理由「ま、待って、レーナ!…んっ!」
両の腕が彼女に掴まれ、身動きも出来ずシンはレーナに唇を奪われる。
彼女の今までに見たこともないこの性急さにシンは動揺して体は硬直した。
やっと彼女から口を解放されたと思ったら今度自分の体を押し当て来てまた口付けしようとしてると、シンは顔を逸らした。
「本当にどうしたんですか?!何かあったんですか?」
あまりにもいつものレーナではないことにシンはいつも以上に動揺して戸惑う。
顔をを逸らされたレーナは少し悲しそうな顔をして、半開きの口がゆっくりと動き出す。
「わたしがしたいからじゃ…、ダメなんですか…?」
無論、ダメな訳がないだろう。密かにシンは思った。
「そうではなくて、なにかあったのでしょう?理由とか…」
「理由…??」
うまく言葉がまとまらない。なんと言えばいいのか。かなり動揺してるからか、なぜか頭がいつもみたいにうまく回らない。
「いや、だから。レーナが急にこんなことしたい理由とか、あるのでは?」
それを聞いたレーナは少し見開いて何も言わずただ俯いでいた。
「理由がいないと、してはいけないんですか。」
「は?いや、」
「では今までは理由があったからわたしとしたってことですか…」
まるで言葉が喉に突っかかっていたかのように泣きそうな声。本当に何があったとしか思えなくて、シンは珍しくも少し慌てた。
「そんなこと一言も言ってない... ただおれは、」
「シンの…ばか…っ。」
レーナは物凄い勢いでシンを突き放し、部屋を出て行った。最初から最後まで全く状況を理解できなかったシンだけが取り残された。
「アネットーー!!」
こんな時間に部屋に訪れる人がいるのだとすれば、きっと彼女だと思って、出向くとやっぱりレーナだった。
「もうなんなんのよ。こんな時間に。なんで泣いてるのよ。」
すごく面倒くさそうにしたアネットはそれでもレーナを部屋に入れてあげた。他でもない、レーナだから。
「で。どうしたのよ。またシンが何かしたの?」
「何も…」
「何も?」
「何もしなかった…」
「え?」
「何もして来なかったんですよ…!し、しかも、理由とか言って…」
まだ話も見えずにいるのにレーナはまた泣き出した。
大きくため息をついて、昨夜の回想をしているアネットは今、途轍もなく不機嫌そうな顔をした死神に睨み付けられてる。
「なに?何か言いたいことでもあるの。」
「どうしたんだ。レーナは。」
「なんで私に聞くのよ。本人に聞きなさいよ。」
「話してくれないから聞いてるんでしょう。」
「はあ…」
つくつく面倒くさい二人。としか思えなくてまた一段と大きくため息をつく。
「そういうのずっと疎いからいけないのよ。自分で考えたらどうなの?」
「だから全くわからなかったから…」
「今までに何をしてきたのかにヒントがあるんじゃないの?」
ほら邪魔邪魔とアネットはシンを追い帰した。
どう見ても一人で彷徨う死神にしか見えなくて、一人で廊下を歩いているシンに誰も近寄りたくなかった。
今までに何をしてきた?ヒント?
最近は訓練や勤務でお互い忙しいから何もしてないけど。そもそもゆっくり話す時間もなくて、どこにヒントがあるのと言うのだ。
ずっと同じことを繰り返して考えても答えがない。
「うわ、なにあれ。すごいオーラだしてるんだけど。」
「これは、近かつかないほうかいいな。」
シンを見かけてすぐに離れようとするセオとライデンだが。そうする前にシンに呼び止められてしまった。
「残念。」
苦笑いするセオに向けてライデンもまじかと言って苦笑いをする。
「で、何があったんだ。」
「別に。」
一応は聞いてみるが、シンが目を逸らしてあんまり言いたくない顔は最近よく見る。他の人にはわからないかもしれねえが、おれにはわかる。そんな顔をする時はだいたい彼女が原因だ。おれたちの女王様。
密かに見透かしていたライデンはセオと目線が合った。お互い考えたことは一緒みたいだ。
「はあ?ヒントもないのに答え?なにそれ。」
ばかばかしいと言わんばかりにセオを後ろ頭に右手を当てた。
ようやく何があったのかを吐き出せたのはいいが、聞いてるこっちでも理解することはできず。当の本人も口を固く封じた。
「いや、何もしてないなら。何もしてないのが正解でしかないじゃないの。これ。」
もう既に諦めたセオは考えるのを放棄した。
何も、してない。のが、正解?
シンは昨夜のレーナを思い返してみると、やっと何かが繋がった気がする。
「セオ。」
「なに?」
「ありがとう。」
「えっ?は?」
シンはその一言を残して、シンはセオもライデンも後にした。
「なにあれ?」
「正解なんじゃねえの?あれが。」
「はあ?」
意味がわからないんだけど。とセオとライデンは遠くなるシンの後ろ姿を見ていた。
「いた。」
レーナの勤務室に足を運んで、彼女の姿を目にするだけでいつも通りの安心感で胸を満たす。
扉の前で彼女は誰かと話してる様子だったが、構わない。どうせおれが近か付くとあの人たちも勝手に散るだろうから。
レーナの隣にシンがたどり着けると、シンの思った通りに彼女は一人になった。
少し可哀想だけど、こればかりはシンがどうこうしてもできるようになるものではないから。仕方ない。
「なんですか?用があるなら手短にしてください。」
明らかに怒ってる顔をしてレーナはシンに目線すら送らない。
それでも彼女の目元に染めた赤はその白い肌色の上に嫌なほどに際立った。
やっぱり泣かせてしまった。
部屋を飛び出で行った際に彼女が最後口から吐き出した言葉が余りにも平然で、
後味が悪かった。
いっそ罵ってくれればいいのにとさえ思ってしまった。いや、多分彼女に罵られたとしてもおれは平然では居られないのだろう。どちらにしろそれは望まないことだ。
「この後、夕食一緒に取りませ…取りましょう。」
なるべくいつも通りに話をしたけど。
「要件はそれだけですか?目を通さなければならない書類があるので今度でお願いします。」
「なら終わるまで待ってます。」
「…?私の話を聞いてました?」
「聞いてました。この後は余裕ができたので、レーナが来るまで食堂で待ってます。」
シンは言葉を残し、彼女の返事も待たずに去って行った。
書類仕事も一通り終わって、同じ姿勢を維持したままだったので流石に背筋を伸ばしたいと思い、机から少し身を引いて座っていた椅子から立ち上がった。
時計を見てみると、もう九時過ぎ。かれはまだ食堂にいるのでしょうか。さすがにもういないのでしょう。
そもそもなんで呼ばれたらいかなければならないのですか?私だってそんな軽い女ではありませんし、待たせてあげればいいのです。うん。そうしましょう。
自分の中で自分と会話をして、レーナは小さく頷いた。
でも、どうしてこんなことになったのでしょう。脳内が静かになって思わず回想をする。
事の発端は数日前食堂でアネットとの会話からだった。
一人で黙々と食事をするレーナの向こうの席にアネットはトレーを持ってそこに座った。
「一人なの?シンは?一緒じゃないの?」
「えっと、確か、勤務とかで。」
「もしかしてレーナ、よく知らないの?何をしてるの。」
「…」
図星みたいね。と目の前で目を泳がせて口を噤んだレーナを見てアネットは思った。
「もう…二週間彼に会ってません…」
レーナは手に持ったフォークを机の上に置いて、それ以上食べるつもりはなさそうだった。見たところ彼女の前に置いた食べ物の量もあんまり減ってない様子からして、あんまり食べてでもいないのでしょう。
「でしょうね。」
「あんまり…驚かないですね…アネットは。」
「まあ当たり前なんじゃないの。彼は総隊長だし、レーナは指揮官なんだから。お互い忙しいのも当然でしょう。」
「そう、ですよね…」
うううと変な声を出してレーナは頭を抱えた。
「会いたいなら普通に会いに行ってやれればいいんじゃないの?」
「会いにって。そもそも話す時間すらないのに。」
「夜があるじゃない。要はレーナはどうしたいかでしょう?時間は作るものよ。」
まあシンなら寝る時間にどんなに疲れていても絶対に嬉しいだろうけど。
とアネットは心の中で思った。
その後勇気を絞り出したレーナだったが。
未だに昨日の夜の出来事を思い返すと後悔と羞恥心しかなかった。
会いに行くとしか思ってなかったのに、彼の顔を見た瞬間にまるで何かの箍が外れたみたいに感情が抑えらず、つい。あんなことをしてしまった。
もしかしたら自分は彼の大事な休息時間を奪ったのかもしれない。
この二週間でずっと寂しくて焦っていたのは自分なのかもしれない。
触りたい。抱きしめたい。口付けもしたい。その先のことも。したいのは。
自分だけなのかもしれない。
彼は、多分なんとも思ってないかもしれない。
そう思うとやっぱりどうしても切なくなってくる。
感情の波に飲み込まれてるといつの間にか食堂の入り口に立っていた。
まだ、いるのでしょうか。
グッと息を呑んで、食堂の中へ足を運んだ。
もう既に誰もいないというのに、そこで黒い髪で赤い瞳の彼は静かに本を読んでいた。
テーブルの上には二人分の食べ物が置いてあった。
ハイヒールの音でシンは頭を上げた。その目には少し嬉しそうな色が滲んだ。
「もう終わった?」
「ええ。」
本当にずっと待っていたなんて。申し訳なくて、それでもレーナは冷静を装った。
「温まってきます。」
「さすがにもう食事係もいないのでしょう。」
「こんくらいおれでもできます。」
「いいんです。食べたくもありませんし。食欲はあんまりないので。」
ちょっと言い過ぎたのかなと密かに思ったが、食欲がないのは本当のことで。嘘はついてないとレーナは目を僅かに逸らした。
「ずっと、そんな言い方しないといけないのか?」
彼の声はほんの少し傷付いたような気がした。
「いつも通りですよ。わたしは。」
「あの時は言い過ぎてしまった。上手く、言えなくて。ごめん。」
「何がですか?シンが気にすることは何もありませんよ?」
そう。私だけが気にしてるのですから。どうせ、わたしだけが。
「寂しかったでしょう。ずっと会えなくて。」
「っ。」
「レーナ…?」
「どうして、」
他人事みたいな言い方をするの?
「…だってっ。」
まるで喉が痞えたみたいに断続的なその声に、シンは不安に引き寄せられ、思わず立ち上がってしまった。
「レーナ…??」
「だって!触りたいから触りますし!抱き締めたいから抱き締めるし!キスしたいからキスもするし!その先のことだって…っ!」
「したいから…するものなんじゃないですか…?シンは違うのですか?私だけが、そう思ってるんですか?ずっと我慢してるのは、私だけなんですか?!」
「それは違う。おれは、」
「何なんですか?理由って。私にはないのにどうしてシンにはあるのですか?!ただしたいからしただけなのに!」
「ちょっと待って、話を…」
「そんな他人事みたいな言い方して…!どうせシンにはなんとも思ってないんでしょう!私だけが、私だけがばかみたいに…!」
「レーナ!」
「っ。」
さっきまでとは違い、優しい声が知らないうちに大きくなり、シンはレーナの名を大きく呼んだ。
目元に涙の粒が浮かんでいたレーナのその様子に心が酷く痛んだ。
なんということだ。泣かせただけでなく、泣くのを…我慢させてしまった。
震えている彼女の小さな口も、瞳も。スカートが皺になるまでぎゅっと掴んだその白い両手。そのすべてが心が引きちぎられるようだった。
歩み寄ると彼女の震える背に両手を回して、抱き締めた。
「お願いだから話を聞いてくれ。」
久しぶりに感じられた彼のその体温にレーナは折れそうで、その広い背中に自分も手を回してしまいそうだったが、レーナは抱き返すのを、グッと我慢した。
「理由とか言ってたけど。あれはレーナが思ったのと違う。」
「…では、あれは何なんですか…。」
「レーナの事を、おれは全部知りたい。悲しいことがあれば慰めてあげたい、悩みがあるなら聴いてあげたい、嬉しいことだって、一緒に分かち合いたいと思う。だから、」
「あの時、もしかしたらレーナに何かあったって思うと居ても立っても居られなくて。レーナのことを優先してしまった。その気に、なれなかった。」
「寂しい思いをさせて、傷ついて。言葉を省け過ぎて、そんなつもりはなかった。悪い。」
いつの間にかレーナは既に顔をシンの胸に埋め込んでいた。それを聞いてレーナは頭を小さく左右に振って、やっとシンの背中に自分の両手を回した。
「ごめんなさい…わがままで、わたし、寂しくて。シンもきっともう疲れたいるはずなのにわたし…あんな…迷惑を…」
「そんなことない。会いに来てくれたこと、嬉しかった。おれも、寂しかったから。」
彼女の頭を優しく手を当てて撫ででいると彼女はぱーと顔を上げた。
「本当ですか?」
「ああ。」
相当嬉しかったみたいで、彼女は頬を胸にこすり寄せて、いっそ力強く抱き締めてくれた。そんな彼女が愛おしくて堪らなかった。
「ここまででいいですよ。」
シンは個室までレーナを送った。
レーナは部屋の扉を開けて足を踏み入れた後、シンに振り向いて微笑んだ。まるで今までの事がなかったかのように。
本当に、甘い人。
彼女は口を僅かに開いて、多分お休みなさいと言いたかったのだろう。言わせてあげなかった。
「…んっ。」
突然落とされたその口付けにレーナは目を大きくして瞬きをした。
彼も部屋の中に足を踏み入れた気がして、レーナは思わず後ずさりをした。
「シン…?」
当てられた唇が名残惜しく離れていくと、シンは手際良く後ろの扉を閉めた。ついでに鍵もしめた。
「シン…?あの、」
向けられた眼差しがいつもと違うような気がして、一歩一歩近かついて来るシンにレーナは少し身を引いた。
「どうしまし…きゃぁ!」
手首をシンに掴まれ引かれていた。背中が扉に当たり、彼と扉の間に挟まれた。
「なっ、なな、何を…?」
「知ってるくせに。」
「で、ですが、いきなりでどうして…」
「理由を、聞いてるのか?レーナは。」
さっき自分がシンに投げかけた言葉を思い出すと質問を間違えたと自覚した。
「シンって、時々意地悪ですね…」
少し拗ねたかのようにレーナは口を尖らせた。
「嫌い?」
「嫌い…ではないんですけど…」
ずるい。貴方は本当にずるい人。
頬を赤く染めたレーナは目を泳がせた。そんな彼女が途轍もなく可愛くて、シンは尖らせた小さなその口を甘く噛んだ。
「…つ!」
びっくと肩を震わせ、物凄く驚いた顔でこちらを見てくるその反応も可愛くて、余計に悪戯心をそそられた。
「なに?」
「せ、せめて、ベッドで…」
「嫌だ。」
「へえ、」
「そう言えばずっとレーナには言ってないけど、おれもかなり限界。」
「げんかい…?」
シンの口角が僅かに上がって、レーナの耳元に顔を近か付ける。
「だから、もう一秒も待てない。」
シンの甘い囁きもその吐息も彼女の耳に触れて、眩暈がする程に甘くて、もう抗う気も失った。
レーナがこうして弱くなるのはシンは知っていた。自分は誰よりも彼女を良く知っている。耳が弱いことも。
その優越感に浸って、彼女の赤く染まり上げた耳も優しく噛んで、さらにその白く柔らかい太ももをも撫でた。
もう。
懐に縋り付くこのごちそうを食べ尽くすのを待ちきれないな。