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    ナチコ

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    一虎がデリヘル呼んだら千冬が来た話④

    https://poipiku.com/3656110/6866153.html
    これの続きです。
    一応最終話ですがもうちょっと続くかも。

    ##とらふゆ

    デリヘル呼んだら千冬が来た④ たとえばインターホンで「どちらさまですか」と訊ねられた時、「羽宮です」と名乗って素直にドアを開けてもらえるか不安だったが、幸いと言っていいものか「松野」と手書きの表札が出た部屋のチャイムは壊れていた。
     押しても音が鳴らないので仕方なくドアを叩いたら、すぐにガチャリとドアが開いて千冬が現れ、一虎の姿を見て目を瞠った。
     反射的に千冬が閉じようとしたドアの隙間に、一虎も反射的に足を抉じ入れた。思い切り閉めようとしていたようで爪先がめちゃくちゃ痛かったが、どうにかみっともなく悲鳴を上げるのは堪えて、一虎は必死で手でもドアを閉めさせまいと押さえつけながら千冬を見る。
    「千冬」
    「もう他人だって言ったでしょ」
     安普請のアパートの近隣を憚ったか、大きさは抑えているが尖った声を千冬が一虎に向ける。最初から、もう一虎の言葉一切を聞かないという決意が滲んで見えるような声音だった。
     一虎の方は自分で押しかけておきながら、千冬と会って何を話したいのか、何を言いたいのかを決めかねているままで、しかも相手の顔を見た瞬間嬉しいのと拒まれて悲しいので、あっという間に頭が混乱した。
    「ドラケンから聞いたんだ、オマエ、ドM以外の客取るのに苦労してたとか」
    「――ッ」
     おかげで今言うべきではないだろう言葉が口を衝いて出てしまい、千冬は何か信じがたいものを見るような目で一虎を見た。
    「大変なのに何であんな仕事」
    「勘弁してくださいよ」
     千冬が一虎の言葉を阻むように乱暴にシャツの胸倉を掴むと、再び乱暴に押し遣る。一虎はドアに掴まって踏ん張り、どうにかその場に留まった。
    「これからオレ、この辺りで店立ち上げて商売始める予定なんですよ。変な噂立ったら客が寄りつかなくなっちまう」
     千冬はペットショップとかをやると言っていた。資格の勉強も金が必要なのもそのためだったのだろう。
    「……そっか。そうだよな、ゴメン。オレみたいのが千冬の周りウロついてたらマズいよな」
     ただ千冬に会いたい一心で、押しかけたら迷惑だとか、思いもつかなかった。そういうところがダメなんだろうなオレはと、悲しい気持ちになりながら、一虎はドアから手を離した。
     なのにその腕を千冬に掴まれ、一虎は驚く。
    「え……」
    「そうじゃない」
     千冬が何でそんなに怒ったような顔をしているのか、一虎にはわからない。
    「え、何が」
    「別に一虎君がチンピラ丸出しだとか。前科あるとか、そういうのが問題じゃなくて……オレが、その」
     一虎からわずかに顔を逸らした千冬が、目を逸らしながら言い淀む。
    「……男のデリヘルとかで作った金でやってる店ってわかったら、嫌な気持ちする人がいるかもって話。ペットショップなら、子連れ客も多いだろうし」
    「あー」
     たしかにあまり外聞のいい話ではないのかもしれない。でもそれは、前科持ちの自分がウロついたって、同じように「嫌な気持ちする人」が出てくるという話には違いない気もして、一虎はどう答えたらいいのかわからなかった。
    「……はぁ」
     困って黙り込んでいると、大袈裟なくらいに深々吐き出された千冬の溜息の音が一虎の耳に届く。
    「……ウチ、上がっていきますか。何か知らないけど手土産でしょ、それ」
     一虎の片手にぶら下がっている紙袋を見下ろして千冬が言う。一応は一虎なりに気を使って手土産を用意していた。コンビニで、何てことない焼き菓子の詰め合わせだが。
     千冬が一虎の腕から手を離し、部屋の中に戻っていく。一虎はやたらと緊張しながら、「おじゃまします」ともごもご口の中でつぶやきつつ、そのあとに続いた。適当に座ってください、と言われて小さなテーブルのそばに腰を下ろす。千冬はキッチンの方に向かった。
     小さな1R、一虎の暮らしているのとどっこいどっこいのボロアパートだったが、ごちゃついた一虎の部屋と違って、千冬の部屋は綺麗に片づいていた。ベッドだけは寝起きのままなのか毛布がぐしゃっと片側に寄せてあるくらいで、あとはあるべき場所にあるべきものが収まっている感じで、乱れたところが全然ない。贅沢なものも。棚に資格試験のためらしいテキストなどが並んでいた。きっと稼ぎは全部開業資金に充てるつもりなのだろう。
    「はいこれ、お持たせですみませんけど」
     ぼんやり部屋を眺めていたら、千冬が一虎の手土産と、インスタントコーヒーを淹れたマグカップをテーブルに二つ置いて、一虎の向かいに腰を下ろした。
    「はー、はい、どうも」
     お持たせ、とか久々に聞いた。何となく背筋を伸ばしつつ、返事に困って頷くと、千冬がククッと喉の奥で小さく笑って、一虎はますます戸惑う。
    「何かしこまってるんですか、オレ相手に」
    「いや……」
     千冬相手だからこそ、変に緊張してしまうのだが。
     たしかにあまりしゃちほこばった態度もおかしいかと思うほどに落ち着かず、あちこち視線を彷徨わせながら胡座をかいた体をもぞもぞやっていると、どこか胡乱げな眼差しを千冬から向けられてしまった。
    「言っときますけど、オレは今月で店辞めますし、そもそも個人で客取ったりしてませんからね」
     冷ややかに言われて一虎はハッとする。慌てて首を大きく横に振った。
    「ちっ、違う、そういうの期待してとか……では……」
     最後の方が尻窄みになってしまったのは、そういう気持ちがまったくなかったと言い切る自信がなかったせいだ。我ながら最悪だとは思う。
     もう一度千冬に『そういう』ことをしてもらえると思ってここに足を運んだわけではないのだが、そのはずなのだが、千冬を見ているとどうしても『そういう』ことをしてくれる時の仕種だの表情だの空気だのを思い出してしまうのが止められない。
     清廉潔白を主張しようもなく、ただただ狼狽えている一虎を見て、千冬がますます冷淡な眼差しになっていく。
    「痛客は即通報しますんで。いくらかボコっても、正当防衛主張しますよ」
     きっぱり言い切る千冬に、一虎はファストフードで千冬に近づいていた客らしき男、それにドラケンから聞いた話を思い出した。
    「……そういう客、多いのか? こないだみたいなのとか……」
    「外で脅すようなバカはあれが初めてでしたけど。そんなにヤベぇのはいませんよ、しつこい本強が何人か、あとは首締めようとしてきたりくらいか?」
    「いや、ヤベぇじゃねえか」
     これもまた、『痛客』として最初のデリヘルに出禁を申し渡された自分が言うべきことでもないのでは、と思いつつ一虎は眉を顰めた。
    「凄んで見せたらちんこ縮んでましたよ」
     返す千冬の言葉はさらりとしたものだった。一虎は、「そ、そうか」と何だかどもりがちに頷くことしかできない。
     部屋には千冬の眼差し同様冷え冷えした空気が流れて居たたまれなかった。千冬はそれ以上何も言わず、仕方なく、一虎の方からしばらく続いていた沈黙を破る。
    「……店辞めるなら、いいんだ」
     マグカップに目を伏せていた千冬が、ちらりと一虎に視線を向ける。
    「何が?」
    「いや……千冬にもうあんな仕事、してほしくないから」
    「あんなって」
     呆れた顔になる千冬を見て、一虎は自分の失言に気づいた。
    「やっ、違う、別に風俗見下してるとかそういうんじゃなくて」
     慌てる一虎を見て、千冬がにこりと、まるで『タロウ』の時のような笑顔を作るもので、一虎はますます焦った。
    「まあそうですよね、立派な客でしたもんね『羽宮さん』、週一で予約してくれてたし」
     ここでそんな呼び方までされて、もう何の反論もできない。頭を抱えて床を転がりたい気分だったが、人の家というか千冬の前なので辛うじて堪え、ただテーブルに拳を握った両手を載せて深く項垂れる。
    「ただオレが、嫌なだけ」
     絞り出すような小声で言った一虎に、返る言葉はない。
     一虎がおそるおそる目を上げたら、テーブルの向こうから千冬がじっとこっちを見ていた。
    「何で。ガチ恋?」
    「がちこ?」
    「恋人プレイする間に本気になっちゃう痛客かよっていう話」
    「えっ」
     キャバクラでも、嬢に本気になってやたら高価なものを頻繁に差し入れたり、独占欲丸出しで振る舞ったり、挙句ストーカー紛いの行動に出る客がいる。「こっちは仕事だから優しくしてるのに、何で『オレだけは』って思っちゃうのかねえ」と、笑うでも呆れるでもなくただ困ったように呟く嬢の言葉を一虎は思い出した。
    「そ……っ」
     そんなことない、と即座に否定しようとしたものの、一虎は、でも自分がそうやって『タロウ』とまるで本当につき合っているようだと感じていたことを、思い出してしまった。
    「……そうなのか……?」
     だとすれは自分は実際、そのガチ恋というやつなのだろうか。
     そうだともそうでもないとも言い切れずに困惑する一虎から目を逸らして、千冬がまた盛大な溜息の音を部屋に響かせる。一虎は何となく身を竦ませた。
    「ウチの店は、まあ男同士ってのもあるせいか、完全割り切りの客が大半なんですよ」
     千冬が背中にあるベッドに凭れ、両手でマグカップを持ちそこにまた目を落としながら言う。
    「そう聞いてたから、短期間だけ頑張ろうって思ってて」
     少し顔を伏せているせいもあり、千冬の表情が一虎からはあまりよく見えない。笑ってもいないし怒ってもいないし、悔いている感じでも開き直っている雰囲気でもなかった。
    「……そこまで金必要だったのか? そりゃ、商売やるなら必要だろうけど、どっか借りたりとか……」
     一虎が訊ねると、千冬がもう一度、今度は小さな溜息をついた。
    「最初はどんだけ時間かかっても仕方ないから地道に稼ごうとはしてたんですけどね。バイト二つ三つ掛け持ちして。でもそうしてると、何でかわかんねぇけど、絶対変なヤツが引っかかって」
    「変なヤツ?」
    「普通のチェーン店のカフェで、日に何度も通ってくる中年のオッサンがいるなと思ったら、オレと個人的に連絡取りたがったり。やんわり逃げようとしたけど、帰り道に待ち伏せされて、思い詰めた感じで詰め寄られて、つい……こう、手が」
     千冬がぎゅっと右手を握りしめている。何となく、加減もなくワンパンで相手を沈めてしまったのであろうことを、一虎は察した。
    「客だし、我慢しようとは思ってたのに、住所教えてもない家の郵便受けに直接ポエム書き綴った大量の手紙投函されたりとかもしてて、我慢の限界だったというか」
    「そんなん、殴って当然だろ。気持ち悪ィ」
     想像だけで一虎はゾッとする。直接手紙を投函する行為も、ポエムを書き綴るのも、聞いているだけでぞわぞわするのに、実際やられた千冬はたまったものじゃなかっただろう。
    「殴っちゃお終いなんですよ、軽く手が当たった程度だったけど、本部にまで話が行ってあっさりクビです」
     千冬は右手を見下ろして何度か握ったり開いたりしてから、またマグカップに添えた。
    「今度は宅配の荷運びやってる時、センターにいる社員の上司に同じ感じでやられて。こっちは直接仕事相手だし、元々連絡先も掴まれてるしで、始末に負えなかった」
     もう何度目かの溜息を、言葉の途中で千冬が漏らしている。
    「時給いいから辞めたくなかったけど、奥さん妊娠して実家帰ってるっていうのに家に呼び付けようとしたのがキモくてキモくて、気づいてたら」
    「殴ってた?」
     一虎が訊ねると、千冬が首を横に振った。
    「や、玉を。潰れてはない。多分」
     殴ったのではなく、どうやら蹴り上げたらしい。一虎は先刻とは違う意味でゾッとなった。
    「で、次は」
     その上、千冬の話はまだまだ出てくるので途方に暮れそうになる。
    「まだあるのか」
    「酒出すだけのバーで、これも客。でもオレの倍以上の年齢だったし、前のヤツらほど露骨じゃなくて、他のスタッフとか客にも愛想いい人だったから、あんまり警戒してなくて。みんなでメシって話が予定合わなくて二人きりになった時は『あれ?』って思ったけど、まあまあ身なりもいいし知識も豊富だし、オレが店やりたいって話したらいろいろアドバイスしてくれて、おまけにメシ奢ってもらえりゃ食費も浮くしで、これならまあいいかなあと……」
    「『パパ活』……」
     それではまるで、噂に聞く、ドラケンも口にしていたアレではないか。一虎がぽろりと漏らすと、千冬が微かに眉を顰めた。
    「そう言われりゃそうだとしか言えないけど、でもメシ喰う以上のことはしませんでしたよ。小遣いくれるってのも絶対断ったし。ただ……段々相手が思い詰めて、奥さんと別れるとか言い出すし、そういうんじゃないでしょって言ったら泣かれるし人前で土下座されるし、最終的にやっぱ家に押しかけてくるようなアレになっちゃって。オレを殺して自分も死ぬ、死ぬ前に犯すとか言い出すから」
    「……!?」
    「結局顔面に入れちゃいましたけど」
    「パンチを……」
    「この時は鼻の骨折れちゃったもんで、訴えられそうになって」
     折れちゃったのではなく折っちゃったんだろう、などというツッコミは、千冬が気の毒すぎて一虎にはできない。
    「でもバーのマスターがドラケン君の知り合いだったもんで、オレにしつこくしてたって証言するって言ってもらえたから、向こうの方が体面とか世間体考えて、被害届だの民事でどうこうってのは引っ込めてくれて、最終的にはそこそこの慰謝料というか口止め料的なものももらえたし。いらないって言ったけど、突っぱねる方がややこしくなるからもらっとけってドラケン君が言うんで、資格取る足しにさせてもらって」
     一虎は相槌も迂闊に打てなくなってきた。大変だったなと言うのも、金もらえてよかったじゃんと言うのも、両方違う気がする。
    「もうね、さすがに悟りましたよ。野性のソレに絡まれてバイトクビになるより、いっそちゃんとそういうのを商売にしてる店に勤めた方が安全に稼げるじゃねえかって」
    「いや、いやいや」
     しかし千冬のその結論には、異議を唱えたい。
    「だからって何で、男相手のヘルスになるんだよ。オマエの見た目ならホストとかあっただろ、稼げる夜の仕事」
     キャバ嬢が入れ揚げているとかいう店のナンバーワンのホストなんて、千冬に比べたらブスもいいところだ。
     訊ねた一虎に、千冬が少し皮肉っぽい笑いを浮かべた。
    「普通にダメなんで。オレ」
    「ダメって?」
    「女相手」
     ――今さら驚いた自分に、一虎は驚いた。
     千冬との予期せぬ再会の状況を考えれば、そこに思い至らなかったことの方がおかしい気もしてくる。
    「……そうなのか」
    「オッサン相手の方がまだマシ」
     千冬の口調は軽い。まあ、それこそ今さら、一虎に隠し立てする意味もないと思っているのだろう。
     当然だとは思うのに、どうして千冬の口から改めて聞いて、喉の奥に鬱陶しく引っ掛かる小さな棘のようなものを感じるのか、一虎自身わからない。
    「でもそれならそれで、やっぱそういうバーとかはあっただろ、その……ただ酒注いだり、話し相手になる程度の。そりゃ、今の仕事よりかは稼げないのかもしれないけど、慰謝料だか口止め料だかももらったっていうのに、どうして」
     結局咎めるような口調になってしまう。オマエが言うなと逆に責められることを覚悟していた一虎から、しかし千冬はどことなく気まずそうに、視線を逸らした。
    「……ちょっとその時、たまたま、ヤケになってたんで」
    「ヤケに? あ、ストーカー問題で?」
    「……じゃなくて」
     あまり減っていないコーヒーの入ったマグカップのふちを、千冬はまるで子供の手悪さのように叩いたりして、弄んでいる。
    「誰かさんが……十年ぶりに人の顔見るなり、走って逃げ出すから」
    「誰かさん……」
     十年ぶりに、人の顔を見るなり、走って逃げる。
     そんなような場面がそういえば自分にもあったな、と思ってから、それがまさしく自分のことだと思い至って、一虎は目を瞠った。
    「オレ!?」
     まさかここで、自分の話になるなどと思っておらず、一虎はただただ動揺する。
     言葉を失くす一虎に、千冬はますます気まずそうだった。
    「……一虎君のことは、十年間ずっと、考え続けてたんですよね、オレ」
     一虎はまた、相槌も打てない。
     服役中、きっと場地と親しい人間は自分を恨み、復讐だって考えているだろうと覚悟はしていた。
     だが千冬の様子は、憎しみのあまり一虎のことが頭から消えなかったせいで――というふうでもない。
    「十代から二十代にかけての十年もぶち込まれて、きっと社会復帰も大変だろうし、恨んでるヤツもいるかもしんねえし、無事に生活できんのかなって、すげぇ心配で」
    「――」
     事実千冬は、恨みや憎しみとは真逆の感情で、自分について思いを馳せていたらしい。
     それを知れば、一虎はやはり、絶句するしかなかった。
    「だから、よし、オレが場地さんの宝っていう羽宮一虎の面倒見ようって。勝手に決めて、すげぇ張り切って、結構しんどい時……勉強とか人間関係うまくいかねえ時とか、他の何かで失敗しちまってキツい時とかも、『でも一虎君の世話するためにも挫折とかしてる場合じゃねえ』って、何ていうか、割と励みにしてたっていうか……バイトしてて変な客につきまとわれてクビになるたび、ありえねえくらい腹立ったりヘコんだりしたけど、何とか持ちこたえて」
     マグカップを手にしたまま、深く項垂れる千冬の頭を、一虎はただみつめることしかできない。
    (そんな。オレなんかのこと、そういうふうに思って待っててくれたとか、嘘だろ)
    「でも当の一虎君が、オレの顔見るなり逃げるからさぁ……」
    「……」
    「何でかオレ、そんな反応されるとか全然思ってなかったから、割と結構ものすごく、めちゃくちゃ、ショックで……しかもその日、さっき一虎君が言ってたみたいなクラブの面接があったのに『ウチは和やかな店だから目つき悪い子はちょっと』とかってその場で落とされるし。もういいや、別に減るもんじゃねえし、金稼げるなら水じゃなくてフーゾクでいいですって、あんま気乗りしてなさそうなドラケン君押し切って、今の店紹介してもらったんです」
     ドラケンは一応、止めはしたらしい。そりゃあそもそもストーカーがついて嫌な目にあっていた上での選択だと聞いたら、止めない方がどうかしているだろう。
    「しんどいの目に見えてるだろ、そんなの……」
    「夢叶えるために何でもするって決めたんだから甘えたことぬかしてらんねえな、みたいな気分で」
     あまりに思い切りがよすぎる。というよりも、明らかに本人の言うとおりヤケクソでしかない。
     それをさせたのが自分の行動だと知って、一虎は再会した時の自分の行動を死ぬほど悔やむ以外、選択肢がなかった。
    「……そうか。オレが、元凶か……」
    「別に責任押しつけるつもりはねえよ。アンタ待つって決めてたのも、ああいう仕事するって決めたのも、全部オレ自身だ」
     きっぱりと千冬は言うが、どう考えても、自分のせいだとしか一虎には思えない。
    「……オレがちゃんと千冬と向き合ってれば、千冬が他のヤツとああいうことしなかったのか」
    「他のヤツって」
     千冬が顔を上げ、息を吐き出すようなやり方で苦笑した。
    「別にオレは一虎君のモノじゃないでしょ、そもそも」
     突き放すような相手の物言いに、小さな棘が刺さるどころではなく、目一杯、一虎の喉とか胸とか腹の奥の方が痛んだ。顔を歪めたくなるほどに。
    「……で、何しに来たんでしたっけ、アンタ?」
     質問というより、暗に「話は終わりだ、早く帰れ」と言わんばかりの千冬の口調、一虎は項垂れる。
    「仕事、辞めてほしくて」
    「は?」
     投げつけられる千冬の声は、完全に尖りきっている。苛立ちを隠そうともしていない。
    「言われる前に、辞めることにしたけど? そんなのアンタに指図される筋合いは」
    「指図じゃなくて、お願い……」
     一虎は消え入りそうな声で、弁解のように千冬に言う。
    「だから、何で」
    「……ヤだから」
    「はぁ?」
    「わかんねぇけど、すげぇ、ヤなんだよ。千冬が他のヤツと、オレにしたみたいなことするの……」
    「……」
     千冬が黙り込んでしまった。
     顔を伏せたままでも、相手から苛立ちを通り越して激怒している空気が伝わってきて、一虎は背中に冷たいものが伝うような心地を味わわされる。
     限界まで怒っているならこれ以上怒らせることもないだろうと思って、一虎は心臓をばくばくさせながらも言を継いだ。
    「もう一回、やり直させてほしいんだけど……」
    「何を」
     ナイフ以上に鋭い氷のような切れ味を感じさせる千冬の声。
    「客とキャストの関係を?」
     やっぱりそういう行為を期待してのこのこ姿を見せたと思われているのだと気づいて、一虎は高速で首を横に振った。
    「ち、違うって。そうじゃなくて……千冬が、オレを、迎えに来てくれたところから」
    「……」
    「オレ、何でオマエがオレに会いに来てくれたのかわかんなくて」
    「……」
    「娑婆出た瞬間に誰かにぶっ殺されるのも仕方ねえって覚悟してたんだよ。場地が大事にしてた後輩なんか、特に、恨み買ってるだろうって思ったし……」
    「オレは純粋に、一虎君の力になれたらって思ったし、オレにも力貸してほしいって思って会いに行ったんですけどね」
     これ以上怒らせることもないと思ったのに、さっき以上に怒りを秘めた声で、千冬が一虎の言葉を遮るように言う。一虎はもう一度強く首を振った。
    「それが余計、怖かったんだって。恨まれて殴られたり詰られたりするなら覚悟してたけど、優しくされるとか……」
    「……」
     また相手の顔も見ていないのに、その時スッと千冬の気持ちが冷めて、自分の方に向けられていた怒りすら消えそうになっているのを肌で感じ取り、一虎はこれまでの一連のやり取りの中で最も焦った。
    「だからっ、どうして千冬がそういうふうに思ってくれたのかとか。ちゃんと聞きたいんだって!」
     千冬の手を拒みたいわけではない。少なくとも今はそうだ。繋がりを切りたくない。
     それをわかってほしくて、一虎は座ったまま後退り、床に両手をついた。
    「あの時は全然余裕なかったし、わかんなくて。でも今は、わかりたいから。教えてください」
     額を床に擦りつけるように土下座すると、これ以上はないというほど深い、深すぎる溜息を千冬が漏らした。
    「……場地さんの夢を」
     もはや完全に見切りをつけられてしまっただろうかと内心怯える一虎の耳に、しかし小さな、吐息交じりの声が届く。
    「オレと一虎君で叶えられたら、すげぇ、嬉しいなって。そう思ったんです」
    「場地の夢……」
     そろそろと頭を上げると、予想よりははるかに、というよりももうまったく怒りなど滲ませていない、どこか静かな表情をした千冬の顔がある。
    「ペットショップ経営」
    「……マジで?」
     それが場地の夢だったなんて思いもしなかった。
    「聞いてなかったのか……」
     ぽつりと呟いた千冬に、一虎は頷く。
    「動物が好きなのは知ってたけど」
     場地はやたら野良猫に好かれる男だったし、嬉々として動物謎知識を披露してくれることもあったが、ペットショップをやりたいなんて一虎に話したことはない。多分聞いたら、笑って「冗談だろ、似合わねえ」とバカにしただろうと思う。あの頃の自分なら。
    「まあオレも、直接聞いたんじゃなくて、場地さんのおふくろさんから教えてもらったんですけどね」
     千冬が小さく苦笑する。「オレに話してないのに千冬には話したのか」と一瞬頭を過ったのを見抜かれた気がして、一虎は本当に自分はダメだなと情けなくなった。
    「――罪滅ぼしとか、そういうんじゃねえですけど。東卍解散して、場地さんはもういねぇし、尊敬してたアンタ以外の創設メンバーもそれぞれ自分のやりたいこと始め出してて」
     そういうものではないと言うが、『罪滅ぼし』という言葉を聞いて、一虎は千冬が本心から出所した自分に手を差し伸べるつもりだったことが、わかってしまった。千冬は一虎ではなく、場地を救えなかった自分に責任を感じて、悔いている。もしかしたら一虎のことも、救えなかった者同士として見ているのかもしれない。気の毒だから面倒見てやるというつもりではなく、相身互い、というような。
    「オレも何かやりたいって思った時、じゃあそれがいいなって。オレの夢ははなっから場地圭介の意志を継ぐこと、あの人に並ぶことだから」
     千冬が小さな、けれども断固とした声で言った時、彼の寄りかかっていたベッドの下からぬるりと黒いものが姿を見せて、一虎はぎょっとした。
    「あとオレも普通に、動物好きだしさ」
     現れたのは妙に目つきの悪い黒猫だ。千冬の足に体を擦りつけてゴロゴロと喉を鳴らしている。千冬がその頭やら尻やらを撫でてやると、黒猫は満足げにひと鳴きして、今度はクローゼットの中に再び姿を消した。
    「一虎君はマエ持ちで雇ってくれるとこ探すのも難しいだろうけど、オレが経営する店なら、少なくとも同じ職場で文句言うヤツは誰もいなくなるじゃないですか。だから恩に着せて、薄給で扱き使い倒してやろうと」
     猫を撫でてずいぶん気分が落ち着いた様子で、千冬が最後には冗談めかした口調になって言う。微かに笑っているのを見て、一虎はほんの少しだけ安堵した。
    「……今からでも、それ、乗っからせてくれないか」
     とはいえ相手が笑っているからといって調子に乗らないよう自分を諫めながら、なるべく真剣に、できる限り気持ちが伝わるよう、真面目な顔を千冬に向ける。
    「オレの世話、見てほしい」
     もう一度床につくほど頭を下げてから、一虎は自分で自分の言葉に首を捻った。
    (あれ、何か変な言い回しだな?)
     千冬が十年もかけて考えてくれたことを尊重したいし、夢を実現してほしい、自分も力になりたいということを言いたかったのだ。
     へっ、と千冬が鼻先で嗤うような声がした。
    「ついでに下の世話もってか?」
    「いやっ、それはもう」
     また落胆させ、怒らせてしまったかもしれない。そう思って伏せた体を勢いよく上げた一虎は、千冬がじっとこちらの顔を眺めているのを見て小さく目を瞠った。
    「いらない?」
    「……それは……もう……、……、………………」
     いらない、と、言うべきなのだろう。
     だから言おうと口を開くのに、どうしてもその一言が言えずに、一虎は頭を抱えた。
     葛藤する一虎のことを、千冬が相変わらず凝視している。
    「……だって千冬めちゃくちゃ上手いし……もうオレ、他のヤツ相手に勃つ自信がねぇ……」
     誤魔化そうとしても誤魔化しきれず、一虎は結局、本音の方を漏らしてしまった。
     二度と千冬とヤれないとなれば、残念だし勿体ない気がするし悲しいし寂しい。
    「アンタつくづく、サイテーだよなあ」
     すっと目を細めた千冬に言われ、一虎はしゅんと項垂れた。
    「別にいいけどさ」
     しかし何ともない調子で言った千冬に驚いて、すぐに顔を上げる。
    「えっ」
    「面倒見るの」
     千冬は声音通り、何てことない表情で一虎を見ていた。
    (ど、どっちの?)
     再会からやり直して一虎の面倒を見てもいいと言っているのか、それとも――『下の世話』を見てやってもいいと言っているのか。
     さすがにそれを確認するほど恥知らずにはなれず、一虎はどうにか相手の表情に答えを探そうと、千冬の顔を喰い入るように見遣る。
     しつこい一虎の視線に耐えきれなくなったように、千冬が目を伏せた。
    「オレもまあ……一虎君みたいな反応、悪くなかったし……」
     再会の時にビビって逃げ出した反応……ではない。多分、違う。
    「日頃オラついてるんだろうなってヤツが、オレの舌とか手でアンアンいってぐちゃぐちゃになってるの、たまんないな、エロかったなあって、思い出すことあって」
     ごくごくわずかに千冬の目許が紅潮していることに気づき、一虎は思わずごくりと生唾を飲んだ。その音がやたら大きく響いたのを恥ずかしいと思う余裕もなく、それでも慎重に、おそるおそる、座ったままテーブルを回り込んで千冬の方へと近づいてみる。
     千冬が逃げる気配はない。身を寄せる一虎を見上げるその瞳がどことなく熱っぽく潤んでいるような気がして、一虎は心臓が爆発しそうなくらい興奮しながら、相手の肩にそっと手をかけ顔を近づけた。
     千冬がおとなしく目を閉じたのを見て、叫び出したいほどの歓喜が一虎の全身を貫く。みっともなく震えそうになるのを堪えながら、千冬の唇に自分の唇を合わせる。
     そこまでしておきながら、舌を入れるのが怖くて、触れるだけのキスをしてそっと離れた。いつもなら千冬の方から積極的に唇を開いて、舌を使って、ねっとりとやらしいキスをしてくるのに、今はじっと瞳を閉じたままで身動ぎもしないから、全部自分の勘違いだったらと不安になってしまったのだ。
    「……千冬……」
     こわごわ呼びかけると、千冬の瞼が開いた。
     無言で自分を見上げる視線で我慢がきかなくなって、一虎はベッドに背中を預けて座る千冬の前に覆い被さるように位置を変え、もう一度相手の唇に唇で触れようとした。
     そのタイミングで、あらぬところにあらぬ感触を覚えて、思わずビクリと体を揺らして動きを止める。
    「もう勃ってやがる」
     皮肉っぽい声で言いながら、一虎の股間に触れる千冬の掌が、服の下で大きくなっているモノを卑猥な手つきで撫でた。
    「だって千冬の顔……すげぇ、やらしい……」
     他愛なく欲に溺れる一虎を嗤うような表情をしておきながら、千冬の両眼だってやっぱり色を含んだように濡れている。一虎は我慢しかね、さっきよりも荒っぽい仕種で再び千冬の唇を奪った。千冬の唇は開かれていて、すんなりと一虎の舌を受け入れる。千冬の方からも絡められる舌の動きが、まるで待ちかねていたみたいだと感じてしまうのはただの自惚れなのか、一虎にはわからない。
     とにかく千冬は一虎を拒むことなく、むしろ積極的に、いつものようなエロいキスを続けている。
     気づけば一虎のシャツのボタンは全部外され、素肌を掌でまさぐられていた。指で乳首をつままれて思わず体を跳ねさせながら、一虎は今日は客ではないんだし、奉仕されるだけではいけないと、自分も千冬のズボンに手をかけようとする。
     が、その腕は千冬にやんわり押し遣られ、代わりに、千冬の方があっという間に一虎のズボンのベルトを外し、ボタンを外し、ファスナーを下ろして、もうガチガチに固くなっているモノを指で引っ張り出している。先端から先走りの雫までだらしなく垂らしていることが感触でわかったのだろう、千冬がくすくすと笑い声を漏らすのを聴いて、一虎はそれだけで呆気なく達しそうになって、さすがに焦った。
    「あっ、あのさ、千冬」
     躊躇なく根元から扱こうとする手を押さえると、千冬が眉を顰めて一虎を見上げた。
    「……えっと、さっき女ダメって言ってたけど、その、男とヤッたこと……」
     なぜ止めるのかと訝しげだった千冬の表情が、見る見る苦笑に変わっていく。
    「あんな商売してたオレに、何訊いてるんすか」
     そりゃあもう、数ヵ月でどれくらいの客を相手にしていたかなんて、今の一虎には数えたくもなくなっているが。
    「仕事じゃなくて、プライベートで」
     金のためにならまあいい、我ながら何様というかどこから目線だと思うが辛うじて我慢できる。が、仕事ではなく純粋に欲望のためとか――恋愛感情が由来でセックスをした相手がいると想像したら、何だか胃が焼き切れそうな気分を味わわされた。
     だから聞きたくないし聞かない方がいいとわかっているのに、聞かずにはいられない。
    「まあ今まで付き合ったの全部、男でしたけど」
     千冬の答えを聞いて、一虎は身構えていた以上のダメージを受けた。
    「だから変なオッサンが引っかかったのかなー……同族の雰囲気……?」
     真顔になって呟く千冬の声に、ぐさぐさとダメージが広がっていく。千冬が変なオッサンに触れられたと思うだけで気分が悪くなるなんて、本当に、どの面下げてとしか自分でも思えないのに。
    「そのオッサンも含めて、経験的には……」
     千冬がまた、じっと一虎のことを見遣る。平坦な表情だった。相手が嫉妬めいた自分の内心に気づいて呆れているのか、あるいはこれ以上ショックを受けないようにと気遣ってくれているのか、一虎は判別しきれずにちょっと怯んだ。ものすごい数を提示されたらどうしよう、と要するに、ビビったのだ。
     固唾を呑んで見守っていると、千冬がふと一虎の耳許に唇を近づけた。
    「はじめて」
     信じがたい返事を聞いた。
    「え!?」
     一虎が思わず身を引き、そしてまじまじと相手を見下ろすと、千冬がにっこりと笑う。
    (からかわれてる?)
     『タロウ』の時みたいな笑顔を見て、一虎は大いに混乱した。
    「女がダメだけど、特に男が好きってわけでもないんですよ、オレ」
    「お、おう……?」
     そんな台詞を、人の乳首をくりくりと弄りながら言う千冬のことを、どこまで真に受けていいのか一虎にはわからない。
    「どっちもあんま興味なくて。告られて応じられるのがヤローの方でギリギリで、相手が真剣でいいヤツならキスとかまではまあいいにしても……押し倒されると何かムカつくし、かといってこっちから相手に何かしようって気にもなかなかなれねぇし」
     もはや一虎は、千冬が自分以外の男とキスするだのなんだのという言葉すら、聞きたくなくなってきた。
    「手で抜き合ったりとかは、オナニーの延長上で、なくもなかったけど」
     最初に訊ねたのは自分の方なのに、もういいとキレかけた一虎を見てから、千冬がふと自分の腰の方へ視線を落とした。
    「こっち」
     一虎の乳首を弄る手とは反対の手で、千冬は自分の腰――というか尻の辺りを摩っている。
    「未使用なんですよね」
     咄嗟に一虎は顔の下半分を掌で覆った。鼻血が出たんじゃないかと不安になったが、まだギリギリ大丈夫そうだった。
    (……でも、そうか。誰かに組み伏せられるのとか、千冬の性格上無理なのか)
     中学の頃に見た千冬は、猛烈に生意気そうなガキだった。尊敬して従うのは場地ひとり、あとは東卍の創設メンバーやらは別格で、そこに及びもつかない男の下につくことも横に並ぶことすら嫌うタイプだということは、大して交流がない一虎にも伝わってきた。
    (オレもそのタイプだしな)
     実際の千冬を場地に紹介される前、場地の犬だのと揶揄されているのを聞いたことがあったが、忠犬ではなく狂犬だというのはひと目でわかった。だから一虎は千冬が気に喰わず、多分無意識にあまり接点を持たないようにしていたのだが、それはまあ十年以上も昔の話で。
    「仕事なんだからって一生懸命割り切ろうってしてるのに、態度悪いサービス悪いって客の評判酷くて、オレ」
    「え、あれで?」
     『タロウ』の時のご奉仕ぶりは徹底していたし最高だった。おまけにエロくて可愛くて、何のクレームがつくのかと一虎には心底不思議だったが、そういえばドラケンもそんなことを言っていたかもしれない。
     きょとんとする一虎を見て、にこっと、千冬がまた『タロウ』のように笑う。
    「あのね」
     何をこんなに可愛くしているのかと、一虎はときめきながらも訝った。
    「一虎君なら、いいですよ」
    「……!」
     オレならって何で――と理由を聞こうとしたのに、それより先に千冬の両手が伸びてきて一虎の顔に触れる。頬を掌で挟まれて引き寄せられ、唇を塞がれる。相変わらず上手いというか上手すぎるというか、積極的な千冬の舌遣いはものすごくて、一虎はあっという間に腰砕けだった。ぬめった舌で口の中を掻き回される感触と、やらしい水音が鼓膜を直撃して、一虎はもう頭をからっぽにしてその悦楽を享受する。
    (――や、違う、今日は客じゃないんだから)
     されるがままになりかけていたが、思い直して、一虎も千冬に手を伸ばした。さっきはまた拒まれてしまったが、今の千冬は一虎がズボンに手をかけても何も言わず、おとなしく脱がされるままになっている。
     下着まで脱がせてしまうと、姿を見せた千冬の性器を見て、一虎は安堵を一気に通り越しまたものすごく興奮してしまった。まだ甘勃ちというところだが、ちゃんと反応している。
    「……」
    「いや、そんな無言でまじまじ見るなよ」
     千冬は少しばつが悪そうに一虎を責めて、シャツの裾を引っ張って股間を隠そうとした。一虎はすぐにその手を押さえ、千冬が文句を言う前にそっと、できうる限り丁寧に、千冬のモノを掌で包み込む。
    「……ん」
     千冬がごくごくわずかな声を漏らした。反射的にぶん殴られることも覚悟していたが、千冬はやはりおとなしく、ベッドに背を預けて座ったままだ。膝を立てて座るその脚の間に身を割り入れて、一虎は千冬の唇や、頬や、目許に唇をつける。女相手にこんなキスをしたことはなかったし、したいと思ったこともないのに、勝手に体が動いた。くすぐったいのか千冬が少し身を竦めて笑うのを見て心臓が痛かった。千冬が他の男とヤッてたかもとか想像した時とは少し違う種類で、でも同じくらいの痛みだった。
    (こうやって千冬に触ったことあるの、オレだけってことか――)
     いや、違う、さっき『抜き合ったり』はあったと言っていた。じゃあもっと違うこと。
    「ぁっ」
     千冬のシャツをたくし上げ、小さい乳首に吸い付くと、千冬がまた声を上げた。
    「ま……っ、って、そこは、いいから、別に」
    「だって千冬がしてくれたの、めちゃくちゃ気持ちよかったし」
     一虎が言うと吐息がかかってくすぐったかったのか、千冬が小さく身震いするのがわかった。
    「触られんの、あんまり慣れてねぇんだって……」
     千冬の手が一虎の肩に掛かるが、押し遣ろうとする力は頼りない。それをいいことに、一虎は全然止めようとは思わず、遠慮なく千冬の乳首を舐めたり、尖らせた舌の先でつついたり、歯を立ててみたりと、相手のやり方を思い出していろいろ試してみた。最初柔らかかった乳首がどんどん固くなって、ピンと尖ってくる。散々弄ったせいで微かに腫れぼったくなり、自分の唾液のせいで濡れた千冬の乳首は最高にエロかった。
     そっと表情を伺うと、千冬は目を閉じて眉根を寄せて、一虎に与えられる刺激をやり過ごそうとしているように見えた。一虎の手の中では、さっきまではまだやんわりしていた千冬のモノが、もうずいぶんと固さを増していた。ゆるっと擦り上げてみたら、千冬の眉間にますます皺が寄る。
    (マジでエロい……)
     堪えてる表情がたまらない。一虎が軽く根元を支えるだけで千冬の性器は完全に上を向いて、先端に指で触れるとぬるりと濡れた感触がする。
    (カウパー出てる)
     感じてくれている。嬉しくて、指でぴたぴたと鈴口をつついてみたら、千冬が少し大きく身震いした。
    「そういう、触り方、ちょっと……」
    「なんで。千冬がいつもやってくれてんじゃん、こういうふうにすると先っぽから糸引いて、やーらしい、って笑って」
    「……ッ」
     一虎はただ千冬にも自分がしてもらってるみたいに気持ちよくなってほしい一心で言ったのだが、千冬の顔が少し歪むのを見て、内心慌てた。からかいたかったわけではない。優しく、大事にしたいだけなのに。
    「千冬だって、ちゃんと気持ちいいだろ?」
     誠意を込めて優しく亀頭を撫でたら、千冬の先端がぱくぱくと開閉しながら、ますます先走りの体液を溢れさせた。その少しとろりとした透明な液体が茎を伝って滴り落ち、蟻の門渡りの方まで濡らしているのを見て、一虎はそこから目が離せなくなる。
     つと、指先でその辺りに触れると、千冬の体が目に見えて固くなった。
    「……嫌か?」
     千冬が嫌なことならしたくない――が、正直挿れたい。毎回、いいだけ千冬の手や口や素股でイカされて、それだけで終わるのが、最高なのに物足りなかったのだ。
    「……するなら、あっちのカバン、取って」
     千冬が指さしたのは、ベッドの脇に置いてある黒いポーチだ。千冬というか、『タロウ』がホテルや家に来る時に手にしていたものだった気がする。一虎が言われたとおりそれを持ってきて差し出すと、千冬が中から取りだしたのは、小さなボトルと指サックだった。仕事で使っているものだろう。一虎は指サックを使われたことはないが、ローションはある。これを使って他のヤツにも……と考えると、腹の奥と、それに勃起したままほっとかれている性器がイライラした。
    「……やり方、わかります? あんま荒っぽくしないでほしいんですけど」
    「さすがにこっちは……」
     立て膝で座る千冬の足の間をガン見しながら一虎が答えると、「だから見過ぎだよ」と割と強めに脛を蹴られた。
    「痛っ……」
    「女の子にする時みたいに丁寧に……って、アンタがどういうふうに女の子触るのか知りませんけど」
     千冬は、こっちが他の女とかとヤッてるとこを想像しても、腹とか痛くなったりはしないんだろうか。そう訊ねたいような怖くて訊けないような気持ちでいる一虎の前で、千冬が腰を浮かせ、寄りかかっていたベッドに座り直した。腕を引っ張られ、一虎も立ち上がってベッドに膝を乗せる。
    「指、それつけて」
     言われるまま、一虎は指サックを、とりあえず右手の指全部に嵌めた。
    「ちゃんと濡らして」
     一虎がまた言われた通りにローションを自分の指に垂らしていると、千冬がころんとベッドの上に仰向けに転がった。一虎から微妙に顔を逸らしているものの、割と堂々と、立てた両膝を開いている。
    (やべぇ……千冬のすげぇとこ、見てる)
     自分の裸を晒して触れられたことはあっても、千冬の体をこんなにじっくり見たことはない。千冬の方も服を脱いでいたのに、あまりよく見せないようにされていた気がする。いつも一虎を散々イかせはしても、千冬の方はイッてないようではあった。施す側がいちいち本気で達していたら身が持たないのかもしれないが。
     しかし今の千冬のソレは、やはりしっかり上を向いて、腹につくほどになっている。一虎は手近にあった毛布を引っ張って丸めると、千冬の腰の下に押し込んでみた。これで、尻の狭間もよく見えるし触れやすくなる。千冬は相変わらず眉間に皺を寄せて、でも嫌がる雰囲気はなくじっとしていた。
    「えっと、触る……な?」
     断りを入れるのも何だか間が抜けている気はしたが、いきなり触っていいものかわからず、一虎は千冬に一声かけた。千冬が目を瞑って小さく頷く。
     そっと、慎重に、指先で慎ましげな千冬の小さな窄まりに触れてみたら、その体が強張るのが一虎にもわかった。千冬はどうも緊張している様子だ。一虎が触れるだけで動きを止めると、千冬が顔を横に向けながら口を開く。
    「は、初めてだって、言ったでしょ」
     ぶっきらぼうな口調の中に悔しさと羞じらいのようなものを感じ取ってしまい、一虎は今すぐ千冬にぶち込みたい気分になるのを必死に押さえた。自分でも息が荒いのがわかる。初めて女を抱いた時だって、こんなふうにはならなかったのに。
     こっそり深呼吸してから、改めて、千冬に触れる。
    「……、……」
     息を詰める千冬の中に、つぷっと、中指の先を埋めた。
    (狭……キツ……)
     想像よりも強い抵抗を感じはするが、ローションでたっぷり濡らしていたおかげか、一虎の指は突っかかることもなく進む。
    (動かして平気――なのか?)
     濡らすことに専念した方がいいのか、それともどこかイイところを探すべきなのか。わからないまま、千冬の内側に指サック越しとはいえ触れている感触と状況に、一虎は自分でも手に負えないほど気が昂ぶって、欲求に任せて指を動かしてしまった。千冬の中は温かくて狭くて、何だか生き物みたいに一虎の指に吸い付いてくる感じがする。
    (もっと、触りたい……)
     薄い指サックが邪魔だし、直接触れられないことがもどかしかった。もうちょっと千冬を感じたくて、なるべく性急な動きにならないよう気をつけつつ、ローションを足して人さし指も中に差し込む。
    「ん……」
     ぎゅっと、瞑った千冬の瞼に力が籠められている。痛いのか、それとも気持ち悪いのか。顔を歪めている様子は可哀想なのに、それを見てますます股間が張り詰めていく自分は、千冬の言うとおり『つくづくサイテー』だと思う。思うが止められない。自分の指で反応する千冬を見たい。このままもっと深く指を差し込んで、ぐちゃぐちゃに動かしてしまいたい。
    (でもそんなことしたら、嫌われる)
     千冬に嫌われる――と思ったら少し頭が冷えた。おかげで踏み留まれる。
    「……そこ、浅いとこ」
     衝動を抑えつつゆっくりと、ただ抜き差しするように指を動かしていると、千冬が小さな声で言った。
    「うん?」
    「腹の方……ゆびで、こすって……」
    「――ここ?」
     言われるまま、浅い場所の上のところをゆるっと指で擦ってみたら、千冬の腹がびくびくと波打った。
    「んっ、……そこ……」
     千冬は一虎から顔を逸らすように頭を横に向け、目を閉じたまま、頷いている。一虎が同じ動きを繰り返すごとに小さく腹や内腿を痙攣させ、声と吐息の中間のようなものを唇から零した。
    「あっ、……んっ、……」
    「気持ちいい……?」
     訊ねたら、千冬がこくこくと頷く。一虎は念入りに、指先でそこを刺激し続けた。
    「……ッ、……ぁ……う……」
     次第に千冬の声が高くなり、かと思ったら、腕を持ち上げて自分の顔を隠すように目許に載せている。
    「ダメ、顔隠すな」
     咄嗟に一虎は、片手でその腕を押さえた。千冬の反応が、表情が、どうしても見たかったのだ。
    「……っクソ、おもしろがってんじゃねえよ……!」
     途端、踵が飛んでくる。腰の辺りを蹴りつけられるが、一虎は気にせず、力尽くで千冬の腕を顔から剥がせた。その目許は紅潮していて、瞳にはうっすら涙が膜を張っていて、呼吸は乱れているし、いやらしいことこの上ない。もう無理だ。我慢とか、全然出来ない。
     千冬はこちらをものすごい眼で睨んできたが、一虎の切羽詰まった表情を見て、面白がっているわけではないことが伝わったらしく、すぐに表情から険が取れ、どこかとろりとした眼差しになった。一虎はその目に吸い込まれるように千冬の方へと顔を寄せ、唇を開いて相手の唇を飲み込むようなキスをする。千冬がそうして欲しがっているように見えたのだ。実際、千冬は両腕で一虎の頭を抱き込むようにしてキスに応えた。
    「んっ……んぅ……」
     舌を絡め合いながら、一虎は千冬の中の指を動かした。千冬は堪えようとしているのに漏れてしまう、というような声を何度も零して、そのたび一虎は自分のモノからだらだらとみっともなく先走りがしたたりおちていくのがわかる。千冬の内側が、きゅんきゅんと一虎の指を締めつけていた。やっぱり狭そうで、本当にこんな小さな穴に、自分のモノが入るのだろうかと一虎は疑った。別に特別デカいわけでもないと思うが、それにしたって、千冬の中はキツそうだ。指だけでこんなに苦しげな、切なげな表情になっているのに、それにどうしようもなく興奮してしまう。一虎は後ろ髪を引かれる思いで千冬の中からそっと指を引き抜いた。
    (……あとは、ちんこ触って、イカせてやった方が)
     その方が千冬が辛くないだろう。そう思いつつ、邪魔な指サックを取り外す。最後の一本がなかなか外れず苛ついていたら、また目を閉じていた千冬が瞼を開いて、不思議そうに一虎を見上げてきた。
    「……いれないの?」
     潤んだ瞳に見られながら問われて、一虎は死にそうになった。
    「一虎くんなら、いいよ」
     さっきと同じ言葉をもう一回。それでもう、止まれるわけもなく。
     一虎は千冬の腰を掴んで、暴発寸前の自分自身を濡れてヒクつく窄まりへと押し当てた。こっちにゴムをつけることは意図的に忘れた。怒られるかと覚悟したが千冬はそのまま挿入したことを怒りはせず、ただ息を詰めて、ぎゅっと眉根を寄せて目を閉じながら一虎を受け入れている。
    「……く……ッ」
     辛そうな声が自分のものなのか千冬のものなのかわからないまま、一虎はそのまま千冬の中に押し入った。やっぱりキツい。めちゃくちゃキツくて吸い付くみたいで、ローションのせいでぬるっとしてて、ものすごく――いい。
     千冬が遠慮なく腕に指を立ててくるから結構痛かったが、その痛みがやたら愛しく思えて我ながら謎だった。
    「な……んか、もう、イキそう」
     全部中に収めてないのに呻くように一虎が言うと、千冬が涙目で笑った。
    「ウソでしょ……早すぎ」
     そう言う千冬のモノも、辛そうなのにまったく萎える様子もなく、むしろさらに固くなっているように見える。
    「三こすり半とか、そういう――ぁッ、……」
     ぐっと奥まで押し入ると、笑っていた千冬が小さく声を上げて息を飲んだ。再び顔が歪んでいる。本当に三回半でイッてしまったらあまりに悲しいし勿体ない。一虎は死に物狂いで射精の衝動をやり過ごし、ゆっくり身を引き抜くと、指で散々刺激した辺りに先端が当たるよう、もう一度千冬の方に押しつけた。
    「んッ……ぁ……、……ッ……」
    「ここ……?」
     千冬の腰を抱え、より相手が反応する場所を探り探り腰を使いながら、訊ねる。千冬は頷かず、首を振っていたが、一虎は同じ動きを繰り返した。
    「……やっ、ぁっ、あ……ッ、待って、まってかずとらく、……ッ」
     一虎が動くたび、千冬の性器も揺れる。ソレのことを思い出して一虎が先端を掌で撫で、軽く扱くと、千冬がひゅっと音を立てて息を大きく吸い込んだ。
    「――ッ」
     千冬の腰がビクつき、中がうねって、一虎は慌てて相手の性器から手を離した。こんなに絞り取られるような動きをされたら、もう堪えようがない。
    (無理、もうダメ)
     あとはもう千冬をよくしてやりたいとか、先にイくのはかっこ悪いとかいう気分も頭から吹き飛んで、欲望の赴くままに千冬の中を、貪るように腰を動かす。止まらない。
     自分本位の動きでしかなかったのに、一虎が余裕なく中に身を突き入れるたび、千冬の荒くなる呼吸に濡れた色が混じる。
    「やだ、何で……っ、こんな、く……っそ」
     心底悔しげな千冬の呻き声を聞きながら、一虎は身を抜き出すことも忘れて、相手の中で果てた。

         ◇◇◇

    「……やーもう、中出しとか。ぶっ殺しますよ……」
    「ごめん」
     ぐったりとベッドに仰向けになる千冬の横で、同じく疲弊した体を持て余し寝転びながら、しかし一虎は我ながら大した反省の見えない声で答えた。
    「すげぇよかった。千冬もちゃんとイッたし」
    「……マジでぶっ殺すぞ……」
     そう言われても、最後にはぎゅうぎゅう自分にしがみつき、啜り泣くような声を上げながら達した千冬の様子を思い出すと、カケラも怖くないしもう「気持ちよかった」「最高だった」「千冬可愛かった」の感想しか出てこない。
    「クソ……初めてで、一虎君にイカされるとかさあ……」
     両手で顔を覆って呻き声を上げる千冬を見ながら、一虎はよくよくよくよく不思議になった。
    「やっぱりオレ、千冬が態度悪くて客つかなかったとか、信じられねえんだけど」
     こんなにも、あんなにも、千冬は可愛かったしエロかったし可愛かったし最高だったのに。
    「……実際そうだったから、引き止められもせず店辞められるんですが。ドラケン君の肝煎りだからなかなかクビにもできずに持て余してたっぽいし、店長は」
     掌で顔を覆ったまま千冬が言う。
    「じゃあ、それならそれで、なんでオレにだけは最初から愛想よくて可愛くしてたのかがますますわかんねえよ。そりゃ、さっきの千冬と『タロウ』の時じゃ全然違ったけど、だったら客の時はすげぇ演技してくれてたってことだろ?」
    「……」
     一虎の問いに、千冬が指の隙間から溜息を漏らす。
    「それは……客に羽宮一虎って絶対間違えようのねえ本名で予約してきたバカがいて、何ていうか、テメェは何やってんだよクソがっていう怒りが湧いたので」
    「……あー……」
     たしかに千冬にしてみれば、十年の覚悟を溜めて会いにいったのに逃げ出した一虎が、デリヘルを呼んで楽しく遊んでいるなどと思うと、腹立ちも覚えるだろう。一虎は非常に面目ない気分になる。
    「だからせいぜい弄んでやろうと思って。色恋営業で金絞ってやるっていう暗い決意を持ってホテル向かって」
    「……なるほど」
     それでまんまと一虎は、週一で呼ぶくらい、『タロウ』にハマった。
    「キョドってる一虎君おもしろかったし。まあ……最初は」
     最初は――ということは、次から変わっていったのだろうか。
     一虎が何となく身動いで千冬の方へ寝返りを打つと、千冬は顔を覆っていた両手を下ろし、どことなく遠い目で部屋の天上を見上げている。
    「でもそのうち、一虎君みたいのがメロメロになってバカみたいにトロトロになった顔でオレのこと見るのが、こう……面白いって言うか楽しいって言うか……」
    「他の客でもそういうことあったのか?」
    「ねえよバカ」
     罵られたのに、一虎は何だか胸が高鳴って仕方なかった。
    「千冬って、オレのこと好きなの?」
     思い切って確かめようと訊ねてみたら、千冬が一虎の方に顔を向けてくる。
    「好きになるような要素ってありましたっけ?」
     心の底から怪訝そうな表情で問い返されて、一虎は言葉に詰まる。
     あからさまにショックを受けた顔で青ざめる一虎を見返し、千冬が小さく噴き出した。
    「まあ、あるとしたら、ヤッてもいいかな程度の気持ちです」
    「……」
     程度、と笑いながら軽い口調で言うが。
     千冬にとって、それは相当、特別なことなのではないだろうか。だって彼は自分の認めた相手にしか従わない。並ばない。恋人がいた時でも体は最後まで許さなかった、らしいのだから。
     そう思い至るものの、確証までは持てなかった。それほど松野千冬のことを、一虎はまだよく知らない。何しろきちんと話す時間も、デリヘルのキャストと客として以外の関係で過ごす時間もほとんど持たずに、ここまで来てしまったから。
    (でも、これから、知ることってできんのかな……)
     今この時がそうだと、思ってしまっていいのだろうか。
     それが相手と向き合うということならきちんと言葉にして問うべきか迷う一虎の方を、ちらりと千冬が視線だけで見遣る。
    「……アンタは?」
    「すっ」
     軽々しいことは言わず、浅はかに行動せず、じっくりと慎重に千冬と接しようと決意した矢先に、一虎は考えるより早く口を開いてしまった。
    「すき」
     勝手に口から言葉が飛び出てしまう。でも言ってから、すんなり自分で納得した。
    (そっか。好きなんだ、千冬のこと、オレ)
     千冬はまだ一虎のことを見ている。
    「何で?」
     理由を聞かれると、戸惑うのだが。
    「や、わかんねぇけど……」
    「執着?」
     そう問われれば、一虎は少し腑に落ちた。千冬と今まで関係した男に、客を含め、自分はいちいち嫉妬している。
    「かも」
     だから正直に頷くと、千冬が一虎から目を逸らし、そのまま寝返りを打って背中まで向けられてしまった。
    「ええと、千冬――」
     間違った答えだっただろうか。失望とか落胆とかさせてしまったかと焦る一虎に、小さな小さな、ひとりごとのような響きで千冬の声が聞こえた。
    「……うれしい」
    「……!」
     ガバッと一虎はベッドの上に飛び起きる。また深く考えもせず勢いのまま千冬の肩を掴んでこっちを向かせてみたが、想像と違って千冬は照れたり羞じらったりもせず、淡々とした表情で一虎を見上げた。
    「アンタにも、いろいろ勉強してもらいますから」
    「え、ヤル時の?」
     千冬が目を細め、眼差しが冷ややかになる。
    「自分が言ったんでしょうが、場地さんの夢に乗っからせてほしいって」
    「あ、そっちか。わかった、頑張る。千冬手伝う。何でもやる」
     一虎は急いで何度も頷いた。
    「力仕事いけるし、ムショん中で高認取ったし簿記もやったから経理とかもまあまあいけるかも」
    「え、すごくないですか」
     ぱっと千冬の顔が明るくなったので、一虎は一生懸命社会復帰のために努めておいてよかったと、今一番自分の行動を褒めたくなった。
    「オレも勉強はしてるけど、金勘定苦手なんでマジで助かります。そっか、一虎君、頑張ったんですね」
     千冬まで褒めてくれるのが心から嬉しい。
    「でも実際店始めたとして、多分軌道乗るまではあんま給料とか出せないかもしんないです」
     少し申し訳なさそうな顔になる千冬に、一虎はまた大きく首を振った。
    「いいよ。当分黒服続ける。そっちでも頑張って稼ぐ。めちゃくちゃ働く」
     店とドラケンに頭下げて、サボった分を許してもらうしかない。心を入れ替えて、ちゃんと働こう、と一虎は決意した。
    「あんま無理してっていうのは、嬉しくないですけど……」
     一虎の意気込みが逆に不安らしく、千冬が表情を曇らせた。
    「無理くらいする。ただ働きでも文句ないからな。場地の夢乗っからせてもらうなら、オレの夢にもなるし。……場地の宝なら、オレの宝でもあるから」
    「……」
     結構恥ずかしいことを思い切って言ってみたつもりだったのに、千冬はなぜか平坦表情になってしまった。
    (あれっ、今度こそ間違ったか?)
     背中を向けられた以上に焦る一虎に、千冬が小さく溜息をつく。
    「ただ働きってわけにはいかないでしょ、さすがに」
    「でも、ほんとに――」
    「なら足りない分は、こっちで支払えばいいですか?」
     そこは意地を張らずに頼ってほしい。そう言い募ろうとした一虎の言葉を遮るように、ベッドの上に身を起こした千冬が、まだ下着もつけていない一虎の腰をするりと撫でる。
    「うっ、うん」
     一虎はほぼ反射的に頷いてしまってから、「あれっ、断った方がよかったのか?」と思い至る。
     でも千冬からこんなふうに触られて、こんなふうにみつめられて、どう断ればよかったというのだろう?
     ひとりで首を捻る一虎を見て、千冬がちょっと困ったように笑ってから、ベッドを下りて立ち上がった。
    「じゃ、風呂入ってくるんで適当に帰ってください。オレ、今日、出なんで」
     そういえば千冬は辞める予定ではあるが、まだ店を辞めてはいないのだった。
    「予約する!」
     他の男に触らせたくないから勢い込んで言ってしまったが、これではまるでただ千冬とヤリたいだけのようなノリになってしまったと、一虎はまた口に出してから気づく。
    「……はぁ」
     今日一体、千冬の溜息を何度聞いただろう。
     ヒヤッとしたが、一度伏せた顔を上げてこちらを見た時の千冬が笑っていたので、一虎はほっとなった。
    「オレに本指してくれる物好きな客なんて、一虎君くらいですから。まあ今のうちに、予約入れといて」
     千冬が身を屈め、顔を近づけてきたかと思うと、チュッと音を立ててキスをしてくれたから、それだけで気持ちが舞い上がる。
     何かを間違ったような、そうでもないような、あやふやな幸せを噛み締めつつ、一虎は素っ裸で風呂場の方に消える千冬の後ろ姿を見送った。
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