手向けの花「へし切長谷部。君への手向けの花は僕の号だよ」
白む視界の中で知らぬ間に首筋にあてられた刃と視線と言葉は、恐ろしい程に感情が削げ落ちていて、視界を白く染めるほどの怒りすら沈める。後に残るのはキンと冴えすぎて動きを止めた思考回路だけで、思考回路だけでなく血の回し方すら忘れたのか急激に冷めた指先は本体を取り落とした。
落とした本体を追った視線の先には畳一面の赤と見覚えのある細かい金属片、破壊されたばかりで未だ依代が消えずに残された馴染みのある特徴を残した手足。
どう見ても自分を中心として惨状が広がっている。
凍りついた思考回路ですら自分の置かれた状況を把握するなど容易い事だった。思わず頭を抱えようとすれば、元の色などわからない程赤茶けた手袋が視界に入りそれすら許されない。
ゆっくりと声の主の方に視線を上げる。普段であれば華やかな羽織はあちこち擦り切れていて、本人も目立った傷はないが決して無傷ではない。
そして、その後には主が控えているのが目に入る。少し服は煤けているもののほとんど普段と変わりのない主の姿。しかし一点だけ明らかに異なる。主から自分に向けられる視線。
暖かな光など跡形もなく消え、有るのは不信感と恐れと大きな疑問の綯交ぜになった眼差しだけだった。
その視線は、自分の周りの惨状も、記憶が抜け落ちている数刻の間の己の行動も、失った信頼も、全て逃れることは出来ないと突きつけてくるのに充分すぎるものだった。
しかしどれだけ恐怖の色がにじんでいようが逸らされる様子はない真っ直ぐな視線から思わず目をそらす。
そのまま主の視線とは異なりどんな色も写していない目を見る。先程の言葉から一言も発さずにただ静かに俺の首に刃を添える本丸最古参の刀。
その目は凪いでいるわけでもなく、ただただ何も映していなかった。
ここで口を開いてどんな事を喋ろうが恥の上塗りがせいぜいだろう。それに、語るべき事を自分は何一つ持っていない。今ここで向けられた視線と刃と憶測だけが自分の知る全てだ。
ちらと刃に一瞥をくれてからその場に腰をおろす。
ひたりと当てられた刃も、まるで吸い付いているかのように一緒におりてくる。
取り落としたままだった本体で腹でも切ろうと思ったが、自刃を許される資格など自分には無いだろう。
居住まいをただし、深く頭をたれ両手をつく。そのまま瞼を下ろし、手向けの花だという銘を呼ぶ。
「……………………歌仙」
垂らした頭上から聞こえる呼吸が一瞬乱れたように聞こえたのは、この惨状を前にしても捨てきれない、愛したものへの未練がきかせた幻聴か。随分とヒトらしくなったものだと冷めた頭で考える。最後に聞いたのは呼びかけへの応えでもなく、ただチキと鳴った刃が静かに空を切る音だった。