学級:いつか ぴーひょろと鳶が鳴いている。その声に惹かれて庄左ヱ門が空を見上げた。真上は青天、絶好のお遣い日和だ。庄左ヱ門の足元に気を配りながら、勘右衛門は庄左ヱ門と繋いでいる左の手を引いた。左の手を庄左ヱ門と繋いでいるのなら、右の手は彦四郎と繋いでいる。両手に花だ。勘右衛門は上機嫌だった。
遣い先は学園より北側にある町の、学園長御用達の菓子屋だ。新作の大福を買ってくるようにと言付かっている。表向きは茶菓子の調達だが、その実は密書を運ぶ任を課せられている。件の菓子屋は忍術学園の卒業生が営んでおり、定期的に学園長と菓子屋の店主は書簡をかわしていた。歴代の学級委員長が仰せつかるその忍務をいまは主に三郎と勘右衛門でこなしている。内容については勘右衛門の知るところにないが、おそらくは近隣の情勢についてだろうと三郎と当たりをつけている。
今回は三郎が外へ出ているため勘右衛門のみに与えられた忍務だった。諾と頷いて庵を出ようとした勘右衛門の背中に、一年生も連れて行きなさい、と学園長が思いついたように言葉を投げる。勘右衛門が慌てて学園長の前に座すると、学園長はからからと笑った。いつかは一年生にも紹介をしなければならないが、いかんせん今回は三郎がいない。万が一のことがあっては、と勘右衛門が眉を顰めれば、なに他愛のないふみだから命に代える必要はない、とあっけらかんと告げた。ここの大福は作り立てがいちばんおいしい、との言葉から察するに日頃頑張っている一年生への褒美のつもりなのだろう。それならば、と勘右衛門は彦四郎と庄左ヱ門と連れ立って、菓子屋へと向かっている。
「庄左ヱ門、ほら、足元に気を付けて。」
鳶を気にして足元がおろそかになっていた庄左ヱ門に声を掛けると、こくりと頷いて前に向き直る。左手で繋いだ小さな手は、きゅうと勘右衛門の手を握っていた。出がけに勘右衛門が手を繋ごうと言って差し出したときも嫌がることなく手を重ねてくれた。小さな弟がいるからか、こういった触れ合いに抵抗はないらしい。
「鳶がそんなに珍しいの?」
勘右衛門の右手と手を繋いでる彦四郎が、勘右衛門の体の陰からひょっこりと顔を出すようにして庄左ヱ門に問う。恥ずかしがってすぐに手を離そうとする彦四郎に、勘右衛門が頼み込んでようやっと諦めて手を繋いでくれている。俺が迷子になったら困るから手を繋いでいて欲しいな、とそれはもうできうる限りあざとく頼んだ。
「珍しいというか……、は組はいつもばたばたしているから、鳶が飛んでいる姿をゆっくり見たことがないなあと思ったんだ。」
「なるほど。」
納得したようすで彦四郎も空を見上げる。つられるように庄左ヱ門も空を見上げると、ふたりの足はすっかり止まってしまった。ひょろひょろと鳴きながら旋回していた鳶が羽ばたい去っていく。その姿を見送ると、勘右衛門が一歩を踏み出した。ふたりは小走りでついてくる。
「ふたりとも、空も面白いけれど正面を向いていたって面白いことはあるよ。」
「どんなことですか?」
「例えばそこの花は根元を乾かしてすり潰せば胃の薬になる。お土産にしたら土井先生や乱太郎が喜ぶんじゃないかな。」
ふうん、と頷いた庄左ヱ門がじっとその花を見つめる。彦四郎が楽しげに弾んだ口調で、帰りに摘んでいこうと庄左ヱ門を誘う。庄左ヱ門は嬉しそうに笑って、彦四郎と胃の薬を作る算段をあれこれ考え始めた。
「それにあっちにある赤い実は、」
「赤い実は?」
「甘くて美味しい。」
「美味しい、」
ぐう、とさんにんの腹が同時に鳴る。思わず顔を見合わせると、なんだかおかしくなってしまってきゃらきゃらと笑い声を立てながら道を進む。かわいい後輩たちは笑いが収まらないままに勘右衛門を見上げて、次は、と先の話をする。
「今度は鉢屋先輩とも一緒に、みんなで出かけたいですね。」
「そうだね。日をあらためてみんなで、お出かけしようか。」
「裏裏山へ鳥を見に行くのはどうでしょう?」
「それは楽しそうだ。生物委員によい場所を聞いておいてくれるかな?」
あれもしたい、これもしたい、と相談をするふたりの無邪気な声に勘右衛門は胸がつまる。この子たちに精一杯の優しい想い出を、ひとつでも多く残せてやれたらいい。空は青天で、風は心地よく、繋いだ手は心地よい。目を細めた勘右衛門の視界では、遠くに町が見えてきた。