「ところでジェフリー王子!今日はお前に頼みがある」
最初こそは上品にお茶を飲んでいたスザンナだったが使用人を下げて二人きりになった途端、ソファから立ち上がる。
しかもまるで挑戦状でも叩きつけるかのように、腰に手を当てもう片方の手で俺をピシッと指差した。
「おいおい、それが人に物を頼む態度かよ。スザンナ・ランドール」
「すまない。じゃああらためて頼もう」
スザンナはその青い瞳でじっと見つめながら、俺の手を取りぎゅっと両手で握りしめる。
「ジェフリー様。私のお願いを聞いて頂けますでしょうか?」
「なんでも言ってくれたまえ。愛しの婚約者殿」
目を合わせたまま暫しの沈黙。
しかし次の瞬間、堪えきれず同時に吹き出した。
「何が愛しの婚約者だ」
「そっちこそ何がジェフリー様だ。君にそんな風に呼んでもらったのは半年前のお茶会以来だな」
「そりゃ人目があったからな。二人きりの時にそんな呼び方をする必要はないだろう」
「ところでどんな頼みなんだ?」
「お前の魔力を少しばかり借りたい」
「俺の魔力?いったい何をしようとしてるんだ?」
俺は火の魔力を持っている。
しかし王族である俺は人前でむやみにそれを使ってはならない。
そのことはスザンナも知っているはずだ。
「実はちょっとした実験をしたい。それには火の魔力が必要なのだが、お前の他に頼める奴がいなくて。人前といっても婚約者である私の前だけだ。他に誰も見ていない」
たくらみを秘めた瞳でニヤリと笑うスザンナ。
「で、それはどんな実験なんだ?」
「食べられる雲を作る実験だ。この魔法書に書いてある」
スザンナが差し出した魔法書はかなり古い物で開いてみると古語で綴られていた。
本来ならば古語は魔法学園に入学して習うものであるが、家庭教師がついている俺は既に大体は読める。
それでも所々不明な部分があった。
これを全部読み、理解しているスザンナは才女と呼ばれるはずだ。
ただ実験内容の食べられる雲というのはちょっと子供っぽいと思ってしまう。
まあ大それたことではなさそうだし、俺も正直、興味がある。
「わかった。協力するよ」
「ありがとう、ジェフリー。借りはちゃんと返すから必要になった時は言ってくれ」
そう言ってポンポンと肩を叩かれた。
「さて、いったいどこでこの実験をするんだ?雲というぐらいだから外の広い場所が必要なんじゃないか?」
「その心配はない。この部屋で事足りる」
「ええっ。俺の部屋で!?」
「ああ。雲といってもせいぜい両手で持てるぐらいの大きさだ」
なんだかよくわからないが乗り掛かった舟だ。
言われるがまま協力するか……。
「では始めるぞ」
スザンナは金属性の細い筒のような物を取り出し、その中に鉱石のような白くて小さい粒粒したものを入れた。
「私がこれを今から宙に放り上げ、浮かべる。ジェフリーはそれをめがけ火の魔力を放ってくれ」
なんとも物騒だなと思いつつ、俺は手のひらに火を作り出した。
「じゃあ、いくぞ」
「了解だ」
スザンナが放った筒は回転しながら宙を舞い、俺はそれに火の魔力を放つ。
更にスザンナは風の魔力で筒を激しく回転させた。
すると筒の周りから白いものがふわふわと湧き出てくるではないか!
それは本当に雲のような形へ姿を変えて、俺達の頭上にぽっかりと浮かぶ。
スザンナはカラカラ回る筒をシュっと風で回収し、浮かぶ雲は細長い指揮棒みたいなものをくるくると回して自分の方へと集めた。
「実験は成功だ。礼を言うぞ、ジェフリー」
その無邪気な笑顔はいつもの大人びたスザンナではない。
君は本当に魔法馬鹿なんだな。
いや、これは誉め言葉だぞ。
「ああ、おめでとう。で、その雲みたいなものは食べられるんだろう?」
「そうだ。ほら食べてみろ」
棒の周りにまとわりつく白いふわふわを目の前に差し出された。
「先に毒味させるのか?」
「ん?じゃあ私はこっちから食べるからお前は向こうから食べればいい。せーの」
俺たちは同時にそのふわふわに口をつける。
「「甘い……」」
それは口の中ですぐに溶け甘さだけが残った。
白い雲は食べ進めるうちにやがて消え、気が付くとお互いの顔が目の前にある。
鼻先がちょんと当たった後、僅かにスザンナの唇が俺のそれに触れた。
柔らかくて甘い。
さっきのふわふわの白い雲よりもずっと。
だけど青い瞳と黒く長い睫毛はあっという間に離れていった。
「ま、魔力を使わせてすまなかったな、ジェフリー。今日のこのことは私とお前だけの秘密だ」
……スザンナのこんな小さな声は初めてかもしれない。
「確かに悪くない秘密だ。そう思わないか?スザンナ・ランドール」
「……だな。じゃあ用は済んだ。帰る。またな」
口調とはまるで似つかわしくない、完璧な淑女の礼をとりスザンナは部屋から出て行ってしまった。
集めきれなくて宙に浮かんだままになっていた魔法の白い雲のかけらが、目の前に落ちてくる。
手で受け止め、それに口づけた。
唇に残る甘さを味わいながら、彼女への貸しをいつどういう形で返してもらうかを考え始めたのだった。