ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第二部二話「ディアヴァルとグリムヒルデ」 ディアヴァルは、王を名乗る男が立ち去った後もグリムヒルデの家の回りにとどまって彼女を観察し続けた。
麗しい彼女の姿はいくらみても見飽きなかったし、留まったからと行って何か不都合があるわけでもなかった。そして何よりも、彼女を見ているだけで胸に湧き上がる喜びを感じていたかったのだ。
彼は食べ物を探しに行く以外は彼女の家の庭にいて、彼女が出てきてくれないかな、と待ち続け、時々煙突にあがって中で声がしないか耳を澄ませてみたりもした。
そんなある日、グリムヒルデが庭に出てきて井戸の水を汲んでいた。
彼女はふと、手を止め井戸を覗き込むと、井戸端に咲いた花を一輪手に取ると、はらりと井戸の中に落とした。
そして目を閉じ、祈りを捧げた。
「あの方が迎えに来てくれますように…」
その願いの言葉がディアヴァルの胸を波立たせた。
彼は突然、抑えきれない衝動に駆られて舞い降りると、井戸の積石の縁に飛び降りた。
グリムヒルデは、一瞬びくっとして身を引いたが、カラスが逃げないのを見て興味を持ったようだった。ディアヴァルは頭の羽毛をふわっと立て、小首をかしげて彼女の顔を見上げた。カラスなりの精一杯の親愛の情の表明だった。
それが通じたのか、グリムヒルデは彼に話しかけてきた。
「まあ! カラスさん、どうしたの? 人間の近くになんか来ちゃ駄目よ。優しい人ばかりじゃないのよ。捕まったら何をされるかわからないのよ?」
ああ、なんて美しい声なんだ。ずっと話していて欲しい。
ディアヴァルはうっとりと聞き惚れながら我知らず足を踏み出すと、彼女の側に近づいていった。
「あらあら。人に慣れているのね。もしかして誰かに飼われていたの?」
このときほど人の声で話せないことがもどかしかったことはなかった。
貴女はとても綺麗です。貴女のことが気になります。貴女のことが……。
いや、でも、そんなことを口にするなんて、果たして出来ただろうか?
カラスのままので良かったのかも。こうしてすぐ側に来られたのだし。
そんなことをぐるぐる考えていると、グリムヒルデが「もしかしてお腹が減っているの?」と聞いてきた。そうじゃないんです、そんなことじゃなくて……。
だが、グリムヒルデは水桶を抱えて家の中へと入っていった。
残念な気持ちでいっぱいになってその背中を見送っていると、扉が開いて、再び彼女が小屋から出てきた。その手には、パンを一切れ持っている。
「ほら、お食べ。貴方、誰かに飼われていたのね。お腹が減って人間のところにきたのでしょう」
ディアヴァルは、差し出されたパンを夢見心地で受け取って、ありがたく食べ始めた。味なんてわからないくらい気持ちが高ぶっていたけれど。でもそのパンはこれまでに食べた中でいちばん美味しいと、感じたのだった。
その日から、ディアヴァルとグリムヒルデの距離は縮み始めた。
翌日には、グリムヒルデはディアヴァルを手に乗せることが出来ると気づき、彼を家の中へと招いてくれた。
さらに次の日には、グリムヒルデはおっかなびっくりディアヴァルの頭を撫でてくれた。
もちろん、ディアヴァルは天にも昇る心地でうっとりと目を閉じ、なされるがまなになっていたのだった。
急速に親しくなったグリムヒルデとディアヴァルだったが、あくまでもそれは、人間とカラスの間柄。ディアヴァルの想いはその小さな胸に秘められたままなのだった。
だが、そんな日々も長くは続かなかった。
ある日、約束通り王が現れて、グリムヒルデを王宮へとさらっていったのだ。
ディアヴァルは彼らの後を追ったが、側近くに寄るチャンスはなかなかなかった。
一般に、人間はカラスを嫌う。彼女の様に手を差し伸べてくれる人間はめったに居ないことを、彼は身を持って知っていた。
だから彼は普通のカラスのふりをして、王宮の人間たちに見咎められないように彼らを観察することにしたのだった。
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【本日のカラス小ネタ】
野鳥たちは実は人間を良く観察しています。
中でもカラスは、人間の行動を怪訝に思って観察することがあるようです。
これは、他の(もっと賢くない)鳥たちには見られない行動かもしれません。他の鳥は、自分たちの安全や餌の確保の為に人間を観察することはありますが、人間の行為そのものに興味をもって観察してくることは無いように想います。
以下に書く話しは体験者から直接聞いたのですが、なかなか面白い体験談でした。
その人は農道のわきにバイクを止めて煙草を吸っていたのですが、そこにカラスが一羽やってきて、彼の吐き出す煙を目で追い始めたのだそうです。
するとそこに、次々に他のカラスが集まってきて、何だ何だ?といった風情でみんなで紫煙を見物をはじめたそうです。そのカラスたちは彼が煙草を吸い終わるまで見物していたそうです。
カラスたちが、彼が煙を吐き出す度にいっせいに煙を追って頭を動かしているのが面白かったという話を聞きました。
私自身も、双眼鏡を覗きながら池に浮かんだカモを数えているときに、背後に視線を感じて振り向いたら十羽近いカラスにすぐ後ろから見物されていたことがあります。私が振り向くと、カラスたちは「見つかった!逃げろ~!!」と言わんばかりにわらわらと逃げていきました。
リスク回避のために人間の挙動に気をつけているのは、野鳥のみなさん共通だろうと思うのですが、人間の行動をみて「なんだこりゃ?」という感じで寄ってくるのはカラス位かもしれません。やっぱりカラス、面白いです。