夜桜の下に骸を埋めて踏み固めるね~知っとる?
知らん
何で桜って川沿いにたくさん生えてんの?
公園にも生えとるで
知らんの?
知らん。知っとっても何にも支障ない
ボーっと生きてんじゃねぇ~~!
可愛いな、と思った。
テレビに映ったおかっぱの少女を見て北は思った。滅多に見ないが、今日の飯当番のスナが見たい、と強請ってきたので見るしかなかった。
少女が言ったのはこうだ。昔河川の氾濫を防ぐために土手を固めたいのに金がない。そこで昔の中国の偉い人が「花が咲けばそこに人は集まる。すると自然と道ができる」というありがたい言葉を残した。するとその何百年か後に生まれた江戸時代の武士が、「なら桜を植えて人々に来てもらえば土手が踏まれて固まるのでは?」と。その名残が、コンクリートで土を埋めた現代にも残っているのだと。
しかし、そうとは思えなかった。北は思う。その昔、それこそ江戸時代、河川は氾濫も多かっただろうがそれ以上に多かったのは処刑、所謂打ち首である。処刑を手助けした人間に飛び散った返り血も洗える。氾濫してしまえば蓄積した誰かも分からない血を飲んだ土も諸共大海に流れ出してしまう。でも人々は近づかなった。怨霊がうろついて夜になると生きている人の足を掴んで水中に引きずり込む、なんて言ったりして。だから土手も固まらない。そこでイメージアップで桜を植えた。すると人々は土手に吸い寄せられるように集まった。武士、文豪、浮世絵師、傾奇者、町人、酒飲み、盗人、人斬り。あらゆる人間が寄り付いた。まるで樹液に集まるカブトムシのように。街灯に群がる蛾のように。死体に湧く蛆虫のように。そしてその足で血に汚れた土を踏みつけた。そしてその桜を見た人間がまた1人、処刑される。それを踏む。適度に雨が降って氾濫しない程度に土だけを海に流す。桜が咲く。誰かが処刑される。雨が降って、海に流れて、桜が咲いて。
だから桜の木の下には死体が埋まっているのだ。本当なのだ。本当に桜の下には死体が埋まっているのだ。
「花見したいな」
「庭に桜でも植えるつもりスか?」
銀は北のたわごとに応えた。
何かと、この男と集金に行くと宙づりの人間と対面することが多い。今日は歯抜けの男。パチンコがどうしてもしたくて金を借りてしまったどうしようもないロクデナシである。ついでに昔少女を誘拐していた。その少女は死んでいた。銀が初めて男の部屋に会いに行った時、ずいぶん埃の被った小さな女児向けシューズとワンピース、そして小さな頭蓋骨が置いてあった。北も見た。
今ではガラクタにもならないクチナシだ。性癖のことは置いておいても、ただの犯罪者であった。
窓の外には桜が咲いていた。きっとこのアパートメントの管理人が育てていたのだろう。ここの管理人は老人であったはずだ。息子娘が引き継いでいるのかは不明だ。そんな何も悪くない老人に「あなたのアパートメントでパチカスが首を吊りました」とは心苦しくて言いにくい。北にもそれくらいの配慮の心はある。そのため北は組の人間に回収させることにした。ついでに銀に「あの部屋の人、入院することになって。そのままご実家のある土地に戻るそうなので、代理ですが僕がお部屋の解約をお願いします」と言わせた。部屋から奪った免許書と偽の名前が書かれた銀の免許書を持って、家賃を一か月分払って鍵を返却した。管理人の老人は「あのアパート最後の住人さんでした」と寂しそうな声を出した。堅気に優しい銀は「別れの春ですからね」というと「次の出会いが楽しみや」と桜のように笑ったそうだ。銀は「余計なお世話かもしれませんが」と言って、DIY可能物件を探していますと書かれたパンフレットを老夫婦に渡して帰ったそうだ。
そうして。北と銀は部屋の掃除をしていた。専門の業者を呼んで床の清掃を頼んだ。ついでに下の部屋の屋根も修繕して、大量のごみと虫の退治を行った。もうゴキブリも何でも来い、とは言いにくいが、北は清掃が嫌いじゃない。元来マメな性格だ。しっかりゴキブリもウジも悪臭も、撃退した。
そうしてどうしても捨てることが憚れた小さな靴とワンピース、そして頭蓋骨。これの処理に迷って、桜の木の下に穴を掘って埋めたのだ。手を合わせたって念仏すらロクに知らない。虚無の中でもしっかり手を合わせて「こないな人間がお前を弔ってスマン」と謝り目を閉じた。
そこに銀が戻ってきたのだ。
「ええな、桜植えよか」
「桜って何年で花咲くんでしょうね」
銀がスルスルとスマホをいじり始めた。満開の桜が夜の月あかりの下で揺らめいている。心がざわつく、その気持ちがよくわかる。北は銀の頭の上に載った花弁を詰まんで除けた。
「え」
「なん」
「桜って縁起悪いんスね」
銀が呼んでいるウェブサイトが言うには、桜は花弁が散る姿から「死」「物事の終わり」を、散って色が変わる花弁から「心変わり」を連想させる、と。また桜は他の植物の養分を吸って成長をするため庭に生えている植物をダメにしたり、横へ横へ広がるため日当たりが悪くなるという。
「ふーん。みんな知っとるんやろか」
「サァ。俺は知りませんでしたし、知っとったら花見なんてせんでしょ」
「それもそうやな」
「あ、あと、”桜の下には死体が埋まっ”とるって詩があるそうですよ」
「それは知っとる」
「へ」
「有名よな」
その言葉にぐぬぬと眉と唇を顰める銀が愛しくなる。北はその顔に「ホンマのことやしな」と言った。顰めて曲がっていた眉が少しだけ本来の形に戻っていく。北はその指を桜の木の下を指した。その先には土が掘り起こされて色が変わっていた。反対の手でタバコの箱を上下に振る。すると出てきた一本をつまんで口に咥え。ようとしてそのままその土に突き刺した。
「この子、今生きとったらいくつなんでしょうね」
「……知らん。生きとったら、なんて考える時間が無駄やろ」
北の言葉は正論ばかりを言ってしまう。時間は生まれるし帰ってこない。止まるということは死。止まってしまった時間に思いふけるのは結構なことだが、それで自分の時を止めてしまうなんて本末転倒である。そんな時間があるなら違うことを考えた方が精神が清潔に保つことができる。しかし銀は心の優しい青年である。罪のない人間にはとことん優しいのは教育係の路成譲りなのだろう。銀の表情を見ていると言葉選びを間違ったような気もしてくる。しかしそうでしかないのだ。
その少女も、テレビに出ていたあのおかっぱ少女と同じようなおしゃべりだったのか。おかっぱ頭だったのか。母親のもとからどうやって離れてしまったのか。そういうことを考えたってこの子は振袖を着られず桜の木の養分になるのだ。少女が母親のもとに戻りたかったのは当たり前だ。母親が子供返してほしかったのは当たり前だ。そんな当たり前に後ろ髪を引かれていては地面か水面に引きずり込まれてそのまま自分を殺してしまうだろう。
「……あ。あと、北さん」
「ん?」
「桜って、3,40年かかるらしいっすよ」
しょんぼりしていた銀は、更に申し訳なさそうな顔をして小声でそう言ってきた。つまり骨になった少女はこの桜を40年保つための養分になったのだ。きっと、それでよかったのだと思う。北はその時には死んでいるだろう。老衰か、肝硬変か、肺がんか、あの男や江戸時代の処刑と同じように首がどうにかなるのか、それは知らないがどちらにせよ、そんなに長生きはできないことは17の頃から知っている。この骸骨の少女と同じ場所に行ける。
「ほな、どっか穴場スポット探しといてや。みんなで花見行くで」
「!はい!」
あんなにしょんもりしていた顔がパーッと晴れていく。夜なのによく見えた。それは桜が咲いたようだった。表情は忙しいやつや、と北は苦笑した。北は歩きだす。後ろからワフワフと犬のような銀が付いてきている。その足の下に死体が埋まっていると分かって踏みしめた。車まであと10メートルもない。
【夜桜の下に骸を埋めて踏み固める】