プロローグ
テレビに「カッコよすぎる生物化学者」と、「生理学・医学ノーベル賞受賞」というテロップが出ている中に、わしの幼馴染、坂本龍馬が世界中の女という女を虜にするスマイルで小さく手を振った。
するとテレビから、「あー!女性記者が坂本研究員のあまりのかっこよさに倒れました!」という悲鳴と女性の黄色い声が聞こえ、わしは他人事のように研究員よりもホストの方が儲かったんじゃないだろうか・・・なんて考えていた。
数時間前までうちにいてさらに、半べそかきボクサーパンツだけを身に付け
「うわーん! 白衣は新しいやつで来いって言われてたんだった~! 以蔵さぁぁあん、僕の白衣出してぇ~~」
と慌てくさっていたのが嘘のようだ。
出発三十分前にうちに来、服がない!髪が整わない!あれがない!これがない!と騒ぎ立てていたおかげでうちの中は嵐が去ったように散らかっている。
その散らかった部屋を片付ける手を止め、偉業を成した幼馴染を見た。
「兄やん・・・坂本さんってさっきまでうちにいた人だよね・・・。お竜さんって人と一緒に・・・。テレビに映ると別人だね」
「そやな」
歳が五つ離れた弟、啓吉がわしの隣、ソファーに腰掛ける。自分のお茶を煎れるついでにわしのお茶も用意してくれたようで、ん、と短い声で渡してくれた。
「さんきゅー」
それを受け取ると、ずずずーと音を立てて飲む。
熱い日には冷たいお茶が一番だ。
『さて、ここで生理学・医学ノーベル賞を受賞した坂本研究員に今後の決意を聞いてみたいと思います。
個人で研究していた坂本研究員は、どこの製薬会社や大学にも属さず、この研究結果の特許で一生暮らしていけると聞きます!
今後も研究を続けるんですか」
会議とかで使われるしなびた長テーブルに数えきれないほどのマイクが置かれ、ひと呼吸の音だって聞き逃さないぞ、という各放送会社の強い意思が見て取れる。画面越しだというのに狭い室内には熱気がこもっている。
その熱気の中、坂本龍馬という生きる空調システムがさわやかな笑顔で、むしむしとした熱気を程よく中和しているような気がする。実際はわからんが。画面上。
女性アナウンサーが滑舌よく話、マイクを龍馬に向けた。
フラッシュがあちこちに光り輝いて、一瞬画面は強い光を調整するために暗くなる。
「この研究結果を持ってどこかの会社で就職できたらなぁなんて思ってます。研究は、ふふ、続けたいですね」
龍馬が、ふふ、とはにかみながら笑ったところで、女性アナウンサーは倒れた。
満面の笑みで、鼻血を流している。
「わ!! 貧血ですか!? 大丈夫ですか!!」
テレビの中の龍馬が叫ぶ。
何故、倒れるかもしれん女にインタビューさせたんやろう。
その倒れたアナウンサー、わし、ファンやったのに・・・。
顔か? しょせんは顔か!?
この坂本龍馬という人物は、テロップ通り『カッコよすぎる生物化学者』と言うとおり、神さまが「ちょっくら女どもにいい顔というものがどんな顔か見せてやろう」と思い立ち作ったような顔立ちをしている。整った顔立ちに、目や口、どのパーツを取っても芸術的だ(言いすぎか?)あと、一番卑怯なのは声だ。耳の奥を甘く揺らしてくる低い声。
あの声、どこから出しとるんじゃ?
いくつかの質問をし、その質問の度に女性アナウンサーが倒れたので、テレビ局は最終奥義男性アナウンサーに切り替えた。初めからそうすればええのに。
龍馬の隣に並ぶ、新人アナウンサーぽい彼は、じっと龍馬を見、
「ものすごくかっこいいですね・・・。男の僕でも惚れそうです」
結果はノンケを危ない方向へ向かわせるだけだった。男性アナウンサーがかわいそうだからやめてあげて。人生を龍馬に狂わされる。しかしながら、ここはプロ。頬を赤めながらではあるが、マイクを龍馬に向けた。
「これを誰に伝えたいですか」
「はい。僕の共同研究者のお竜さんと、それから大事な人に」
ずずずー。
啓吉とお茶のすする音が重なる。
龍馬は近くで見るよりも、遠くの他人から見たほうがええ。生活態度を知っとったら、幻滅間違いなしじゃ。百年の恋も冷めるってやつ。
研究に没頭しすぎて風呂に入ることも忘れるし、メシを食うことも忘れる。一週間姿を見ない時があって、心配して家を訪ねたらお竜と一緒に餓死しそうになってた。
ちなみにお竜は龍馬の研究の共同研究者だ。
龍馬ばかり撮されておるが、隣におる。こいつも類まれなる美人じゃ。アーモンド型の大きな瞳、紅を塗ったような真っ赤な唇は口をすぼめたように小さい。無表情に近い表情が美人を引き立てる。
そんな美人はよほど疲れているようでぼーっとした顔でカエルをこんがり焼いた唐揚げ食べとる。たぶん、借りている会場にでも用意させたのだろう。
ちなみに、こいつも数時間前までうちにおった。
以蔵、服。と言って龍馬ですらパンツを履いちょったのに、お竜はパンツすら履いておらんかった。あまりに堂々としていて、性欲もわかん。恥じらいを持て。それともあれか。わしがナメクジ以下だから、裸を見せても恥ずかしいと思えんとか言うんじゃないよな?
「その大事な人とは?」
テレビの中の龍馬は頬を赤く染めながら答えた。
「はい。結婚したいと思っているんです」
ほぇ~。
会場は一瞬にして阿鼻叫喚が響き渡る。
まさしく非常にむごたらしい悲鳴。主に高い声。
そんなえい人、おったんか。すみにおけんな。(何人かの女性記者がショックのあまり倒れたのは、見なかったことにした)
「ノーベル賞貰ったらプロポーズしようと思って」
そやったら、餓死しそうになったら次からそいつを呼べ。わしを呼ぶな。
「今、プロポーズをなさるんですか?」
「ふふ、今、電話してしようかと」
そんで、テレビの中の龍馬はポケットからスマホを取り出し、コールをした。
わしは見逃さなかった。
男性アナウンサーがホロリと失恋したような薄い涙を浮かべたのを。
ぴるるるる。
わしの電話が鳴った。
ついでにわしの心臓もびっくりしすぎて跳ね上がった。
え。
なんで、今のタイミングで?
隣にいる啓吉とわしが壊れたロボットのように、ぎ、ぎ、ぎ、と首を錆びつかせて目を合わせる。
「早く出ないかな~~~。
テレビ、見てくれてるかな~~~」
テレビの龍馬は遠足に出掛ける前日の小学生の顔。
コールは続く。
そして、わしのスマホの呼び鈴も続く。
「にー・・・やん・・・?」
啓吉の疑惑の視線が突き刺さる。
「待て待て待て待て!
わしと龍馬はそないな関係でもないし、たぶん、電話番号間違えとる!」
ああ、ありえる・・・。
啓吉は小刻みに首を上下に動かした。
その様子は落ち着きのない赤べこみたいだ。
でも、納得してくれたらしい。
内心ほっとしつつ、取らないことには龍馬も間違いに気がつかない。無常に震えるスマホは、発信者の名前をただただ照らしている。
『着信 坂本龍馬』と。
こんな天然なところもきっと人気の秘訣なんやろな、なんて呆れながら電話と取る。
「もしもし」
『あー!以蔵さん』
テレビから電話の声が同時に聞こえる変な感じだ。
電話する相手を間違えていることに気がつけ。
わしにもお前の大事な人を紹介しろよ。
できたら、その奥さんの友達とかわしに紹介してくれ。彼女欲しい。龍馬の世話ばかりしてきたせいで、すっかり女に縁がなくなって悲しいことに、生きた年齢と童貞歴が同じだ。責任取れ。本当に。それなのに、お前は知らぬ間にプロポーズとか。本当にどこで知り合ったんじゃ?
「お前、電話する相手、まちが--------」
「以蔵さん!
結婚して!」
ばたーん、とソファーごと啓吉がブッ倒れた。
お茶を盛大にまき散らしながら。
「アホ抜かせーーーーーーー!!」
「え? え? だめなの!?」
テレビから、わしの野太い声が聞こえる!
それから、今にも泣きそうな龍馬。
「お前、バカか? バカだろう!
そもそも、日本は同性の結婚認められておらんだろう!
法律読んでから、出直せい!」
ぶつ!(通信切断音)
しん、とするテレビ。
硬直する龍馬。
言葉を失う男性アナウンサー。
「カッコよすぎる生物化学者」のテロップの下に「ご結婚おめでとう!」という文字。
その文字が場違いに気付いて、すううう・・・と消えた。
静止画のように音すらしない。
数秒、いや数分経過した後。
「うわーーーーーーん!!!
フラレた!!!!」
涙を目にいっぱい溜めて、机に突っ伏した。
気まずい雰囲気に誰も声が出ないし、かけられない。もはや放送事故。
隣で共同研究者のお竜が、ぼーっとした顔でカエルの丸焼きを食べていることはほぼスルーされている。
しかも。皿が三枚重ねられている。いくつ食べるつもりだ。
「ぐす-----ずず-----ひっく--------」
机を涙で濡らさんばかりに泣いた龍馬は、何かを決意したように顔を上げ
「・・・以蔵さんと結婚-----ずずっ-----できる-----ぐすっ-------国に移住する・・・!」
誰が行くか。
龍馬に世話を焼きすぎて、刷り込みしてしまったのか、はたまた龍馬は馬鹿なのか・・・。
テレビの前でこっぴどく振られたんや。
少しは反省するやろう。
はあ、とため息をついてからソファーをひっくり返して気絶している啓吉の頬を叩く。
「おい、起きろ。さっきのは夢だ。たちの悪い白昼夢じゃ」
「にーやんが・・・! にーやんが・・・!」
うなさとちょる・・・。
わしも今夜悪夢を見そう・・・。
これ以上、悲惨な放送事故を見ていられない、とテレビを消す。
じゃんじゃん掛かってくる家電とスマホ。
そいつを無視して、家にしばらく引きこもることを決意した。
そしてわしは坂本龍馬という人間の影響力をあまり理解しちょらんかった。
次の日。
日本の同性愛者の結婚が認められた。
嘘だろ・・・リョーマ・・・。
Take 1
龍馬がテレビの前で泣き臥せった二時間後。
うちに黒いサングラスと黒いスーツを着た知らないおっさんが大量に来た。まるでメン・イン・ブラックが大量発生した図だ。抵抗しないから、記憶を消すあのバチってした光を見せてくれ。二時間前のことを忘れてなかったことにしたい。
まあ、現実はそうもいかず、記憶を消す光を見せるどころか遠慮なしにずいずいとわしに向かってくるだけだった。
わしは玄関のドアを開けたことを一瞬にして後悔し、ドアを締めようとすると、す、と足がドアとドアの間に入る。
「・・・足・・・」
「坂本龍馬さんのお話です」
「坂本龍馬の家なら、こっから二軒隣ですぅ」
「いいえ、岡田以蔵さんにお話があって」
挟まれている足をぐりぐりと家の中にねじ込みなんとかしてドアとの間に割り込もうとする黒スーツと、ドアにあらん限りの力をこめ閉めようとする無言の攻防戦が行われたが、最終的には家に上がりこまれた。
遠慮って文字、知っちょる?
にゃあ、知っちょるか?
大量黒スーツたちは雪崩のようにわしの家に入り込み、まるで間取りを知っているかのようにリビングへまっすぐ突き進む。
そして、家の中のソファーに一人が座るだけで、あとはその後ろに立っている。
「・・・たくさんのお客さんだね:
と、のんきにキッチンに入っていく啓吉を見届けた。
啓吉、そいつらにお茶など出すな。
絶対に厄介事しか言い出さない気がする。
リビングまで勝手に入ってソファーに座り込み、まるで自分の家のようになじみ、サングラスの向こう側の目は「早く向こう側に座れ」と言っている・・・ような気がする。サングラスの奥にある瞳は少しも見えんけど、何となく、雰囲気で。
人ん家入って何勝手なことを・・・。
「坂本龍馬さんのこと、なんですが」
坂本龍馬、と言う名前を出されてわしがいい思いをした記憶は今まで一度もない。
龍馬が世間で脚光を浴びる度、わしが厄介事に巻き込まれるという謎のシステムを世界は何とかしたほうがいい。世界に意思があるなら、早めに。
「坂本龍馬さんは今や国益に大きく影響する特許をお持ちです。それは、大きすぎる国益。ひとたびそれが形になれば、日本だけではなく、世界の幸せと言っても過言ではありません」
啓吉の出されたお茶に一切手を出さず、黒スーツは話し出す。かわりにわしが、ずずず、とお茶を飲んだ。
龍馬の研究内容は詳しくは言えず、またその全貌も龍馬とお竜しか知らない・・・らしい。だが、それは世界に驚きを与えるほどの研究結果であり、まだこれから先のあるプロトタイプ。
それを日本国として国外に出すのは、多大の国益を外国に横流しにすることと同義。
なんとしても日本国に残ってもらい、研究を続けてもらいたい。そんな話。
わしは小指で耳のかゆみを解消しつつ、
「で、わしがそこにどう結びつくんじゃ」
「これから政府は臨時国会を開き、同性カップルの結婚を認めます」
・・・はあ?
そんな急に決まるんか・・・?
龍馬は同性カップルの夜明けの象徴になるんじゃないか?
知らんけど。
「我々政府は全力でバックアップします!」
頑張れ。
「そして、こちらが婚姻書です」
す、と使い古されたローテーブルの上を滑る一枚の大きい緑色の紙。
「ふざけんなあああああ!」
瞬時に破く。
黒スーツの男は、サングラスのブリッヂを右手の中指で持ち上げた。
「ご安心ください。
あと百枚くらいあります」
どん、と束になった紙をテーブルの上に置く。あれ一枚じゃなかったのか・・・。
これ、百枚って単位か?
タウンページ程あるぞ。
「だいたい、わしは龍馬とそんな関係じゃない!」
「なら、せめて国外へ行くことを阻止してください」
「そんなん龍馬の勝手だろ」
「岡田さんと結婚するために国外に行く、と言ってします!」
「うげえええ! わしは男と結婚せん!」
「男と結婚しなくていいので、坂本さんと結婚してください!」
「いやじゃ!」
その坂本龍馬が男だ!
黒服スーツとわしがバチバチと火花を散らしていがみ合う。
のんきにずずずっとお茶を飲む啓吉はきっと将来大物になる気がする。
「わかりました」
先に折れたのは黒服スーツ。
あたりまえじゃ、と言いかけたがやつらにも一瞬同情をする。
こいつらも仕事じゃ。本当ならこないなこと言いたくはないはず。
「まあ、一応龍馬には日本も悪いところじゃないと言って、」
ちゅいん。
耳元で何かがかすめた音と同時に、啓吉がのんきに飲んでいた湯呑が割れた。
何がかすめた?
手で耳に触れてみると、何やら生暖かい。
指先に視線を向けてみると、赤。
血!?
「なんじゃこりゃああああ!!!」
「銃撃です」
「じゅっ・・・!」
さらりと答える黒服スーツは、中指でサングラスとくいっとあげた。それは目を隠して表情を読まれないためなのか、威嚇なのか。
「坂本さんの行動・・・特に研究に関わることについて日本国の集団の利益のため、個人の行動を規制させて頂きます。」
んな!
「ななななんで銃撃なんじゃ!」
「愛のムチです」
愛!?
誰の!?
「わたしたち一同は坂本・・・うう、坂本龍馬さんを・・・ぐす、心よりお慕い・・・ぐす・・・しております・・・しかし・・・坂本さんはあなたを好いていると・・・ぐす・・・全力を持って、とくに武力で、応援しようかと・・・ぐすん」
とくに武力で、って言いやがったぞ、こいつ。
文句の一つでも言ってやろうと口を開いたが、大の男。しかも、大男が黒いサングラス越しに(見えないけど)涙を流している様子。鼻をすすり、まるで長年憧れ焦がれていた異性の先輩がようやく意中の人と恋仲になり、幸せを祈りつつも自分の失恋を悼むような・・・そんな涙。
そ、そんな雰囲気に・・・開いていた口を数回開け閉めを繰り返して・・・閉じた。
何故なら黒服スーツの男どもが揃いも揃って泣き出したからである。まさかとは思うが、今、わしに銃弾向けおったやつも見えないところで泣いちょらんだろうな(泣いてる)。
大きな体をした大の大人、しかも男がシトシトと霧雨のような涙を流している空気に、わしはこれ以上強い言葉を言えなかった。
不満を精一杯表すために口先を尖らせてアヒルのような口をする。
・・・龍馬の名前が出るとわしの苦労が増えるこの公式は一体なんだろうな!
「にーやん、どうでもいいけど、湯飲みを弁償してもらって」
どうでもよかない!
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