薔薇の香りがする街 この街には強きものが掲げた看板がある。
『これより先
人を傷つけるもの
物を壊すもの
悪意を持ち込むもの
何人も例外なく
ボウフウリンが粛清する』
それは頂点に座す龍が敷いた、たったひとつの掟。懐に囲うものたちを害する者に宛てた修羅からの最後の警告。
『梅宮一』それが龍の名前である。
龍の元には、実に多くの少年たちが集う。その全てを龍は快活に笑い、慈愛でもって固く握る拳を解き、優しく触れる。龍にとってこの街で息づく全てが加護対象であり、集う少年たちは須く弟妹であるのだ。
この街にはもうひとつだけ掟がある。
『この街に漂う薔薇の芳香の理由を口にしてはならない』
この街はいつも微かに薔薇の香りがする。花屋には常に新鮮な薔薇が置いてあるし、薔薇の香料は何処ででも手に入る。そして、梅宮一からは薔薇の香りがする。白い髪が揺れるたび、翠緑色が瞬くたび、彼の象徴たる学ランの裾が靡くたび、甘くその芳香が花開くのだ。
『梅宮一は人間ではない』
この街に住む人々がなんとなく察していて、なんとなく口にしないこと。最初は香水か何かを付けているのかと思った。でも彼の人柄からはどうもアンバランスに思えて、首を傾げたのを覚えている。わたしには確かめる術も度胸もなかったので、そういうものだと呑み込んだ。
そして今日もわたしはせっせと新鮮な薔薇を店先に並べる。開ききる前の緩く綻ぶ赤い薔薇。これを求めてくるのはそわそわと頬を染める男たちか、薔薇の香りのする少年だ。今日もまた、少年はこれを買いに来るのだろう。
「いらっしゃいませ、今日も新鮮なものを卸してますよ」
足音の先にいたのは少年がふたり。長い夜色の髪の少年と、ぱきりと白黒で分かれた髪の少年。後者の彼は今年この街に来た子だと記憶している。指先だけ絡められた手を居心地悪そうに赤い顔で見つめていた。
薔薇の香りがする少年は、梅宮ひとりではないのだ。夜色の彼もまた、濃い薔薇の香りがする。わたしが「今日は何本?」と問うと、夜色の少年は大きな体躯をゆらりと揺らしてぼそりと「全部」と溢す。
「お前、全部って……多すぎだろ……」
「足りねえよ、お前のメシにもなる」
「……俺も薔薇食うの」
「花を食うんじゃねえよ。……俺から食えば良い」
「……ン」
わたしには何やら理解のできない話をする少年たちを横目に、わたしはせっせと薔薇を包む。そこそこの量があったので、何やらプロポーズに使うのかという程の大きな花束になった。
「お待ちどう様、目立つ棘は取ってあるけど一応気をつけてね」
「……あざす」
ふと、渡した薔薇の中に一本枯れた花を見つけた。
「あれ、ちょっと待って。ごめんなさい、枯れてるのが混ざってたみたい」
「……いい。大丈夫、気にしない」
「そう……?」
夜色の少年がぽきりと枯れた薔薇を折ると、ドライフラワーのように薔薇はクシャクシャになってしまった。少年たちはぺこりと会釈して店を去る。
わたしは確かに、真っ赤な開きかけの薔薇を包んだはずだ。枯れた薔薇など入っていたら気付くはず。なのにどうしてあの一本は枯れていたんだろう。店に残った薔薇の香りが詮索をするなと言っているようで、わたしはカラカラになった薔薇を捨てるべく店の奥に歩を進めた。
「……お前摘み食いしただろ」
「……さあな」