心配くらいさせて 朝起きてすぐに自分の不調に気付いた。喉の違和感にズキズキと痛みを主張してくる重い頭に少し汗ばんだ体温の高い体。布団に入っているはずなのに悪寒がして、これから時間が経つにつれて更に熱が上がっていくことを教えられる。
(熱出すなんていつぶりだ…?)
頭が痛むなか記憶を掘り出せば案外すぐに見つかった。中学の頃、ちょうど爺ちゃんが短期で入院してた頃に一度熱を出していたこと。その時も今みたいに家に一人だった。恋人である悟さんは昨日から3泊4日の出張に行ってるので明後日まで帰ってこない。
前回と同じような状況だし、その時も1人でやり過ごせたから今回も大丈夫だろう。幸い今日から三日間任務などの予定もない。そう高を括ってこの後の為にまだ熱が上がりきらないうちに動き出した。
一度スッキリするために顔を洗ったあと、寝間着から他のものに着替える。
(あぶね、忘れてた)
正直今はあまり画面を見たくないな、と思いつつスマホを取りに行って出張中の悟さんに「おはよう!」と悠仁っぽいとプレゼントしてくれたゆるい虎のスタンプを送る。余計な心配を掛けたくないから熱を出したことは伏せておく。
念の為に買ってあった未開封のマスクを取り出し着けたあと、スマホと財布と鍵を持って家を出た。というのも、本来の予定では今日はスーパーへと買い出しに行く予定だったのだ。つまり、家に食材があまりない。体調が悪い上に食べるのは自分1人なので予定を変更し、コンビニへと急ぐ。500mlのミネラルウォーターニ本にレトルトの食材、ゼリーを幾つかとカットフルーツに冷却シートをカゴに入れてレジへ持っていく。合計金額が表示され、財布から払おうとするも頭が痛むと同時にふわふわして思考が纏まらなく始めたことに危機感を覚えた。幸い後ろに客は並んでおらず、緩慢な動きの中なんとか払い終えて帰宅する。
家に帰ったあと再び寝間着に着替え、とりあえず朝ご飯だけでもと買ってきたレトルトのお粥を器に移して電子レンジで温める。その間に冷やしておきたいものを冷蔵庫に入れ、ついでに窓を開けて換気をする。
「レトルトのお粥も意外と美味いな」
温まったお粥を平らげて滅多に使わない食洗機にかける。手洗いすることに慣れ過ぎて家に食洗機があることを忘れるのだが、こういう時には非常に便利。
(あとは、ミネラルウォーターと飲料ゼリーと吐いてもいいように新聞紙と桶と…)
後は何か必要な物あったっけ。普段熱も出さなければ風邪すらも引かないからあんま良く分かってない。一通り自分の思う必要なものはテーブルに置いて、換気のために開けていた窓を閉めレースのカーテンをする。そして、モコモコの毛布をリビングに持っていきソファの上で包まった。家に音がないのが嫌だから頭に響かない程度に音量を小さくして垂れ流しにし、買ってきた冷却シートをおでこに貼って体温計を脇に挟む。
テレビを見ずにぼーっとしていたら、ピピッと体温を計り終えたことを知らせた。病は気から、と言うが本当にその通りだと思う。
(37.9か…。まだまだこれから上がるよなぁ〜)
数値を見て自覚した分、更に身体が重く感じるし頭も痛く感じる。前回の最高がこのくらいだったのだが、今回は一筋縄ではいかないような気がしてきた。
(とりあえず横になっとこ)
二人掛けのソファに胎児のように身を丸めて震えから逃げるように布団の端を握る。暗闇の中に映し出される映像の眩しさからも逃げるために瞼を閉じた。
──大丈夫
起きてからまだ数時間。テレビの中の笑い声をBGMにいつの間にか眠っていた。
◇
気付けば夕方だが、悠仁からの連絡がない。
今日から休みなはずで恵や野薔薇達とは予定も入れてないはずだから何時間も返してくない、なんてことは今までなかったのに。あんまりスマホを多く弄るような子ではないけど返信は早い。ランニングか買い物かはたまた寝ているか。試しに電話をしてみては一向に出る気配ない。電源が切れている訳ではないようだが。鹿児島に居るせいでもちろん術式を応用して飛べるわけがなく、調査中なため早く家に帰れたとしても明日の夕方。
「変なことに巻き込まれてなければいいけど…」
大小限らず何かしらアクシデントが発生すると大概悠仁が巻き込まれてることが多い。出会った当初から義務教育終えたてとは思えない達観したしっかりした子ではあるものの、宿儺の器であるせいか本来の性格なのか何かと関わってる。その時、自分のスマホから軽快音が鳴り誰かからの通知を知らせる。
『気付かなくてごめん!映画に集中してただけだから心配しないで。任務頑張れ!』
この緩さといいピンクみといい苗字に虎があるから悠仁っぽいと贈った虎のスタンプの種類の中で『頑張れ!』も送られる。文面が脳内で解像度の高い悠仁の表情付で再生してくれる。
『ありがとうー!速攻終わらせて帰るね♡』
他の連絡は無視して悠仁にだけ送ってポケットにしまう。今日はある程度終わらせたら悠仁と食べるお土産でも買ってホテルに戻ろう。うん、そうしよう。
「どこだよ呪詛師」
こちとら早く帰って悠仁にくっついて、悠仁の手料理食べて、一緒に風呂入ってイチャラブしたいってのに。余計な手間掛けさせやがって。
「あ、あれ悠仁好きそうだな」
その土地の有名ものも好むが変わったものの方が喜ぶのは、悠仁に買っていくようになってから知ったことだ。そういうものは悠仁が食べてから自分も食べるのだが、意外と美味しかったりする。たまにハズレもあるけど、それは悠仁行だ。よく食えるよな、流石特級呪物食べただけある。
「ゆーじが恋しい…」
今も映画見てるのかな。それかもう夕方だしご飯の準備してるのかな。悠仁は今日何食べるんだろ。一人だと適当にするところあるからなぁ。それとも筋トレか。頭が悠仁一色で、それ以外が頭の中に入り込む余地はない。
「早く帰りてぇ」
願望は学校終わりの学生の声に掻き消された。特級じゃなくてもできるこの任務は、他の術師に振って僕はさっさと悠仁の元へ帰るべきだったと後々後悔する。
次の日。
鹿児島での任務を巻きに巻いて呪詛師を生け捕りにしたのに、急遽京都にある実家に呼ばれて帰ることになった。京都じゃなくて東京にある悠仁の待つ家に帰りたかったのに。
京都に着いたのは夕飯の時間も過ぎた頃で、これから用事を済ませてから帰ろうとしても交通機関は最終便を逃す羽目になる。悠仁には明日の朝イチの新幹線で帰るね、と伝えて泣く泣く実家の幼少期過ごした自室で夜を明かした。
そして更に翌日。
朝早く家を出て始発の新幹線に乗り込んだ。結局予定通りの3泊4日の出張になってしまった。
「悠仁、ただいまー!僕が帰ってきたよ!」
「お、悟さんおかえり!お疲れ様」
9時過ぎに着いた家で悠仁が笑顔で出迎えてくれた。手に持っていたお土産を全部置いて3日ぶりの悠仁を抱き締める。
「ー、悠仁だぁ」
「あはは、くすぐってぇって」
石鹸の香りに混じった悠仁の匂いに頭が幸せになる。僕にとっては一種の麻薬みたいなもんだ。
「ほら家の中入ろう。もしかしてこれ全部お土産?」
「そっ。悠仁と食べたいやつ」
「またいっぱい買ってきたね。嬉しいありがとう」
「後で食べようね」
地面に置いた土産を持って悠仁が先にリビングに入っていく。僕は先に着替えるために寝室へ入る。悠仁とお揃いの長袖のTシャツにスウェット。それを着てリビングへ行く。どうやら悠仁はトイレに行ってるらしい。
「…ん?」
ポケットに入れてた飴の個包装達を圧縮したものをゴミ箱に捨てようと蓋を開ければ気になるものがチラホラ。捨てるものはないがついでに普通ゴミも。
「…んん?」
ゴミは捨てておいて確認のためあまり開かれることのない引き出しを開けみる。ハグしたとき何ともなかったよな?
「嘘でしょ」
トイレのドアが開く音が聞こえて慌てて引き出しをしまってソファにどっかりと座る。スッキリした顔の悠仁がリビングに戻ってくる。
「悠仁こっち来て」
「んー?」
努めて普段通りに足の間を叩いて悠仁を呼ぶ。そうすると悠仁は一瞬視線を何処かに向けたあといつもと変わらぬ様子で僕の股の間に座った。いや、向かい合わせの方がいいな。
「やっぱ僕の膝の上にこっち向きで座って」
「えー、いいよ」
のそのそと向かい合うように座る。いつもより外に座ってる気がする。もしかして、と思えば気になり始める。悠仁の重みだぁー、と腰回していた腕にグッと力を入れて寂しい距離を縮める。そのままキスをしようと少しだけ背を伸ばす。
「んぐ」
「あ」
薄い唇ではなく、悠仁の骨張った掌に口を覆われた。悠仁にとっても咄嗟の判断だったらしく視線が泳いでる。
「ねぇ悠仁」
「な、何?」
本当に表情に出やすい。これで隠し通せると思ってるのか。まぁ悠仁自身表情に出やすいことは自覚してるらしく、恐らく今も内容はバレてないけど何かやらかしたことはバレてると思ってるんだろう。
「単刀直入に聞くんだけどさ、僕のいない間に熱出した?」
「えっ⁉︎え、いや…」
「へぇ?出したんだ。まぁゴミ箱に風邪を引いた時に必要そうなもの達が捨てられてるの見たんだけどね」
「確信犯かよ…」
ただ単に悠仁が分かりやすいだけなんだけど。あそこで狼狽えてたら肯定してるようなもんでしょ。ガックリ項垂れてるから向けられてる可愛い旋毛にキスをする。
「いつ熱出たの?」
「悟さんが出張に行った次の日。完璧に下がったのは昨日の夜」
「…もしかして、映画見てたのって」
なかなか連絡が帰ってこないって心配してた日。悠仁はバツが悪そうな顔して小さな声で「本当はずっと寝てた」って白状した。
「はぁー?ちなみに最高何度だったの」
「38度9分」
「は⁉︎」
悠仁自身の平熱は高いけど、予想よりも高い体温にめっちゃデカい声が出た。久々にこんなにびっくりしたんだけど。
「その間に誰かに連絡した?」
「…してません」
「バカじゃん。マジでバカ。え?1人でずっと耐えてたってこと?え、バカ過ぎない?」
「めっちゃバカって言うじゃん。いや、1人でどうにかなるかなって」
少しだけ額にかかる前髪を上げてコツンとおでこを合わせるが特に高いような気がしない。ちゃんと下がったのは本当らしい。
「今は何ともない?無理してない?」
「おう、大丈夫!起きてすぐランニング行ったくらいには元気」
「いや大人しくしとけよ。もー、ほんとさぁ…」
人に甘えることができないっていうか自己完結しがち。話に聞く限り厳格な祖父に育てられたからなのか、ある程度のことは1人で出来てしまうような子だから。悠仁にとって唯一の身内であるお爺さんのことが好きで大切だから。
「僕にも心配くらいさせてくれよ…」
少し強張った彼の肩に頭を乗せる。どうせ「心配かける=迷惑」っていう方程式が悠仁の中で出来上がってるんだろう。今回は2日間で完治したものの、もしこれが僕が長期の出張でその間何日もと思うとゾッとする。1人家で高熱に浮かされてるなんて。
「ごめん」
そうやって困った顔で謝るんだもんね。分かってた。それなら僕にだっていくつか策はある。だってお前は身に染みるまでしてやらないと分からないもんね。また繰り返すことくらい分かってるもん。
「何かあったら絶対に連絡して。今回みたいに出張中でも絶対。もし気が引けるなら恵や野薔薇でもいいから。本当は真っ先に僕に甘えて欲しいんだけどね!」
「ん、分かった」
変に頑固というか。絶対分かってないだろ。
「本当に分かってんの⁉︎なんなら縛り結んだって良いんだからね⁉︎」
「分かった分かった!あと縛りは結ばんからっ」
縛りを持ち出したら焦ったように首を振る。そう?なんて少しおどけたように言うと緊張が解けたのか雰囲気が緩んだ。
「じゃあ縛りじゃなくて約束、ね」
「ん」
小指を差し出せばそっと絡まった。その小指を口元にまで持って行ってキスをして解く。だけど名残惜しそうな顔をして僕の小指を追うもんだから、僕のためにある唇に齧り付いた。
「これから覚悟しとけよ悠仁」
「えっ」
どろっどろに甘やかして甘えん坊にしてやる。詰め込まれる任務とかよりもよっぽど骨が折れそうだが上等だ。