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    緑肌トロール

    3Lカプ厨の成れ果てのバケモン

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    緑肌トロール

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    八雲一の話② 続き

    大水青/椿象大水青

     放課後、俺は学校が終わった後、山の中で虫を探していた。毒虫や害虫は多ければ多いほど良い、いざと言う時の役に立つ。それと、美しい虫を標本にするのも好きだった。娯楽の無い田舎で、俺には友人もいなかったから、標本作りは良い趣味になった。作った標本は、東町の祖父の知り合いに売って、その稼いだ金でまた素材を買い虫を取って標本を作る。そうやって日々を過ごしていた。

     木の上に、虫が羽を広げて止まっている姿が見えた。その虫をこちらに来させ、指先に止めさせた。羽は薄く淡い緑色で、キャベツの葉に似ている。羽の上部だけに、輪郭に沿って紅色の線が引かれていた。白い体から、足はその羽のラインと同じ色の足がのぞいている、黄色の触覚は頭から2本出く、俺の手のひらの半分ほどの大きさの美しい蛾、オオミズアオだ。オオミズアオは前足で顔を洗うような動きをする、触覚のゴミを取るため虫はこの動作を行う、生き物の動きだ。

     これからこの虫を殺す、蛾の死体は俺に加工された後、持ち主が満足するまで飾られ続けるのだろう。蛾は俺の手の人差し指に大人しく止まっていた。

     物心が付いた頃から、俺は虫を意のままに操る事ができた。虫がどこに潜んでいるのか分かるし、虫を伝って周囲でどんな事が起こっているのかを知る事ができた。何故か、どんな仕組みなのかは分からない。呼吸をする様に、二本足で立つ事ができる様に俺にはそれができた。祖父の祖父が俺の様な不思議な力を持っていたから、俺にそれが受け継がれたのでは無いかと言っていた。

     そんな力を持っていたがばかりに、この虫は俺から逃げる事さえできない、少しだけそれを哀れに思う。
     足元で俺に付いて来させているムカデも、クモもカミキリも、飛んで着いてくるカメムシや、毒蜂も、俺の使い様によっては殺される。今すぐ火の中に飛び込めと命じれば、虫たちはそれに逆らわない、そのまま火の中で死んでしまうだろう。

     俺は虫が目の前に現れたからと言う理由で殺さない、自分に害するからと言う理由で殺さない。虫に他のところに行く様に、自分に何もしない様に命令する事ができるからだ。なのに虫は俺に殺される。俺の武器として玩具として、虫は死んでいく、それを止めるつもりも無い。虫にとっては理不尽な話だろう。彼等が何をどう感じているのか、それは俺にも知る事はできない。ただ、俺が命令をやめた時、虫たちは俺から逃げ出すし、俺に噛みつき自身を守る、好んで俺の力に従っているのでは無い事は確かだ。
     だから、ひとつだけ決めている事があった。

     夕方6時を知らせるサイレンがなった。春の小川のメロディが町を包む。最後の音がひとしきりあたりに響き渡った後、ブツリと途切れる。キィンと不快な電子音が鳴った後静かになる。今日はもう少し遅くに帰ろうか、暗くなるまでにまだ時間があった。東京の学校の人間がこの町に来た事を虫を伝って知っていたから、帰りたくなかった。きっと家に来ているのだろう。帰れば最後、ただひとりの家族である祖父も含めて、俺を遠くの学校に連れて行こうとする。それが嫌だった、俺は祖父と一緒にいたかった。
     だが、もう帰らないと祖父が心配する、暗くなってからだと怒鳴られる、それも嫌だ。ため息を吐いて家に帰った。
     家は山の麓にある。碌でも無い人間がいつ現れてもいい様に、家の周辺にはたくさん虫を放ってある。暇があれば集めて来た虫達が辺りを這っていた。庭の柿の木が見えた。家が近くなって、人がいる事が分かる。それも地元の人間では無い。例の学校の人間だろう。
     オオミズアオも捕まえたところだし、他に[[rb:展翅> てんし]]をした──標本にする為に羽を広げて乾燥させた蝶も、丁度いい時期だから標本箱に入れて完成させたい。とにかく早く帰って貰おう、そう思ってありったけの虫を家に入れた。祖父は絶対に傷付けないように命令する。玄関を開けると、例の客の悲鳴が聞こえた。床に壁に天井にうじゃうじゃと虫が這っている。虫を踏まないように、床の一部だけ虫を[[rb:散> あら]]けた。

    「[[rb:一> はじめ]]!帰って来ているんだろ、何をしているこんな事はやめろ!!」
     玄関を入ってすぐ側にある居間を見る。座り込んで慌てふためく祖父のすぐそばで、立ち上がった男が必死に虫を払い除けていた。虫はそれに構う事なく足を伝って、男の身体中に[[rb:集> たか]]っている。彼は怯えを含んだ眼差しでこちらを見た。
    「……東京の学校の人だろ。俺はそこには行かない。……帰れ、今すぐに帰れ……!!」
    「はじめ!だからって人を虫まみれにして良いわけないだろう!やめろ!やめなさい!!」
     祖父の静止の声も聞かず、男の身体を虫で覆う。まだ年若い男はヒッと息を呑む声を出した。
    「[[rb:八雲一> やくもはじめ]]くん、君が学園に行きたくない気持ちは分かった。だけど、学園に来ることが君を守る為でもある事を分かってくれ」
    「……必要ない。自分の身は自分で守れる」
    「君がいくらそう思ったとしても、君はまだ10歳になったばかりの子供なんだ。これ以上は庇いきれない。どうか抵抗をしないで欲しい」
    「俺は要らないって言ってる……!!俺はここにいる、だから帰ってくれ……!!」
     虫は男の首元まで登っている。手や脚に噛み付かせた。男が声を上げるたび、俺を止める為に祖父が肩を掴んでやめろ、やめろと叫んでいる。
    「分かった、今日はこれで帰ろう。八雲さん、はじめくん次は学園から、仮面を付けた男が来る。そいつには決して、今のような事はしてはいけない、それを忘れないでください。君はやり過ぎた、もう学園に来るしかないんだ」
     そう言って男は瞬く間に姿を消した。文字通りその場から消え去った。
    「すごいなあ、お前と同じアリスと言うものは……」
     [[rb:呆> ほう]]けた祖父がそんな事を言った。ハッと何かを思い出したと思ったら、ゴンと衝撃が走った。拳骨が俺の頭に降って来た。痛みに頭を抑える。
    「バカモノ!!遠路はるばる、こんなところまで来てくれた先生にお前は何をしている!!はじめ!!」
     俺は押し黙って、祖父に背を向ける。話を聞けと説教は収まらない。
    「お前の力を、そんな風に使ってはダメだはじめ。虫をそんな風に無闇に殺して良い理由もないだろう」
    「……どうして。じゃあ俺を何処かに連れて行こうとする人間だって、俺をそうして良い理由なんてないじゃないか……虫が無いなら、俺はどうやって自分を守れば良い」
     それは、と祖父が言葉を詰まらせる。沢山招き入れた虫は、家の外から出ていった。ただ一匹、オオミズアオがその薄緑の羽を開いて柱に止まっている。
    「おれはただ、お前に誰かを傷付ける人間になってほしく無いだけだ、お前が本当に嫌がっているのは分かる。でも、話を聞く限り、そんなに悪い事ばかりじゃ無い」
     祖父の話を尻目に、夕飯の準備を整える。祖父が作った味噌汁を温めた。祖父の出来る料理と言ったら大体それぐらいで、あとはスーパーで買った惣菜が夕食だ。その包装にさっき家に入れた虫の残りが止まっていたので、摘んで外に掘り投げる。
     祖父は、食事用の折り畳みの机の足を立てながら話を続ける。
    「学費もかからず、小中高と、専門学校もそのまま行けるそうだ。この前みたいな誘拐犯も、その敷地には入って来られない、安全な場所らしい。寮という、生徒達が泊まる場所で生活するんだ。それにも費用はかからない。お前の持つアリスと言う力は、どうもよほど珍しく貴重なんだそうだ」
    「……俺がいなくなったらじいちゃんひとりになる。会えなくなるんだろ」
    「じいちゃんの事は気にするな。ひとりでもどうとでもなる。それよりお前の身の安全と、将来の事だ。本当に、この前お前が連れて行かれそうになって、おれは堪えた」
     ひと月ほど前、マスクを付けた人間に俺は誘拐されかけた。そういった人間に今まで何度か出会った事があるけれど、虫まみれにしてやれば大概の人間は逃げだした。けれど、そいつらは違った。木や石が空に浮いて動き、こちらに襲いかかって来た。俺はどうする事も出来ず、なんとか交番に駆け込んで事なきを得た。あの時は確かに怖かった、傷だらけになった俺を見た、祖父の青い顔も忘れられない。
     そうならない為に、最近は暇さえあれば虫を俺の周辺に集めていた。
    「あんなわけの分からない人間に、お前が連れて行かれるより、きちんとした学校で、お前のそのアリスと呼ばれるものについても学んで、過ごした方が良いと思うんだ。はじめ、本当に情けない話だがお前を守り切れるような力は、おれには無いんだ」
    「俺が強くなるから、じいちゃんは気にしなくていい」
    「そうはいかない。[[rb:一> はじめ]]をおれは守らなければならない。何よりおれがそうしたいんだ、お前が心配なんだ。[[rb:一> はじめ]]、じいちゃんはどうしたってお前より先に死んでしまう。おれがいなくなって一人になったお前が心配で仕方ない。その学校に行く事を、よく考えてくれないか」
    「俺は、行きたくない……!!」
     祖父は困った顔で俺を見つめた。でも、俺はどうしても嫌だった。俺を大切にしてくれる、このたったひとりの家族のそばを離れたくなかった。本当にひとりになってしまう事が、俺は何よりも恐ろしかった。
    「東京のその学校にはお前みたいな力を持ってる子が沢山いるんだよ。それなら、お前にも友達が出来るんじゃ無いかとおれは思うんだ」
    「俺は……どこに行ったって変わらない。……虫の事が知られる前から……そんなのひとりもいなかった」
    「はじめ、それはただ、ここが狭いだけだ。どこかにお前を迎え入れてくれる場所はある。お前はこんなに良い子なんだから」
    「そんな事を言うのは……じいちゃんだけだ」
     ふう、と祖父がため息を吐く。我儘だと分かっている。少し涙が滲んで、祖父の顔から目を逸らした。ふと、ずっと祖父が腹に手を当てている事に気が付いた。
    「……今日はこの話はもう終いにしよう。はじめが温めてくれた味噌汁も冷めてしまう」
     夕飯にしようと、俯いたままの俺の頭を乱暴にじいちゃんは撫でた。
     ほら食えと、座らせて食事を食べるように促す。俺も箸を持った。
    「お前の力はアリスと言うんだったな。はじめは知っていたか?」
     俺は首を横に振る。俺が見たおかしな力を持っている奴は、こないだの誘拐犯と今日来た男だけだ。
    「俺の爺さんも……お前から見ると曾々祖父さんになるな、やっぱりあれもアリスだったんだろうなあ。爺さんの育てた野菜や果物はなあ、喋るんだ。見た事ないだろう?」
     じいちゃんは良くこの話をした。もう何十回も聞いた話だ。
    「だから爺さんは農家生まれだけど、猟師になるしか無かったんだと言っていた。なんせ、折角、時間かけて育てた大根が、二本足で走って逃げるんだ。米なんかは稲穂が歌い出したって言ってたなあ、でも味は良かったと言っていた。まあ、俺が実際に見たのは喋る柿だけだった」
    「あの庭の種はその柿から芽生えたんだろ……」
    「ああ、そうだそうだ。柿を食おうと庭から取ったら、そいつが俺を食うなんてなんてやつだ!バカヤロウ!って怒るんだ。ほんっとうにおかしいだろ?」
     ケラケラとじいちゃんは笑った。この話をする祖父はいつも楽しそうだ。俺以外にもきっと散々この話をしている様だが、いつまでも飽きないらしい。
    「だから俺は言ってやった。だったらお前はここでこのまま、腐って落ちて、虫に食われる方が良いのかってな。そしたらそいつ、それはヤダって今度は泣き出したんだ」
     柿は木の上にずっといたかったし、ずっと居続けられると思っていた。子供の頃のじいちゃんが柿はいつか地面に落ちるものだと言ったら、そういえば、俺以外のやつもそうだったと柿は気付いて、シクシクと泣き出した。子供の頃の祖父はそれが可哀想になった。
    「だから、お前を食べてしまった後に、お前の中にある種を、おれの特別な場所に埋めてやると言ったんだ。そうしたらそいつは喜んで、お前になら食べられても良いって笑った」
     祖父はその後、この場所に引っ越した、そしてこの庭にその柿の種を埋めた。
    「それがこの庭の柿なんだよ。じいさんと違って、俺の柿は喋りはしないがな」
     だからこの庭の柿は本当にうまいんだ。そう言って、祖父はまた満足そうに笑った。秋になれば、その柿は今も実を付ける。味は本当に美味しい。菓子を買う余裕もこの家には無いから、その柿は大好きなおやつだ。
     この柿の話はもう何回も聞いて、聞き飽きた話だ。でも、この柿の話を聞くのが好きだった。どうしても俺はこの時間が、ここでの生活が好きだった。

     祖父は話している時も食事中も変わらず、空いた手で腹を抑えている、それが少し心配になった。
    「じいちゃん、腹痛いんでしょ……どうしたの、大丈夫?」
    「ああ、最近なんか痛いんだよなあ。まあでも昨日の期限切れの惣菜食べたからだろう。気にするな」
    「冷蔵庫に残ってたやつ?でも、ずっとなんだったら関係ない……病院…行ってきたら?」
    「そんな大袈裟な事じゃない、大丈夫だろう」
    「お願いだから明日にでも……病院行ってきなよ」
     面倒くさがる祖父に、強く念を押してどうにか分かったと言わせる事ができた。祖父は歳の割に元気だが、もう80を前にしている。何か病気にでも罹ったらと思うと怖かった。その心配を察してか「お前が二十歳になるまで死にはしない」とまた乱暴に頭を撫でてきた。その言葉が本当である事を俺も願っていた。

     ふと、無理が吊り下げ灯を羽虫が揺らした。捕まえたオオミズアオだ。気が緩んで、俺の命令は解かれたらしい。今日は色々あって疲れてしまったから指に呼び寄せて、そのまま窓から外に出した。外はすっかり暗く、灯りの漏れる家から蛾は離れられないのではないかとも思ったが、まあいいかと放っておく。明日になっても家の周りにいるのなら、その時は殺して考えていた通り標本にしよう。他の作業も明日に回す事に決めた。
    「逃がして良かったのか?折角捕まえたんだろう」
    「だってじいちゃん……さっき虫をやたら殺すなって言っただろ……」
     もしかして今まで散々、俺が標本を作っているのも、いけない事だったのだろうかと祖父に聞くと、一度に大量に殺すわけでは無いなら良いんだと返ってきた、どうも数の問題だったのだろうか。「ただ、人は傷付けるな」と先ほどと同じ言葉を口にした。
    「お前のその力は、その為に授かったものでは無いと俺は思う。使い方を誤るな、それだけは心に留めてくれ」
     その言葉に、ただ俺は分かったとだけ返した。
    ひどく真面目な物言いをする祖父を他所に、俺がなぜこの力があるなんて、なんの理由もないとそう思った。髪や目の色が黒いように、偶々それも付いていただけだ。理由なんてあるようには思えなかった。

    ***
    椿象



    「お疲れ様、大変だったわね」
     そう言うなり、瀬里奈は殺虫剤スプレーを槇原にかけた。虫が服の中に隠れ、体を這い回り、槇原はまた悲鳴を上げた。
    「やめてくださいよ!!それ人にかけて良いやつじゃ無いだろ!!」
     服の中の虫を摘み出す、靴を脱いで揺すると、中から数匹の虫の死骸が出て来て、槇原は顔を引き攣らせた。
    「見て、アレってあの子のアリスかしら?」
     そう瀬里奈が指差す方へ槇原も顔を向ける。窓の一面にカメムシが集っている、ウジャウジャと密集しうごめいていた。その様が気持ち悪く、先ほど大量の虫の身体を覆われた恐怖を思い出し、槇原はカーテンを閉める。
     八雲一の情報を得る為、彼の通う小学校の職員室にアリス学園教員である二人は来ていた。
    「やっぱりあの子は私達では手に負えない様ね。神野先生ぐらいしか、あのアリスに対応出来ないんじゃ無いかしら」
     私達って、あんた千里眼のアリスで見てただけだろ、槇原は内心毒づく。かつて二人は同じクラスメイトで、それなりに気心の知れた間柄だった。
    「神野先生は実質、初等部の教頭みたいなものだし、生徒指導で忙しいから無理だろう。虫使いのアリスってだけならまだしも、こんな広範囲で大量の虫を操るとなると、本当にとんでもない」
    「これを初等部校長に知らせるしか……。無いのよね……」
    「もう既に、アリスの人間があの子を誘拐しに来ている。あの家に自衛ができるほどの財力は無い。保護は早い方が良いだろうが、そうなるよな。特別生徒改め危険能力系か……。ペルソナってまだ高等部ぐらいの年齢だろ、まだ子供じゃ無いか、それが担当教員扱いって……」
    「あの校長の無理矢理なやり方は、今に始まった事じゃ無いでしょう。まあ、あの人がいなくなってそれが酷くなった事は否定しないけれど」
    「本当に行平先生がいなくなって、何もかもが変わり過ぎだ。前も良いとは思わなかったけど、まさかここまで悪くなるとは思ってなかった」

     行平泉水、アリス学園の初等部教員であった人物で、初等部時代二人の恩師だった。特別生徒と呼ばれる、他者を傷付ける恐れのあるアリス、強力なアリスを持っている子供の教育を担当していた他、現在の学園の体制を変えようと尽力していた人物だったが、数年前、不審な事故で亡くなっている。それからすぐ、彼女の恋人の特殊なアリスを持っていた女生徒が学園を脱走、その事で学園はしばらく騒ぎになっていた。奇しくも、瀬里奈と槇原は、この女生徒ともクラスメイトでもあった。

    「危力系の生徒ってどうなると思う?」
    「今までの特別生徒と何も変わらないんじゃ無い?校長の私兵として、他生徒と違う教育をされていくのでしょうね。新しい能力別クラスとして別れる事で、それが行い易くなっている。……気にしているの?」
    「気にしてるような人間なら、この学園の教師なんて進路を選ぶかよ」
    「それもそうだけど、本当ドライよね、槇原くんはそう言うところ」
     アリス学園は教師もアリス保持者である事が前提となっている。アリスと言う事は当然、教員全員はアリス学園の卒業生だ。海外の出身である場合を除き、例外は無い。学園を卒業して、学園に留まる教師と言う職を選ぶ人間はごく僅か。ふと、瀬里奈はその事を考えた。
    「……前から思ってたけど、槇原くんはどうして先生になったの?瞬間移動のアリスって、引く手数多でしょ。子供が特段好きってわけでも無さそうだし。安積さんの事、なにか関係があったりする?」
    「言ったろ、一切無いんだよそういうの。安積とは初等部の頃に、潜在能力系クラスで関わりがあったぐらいで、中等部のころの騒動があってからは一切関わりはない、そこは山田と変わらないだろ。まあ、同じ瞬間移動のアリスで、特に俺は移動範囲も安積と同じ中距離だったし、教師になるって決めた時に、全く考えないわけでもない。と言っても、頭を少し過った程度だな」
    「そうなの?ごめんなさい、変な勘ぐりだったわね」
    「そもそも、瞬間移動のアリスであろうが無かろうが、俺らのクラスだった人間で、あの二人になにかしら思わない人間はいないだろ。あんまり関わる事も無かったって言っても、俺らの学年は、いろんな事があり過ぎた」
     幼い頃から成年になるまで、アリスの子供は学園に集められ、そこで人生を共にする。この学園で、クラスメイトは大半が幼馴染となり、一般的な学生同士より、距離は近しいものになる。そこで何か“事件”でも起こってしまえば、他人事と無関心でいる事は難しい。
    「俺が教師になったのは、ただ単に”自分のアリスだけが頼りにされる仕事”は嫌だったからだ。潜在能力系の念力や読心とかの、特に有名どころのアリスの人間じゃ、結構良くある話だろ」
    「つまり、瞬間移動のアリスを使ったタクシーみたいな仕事は嫌だったって事かしら?」
     ああ、と槇原は声を漏らした。どう説明すればいいかしばらく考えた後また言葉を続ける。
    「さっき山田が言ってた様に、瞬間移動のアリスの仕事は引く手数多だ。この学園じゃさほど珍しく無いアリスでも、外に出れば話は別だ。一瞬で場所を移動するなんて事、アリス以外で出来はしない。だから、俺らはただアリスだけを求められる。俺らに求められるのは“移動手段であること”後のことはどう頑張ったって”オマケ“だ。俺が今までなにを努力して学んでも、そんな力は全部“ついでにあるモノ“でしか無い、俺が生まれついて持ってたアリスしか必要とされない。アリスの人間は大なり小なりそんなところがあるって言ったって、瞬間移動のアリスはそれが特に顕著だ。求人を見てそれがなんか嫌だった」
    「他人にアリスを隠して、ただの一般人として生きてく人だっているわよ?」
    「そう言う奴も確かにいるけど、俺は隠すのも嫌だったんだ、半端なんだよ。だからその半端が一番叶えられるって思ったのが、たまたまここの教員だったって、それだけだ」
     アリス頼りの仕事してた人間が定年退職の前にアリスの寿命迎えて、再就職が大変だと言う話は就活の時によく聴いただろうと、槇原は付け加える。瀬里奈は納得した様にうなづいた。
    「で、山田は?子供が好きで教師になったのか」
    「そうね、子供は好きよ。それもあって進路相談の時に千里眼のアリスならって、教師を勧められたの。特に嫌でも無かったから、そのまま」
     丁度、千里眼のアリスの先生が定年間近に迫っていたのもあって、そう言う人が欲しかったのでしょうね。そうあっさりと答えた瀬里奈に槇原は眉を顰めた。
    「そんなの監視カメラみたいなもんだろ。それで良かったのか、子供が好きならこんな仕事、しんどいんじゃ無いのか」
     アリス学園で、親元を離れたが故に素行不良になる生徒は後を経たない。学級崩壊の状態になるのも数年の一度と言う頻度で起こり得る。それを防ぐ為に、教師の指導は厳しく時に体罰も行えば、ただでさえ少ない手紙という家族との連絡手段さえ奪う事も珍しいことではなかった。
     その上、八雲一の様な特別生徒──“最初から初等部校長に目を付けられてしまった生徒“は悲惨だ。俗に生徒たちに“任務”と呼ばれている校長から与えられた仕事で、彼らが何をしているのか一般教員である二人は知る事も叶わない。ただ、外部で他者を傷付ける行為をしている事は間違いないだろう。読心や超聴力を持つ人間が当たり前にいる学園で、子供たちの口を完全に塞ぐ事は叶わない。そうやって噂として広まって、ただでさえ不必要な仕事を押し付けられた生徒たちは、周りから忌避されてきた。槇原と瀬里奈が生徒だった時代からそれは変わらない。探ろうと、守ろうとした結果が行平泉水と言う教師の不自然な事故だった。
     今回の彼への学園の勧誘で、八雲一の情報を初等部校長が得たがっていたのは間違いない。既に直属の部下であるペルソナと呼ばれる青年が、いずれ彼に会いに来ることが決定していた。それは彼が学園でどう扱われるのか、ほとんど決定した様なものだ。八雲一のような生徒を守る術を、槇原も瀬里奈も持ち合わせてなどいなかった。
     辛くは無いのかと言う槇原の問いかけに、瀬里奈も目を伏せた。
    「そうね……辛いと思う事もある。こう言う時になったら、やるせなさも感じるわ。あの学園を変える気力も力も無いけれど、やっぱり見えてしまうんですもの」
     それも分かった上で、私はここの教師になったと瀬里奈は言う。
    「だからと言って、理不尽な目に遭う生徒の事を何も思わない人間ばかりが教師っていうのも、あんまりな話じゃ無い?それなら、無力だとしても私みたいな人間もいて良いと思ったの。行平先生みたいにはとてもなれないと思うけれど……」
     それでもできることはあると、そう彼女は語った。
    「それに、そんな事を気にする時点で、槇原くんも私とそう変わらないと思うけど?」
     顔を上げて呆れたように瀬里奈は笑った。
    「どうすればいいんだろうな、本当に……」
    「今できる事を、やる事しかできないわ。十分に分かっているでしょう?」
    「そうだな」
     槇原が時計を確認すると、仕事を終えるには十分な時間になっていた。明日の学園への出立について話し合い、二人はお互いの宿に戻ることにした。

     少し歩いたところにあるドラックストアに行きたいという瀬里奈を瞬間移動のアリスで送った後、槇原は一人宿に向かって歩いた。瀬里奈に買い物が終わるまで待とうかと尋ねたが、「それぐらいアリスなくても大丈夫よ」と断られた。
     田舎の町の中を歩く、アリスを使えばすぐに着くが、学園の外で自由に歩けるこんな時間は貴重だ。田畑の目立つ、コンビニさえない田舎の夜は、虫の音がやかましい。わずかばかりある街灯は、白熱電球の劣化の為か光がチカチカと瞬いている。周囲に明かりのない分、夜空の星は綺麗に見えた。たまにはこんな日もいいと思いながらも、街灯を飛んでいる蛾や鳴いている虫がいやに気になる。学校から出た後、窓のカメムシが自分たちに襲いかかることはしなかったが、あの少年が自分たちを警戒しているのは間違いない。やはりアリスですぐに宿に帰ろうかと考えていた時、一匹のカメムシが腕に止まった。ただ一匹止まっただけで、噛み付くこともそれ以上動くこともしていなかった。取ってしまおうかと考える、何もしなければ、カメムシ独特の嫌な匂いも放つ事はない。どうにか腕から飛んで行きはしないだろうかと、なるべく動かさないまま放置する。しかしいくら待っても、カメムシがそこから飛び立つ事はなかった。それどころか、腕を伝い肩まで登ってくる。肌を晒した首に登られてしまったら堪ったものではない。意を決して虫を肩からはたき落とした。匂いが付かないようになるべく素早くしたつもりだが、やはりあの嫌な匂いがした。
     虫を触れなければこんな事にならなかっただろう。アリスを使ってさっさと宿に帰れば良かったのか。はあと息を吐く、まあ風呂に入れば匂いも取れるだろう、少しの間だけ我慢する事にした。
     ふと、今日自分を虫まみれにした少年の帰れと言った声を思い出す。担任の教師の話を聞く限り、友人もおらず学校に馴染めていないようだ。アリスの子供では珍しく無い話だが、彼のアリスが虫使いと言うのもあるせいか、彼の近所の住民の話を聞いても、忌避するような言葉が多いように感じられた。それでも、彼にとってきっと学園より家族のいる故郷であるここのほうがまだマシだ。そう思って槇原はまた顔を顰める。『自分の身は自分で守れる』そう少年は語った。周囲に嫌われ、不審者に襲われ、その苦悩をまだ10才になったばかりの子供が背負っている。そんな子供に対して、家族から引き離し、更に苦悩を強いる環境に連れて行く為に自分がここにいる。関わらないように努力すれば良かったんだ、分かっていた。自分自身が、無関係だと割り切れると思っていた。最善が何か分からない。どうにかするには槇原自身は余りにも頼りない存在である事を自覚していた。嫌な匂いは取れないままだ。槇原はただ、周囲に響く虫の音を聞いていた。暗い夜の星は嫌に綺麗だった。
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