🍑👹「さて、こんなもんでしょうかね」
籠いっぱいに乗せられた野草を眺めて、幻太郎は顔を綻ばせた。
住処のある山の中腹よりもさらに上に進むと、木々に覆われている森の中にぽっかりと空いた平地がある。ここに珍しい薬草を見つけたのはずいぶん前のこと。こんな山深くに踏み入る者も居ないらしく、強いて言えば山の神に断り奉り、密かに拝借して食材となるような物も植栽して育てるようになって早数年が経つ。
収穫したものを干して乾燥させ、擦り、その粉末を村へ卸したり、もしくは薬湯にして患者に飲ませる。薬師の知識をもつ彼は、そうして生計を立てていた。
以前は遠く薬草を求め旅に出ていたものだが、自ら育てられるとあって供給が安定し、決して裕福とは言えないけれど随分と生計も安定したのだった。
雪が溶け始め、穏やかな天候の日が続いたためか今日は予想以上に収穫が多い。
自然と軽くなる足取りで、山を下りる。
視界の端に、軒下に干してある薬草が見慣れた住処を写すと同時に、人の気配ともう一つ、人ならざるもの──己と同族の鬼の気配を感じて顔を強張らせた。
どうか、気のせいであって欲しい。
幻太郎は慌てて、籠を落とすように乱暴に置くと荒々しく引き戸に手をかけた。
「帝統!?」
「あ、幻太郎、おかえりー」
「やっほ〜幻太郎! お邪魔してるよん」
よく見知った顔二つがキョトンとする様に、幻太郎は安堵して戸口で立ちすくんだ。
「どうしたんだ、そんなに慌てて?」
帝統と呼ばれた青い髪の男は土間に下りると、立ち尽くす幻太郎の顔を覗き込んだ。
「……いえ、先日の借金取りが押しかけてきたかと思いまして」
「大丈夫だって」
カラリと笑って戸口に乱雑に置かれた籠を取ってその腕を引いてやると、幻太郎は素直に従って板間に腰掛けて小さくため息を吐き出した。
あからさまに豹変した幻太郎の様子を見て、草履を履いたまま板間に腰掛けていた鮮やかなピンク色の髪の少年が、ニコリと作り笑いをした。
「そーんなに慌てて、どうしたのかなぁ〜?」
「鬼の気配がしたので、ね」
首を傾げ、探るような青い瞳を少し睨みながら幻太郎が答えると帝統が興味深そうな眼差しを向ける。
「やっぱお前も鬼なのか?」
「そだよ〜ほらほら」
少年は頭にある2つの小さなツノを帝統に示して見せた。
ピンク色の柔らかい髪の間に、ちょこんと鎮座する2つの突起は鬼のそれだ。幻太郎の頭にあるのと同じものが、朗らかに笑う彼の頭にも付いているのをマジマジと見つめて、へぇ、と唸っている。
帝統は人である。昔から人と鬼は棲み分けをしてきた。故にお互いが鉢合わせることはほとんどないため、見た目はほぼ人と変わらない鬼を、ましてやその頭にある角など見たことなどないのだろう。そもそも、その鬼の象徴とも言えるツノは、個人差もあるのだが髪質に寄ってはすっかり隠れてしまうほどの大きさでもあるのだ。
「村でさ、幻太郎が人間と一緒に歩いてたって噂になっててね。ほんとなのかなって見にきたらホントに人間が居たから、びっくりしちゃった。でも帝統って面白いね」
自分がいない間、何をしていたのだろう。
幻太郎は訝しげに乱数を見やり、板間を観察する。そこには帝統の持ち物である賽が二つ、無造作に転がっていて、その奥には乱数のものであると思われる羽織と短刀、徳利が置かれていた。そして、上機嫌の帝統。
察しの良い幻太郎は一目瞭然でそれらを見抜くと、ギロっと帝統を睨みつけた。バツの悪そうな顔で、赤紫の瞳が逸らされる。
「帝統。あなた、乱数相手に何をしていたんですか」
「こ、コイツが遊ぼうっていうもんだからよ!」
「だからといって、仮にも領主の御子息、小生のお客様です。身ぐるみ剥ぐのはどうかと思いますが?」
でもよ、と反論するのを冷ややかな視線で遮り、幻太郎は板間の奥の乱数の所持品を手に取った。
浅葱色の上等な羽織を小さな肩にかけてやる。
「乱数、身体が冷えてはいけません。それに、この男の誘いには乗らないでください」
「まぁまぁ、幻太郎、僕が誘ったんだし、楽しかったから問題ないよ」
羽織らせて紐を結んでやり、短剣と徳利を手渡すと、
「これはお土産だよ」
と、徳利を突き返される。
「前に欲しいって言ってたでしょ」
ニッコリと笑う乱数に、幻太郎の顔も崩れた。封を開けて匂いを嗅ぎ確かめると、酒の香りが漂う。さすがとでも言うような芳香に頷いた。
「これはこれは、上等なものですね。ありがとうございます」
ふわりと漂った魅惑の香りに、帝統が身を乗り出す。
「なんだそれ、酒か?!」
「そだよ」
「乱数、教えないでください」
「え、なんで?」
「この男はあろう事か、小生が保管していた薬剤用の酒も、全て飲んでしまいまして。ええ、こんな男を信用した私が馬鹿でしたよ、ええ!」
「えー! 帝統ひっど〜い!」
思い出しても腹の立つ! と拳を握りしめて顔を赤らめる幻太郎に、乱数が大袈裟に同調した。
「だってよぉ、喉乾いてたし、お前出かけちまうし、飲んじゃダメなんて知らなかったんだからよ」
ギロリと容赦なく睨まれた帝統が、情けない声をあげて後ずさった。
「ひぃっ」
そのやりとりを不思議そうに見ていた乱数が、幻太郎を見上げる。
「幻太郎、そんなに帝統のこと嫌いならなんでさっさと始末しちゃわないの?」
「それ、は……」
ビクリと体を揺らして口籠る幻太郎に、乱数は目を見開いた。
「え、まさか、幻太郎……?」
ほんのりと染まっていく頬に、勘のいい乱数の頬が緩んでくる。
「大事なもの、盗られちゃった?」
「皆まで言わないでください、乱数……」
ニヤニヤと楽しそうに見つめてくる乱数の視線から、幻太郎はフイと顔を逸らしてしまった。そんな二人の様子を不思議そうに眺めていた乱数が、帝統に顔を向ける。
「へ〜何があったか知らないけど、帝統、怪我してるよね。それ、幻太郎に手当てしてもらったんでしょ?」
「んあ? ああ」
「以外と手が早いんだな」
「乱数」
ゴホン、と幻太郎があからさまに咳払いをした。
「そろそろ下山しないと、日が暮れてしまいますよ」
「ま、今日は来たのが僕で良かったね! また遊びに来ても良い〜?」
「小生の居る時にしてください」
「えーっ、幻太郎いつも居ないじゃん」
ぷうっと頬を膨らませて抗議した乱数は、直ぐに真顔になり声を潜めた。
「守りたいんなら気をつけた方がいーよ。それとも始末するんなら、手伝うから言ってね〜」
「え、おい始末ってなんだよ?!」
「……妾はもう鬼では無い身の上、時期領主様が会いに来る価値は無き者でございますよ」
飄々と答える幻太郎を楽しそうに眺めた乱数は、いつもの人懐っこい笑みを浮かべた。
「ふふ、んじゃー帝統と遊びに来るねー! まったね〜」