Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    スドウ

    @mkmk_poipoi

    読んで頂きありがとうございます!BIG LOVE❣️

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 38

    スドウ

    ☆quiet follow

    【オーブ】家業が銭湯の女とクレナイガイ。女の一人称ver
    文舵練習問題6-2。

    変わらない人 Another※練習問題6-1で書いた内容を、前回使わなかった人称で、かつて(過去時制)+今(現在時制)にして書き直す。



     水色のタイル地を、手に持ったデッキブラシで出来るだけ力を込めて擦っていく。ああいやだ、もうほとんど力が入らない。でも、あともうちょっと。背中と腰の関節がぱきぱき鳴っているのを無視して、最後の一画を磨き上げる。かつんと端っこの壁にデッキブラシが当たった所で、壁に掛かった時計を見やる。自分で決めた目標時間の内に終わって、思わずほっとする。でも、開店時間まであと少し。休んでなんていられない。十年前なら掃除の後にお茶の一杯でも飲む時間があったけれども、老いてしまったのだから仕方ない。昨日も、四丁目の風見さん達に「隠居したらどうなんだい」なんて言われちゃったけど、この区域にうち以外の銭湯はない。閉めて困るのはお客さんの方。皆もそれを分かっているから、私の返答に「違ぇねえ」と笑う。
     デッキブラシからホースに持ち替える。蛇口を捻ると、ホースに水が通ってぐっと重くなる。
    「でもね、困るのは、私も同じなのよ」
     潰したホースの口から、水が力強く溢れてくる。噴き出した飛沫が床に散っていくのを見ていると、あの人の事を思い出す。そう、私が十二歳の頃の話。
     あの人はハイカラな革の帽子を被って、毎日のようにうちの銭湯に通ってた。開店すぐに来る時もあれば、夕方の時もあって、そして風呂上がりには必ず瓶ラムネを買っていった。ラムネを所望する彼に瓶を渡して、空になったそれを回収するのが番台に座った私の仕事。今まで嫌いだったお手伝いだったけど、彼のおかげで楽しみになった。
     あと、ラムネの栓が硬くて困っている子ども達に代わって、彼が開けてくれる光景も好きだった。飲み口を塞ぐビー玉が瓶の中へ落とされた瞬間、甘い匂いと湧き上がる泡に、皆で声を上げて喜んだ。私も魔法みたいと幼子のような事を考えながら、番台からそれをじっと見つめていた。その次の次で、彼は開栓に失敗したけども。やっちまった、と濡れた床を見下ろす彼の為、私はすぐに雑巾を二枚持っていった。魔法は失敗したけど、私はますますこの人が好きになった――それに!
    「お前さんは働き者だな。毎日手伝っているだろう? 感心感心」
     二人で後始末をした後、去り際の彼がそう言うので、私は思わず首を振った。
    「うちの手伝いなんて当たり前のことですから、大したことじゃ……」
    「お前さんにとってはそうだとしても、毎回同じ人に出迎えられ、見送ってもらうというのは、心の力になるんだ。いつも、ありがとう」
     嬉しい言葉と、少しだけ幼く見えた笑みに、頬が熱くなった。本当は貴方に会いたくて、と伝えられたら良かったけれども、恥ずかしくて言えなかった。目さえまともに見られなくて、頭上の帽子を見ながら頷くのがやっとだった。
     また来ると言って、彼は店を出て行った。いつもと同じ言葉だったけれど、それが胸の中で星のように輝いた。これが彼の言う「心の力」なのかと、胸を押さえて溜め息を吐いた。
     その光がまだ、私を動かしている。ようやく準備が済み、いつものように番台に座る。開店時間になったと同時に、今日もひとりの客がやって来る。ハイカラな帽子を被った、今も変わらないあの人が。
    「会いたかったわ。ふふ。今日も一番乗りねぇ、ガイさん」
    「一番風呂は地球上で一番の贅沢だからな」
     青年の手が、張りを失った肩を叩いてくる。貴方はいつもそれね、とつい笑ってしまう。目元を緩め、彼も微笑んだ。
     今日も彼をはじめ、客を迎える。それが、私の「心の力」になる。


    2022.09.05
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator