観月と桜乃の忘れられない出逢い篇「ええと…道に迷ってしまったんですか?」
「…どこをどう見ればそう見えるんです?」
生垣と蔦の生えたコンクリート壁の隙間から、だらりと上半身だけを生やした状態のまま観月は答える。そしてそれを目の当たりにし、傍らに佇む女子生徒は見るからに困り果てた様子であった。
どうしてこんなことになったか-観月は無性に遠くを見たくなり、首だけを僅かに仰げば空は目に染みるほど青かった。
時は遡り2時間前。
「帰省に付いてくるのはいいですけど···青学の偵察だなんて大丈夫ですか?」
「ふふ…裕太くん、何のための君だと思ってるんですか」
「は、はぁ⋯俺をダシに入るつもりですか?他校生だし、多分無理じゃないかと思うんですけど···」
「なぁに、君のお兄さん、不二周助なら大歓迎して偵察させてくれることでしょう。それに1年弱とはいえ通っていた学校じゃありませんか。」
―そうして言うまでもなく不二に見付かり正しく門前払いをくらった観月であったが、当然それで凹むような性格でもない。かえって何が何でも偵察してやろうと学校周辺をうろつく最中、丁度いい茂込みの隙間を見付けてしまった。
今考えれば大人しく裏門から入ればよかったのだが、その立地的にテニスコートから遠くなく、かつ死角となるような場所であったため(そして手酷く追い払われた苛立ち故に、普段の冷静さがかけていたのかもしれない)観月はこれ幸いとその茂みへと飛び込んだのだった。
が、難なくその隙間は通り抜けられる筈だったのに、抜ける際の無理な姿勢に筋肉が攣って躓き、これまた変な姿勢で隙間に収まり、二進も三進も立ち行かなくなってしまった-というのが現状である。
「⋯僕は不思議の国のアリスじゃありませんよ。それともあなた、道に迷ってこんな風になることがあるとでも?」
「い、いえ、道に迷ってはいますけれども…」
「フッ。よくそんな状態で僕に迷子ですかだなんて聞けたものですね。
あなた青学の生徒でしょう?どうしてそれで学校の敷地内で迷っているんです?」
「方向音痴なんです…」
顔を赤らめ女子生徒は俯く。こんな醜態を晒している時点で内心顔から火が吹きそうなのは観月の方であるのだが。それでも舌はよく回る物で、困った様な反応ばかり返す少女に少しばかり冷静さが戻ってきた。
しかしというかやはりというか、彼女は当然という疑問をやがて観月にぶつけることとなる。
「それで、えっと…何をなさっているんですか?」
「……何をしてるかと言われれば、困っていますかね」
偵察に忍び込んでこうなりました等という詳細は伏せて観月は苦々しく口にする。ただでさえ経緯がアレなのに、初対面の女の子に素直に助けを求めるのも憚られたので、観月にはこれが精一杯の回答であった。
「抜けなくなっちゃった…んですか?」
「まぁ、そういう風に見えるんですかね」
一目瞭然な事実をなおも曖昧に肯定する。素直に「そうです、助けてください」と言えるほどの性格であれば、そもそもこんなことにもなっていないだろう。
しかし、笑われて然るべきようなこの状況下においても眼前の少女はただ困った様に佇んでいるばかりである。
近寄ろうか、離れようかー表情といい全身でそう悩んでいるのがはっきり見て取れる。
(青学の生徒ではあるものの…気弱そうですし口止めは容易いかもしれない…
……いや、そもそも僕がどこの誰なのかも知らないだろうから、それも必要ないか。
これ以上見苦しい所を見られる訳にもいかないし、やはり追い払うべきか…いやしかし…)
実の所、問題であった筋肉の痙攣が収まってきているので、すぐにでも一人で抜け出すことが出来るだろうと予想していた。体勢の為少し力が入りづらいが、元より壁との境目には隙間があり、決して脂肪や筋肉などでつっかかっている訳ではない。
しかしもしそれが出来なかった時の保険としてこの女子に居てもらうべきかと、そしてそれをどう切り出そうか少々遠い地面を睨みつけ悩む観月の視界にふと、ふわりと柳が揺れた。
「あの…じゃあ、わたし、引っ張りましょうか?」
「え」
柳かと思ったそれは、少女のきっちり編み込まれたおさげであった。
艶やかな結びを追うように見上げれば、すうと細い両腕を伸ばし、観月を真っ直ぐに見詰める視線とかち合った。
緊張をにじませたその表情に、ほんのり赤く染まった頬は果たして気温のせいだったのか。
「…お願いします」
その真摯な瞳に、観月はぐるぐる思案していた言葉も全部吹っ飛んで、ただその一言だけ返し差し出された両腕をぐっと掴んだ。
同じようにして掴まれた小さな手からは、馴染みのある固い感触がした。
「…とにかく、あなたには何かお礼をしなければなりませんね」
「い、いえ…!大丈夫ですそんな…」
「そういう訳にも行きません、絶対にお礼は受け取ってもらいます。⋯その代わり、この事は他言無用でお願いしますよ、お嬢さん?」
「あ、はい、それは全然、」
「ふむ⋯しかし今日の所はあまり時間が無い⋯日を改めて伺います」
「え、そんな!あの、本当に大丈夫で⋯」
「タダより怖いものは無いんですよ!⋯それに、まぁ、僕の気が済みませんから⋯」
「⋯分かりました、あの、そういうことでしたら、わざわざ青学にいらっしゃなくても、外で会いませんか?」
「ふむ、いいでしょう。⋯はい、僕の連絡先です。君の番号も―」
「ご、ごめんなさい、カバンの中に置きっぱなしで⋯」
「ならば必ず連絡をくださいね、そうですね⋯20時から22時の間までに必ず、お願いしますよ!」
「観月さん⋯って言ったっけ?不二先輩と試合してた⋯」
そういえば、と観月は独り言ちる。
「⋯連絡先を押し付けて、電話を寄越せって⋯タチの悪いナンパみたいですね」
そうして名前も聞いていないことに、今日は失態だらけだと頭を掻きむしりたくなった。
裕太なら分からないだろうか、
何らかの因果で抜けませんでしたルート
「⋯あ、さっき正門付近で不二先輩を見かけたので、まだ近くにいるかもしれません。呼んでき、」「待ちなさい!!!」「ひゃん?!」
耳を疑う発言に踵を返そうとゆらり揺れた長い三つ編みごと巻き込んで、おもわずその細腰に縋り付くように抱き止めた。
「百歩譲って他の人間を呼ぶのはいいです!でもよりによって何故!不二周助なんですか!!」
「ひぇぇぇすすすみません!?」
「せめて裕太くんにして下さい!⋯いや、裕太くんしか居ないですね、分かりましたか?」
「う、あ、はぃ⋯⋯そのぅ⋯⋯」
「………君…本当に何してるんだい?」
「フ、フン、門前払いをくらったので門外から訪れたまでですよ」
清涼な風が3人の間に吹き抜ける。それでもこの空間に立ち込める不穏な空気をちっとも流してはくれない。
しばらく蔑むような顔で観月を見下ろしていた不二が、ふっと、いつものように微笑をたたえて桜乃に振り返る。
「竜崎さん、わざわざありがとうね。もう戻っていいよ?」
「あ、はい。それでは、」
観月さん。と言うより先に桜乃の腕を掴んで観月は必死に訴えた。
「ぼ、僕を見捨てる気ですか?!この男と二人きりにしないで下さい何をされるか分かったもんじゃない!!」
「物凄く人聞き悪いこと言ってくれるね、お望みならばそうしてあげてもいいけれど?」
「あ、あのー、ええと…」
桜乃は困り果てて、ただただ眉尻を下げた。