バレるとバラす インターホンが鳴ったのは、ギアッチョがベッドに座っているリゾットへ今まさに唇を触れようとしている時だった。
「あ?」
「こんな時間に来客か」
時刻は深夜に差し掛かろうとしている。この時間に訪ねてくるような知り合いなどギアッチョには滅多にいない。どうせロクでもないヤツにちがいないと、ギアッチョは扉の向こうにいる来訪者を無視し、反対に扉の先が気になっているリゾットへ口づけようとした。
しかし、インターホンが2人の邪魔をするように何度も鳴らされる。
そのうちに音は電子音と混ざって扉をドンドンと叩く物理的な音も加わった。来訪者が奏でる主張の強い音がたちまち部屋中に響く。
当然ギアッチョは苛立っていた。せっかくの恋人との時間を台無しにされているのだ。一方で音は早く出てこいとばかりに激しさを増していく。
「……ちょっと出てくる」
盛大に舌打ちをしてからギアッチョはリゾットの上から退き、玄関へ向かった。幸いにもそろそろベッドでこれから……という時だったので、ギアッチョにしてもリゾットにしても服は身に纏ったままである。
ともすれば怒りに任せ来訪してきた人物をブン殴ってしまいそうな衝動を抑え、ギアッチョは扉に手をかけた。
細く開いた先に見慣れたピンクの髪が目に入った瞬間、ギアッチョは部屋の中だけは見せまいとすばやく扉の隙間から身を入れ1人外に出て、後ろ手に扉を閉めた。目の前にいるメローネがギアッチョの一瞬の行動に怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうしたんだ? まるで部屋の中を覗かれたくないみたいじゃないか」
「あー……いま散らかってんだよ」
覗かれたくないみたいではなく、実際覗かれたくないのだ。
ギアッチョのとっさの言い分にまたしてもメローネは首を傾げていたが、思い出したように手に提げていた紙袋を掲げてみせた。大きさ的にワインボトルだろう。
「ちょっとした伝手でいいワインが手に入ったんだ。一緒に飲み明かそうかと思って来たんだが……寝てたか?」
「いや。そうじゃねえが、悪いけど今日は無理だ」
ストレートに空気読めよてめえととスタンドで氷漬けにしたい怒りはあるが、ギアッチョはそんな自分を必死に抑えた。ここで思わせぶりな感情をぶつけてバレることがあってはならない。今夜のギアッチョは冷静で大人だった。
「そうか、残念だな……時にギアッチョ」
「なんだ」
「何か隠してないか?」
「別に何もねえよ」
白を切ろうとするが、好奇心旺盛な同僚はギアッチョに訝しげな視線を送り続ける。さっさと帰れよとギアッチョが苛立しさを募らせていると、メローネは急に合点が入ったような顔をし、快活に笑い出した。
「何笑ってんだよ急に。気持ちわりいな」
「いやすまない。俺も野暮なことをしてしまったと思ってな」
メローネはマイペースだ。それがまたさらにギアッチョを苛立たせる。
「一体何なんだよ」
「こんな夜更けに部屋の中を見られたくない理由なんざ決まってるよな。いやすまなかった。詫びの品としてこいつはアンタにやるよ」
メローネが手に提げていたワインの紙袋をギアッチョに押し付ける。反射的にギアッチョは受け取るしかなかった。
「どうぞ愛しのベッラと楽しんでくれ。じゃあな」
やけにいい笑顔でメローネはそう告げると、クールに去っていった。
メローネが完全に立ち去っていくのを見送り、ギアッチョは締め切っていた扉を開け玄関に入った。バレたのかと一時肝を冷やしたが、あの言い方だとメローネは相手が誰かまでは特定できていないはずだ。
部屋に戻るとベッドに座ったままのリゾットがすぐさまこちらに顔を向けた。
「何だった?」
「メローネだ。もう追い返したけどよ」
「……何か言っていたか?」
「いや、なんてことはねえ。アンタがここに来てるのも気づいてないから平気だろ。これ貰ったから飲んでみようぜ」
袋からワインボトルを取り出す。雰囲気を仕切り直すのにちょうどいい置き土産をくれたものだ。口に含むとちょうどいい甘味と酸味が舌に広がる。リゾットもこの味わいを気に入ったようだ。キスを交わすと芳醇な香りが2人を包みこみ、官能的な味がさらに広がる。
ギアッチョはその夜、甘美な美酒とともに恋人の柔肌を堪能したのだった。
*
翌日ギアッチョはチームのアジトへ足を向けた。今度振り込まれる報酬の分け前について話し合いに参加するためだ。金の話とあらばおそらくチーム全員が揃っていることであろう。
リゾットは午前中までに終えなければならない書類仕事があるとかで、ギアッチョのアパートを朝早く去っていった。まどろみの中で肌を触れ合わす暇もなく出ていったリゾットにギアッチョは名残惜しさもあったが、昨夜は濃厚な時を過ごせたのでそれでよしとした。
通い慣れたアジトの扉を開ける。チームのメンバーが一斉にギアッチョへ顔を向けた。その中にリゾットはまだいない。きっと書斎にこもっているのだろう。
「噂をすればやってきたじゃねえか」
「ああ?」
ニヤニヤとした笑顔を浮かべるホルマジオを睨めば、他のメンバーも興味深げにギアッチョを眺めていた。居心地の悪い視線を向けられ、ギアッチョに苛立ちが募る。
「なんだよいきなり。言いたいことあんならさっさと言え」
「いやあ、お前がまさかな〜と思ってよお」
「はあ?」
「ガキだとばかり思ってたが、やるじゃねえか。お前もイタリアーノだな」
「だから何の話だよ」
イルーゾォやプロシュートの話す先の見えない話題にギアッチョは苛立つよりももはや困惑していた。周りを見渡すと誰もがニヤついた表情をしている。そんな中、やたらとニコニコとした笑顔を浮かべている人物が視界に入った。昨夜突然訪ねてきたメローネだ。
もしや。ギアッチョのうちにハッとしたような焦りが広がる。
「やあギアッチョ、昨日愛しのベッラと飲んだワインは美味かったかい?」
「メローネてめえっ、言いやがったな……!」
油断していた。相手がリゾットだとバレていないため不必要に口止めしなかったが、その結果チーム全員に『ギアッチョが美女と付き合っている』というとんでもない噂が一瞬にして広まってしまったのである。
「おいおいやるじゃねえか!」
「一体どんなオンナなんだあ?」
「今度写真見せろよ」
「うるせええええッッッ!!!」
口々にからかってくる声にギアッチョが癇癪を起こした時リゾットが現れ、威厳あるリーダーの登場に場は一気に静まり返り、部屋の空気はゴシップ話のテンションから一様に仕事の面持ちへと変貌を遂げた。
++
ギアッチョがアジトにやってくるその前、リゾットは書斎で書類の確認をしながら否が応でも耳に入ってくるチームの会話に耳を傾けていた。
アジトの部屋の壁は薄い。小声で話す分には聞こえないが、興奮してはしゃぎ立てる男たちの声など筒抜けだ。
だから『ギアッチョに女がいる』とチーム内で騒いでいる話もリゾットの耳にちゃんと届いていたのである。
「アイツ童貞じゃなかったのかよ」
ホルマジオの一声にドッと笑いが起こる。
失礼な、とリゾットはデスクで書類と睨めっこしながら口を尖らせた。
リゾットにとってギアッチョは身も心も許してしまうほど愛している恋人なのだ。馬鹿にされたような言い方に腹が立っていた。いや、ギアッチョがチーム内でも年下の方でイジられやすい位置にいるためからかわれているだけ、と理解はしているのだが……。
そもそもギアッチョならとっくの前に童貞を捨てている。
なぜリゾットがそのことを知っているのかというと、その性の手解きをしたのがリゾット本人であるからだ。
初めての時に見せたギアッチョの初々しさを思い返し、あれはあれで可愛かったとリゾットは懐かしむ。今ではもう余裕が出てきたのか、キスも前戯も挿入もスマートになり、いつの間にか大人の男の相貌を呈すようになった。
昨夜だって、ゆっくりとワインを嗜んでいたかと思えば急にあんな濃厚なキスを……と昨日ギアッチョと交わした愛の様相を振り返り体に火がつきそうになったところで、リゾットは目の前の現実に戻るため頭を横に振った。
そのうちにギアッチョがやってきて、扉の向こうから何やらわめいている怒号が聞こえてくる。
これ以上騒ぎにならないうちに、とリゾットは仕事の話をするため席を立ったのだった。
*
今回の給与の配分と今朝依頼が入った仕事について担当者を決めたところで、今日は解散になった。
話し合いが終わるとギアッチョは早々にアジトを後にした。次の現場の下調べをしてくる、と言って出て行ったが、ここにいると噂の美女について話を深掘りされるため姿を消したのだろう。ソファにくつろいだままギアッチョの背を見送った暗殺チームの面々は渦中の人物がいなくなるとすぐにニヤニヤとした表情を浮かべ、本人不在の中であれやこれやと好き勝手な与太話を繰り広げていた。成り行きでリゾットもその場に残り、盛り上がるゴシップ話を表情を一切変えることなくただただ黙って聞いていた。
「おいメローネ、本当にギアッチョの相手は見なかったのか」
「見えなかったんだよ。ドアを完全に閉めちまってさ、秘密にしたいみたいだな」
「もしかしてヤってる最中だったんじゃあねえか?」
「ハハッ! そこに客が来たなんざあ傑作だな! しかも相手がメローネだぜ!?」
「危うく相手の女が”母体”になるところだったな」
「いやさすがの俺でもチームのヤツの女を母親に選ぶことは……ない、とは言い切れないか」
「おいおい」
「つうかこの場合、ギアッチョが女を母体にしてるんだろ。ちゃんとベッドの上でよお」
ギャハハハっ! と下卑た笑いが起こる。ギアッチョが昨夜母体にした女、正しくは男だが、がこの場にいるとも知らず男たちはギアッチョの”女”について品のない話題で盛り上がっていた。
「リゾットは何か知らないか? 実は前からギアッチョに女の影ができていた、とか」
「さあ、知らないな」
メローネに話を振られ、リゾットは涼やかに答えた。リゾットが本当に何も知らないと見たのか、メローネは特に訝しむこともなく、話に戻っていった。
実のところ、リゾットはギアッチョとの交際を特別隠しているつもりはない。むしろ気心知れたチーム内くらいであればバレるのならばバレてしまっていいとすら思っている。
ただ自分から言いふらすことでもないと思っているため誰かに話していないだけで、要は今まで周りに言うタイミングがなかっただけなのだ。
そうリゾットはこだわりもなく緩く考えているのだが、ギアッチョはリゾットに気を遣っているようで、
「アンタには”立場”ってモンがあんだろ。だから邪魔になるようなことはしたくねえ」
いつの日かのピロートークでそんなカッコつけた言葉を口にしていた。
ギアッチョの考えももっともであり、リゾットはギアッチョのその気遣いをありがたく受け入れている。
だが、ギアッチョが思っているほど、リゾット自身はそこまでお堅くなかった。
目の前では相変わらずギアッチョと謎の美女についての空想話が飛び交っている。
中には我が恋人のテクニックを想像上で揶揄され笑う声もあり、リゾットは腹が立ってきていた。「童貞」だの「天パ」だの「ガキ」だの、どうもリゾット以外の男どもの中でギアッチョは子どもっぽく描写されすぎている。冗談だとはわかっていても、自分の男が馬鹿にされているような気がして、リゾットは内心我慢ならなかった。
『ギアッチョが美女と付き合っている』という話題にこれまで口を挟むことなく興味本位で聞いてきたが、だんだんとリゾットはこの何も知らないままのうのうと好き勝手に語っている連中へ真実をぶちまけたい衝動に駆られていた。
しかしリゾットはチームのリーダーを任されるほどの立場があり、冷静で大人な男なのである。
だから感情任せになるようなことはよしとしない。
けれどこのまま黙っているのも癪に障る。
そうなるとさりげない方法をとるしかなかった。
まずソファからスッと立ち上がり、あえて人目を引く。
「どこか行くのか?」
予想通り、一番近くに座っているメローネが尋ねてきたので用意していた返事をする。
「仕事が残っているから、部屋に戻るだけだ。それよりメローネ、」
「ん?」
「俺はまだお前に礼を告げていなかったな」
「礼?」
俺何かしたっけ……? と問いたげにぽかんとしているメローネと意味深なリゾットの会話に、周りの視線も集まる。
リゾットは全員の耳に入るよう凛とした声を発した。
「昨日持ってきてくれたワインは美味かった」
「えっ」
メローネは即座に動揺しているようだった。周囲の人間も表情が固まっておりまるで時が止まったかのような空気が流れているが、気にすることなくリゾットは言葉を続けた。
「服を脱ぐ前にいい物を飲めた……おかげでそのあといい時間を過ごせたからな。ありがとう」
そこまで告げてリゾットは自分の書斎へ足を向けた。今後ろを振り返ればそこにはメタリカでも喰らったかのように血の気が引いているチームの面々がいることだろう。
リゾットは心がスッとしていた。