ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第⑫話「茨の魔女の嘆き」 マレフィセントは、ローズを探してさまよい続けていた。
もうすぐ日が沈んでしまう。ローズは無事なのだろうか?
沈みゆく太陽の最後の光が荒野のヒースを燃え立たせ、森の木々の梢を照らしたとき、マレフィセントは異様な感覚に襲われ、胸を押さえてよろめきその場に膝をついた。
これは何……? まさか……、呪いが働いている?
マレフィセントは、弾かれたように顔を上げ、夕日を仰いだ。
落日は今まさに地平線へと消えようとしている。
「ロオオオオオオオオオオズ!! どこなの?」
声は虚しく荒野に響き、消えていった。
夕闇と共に、ひしひしと恐れと不安が押し寄せてくる。
ローズは? 彼女は無事なのか?
彼女は立ち上がり、恐ろしい気配のくる方へと走りだした。
と、羽音と共にディアヴァルが暮れなずむ空から舞い降りてきた。
「マレフィセント! ここに居たんですね」
「ローズは? ローズは無事なの!?」
ディアヴァルは思わず言葉に詰まり、黙ってうなだれた。
「ああ。まさか、呪いが……」
「……ええ。そのまさかです。彼女は城の尖塔の天辺で、眠りに落ちました」
「おぉ……」
マレフィセントは両手で顔を覆い、呻き声をあげた。
「私のせいだ……。私があの子を呪ったから……」
ディアヴァルは慰めの言葉もなく、ただ寄り添って立つことしかできなかった。
「償わなければ。せめて、眠るあの子を守らなければ……。ディアヴァルよ、馬になれ!」
ディアヴァルの姿はたちまち霞んで歪み、引き伸ばされてゆく。
ふた呼吸の後、そこには立派な黒馬が立っていた。
マレフィセントはその背にまたがると、城に向かって走り出した。
日も暮れて、宵闇があたりを支配する頃、主従は城に到着した。
城を囲む空堀に掛かった石橋のたもとで、マレフィセントは下馬するとディアヴァルを人の姿に戻した。
「ここから先は来なくていいわ。貴方は自由よ。どこへでも行きなさい」
ディアヴァルが驚いた顔をして、言い返す。
「そんなこと言っていいんですか? 貴方一人で城中を相手に戦うとでも?」
マレフィセントは、つんと顔を反らすと、黙って橋を渡り始めた。
ディアヴァルは、その背を追って走り寄りながら、「素直じゃないなぁ。お願いディアヴァル、一緒に来て! って言えばいいのに」と軽口を叩くのだった。
橋を渡ると、二人は門衛に止められた。だが、マレフィセントが片手を一振りすると、門衛たちはたちまちその場に倒れて眠り込んでしまった。
「ヒュウ! 流石ですね」と、ディアヴァルが口笛を吹く。
「せっかく人間の姿にしてやったのよ。そのまま逃げなさい。その姿ならもう罠に掛かって死んだりはしないでしょ」
「まだあの時のことを言うんですか? 私は勝手に貴女についていくことにしたんです。ほっといて下さい」
「……勝手にしなさい」
そういったマレフィセントの表情は、ディアヴァルからは見えなかった。しかし、気のせいかその声は、少しだけ温かかった気がした。
それからは、連戦だった。
マレフィセントは、出会う人間を片っ端から眠らせてゆく。
ディアヴァルはその底なしの魔力に舌を巻いた。
(これが、我が主の本気か。人間どもが恐れるわけだ)
だが、ディアヴァルは、気づいていなかった。
マレフィセントの魔力に黒い澱が混ざり始めていることを。
そして、彼女の表情が次第に張り詰めて行くことを。
と、横の通路から槍をもった衛兵が飛び出してきて、マレフィセントを突き刺そうとした。ディアヴァルは危ういところで兵士にに飛びかかり、二人は揉み合って床を転げ回った。
「ディアヴァル!!」
叫び声が聞こえ、次の瞬間、自分を刺し殺そうとしていた兵士の動きが止まり、彼の上に重くのしかかってきた。そして兵士はそのまま鼾をかき始めた。
兵士の身体を押しのけてもがきながら立ち上がろうとしていたとき、別の兵士がマレフィセントに斬りかかった。
だが、ディアヴァルに気を取られていたマレフィセントは、その兵士を避けそこねた。鉄の刃がマレフィセントの肩に食い込み、血が飛沫く。
マレフィセントは苦悶の声を上げて兵士を振り払った。
兵士は壁に打ち据えられ、そのまま深い眠りに落ちていった。
なんとか立ち上がったディアヴァルがマレフィセントの元へ駆け寄り、身体を支える。マレフィセントは魔法で傷を癒そうとしたが、鉄の傷は塞がることはなく、血が流れ続けた。
「酷い傷だ……。もう無理です、ここから逃げないと殺されてしまう」
だが、マレフィセントの目はディアヴァルを見てはいなかった。
「何を言っているの? ローズのところへ行かなきゃ。自分のしたことを償わなければ……」
中空を見つめて、半ば独り言のようにつぶやく声は平板で、何かしらぞっとするものをはらんでいた。
「マレフィセント……」
ディアヴァルはそれ以上言葉を続けることはできず、ただ彼女に肩を貸して立ち上がり、尖塔を目指してあるき始めたのだった。
それからも何度か危険な場面はあったが、出会う人間はすべて眠らされ、二人は尖塔にたどり着き、昇り始めた。
二人は、ついに尖塔の最上階にたどり着いた。
望楼には、宵闇に包まれ床に倒れ伏して眠るローズの姿があった。
マレフィセントは、ローズの元へと歩み寄った。
「ああ……。愛しい子……。やっぱり呪いにかかってしまったのね。私は愚かだった。あの男を呪えば良かったのに、より苦しめようとして貴女を呪ってしまった。貴女は貴女だったのに……」
ローズを掻き抱いたマレフィセントの周りに、黒い灰のような物が漂い、舞い上がり始めた。
空中にピリピリとした嫌な緊張が走り始める。
これは何なんだ……?
ディアヴァルは、思わずあたりを見回した。
だが、周りにはなにもない。その恐ろしい気配は、マレフィセントの身体から溢れ出していたのだ。
パチパチと音を立てて、マレフィセントの身体から黄緑色の小さな火花が散り始めた。火花はみるみる大きくなり、稲妻となってその身体にまとわりつく。
「ろおおおおおおおおおず!!」
マレフィセントが天を仰いで太くひび割れた声で叫ぶ。その目からは黒い涙が流れていた。
「ろおおおおおおおおず……ひとりではいかせない……いまわしイにんげんドモ……ミナねむるガいい……ろおずガめざめるマデ……」
引き伸ばされ低く響く声には、到底マレフィセントのものとは思えないおぞましさがあった。それでも、その声は間違いなくマレフィセントのものだったのだ。マレフィセントの身体から黒い液体が溢れ出し、滴り落ちてゆく。
「マレフィセント……? マレフィセント!! しっかりして下さい!!」
ディアヴァルは彼女の肩に手をかけ、揺さぶろうとした。だが、触れた途端、黄緑の稲妻に打ち据えられて弾き飛ばされ、尖塔から放り出されてしまったのだ。
(まずい、死ぬ……!)
そう思った時、突然魔法が解けて、彼は本来の姿に戻っていた。
翼を開き舞い上がって尖塔に戻ろうとしたその時。
望楼が弾け飛んだ。
空中を飛来する瓦礫に打たれなかったのは幸いだった。
唖然とするディアヴァルの目の前で、尖塔の上に巨大なドラゴンが姿を現した。
その重みに耐えられず、尖塔はガラガラと崩れてゆく。
ドラゴンの右目からは黄緑の炎が燃え上がり、左目からは黒い涙が流れ落ちている。肩口にある無残な傷からも黒い液体が血のように溢れ出している。その背中には翼のあるはずの場所に一対の肉の瘤があった。肉瘤の先端の断ち切られたような傷口からは黒い霧が立ち昇り、ゆらゆらとおぞましい蜃気楼のように揺れている。
ドラゴンは、片手にローズを抱え、半ば瓦礫の山になった尖塔から飛び降りた。
ドラゴンが天を仰ぎ咆哮を放つと、ビリビリと響く声と共に黄緑の霧を孕んだ爆風が産まれ、周囲を舐め尽くした。物陰にまで入り込む霧はつぎつぎと城の人間たちを包み込み、霧に捕まった人々は一人の例外もなくその場に倒れて昏睡に陥った。
幾度も、幾度も、天を衝く咆哮が轟き、城のすべての人間は眠りに落ちて行った。王も、王妃も、例外ではなかった。
その時、ドラゴンに呼びかける声があった。
「だめよ、マレフィセント! それ以上はいけない! 戻れなくなるわ!!」
ディアヴァルが見下ろすと、その声の主はあの三人の妖精たちの一人、フローラだった。城門の前の空堀にかかった橋のたもとに、三人の妖精たちと、あの王子がいた。
ドラゴンが、ゆっくりと彼らへと振り向いた……。