永劫の鳥籠「お母様、私はいつまでゴエティアの悪魔として
生きていくのでしょうか」
ある日、母にそう聞いた、なぜ地獄の階層により空の色が違うのか、なぜ地獄はリングの形で7つあるのか。そんな幼い日のささやかな疑問だった。母はそれに優しく答えた。
「あら?アンドレアルフスお前は賢いのに分からなかったの?地獄の終わりまでよ」
母はいつもと変わらない口調だった。その時、私は正式にゴエティアの命を受けた一羽ではなかったが、自らが永劫にゴエティア六十五番目の悪魔であると言う事を察するには十分だった。誰か代わりを作らない限り、私はこの鳥籠から出られない。父がそうして、私が生まれた様に。
その時の母の瞳を覚えている。鮮やかなマゼンダの色に浮かぶ特徴的な白い瞳が、私を捉えることはなかった。
*
「ほら、アンドレアルフス数日前に孵ったお前の妹のステラよ」
母にそう言われ、赤ん坊用のベットを覗き込む。中にいた雛鳥は羽はまだ生えておらず、赤い皮膚に血管が浮き出ていた。開いていない目は、瞼でぴっちりと閉じられ浅黒い。
「醜いですね、ちっとも可愛くない」
「生まれた時はみんなこうよ。お前もそうだった」
母も膝立ちをして、私と同じ様に寝ている雛を覗き込む。長い睫毛が伏せられている。
「二月ぐらいは本当に醜い化け物だけど、それ以降は羽も生えそろって可愛くなるわ。きっと美しい悪魔に育つ、私とお前と同じ白い羽の悪魔にね」
母の手が私の頭を撫でて、頬に触れる。その桃色の瞳を私はみつめた。
「だからいい?可愛い私のアンドレアルフス。お前がこの城で、この子の面倒を見てやるのよ」
他のゴエティアの悪魔に嫁ぐまでね。
その言葉に私は苦笑する。ベットで眠る雛鳥はまだ羽さえ生えていない。
「この子は生まれたばかりなのに、もうお嫁に行く話をしているんですか?」
「ええ、だってこの子はゴエティアの花嫁として生まれてきたんだもの。後継となる卵を産むそれがこの子の使命。お前がゴエティアの悪魔であるのと同じようにね。私と同じことをこの子もするだけよ。何も難しいことではないわ」
雛鳥を見ながら、母は何を疑問にするのかとでも言うように語った。
「この子はゴエティアの悪魔として生まれたお前より力が弱い、だから守ってあげてね」
私の頭をもう一度撫でた母は、背を向けて扉の方へと向かって行く。荷物はすでにまとめられて、もうこの城にはない。これは既に決まっていたことだ。
「本当に行ってしまうのですか?このまだ目も開いていない雛を置いて?」
私の言葉に、彼女は立ち止まって振り向いた。困った様に微笑む。
「大丈夫よ、ここの使用人は一流ですもの。私達は不死身、何かあっても死にはしないわ。だから、ああ、私を困らせないで?アンドレアルフス」
もう困らせる様な事を、私は一度だってした事がないはずだ。だから、それはきっと関係ない。
「お前は本当に可愛いし、いい子にしていればたまに会いに来てあげるわ」
元気でね、さようなら。ただ一言そう告げて、扉は閉まった。爪が地面を蹴る音が離れて行く。
「ええ、必ず期待に沿って見せます。だからまた帰ってきてくださいね。待ってます」
この子と一緒に待ってますから。
あの扉がもう一度開かれて、彼女がここに戻ってくることはない。言葉も届かなくてよかった。部屋には私と、小さな雛鳥だけが残された。
ピィピィと赤ん坊が鳴き出した。腹が減ったのかなんなのか、甲高い声はうるさくて仕方ない。
「今起きたのか?もう遅い、お母様は行ってしまったよ」
お前も見捨てられてしまった。あの女、多分もう帰ってこない。そう告げても何も分からない雛鳥は、口を開けて餌を待つだけだった。
「たまごを産む為だけに生まれてきたんだってさ。お前、可哀想だね。そんなもののために、お前は永遠に生きなければならなくなった」
そんなものとして生まれてきたから、母にも目をかけて貰えない。私も今日で終わってしまったが、確かに頭を撫でてもらったり、抱きしめて貰ったりはあった。私がしてもらった事がこの子には無い。
「でも安心おし、醜い小さな妹、お前のことはこの私が守ってあげよう。私はお前の兄、だそうだから」
泣き喚く雛鳥に触れた。薄い皮膚は爪を立てれば破けそうで、簡単に死んでしまいそうだった。
撫でてやったのに、雛鳥はちっとも泣き止まない。
「そう泣くなよ、うるさいな」
小さな雛鳥は顔を動かして、頬に触れていた私の指に噛みついた。嘴の跡が指に付き、ささやかな痛みが走る。
「兄と飯の区別もお前は付かないのか?さてはお前は馬鹿なんだな」
ピィピィと雛鳥が鳴く声だけが部屋に響く。
「私のステラ、私の妹。お前には私がいる、私だけがお前の家族だよ」
まるでこの城に私と雛の二羽だけが残されている気がした。
それから眠りにつくまで、いつまでも雛鳥は泣き止まなかった。