ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第⑭話「決戦」 フィリップ王子と三人の妖精たちが城の前に駆けつけた時、城の人々は既にみな眠りに落ちていたが、ドラゴンと化したマレフィセントはなお咆哮を上げ魔力を解き放ち続けていた。
毒々しい黄緑の霧が城門から吹き出し、爆風の余波に乗って吹き付けてくる。が、王子が美徳の盾を掲げると霧は盾に跳ね返されて消えていった。
フォーナが目に涙をためてつぶやく。
「マレフィセント……。なんてことなの、あんなに魔力を使ったら死んでしまうわ……」
「もう遅いわ……。あれじゃもう元には戻れない……。王子、せめて彼女を止めてあげて下さい」
と、メリーウェザーが言った。
「そんな! もう望みは無いというの!?」
とフォーナが言い返す。
その時、皆の前に飛び出した小さな影があった。
フローラだった。
「だめよ、マレフィセント! それ以上はいけない! 戻れなくなるわ!!」
その声が届いたのか、マレフィセントだったモノは、鱗に覆われた長い首を巡らせてゆっくりと振り向いた。
眼球がぐるりと動き、緑の瞳に三妖精と王子が映る。
縦長の瞳孔がカッと開き、顎からもはや人語として聞き取るのも困難な咆哮が放たれた。
「にンげン……ろおず……わたサヌ!!」
ドラゴンの背から立ち上る黒い瘴気から幾筋もの黒い蔓が飛び出し地面をのたうち回った。それは次々と枝分かれし、みるみるあたり一面を覆ってゆく。
(黒い茨だ……。さっきの霧といい、なんて魔力なんだ……!!)
ディアヴァルは全身の羽毛が逆立つのを感じた。こんな暴走を続けていたらどうなるのか。マレフィセントは元に戻れるのだろうか?
手出しも出来ず見守る前で、繁茂する茨が城中を覆い尽くそうとしていた。
「フローラったら! 逆に怒らせちゃったわよ……」
メリーウェザーがぼやく。
「皆さんは下がって。私が戦います」
と、妖精たちに言うと、王子は決然と剣を抜き愛馬を駈って城門へと走り始めた。
馬はすぐに、茨に阻まれ足を止めたが、王子は怯まない。真実の剣を振るって茨を切り開いてゆく。
その王子に向かって、黄緑の炎が襲いかかった。
「王子! 危ない!!」
妖精たちの悲鳴が響く。
王子は、とっさに盾を掲げて炎を防いだ。炎は盾にあたり、周囲に飛び散る。周りで煽りを食らった茨が焦げてぶすぶすと燻り始める。
何度も、何度も、ドラゴンの炎が王子を襲ったが、そのことごとくが盾で弾き返され、茨を焦がすばかりに終わった。
王子はじわじわと茨を切り開いてついに城門への橋のたもとまでたどり着いた。そこで王子は鐙を踏みしめ馬上で背筋を伸ばすと叫んだ。
「マレフィセント殿! 私が真実の愛で彼女を幸せにしてみせます!! ローズをお返し下さい!!」
ドラゴンの目に狂おしい光が宿った。大きく顎を開くと、轟音と共に鮮やかな黄緑の炎が吹き出し橋の上を舐めるように走る。城門や橋脚に絡み付く茨が炎を吹き上げ、チリチリとよじれて灰になってゆく。
「それが……貴女の答え、なのですか……」
フィリップ王子の目に、憂いの色が宿った。
「貴女を殺したくないのです……! どうか、怒りを鎮めて下さい!!」
ドラゴンは、まだ炎がちろちろと吹き出す顎を閉じると大きく上体をそらし、振り上げた前足を力強く足下へと振り下ろした。
強靭な筋肉の動きにつれて金属光沢を帯びた鱗がうねる。炎の色を反射し輝くさざ波がドラゴンの体表を走る。
地響きと激しい振動。
鋭くパチパチと爆ぜる音とともに業火にあぶられた石橋に罅が入ってゆく。その罅を追うように不気味な軋み音が走る。
ゆっくりと、やがて雪崩れるように橋が崩れはじめた。
その崩壊の波濤を蹴って、走り寄る白い影があった。
轟音と舞い上がる土埃が未だ鎮まり切らぬ中、ドラゴンの目前に凛として立つ白馬の青年の姿があった。
ドラゴンの黄緑の瞳が驚きに見開かれる。
頭を引き、顎を開いて炎を吐かんとしたその時、業火より一瞬早く一筋の光が閃き、ドラゴンの喉元へと吸い込まれていった。
世界が静止した。
実際にはほんの一呼吸あるかないかの時間。
激闘を見守る者たちにとっては永遠にも思えた瞬間。
頭を大きくそらしたドラゴンの喉元には輝く剣が深く深くのめり込み、柄を握った青年が全体重を乗せて貫き通せとばかりに押し込んでいる。
貫いた者と貫かれた者。その姿勢のまま、戦う両者は危うい均衡の中にいた。
永遠にも思えた刹那はゆっくりと崩れた。
ドラゴンの巨躯が静かに傾ぎはじめ、やがて加速して大地へ斃れた。
今一度の轟音と振動。そして耳の痛くなるような静寂。
驚きを浮かべたままの瞳からゆっくりと緑光が薄れ、薄く膜がはったような濁りに覆われてゆく。
戦いは終わった。
ディアヴァルは、倒れたマレフィセントの姿を呆然と見下ろしていた。彼の主は死んだのだ……。