「おっ、やっぱり色も柄も千冬にぴったりだったな」
自分が着付けた浴衣姿の千冬をちょっと離れた位置から確認して、三ツ谷が満足そうに笑って頷いた。
「マジでこれ全部三ツ谷君が縫ったんすよね、めちゃすごくねえっすか」
千冬は改めて感心した。この浴衣は三ツ谷が反物から選んで仕立ててくれたものだ。
「いや浴衣なんて、昔は誰でも縫えたもんだしさ。デザイン決まってるし、縫うとこそんな多くないし、難しくもないし」
「いやいやいやいや、謙遜がすぎますよ」
縫い物なんてせいぜいボタンをつけるくらいしかしたことがない千冬にとっては、三ツ谷の才能はもう感嘆するしかない。
昔から東卍創設メンバーや武道の特服を仕立てたり、年の離れた妹のためにぬいぐるみを縫ってあげたりという話は聞いていたが、それが今はプロのデザイナーとして独り立ち出来るまでに極めているのだ。
「でも本当すんません、三ツ谷君すげぇ忙しいっぽいのに、こんな個人的なもの作ってもらったりとか……」
「何言ってんだ、大事なダチに量販店で売ってるようなペラペラの浴衣なんか着させる方がキツいっての」
三ツ谷は笑って、帯を締め終えた千冬の背中を叩いた。
(本当に三ツ谷君は、義理堅いなあ)
街中でたまたま三ツ谷と行き合い、お互い立ち話で近況など報告しあって、「来週この辺である祭りに一虎クンと行こうと思って」などと千冬がぽろっと漏らしたのが一週間ほど前。
せっかくだから浴衣買っちゃおうかな、たしかドンキとかで売ってましたよね――と千冬が口にした瞬間、三ツ谷の目が光った。……ような気がした。
昔妹たちの浴衣を縫ったことがあるからオレに任せろ、その辺で吊るしなんか買うんじゃねえぞ、と言うが早いか、三ツ谷はあっという間に千冬の前から姿を消した。
そして今日、「縫い上がったから一虎と一緒に取りに来てくれ」と電話があったので、千冬は一虎共々、三ツ谷のアトリエを訪れたのだが。
「こんなん七五三の時以来っすよ、マジ上がります。祭り行くぞーって感じ。ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げた千冬に、三ツ谷が声を上げて笑った。
「オマエ、未だに後輩根性抜けねえなあ」
「いや、三ツ谷君は実際、すげぇ先輩だし……」
若かりし頃はたとえ目上が相手だろうと敬語なんて使わなかった千冬だが、三ツ谷や、東卍の幹部は別だ。
濃いつき合いがあったのはほんの数年の間だったが、東卍が解散した後も、三ツ谷たちのことはずっと尊敬し続けている。
(――だって場地さんが大事にしてた仲間だ)
あの人が大切にしていたものを、千冬が同じように思えない理由がない。「さん」付けで呼ぶのは世界で唯一あの人だけだけど、この先一生、創設メンバーや隊長張ってた人らに対してタメ口きくとか、ナメた真似できるわけがない。
「ほら、一虎君もちゃんとお礼言えよ」
が、例外というものはあるだろう。
千冬は我が物顔でアトリエのソファにもたれ掛かり、だらしなく足を広げて欠伸をしている一虎を振り返って、叱るように言った。
「あー? ……まあ、着やすくて、いいんじゃね?」
一虎が身につけているのは甚平だ。どうせなら違う種類のものを作りたいと三ツ谷が言っていて、着るのが楽だからと一虎が甚平を選んだ。
「あのさあ」
「まあいいって、いいって」
苦言を呈そうとした千冬を三ツ谷が止める。
「アイツが素直に礼言えないタイプだって、昔っからわかってるしさ。着てるんだから気に入ってんだよ、あれで。な、一虎?」
三ツ谷は鷹揚だ。一虎とは千冬より早く知り合っていたし、そのひねくれた性格は把握しているのだろう。
一虎は何だか少しばつの悪そうな顔になって、立ち上がった。
「どこ行くんすか、一虎君」
「……喉渇いたから、下で何か買ってくる」
「一虎、オレコーヒーな。ブラックで」
出口に向かう一虎の背中に、三ツ谷が声をかける。一虎はちらっと三ツ谷を振り返って、ちょっとだけ肩を竦めてから、外に出て行った。
「ほら、素直じゃねえよな」
一虎は多分、お礼代わりに三ツ谷に何かしてやりたかったのだろう。
三ツ谷はそれを見抜いていて、面白がっている。
「……ってか全体的に甘えてんすよね、三ツ谷君に」
普通に「ありがとう」と言えばいいだけなのに一虎がそう言わないのは、三ツ谷がちゃんと自分の意図を汲んでくれるからに違いないと千冬は思う。
一虎だってもう二十代も後半になって、少なくとも店で接客する時には愛想笑いもするし丁寧語で喋るのだ。時々地が出てタチの悪い客を威嚇しては、千冬に引っぱたかれてはいるが。
なのに三ツ谷に対して態度がぞんざいなのは、昔馴染みに対する甘えにしか見えない。
(でもドラケン君といる時も、パーちん君と話してる時とも、ちょっと違うんだよな)
多分三ツ谷の気質が一虎にそうさせるのだろう。三ツ谷はとにかく面倒見がいい。
同い年なのに、三ツ谷はまるで一虎の兄貴か何かみたいだ。
「それ一虎に言うなよ、アイツ絶対、機嫌悪くなるから」
「目に浮かぶっすわ……」
しみじみ呟いた千冬を見て、三ツ谷が笑いを噛み殺している。
「千冬も大変だな、一応アイツの方が年上なのに」
そう言ってから、三ツ谷はさっきまで一虎が座っていたソファに視線を向けた。
「――あの格好してると、何か思い出すよな」
懐かしそうな目をする三ツ谷の言葉の意味は、千冬にもすぐに思い当たる。
千冬にとって『彼』はいつもビシッと東卍の黒い特攻服を着た姿が象徴になっていたが、私服なら甚平を着ていることが多かったという。
「……マイキー君、元気っすかね」
十年以上姿を見ていないし、ここ数年は消息すらわからなくなってしまった、元東卍の総長。
「あいつはいつだって元気にしてるよ、きっと」
三ツ谷の答えはさらりとしていた。きっと言いたいことも気になることも山ほどあるだろうに、ごく軽く、笑って言う。
三ツ谷のそういうところを、千冬は何より尊敬していた。
何かも軽やかで、明るくて、優しくて――だから自分もきっと甘えているのだと気づいては、ハッとなる。
「オレ、三ツ谷君にずっと、聞きたかったんです」
千冬は目を伏せて、少しだけ小さな声で言った。
「ん? 何だ?」
「――三ツ谷君は一虎君のこと、許してんのかな、って……」
怖くて、三ツ谷の顔を見られない。
千冬がずっと気になっていたことだ。
出所した一虎を迎えに行って、自分の経営するペットショップの従業員として迎え入れてから。
(本当はもう、何年も何年も頭から離れねえんだ)
あの日、千冬の世界のすべてを占めていた人がいなくなった時。
千冬は最後までその人の姿ばかりを見ていた気がするのに、思い出す時、不思議と三ツ谷たちの泣き顔が浮かんだ。
あんなふうにボロボロに泣いている隊長や副総長を見たのは、後にも先にもあの日だけだった。
その姿を千冬は忘れられない。
「マイキー君は許すって言ったから……それで、もうみんなどうにもできなかったんじゃねえのかって、どうしても」
仕組んだのは稀咲だったとか。
みんなが憎み合わないようにというのが場地の願いだったとか。
それを必死に武道が伝えてくれたこととか。
その全部があって、千冬は一虎のそばにいることを決めた。
でも三ツ谷たちはどうなんだろう。自分よりももっと早く場地と出会って、長い時間を過ごして、東卍を結成した面々は。
「バカ」
バチンと、掌で頭を張られた。
「痛……ッ!?」
三ツ谷の仕種は軽いものだったのに、千冬は首がひん曲がるんじゃないかと思うくらいの衝撃を受けた。
「あっ、悪ィ、手加減したつもりだったのに」
「やっ、さすが……元弐番隊隊長……!」
今では華やかなものを作り出す繊細な指にばかり目が行くし、本人がそれ着てショーとかに出た方がいいんじゃねえかってくらい綺麗な顔をしているのでコロッと忘れていたが、そういえば三ツ谷も相当なケンカの腕を持っている男だった。
目の前がクラクラしている千冬の頭を、「ゴメンゴメン」と笑って撫でているが、多分三ツ谷はそれほど手加減なんてしなかったに違いない。
(そうだ、そういうヒトだった)
「……一虎はさ」
千冬の頭を撫でたまま、三ツ谷が言う。
「大事だよ、オレにとっても」
三ツ谷の言葉は短くて、なのにそれだけで、千冬にもいろいろな感情や葛藤や優しさが伝わってくる。
ああ、このヒトは本当にすごいな。
千冬は喉の奥がギュッと締まるような感覚を味わった。
「……すんません。くだんねえこと聞いて」
「くだらなくねえよ、バカ」
三ツ谷にもう一度頭を叩かれたが、今度は全然痛くなかった。
「一虎の面倒見てくれてありがとうな、千冬」
ニッと笑った表情があまりにカッコよくて、千冬はさっきとは違う理由で頭がクラクラした。
「ああもう、惚れそうっすわ、三ツ谷君……」
「悪いな、売約済みなんだ」
三ツ谷はさらっとまた格好いいことを言う。
「は? 何オマエ、浮気?」
そこに缶コーヒーを三本手にした一虎が入ってきて、千冬を睨みながらとんでもないことを言った。
「テメッ、バカ虎、三ツ谷君の前で何……ッ」
焦る千冬を見て、三ツ谷がブハッと派手に噴き出す。
「三ツ谷君も何笑ってんすか!?」
「いや悪ィ、隠す気あったんだなと思って」
「えっ」
「てか、何度コイツからノロケ……じゃない、愚痴聞いてると思ってんだよ」
ノロケ、と言った瞬間一虎にすごい目で睨まれて、三ツ谷がわざとらしく咳払いをして愚痴と言い直し、それで千冬は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「あーもう本当オレ、三ツ谷君にアホなこと聞いたわ……」
一虎と恋人として付き合い始めてだいぶ経つが、たしかに千冬は、周りにそれを隠す気だった。
別に男とつき合っているとか、相手がよりによって一虎だということを隠したいわけではない。武道や日向にはもう伝えてあるし(というか千冬も一虎の愚痴を死ぬほど武道にぶちまけてきたし)、親にも打ち明け済みだ。
ただ、今日まで三ツ谷に一虎のことをどう考えているのか聞けなかったのと同一線上にある理由で、創設メンバーには伝えあぐねていたのだが――。
自分がその辺りに嘴を突っ込もうだなんて、思い上がりも甚だしかったらしい。
「オレは嬉しかったけどな、千冬。一虎のこと大事にしてくれてんだってわかって」
ぽん、と三ツ谷に今度は肩を叩かれる。優しいにもほどがある。千冬はいろんな意味で泣きそうになった。
「三ツ谷テメェ、千冬誑かしてんじゃねえぞ」
一虎が缶コーヒーをテーブルに叩きつけるように置きながら、また三ツ谷に凄んでいる。
チンピラみたいなコレがオレの彼氏か……と思ったら、何もかもスマートな三ツ谷の姿が千冬には眩しくて仕方なく思えてくる。
「三ツ谷君になら誑かされたい……」
「あ!?」
「はいはいバカップル、人の仕事場で人をダシに痴話喧嘩すんな。そろそろ祭り行けよ、日が暮れてきていい雰囲気だろ」
三ツ谷が一虎と千冬とまとめて出口に向けて蹴り出す。
危うくドアに激突しそうなところを何とか堪え、千冬は三ツ谷を振り返った。
「あのっ、三ツ谷君、マジであざっした!」
「おー、請求書はXJランド宛てに送っとくわ」
たくさんの意味をこめて言った千冬に、三ツ谷はあくまで軽く、ひらひらと手を振りながら笑って答える。
「オマエ材料費だけじゃなくて、ちゃんと技術料とか入れろよ。プロなんだから」
偉そうに一虎が言うが、その辺りは千冬も同感だったので、大きく頷く。三ツ谷もいい加減に頷きを返していた。
「わかったわかった、一虎の分は友情価格を増しとくな」
「増すのかよ!」
悪態をつく一虎の顔は、でもどことなく機嫌がよさそうにも見えた。
(さすがのさじ加減だ……)
つくづく三ツ谷隆は、千冬の尊敬するところしかない。
「じゃあまたな、千冬、一虎」
「おー」
「はい、失礼します!」
「お幸せに」
最後何か聞こえた気がしたが、また猛烈に恥ずかしくなったので、千冬は聞こえないふりで三ツ谷のアトリエを後にする。
「言われなくても幸せに決まってんじゃんなあ」
なのにわざわざ口にする一虎も無視するか殴るか迷って、千冬は結局相手を見て笑ってしまった。
「似合ってますよ一虎クン、それ」
「あー、まあ……三ツ谷の作るもんだしな」
アトリエの入ったビルを出て、祭り囃子の聞こえる方に向かって歩きながら、千冬の隣で言う一虎はどこか自慢げだ。
「千冬も似合ってる。すげぇ、可愛い」
三ツ谷には多分一生見せないであろう笑顔で一虎が言う。
「さすが三ツ谷君ですよね」
わざとそう答えた千冬に、一虎もわざとらしくムッとした顔を作った。
「だから誑かされてんじゃねえよ。――三ツ谷じゃ敵わねえだろ」
いや、一虎は案外本気で言っているのかもしれない。
「そりゃ三ツ谷君の方が包容力も将来性も甲斐性もセンスも多分貯金もありますけどね」
「……ヤメロ、マジへこみする」
「別にオレは一虎君が格好いいとか優しいとか賢いとかで好きになったわけでもねえし――」
「待てそれ、オレは喜んでいいのか、落ち込んでいいのか……?」
「さあね。あ、ほら、あのあたりから出店ありますよ。一虎君、何食べます?」
千冬は本気で顔色を失くして額を押さえる一虎の手を取り、出店の方へと引っ張った。
それで一虎は結構簡単に立ち直って、機嫌よく千冬の隣に並ぶ。
「なあ、ペケは金魚食うかな?」
「いやあげませんよ、そんなもん」
「げっ、たこ焼き八百円……!?」
「声でぇけよ一虎君」
ひとまずいろんな露店を片端から素見しつつ、三ツ谷の作ってくれた衣装のおかげで祭り気分も盛り上がり、千冬は元気になった一虎と楽しい一夜を過ごした。