究極の存在である片割れの、そうじゃない姿を、僕だけが知っている。
だから、隠してあげたんだ。凡人になってしまったと嘆き悲しむあの子を。
他人に嫌われることを恐れたことなど一度もなかったあの子が、一番傷つけられたくない人に傷つけられることのないように。
そうしたら、どこから嗅ぎつけたのだか、しばらくして僕のところに彼がやってきた。
あの子を返してほしい、と彼は言った。それは君次第だよ、と笑って見せれば、彼はなんでもすると応えた。
ああ、面白い。目の前にいるこの男は、あの子が見せてもいいと思っていた半面しか知らないのだ。
「ねえ、君はさ、星の裏側を暴きたいと思う?」
少し意地悪な質問をした。どう出るやらと思っていると、彼は一呼吸の後に答えた。
「暴きたいというより見せてほしい、それを俺に許してほしい」
なるほど、どうやら馬鹿ではないらしい。それも当然か、あの子が探し求めて見つけた唯一の人間なのだ。
「あの子は君にだけは見せたくないと思っているようだけど」
「そもそも、表とか裏とかそういうのがよくわからない。全部ひっくるめてあいつじゃない?」
「そうだね、でもあの子はそう思っていないんだよ。まともな人付き合いをできた試しがないからね。弱いところを見せたら、人は離れていくと思っている。自分がそうやって他人を突き放してきたから」
「俺は違うよ。俺はあいつの友達なんだ。あいつのことが特別大事だから、傍にいて、あいつがありのままでいられる場所になりたい。そのためなら、頑張れるよ」
その言葉があまりにも曇りなく澄み渡った星空のように純粋で、僕は思わず目を細めた。
僕の魂の片割れ、彼は大丈夫だよ。
「友達」がなんなのか、たぶんどちらもわかっていない。それは二人で一緒に考えて、そして答えを見つけたらいい。二人だけの答えを。
僕は彼に向かって手を伸ばす。
「手を握って。それから、あの子の名前を呼んで。そしたら、君の友達は帰ってくる。たくさん話をするといい。喧嘩だってすればいい。きっと今まで見えていなかったものが見えてくる」
彼はこくりと頷いて僕の手を取り、あの子の名前を呼んだ。
僕の内側から僕が知らないはずの記憶が蘇ってくる。
僕の全てはあの子のためにあった。けれど、今のあの子に僕は必要ないようだから。
そうして、僕の意識は広い宇宙のなかに溶けた。
だからその後のことはなにも知らない。けれど、どんなことがあってもきっと、二人は一緒にいるのだろうな、と思った。