冷めない 余興だとは思う。
学園祭というお祭りだから、出し物の世界観に寄り添った格好をして盛り上げるのはたしかに大切だ。時には奇をてらった衣装を着て思い出作りをするのも。
たとえば、女子が学ランを着る。意外性があっていい。男子がセーラー服を着る。これは人を選ぶ。引くほど似合うか、視角への暴力だとウケるか、可もなく不可もなく反応に困る出来具合でスベるか。
スベったな、と忍足侑士はスース―する自分の足元を見下ろしながら思う。上は普段と変わらない自前のワイシャツ・ネクタイ・セーター姿であるが、下はクラスの女子に「忍足くんはこれ」と渡された氷帝学園のチェック柄スカートに学園指定のハイソックス姿である。
どうしてこうなった、と心を閉ざしたくなる暇を与えず仕切りの向こうから忍足に衣装を渡した女子生徒が「忍足くん着替え終わったー? 次ヘアメイクあるから急いでね」と声を掛けてくる。仕方なく侑士は急遽教室内に設けられたパーテーションで区切っただけの男子更衣室から出ていくしかなかった。
「わっ! 忍足くん美脚だね!」
喜んでいいのかわからない。
「俺は足のキレイな子が好きなわけやけど、自分が美脚でも嬉しないわ」
「でも女子たちけっこう『忍足くん美人』って褒めてんぞ」
フォローなのか、目の前に座る向日が女子たちの間で飛び交う事実を口にする。最初にやって来る知り合いは誰かと気を張っていた侑士であったが、教室に親友である向日が入って来た瞬間安堵した。
向日より先に宍戸やジローが来た場合、何とも言えない顔をされ心理的ダメージを負うような気がしたので、何かとズバズバ言ってくれる気の置けない一番の親友に来てもらえて助かった。
「まあ、顔は悪ないかもな」
「自分で言うなよ。でもたしかに美人だと思うぜ。俺ここ来て侑士見た瞬間『おっ!』ってなったもん」
「ほんまに? じゃあちょっとまけたるな」
「やりぃ!」
「1円分」
「少なっ!!」
勝手に値引きをするわけにはいかないので、向日の頼んだオレンジジュースを通常より多めに注いで提供した。『女装喫茶』というコンセプトのもと、侑士も向日と同じテーブルに着き、「接客」という名の普段の会話をする。
「スカート履いた時は『もうアカン。俺が着ると犯罪やん』思うたけど、メイクってすごいな。髪も後ろで一つ結びしてもろたらマシになったわ」
「それな。女子ってすごいよな」
「ちゅーか今の俺の顔、姉貴に似てない?」
「あー。言われてみればそうかも」
向日が「写真撮ろう」とスマホを取り出し写真アプリを起動させたので、体を寄せ合い何枚か2ショットで自撮りをした。撮った写真を2人で見返し「カップルじゃん」とひとしきり向日と笑いあった。
「俺らアホやんな」と笑いつつも、こんなアホなことをして笑い合える親友がいることに、侑士はこの上ない幸福を感じていた。
「で、侑士の本物の彼氏は来んの?」
オレンジジュースのストローを吸いながら向日が無邪気に尋ね、侑士はぎくりとする。
「いや……来ないんちゃう? 部活とかあるやろうし、」
「でも学園祭の日程は伝えたんだろ?」
「一応な」
クラスの出し物が『女装喫茶』と決まった途端、ヤツとの電話で誓って話題には出すまい、と侑士は決めていた。
しかし電話で「そろそろ学園祭の時期やろ? 侑士のクラスは何するん?」とは訊かれる。あいまいに答えを濁したものの、その返答を怪しいと思ったのかしつこく質問された。
しょうがなく学園祭の日程と「コンセプトカフェ」とだけ答え、最後に「絶対来んな」と告げて電話を切った。それが3日前の出来事である。
急な日程を告げたわけだからさすがに来ない、いや来られない、と侑士は予想している。おそらく週末は部活があるだろう、と。
首から上はそこそこビジュアルに自信があるものの、やはり女装姿を見せるのは気まずい。笑い者にされたらされたで「お前の女装よりマシや」と言い争う姿勢ではあるが、できることなら見られたくない。恥ずかしいのである。
「謙也のことだから来るんじゃね? 『浪速のスピードスター』だから」
「ないやろ。所詮『浪速のスピードスター』は大阪でしか通用せん、か、ら……」
軽口を放ちながら教室の入口へ視線を向けた時だった。
入って来た人物に侑士は内心、げ、と毒づき眉根を寄せる。
訝しんだ向日がその視線を追い、合点がいったようにニヤリと侑士を見た。
「よかったな。来たじゃん」
「何もようないわ。うそやろ」
入り口で案内役の女子生徒と話していた謙也は教室内を見回し、侑士と向日の姿を見つけるとパッと顔を輝かせた。「ツレがおったから同席させてもらうわ」と爽やかな笑顔を浮かべ女子生徒に片手をあげてお礼を告げると、一直線に侑士たちのテーブルへやってくる。
「よっ。来たで」
「帰れ」
「ヒドない?」
久々に会う彼氏への第一声がそれかい、とツッコみが入る。侑士が「ここ2人テーブルやから椅子ないで」と懲りずに来店拒否を示すも、謙也は近くにあった空いている椅子を勝手に引き寄せ、侑士たちと同じテーブルに着いた。侑士は舌打ちをしたくなった。
そんな侑士をよそに謙也は向日と「久しぶりやんな。元気しとった?」「おう! そっちも変わらなさそうだな」と久々に会う親戚のような会話を和気あいあいと繰り広げている。
「今ちょうど侑士と『謙也が来るか来ないか』話してたんだぜ。そしたらタイムリーでやってきたからびっくりした」
「俺もイチかバチかで教室きたら2人ともおったからびっくりしたわ」
「お前部活とちゃうん? サボったか」
「サボリとちゃうわ。コート整備が入るから休みになってん。せやから見に来てやったで」
上から目線で謙也はそう言うと、侑士の頭から靴の先まで目を動かし、真顔になった。
「なんやねん」
鼻で笑ってくるかと予想したがドン引きされる方だったか、と侑士は気まずい思いがし、謙也から視線を逸らした。すると、謙也は首を傾げながら予想もしない言葉を侑士にかける。
「俺の女装姿の方がかわええな」
「いやそれはないやろ。前にお前がナース服着てた写真見たけど、あれよりは今の俺の方がマシやで」
「いーや、俺のナースの方がかわええと思う」
「どこがやねん。あんなん視覚への暴力やろ。俺の女装の方がまだかわええわ」
「いや俺や」
「俺やろ」
「お前らどこで張り合ってるんだよ」
向日がもっともらしいツッコミをし、棒線一方になりそうな何も生まれない議論は終わりを告げた。
「でも今の侑士さ、侑士の姉ちゃんに似てるよな?」
「あー。確かにな。恵里奈ちゃんに似とるかもな」
2割くらい。従兄弟にも軽く同意され、そのうちに話は「写真撮ってやるよ」と向日がスマホを侑士と謙也に向けた。ガチの恋人との2ショットに抵抗がある侑士は「いらんわ」と断ろうとしたが、謙也は顎に手を当てキメ顔をカメラに向けていた。仕方なく侑士も顔を隠すようにピースサインを口元に当て、カメラを睨みつけた。向日から「お前らもうちょっとカップルっぽく寄れよ」と文句が出たが、2人とも従わなかった。撮るぞー、と向日が呆れた声で合図し、シャッターが押された。
「これじゃさっき俺と侑士が撮った写真の方がまだカップルっぽく見えるぞ」
「ええねん。それで」
向日とは顔を寄せ合って撮ったが、謙也と同じようにはできない。謙也とカップルっぽく撮る姿を想像して、侑士はゾワリとした。謙也も同じことを思っているのか、侑士の言葉にうんうんと深く頷いている。向日だけが「付き合ってんのに変なの」と不思議そうに2人を見ていた。
「今の写真、送っておくから」と向日がスマホをいじろうとすると、案内役の女子生徒が侑士たちのテーブルにやってきて「すみません、他のお客さんが入るのでそろそろ……」と向日と謙也に声をかけ、退席を促された。侑士にも「忍足くんお疲れさま」と声がかかり、今日の侑士の仕事が終わった。
「で、なんでお前はまだ女子のまんまやねん」
「更衣室混んでてん」
着替えようとバックヤードを覗くと、狭い空間に次の組のキャストであるクラスメイト数人が各々の衣装に着替えていた。一緒に着替えをしてもよかったが、そこにいるメンバーが侑士にとって苦手意識のあるウェイ系なサッカー部の男子生徒だったため、諦めて女装姿のまま教室を出て廊下で待機している謙也と向日のもとに向かったのである。
通りがかった違うクラスの女子2人組が「うわ、美人……!」「イケメンすごっ」と侑士のビジュアルを密かに絶賛していたのを、侑士の耳は拾ってしまった。嬉しいような、こんな姿で褒められても恥ずかしいような情けないような。途端に注目を浴びてしまい、心を閉ざしたくなった。
向日が「俺、宍戸やジローのところ行ってくる。じゃあな」と謙也と侑士を置いて、立ち去ってしまった。てっきりこのまま一緒にいてくれると思っていたが、向日なりに気を利かせてくれたのだろう。向日は侑士にだけわかるようにウインクをして行った。侑士は向日を今度ラリーでめちゃくちゃ走らせてやろう、と決めた。
突如取り残された金髪頭の男に「どないする?」と尋ねるしかなかった。何か食べに行くか、どこか寄りたいところはあるか訊いたものの、謙也は「あー……、うん」と煮え切らない返事をする。勝手にやって来たのはそっちなのに、曖昧な態度の謙也に侑士はイラついていた。2人の姿は立ち止まっていると人目を引く。侑士は一刻も早く場所を変えたかった。
すると突然謙也に手を掴まれ引き寄せられる。お互いの顔が、すぐ真横にあった。
「うしろ。人通るから」
近くにいた女子たちが謙也と侑士の距離の近さにキャっ、と黄色い声を上げている。はしゃぐ声が廊下を埋めるように響いた。謙也が確実に聞こえるように侑士の耳へ吹き込む。
「人が来んところってない?」
別棟の空き教室は学園祭の喧騒から遠ざけてくれる。よっぽどのことない限り、ここなら人は来ない。祭りの最中、こんなところに用事がある人間などいないだろう。2人きりになりたい恋人同士以外は。
侑士は扉を閉めると、内鍵も施錠した。氷帝学園は本当に設備が整っている。
「めっちゃヤラシーことするやん」
教室の真ん中の席に座った謙也が、侑士の行為へからかうように声を掛けた。謙也のそばに近寄り、足を軽く蹴る。「った!」と大げさに痛そうなリアクションをする謙也を無視して、侑士は隣の席に腰掛けた。
「お前が連れてけ言うたんやろがい」
「だって侑士めっちゃどんよりしとったやん。本当は家に連れて帰ろうか迷ってたんやで」
察しがつかないように隠していたつもりだったが、バレていた。意外と謙也は観察眼が鋭い。
気恥ずかしさをそらすように黙り込むと、急に手を握られた。
「めっちゃかわええな」
いきなり何を言い出すのかと、侑士は謙也の顔を見た。馬鹿にして笑うような雰囲気はない。言い出したわりには、目をそらして少し照れてる。
「な、んやねんいきなり。恥ずいんやけど」
「……せやな」
「自分から言っといて照れるな」
だいたい自分の女装姿の方がかわええんやろ、とからかうように侑士は口にすると、謙也は「あんなんはウソ」とふざけた様子もなく答えた。
「まあ、オモロさで言うたら俺の方が勝つけど」
「……せやろな」
「オイ」
いや自分で言うたやんか、と侑士が笑ってツッコむと耐えきれなかったように謙也も吹き出した。2人でいると、いつもこんな空気を繰り返している。
握られたままの手を引っ張られ、腰を浮かした。ここ、と合図するように謙也が空いている手で膝の上を叩いている。恥ずかしさはあるものの、侑士は素直に謙也の膝の上へ座った。謙也の両腕が腰に回る。
「あいかわらず侑士ほっそ」
「うっさい」
抱きしめてくる時の定番になりつつある謙也の言葉に悪態を吐く。
「降りたろか」
「待って待って」
慌てたように腰へ回された腕がぎゅっと絡みつく。すぐ離れられそうにはなかった。
ピロ、と謙也が侑士のスカートをめくる。
「なんや、パンツは男モンか」
「当たり前やろ。アホちゃう?」
ジョークのつもりなのか本当に期待したのか。残念がる謙也の額に侑士は唇を寄せた。お詫びではないけれど。後頭部に謙也の手が回る。
「こっち」
唇へ口づけられた。触れ合うように重ね合わせ、表面を舐め、開いて愛し合う。ひとつの遊びを覚えたようにお互いしばらく夢中になっていた。
机の上に体を押し倒される。謙也が近くの机を引き寄せてつなげ、スペースを広げた。
「昨日見たAVみたいで興奮するわ」
「何を見とるねん」
結局こういうことをするのが目的だったのでは。なんていうことは、ここに謙也を案内した時から侑士も同じだった。
「学校で、ってヤバない?」
「ドーテー謙也くんには刺激が強いんちゃう? やめとく?」
「誰が童貞や。ここまできてやめられるか」
おしゃべりはここまで、とでも示すかのように謙也が侑士の首筋へ顔を埋める。リップ音と衣擦れの音を耳に入れながら侑士は謙也を受け入れるようにその背へ腕を回した。
俺で脱童したもんな、という煽りを飲み込んで。
教室へ戻る途中、向日とばったり出会った。どこでゲットしたのか、頭にうさ耳がついた帽子をかぶっている。
「侑士じゃん。おつかれ。謙也は?」
「大阪に帰った」
「えっ」
謙也の行動力の早さに向日も驚いている。帽子から垂れ下がっている布を押してうさ耳をぴょこぴょこ動かす向日のリアクションに侑士はフフっと笑いをこぼした。
「頭にえらいかわいらしいの乗せとるやん。どないしたん?」
「ジローと輪投げして当てた。てか侑士、もうすっかり”いつもの侑士”に戻ってんな」
「そらいつまでもあんな格好でうろちょろしてられんわ」
自分で行くからいい、と断ったのに謙也は侑士の服を取りに教室へ行き、戻ってきた。浪速のスピードスターの速さで。どこで発揮しとるねん。机に座ったままの侑士はツッコみたくなった。
「あとこれも。いっぱい積まれてたから持ってきたで」
謙也は侑士の制服のズボンとともに、メイク落としのシートも持ってきていた。一枚取り出し顔を拭いてみる。水で洗ったようにすっきりとした。
「俺が飛ばしたやつもそれで落ちたやろ」
隣でデリカシーのない発言をする謙也を肘で小突いた。うっ、とうめきよろめいている。謙也はよろめいた姿勢のまま壁にかかっている時計を確認すると、「もうこんな時間か」と呟いた。
「あとちょっとしたら出なあかんわ」
「え? 今日泊まってくんちゃうの?」
「帰るで。明日部活やし」
チケットとってあるねん、と財布からバスのチケットを取り出し侑士に見せた。謙也が本当にこれだけのために会いにきたという事実に侑士は驚き呆れる。
「ホンマにこれだけのために来たんやな」
「せやで。なんぼ聞いても侑士は答えはぐらかすし。アヤシー思うてな」
来て正解やったわ。
侑士に向かってニっと笑った表情は、昔から変わらない笑顔だった。惹き込まれるように見つめていると、顔に手が触れる。
「まつげついてる」
謙也の指が侑士の目元を撫でていく。反射的に目を瞑ると、キスをされた。
「ええ思い出できたわ。おおきにな」
謙也の不意打ちに侑士は言葉を返せなかった。謙也は返事を待たず「じゃ、」と侑士の頭に手を置いて、教室を去っていった。
窓から夕日が差し込む。学園祭の賑わいもだいぶ落ち着いた。後片付けをしている姿もある。祭りの名残がそこかしこに立ち上っていた。
頭の上に手を置いてみる。突然やって来てすぐ去っていくなんて。スピードスターというより、嵐のようだ。気持ちをかき回して、残された側の感情を知らんぷりしたまま置き去りにしていく。昔からそういう奴だ。そうはわかっていても、今の侑士には謙也の存在が悔しいくらいに名残惜しかった。
侑士の仕草に向日が「侑士もかぶる?」とうさ耳の帽子をすすめてきたが、いらんと断った。
「あ、そうだ。写真見た? ちゃんと送っといたから」
言われて画面を開くと、向日が撮ってくれたカップルなのにカップルっぽくない謙也との2ショット写真が表示された。カッコつけた表情をしている謙也が目に入る。アホくさい。笑いが漏れる。それなのに、こんな写真でもどうしようもなく愛おしかった。
「イキっとんな。コイツ」
「謙也? 会えてよかったじゃん。侑士愛されてるぅ」
ヒューヒュー、と向日がうさ耳をぴょこぴょこさせながら茶化してくる。帽子を深く下げてやった。視界を塞がれた向日が「なにすんだ! 見えねえ!」と抗議している。見なくていい。侑士は自分の耳が熱くなっているのを感じながら、帽子を押さえた。