無題ちょっと用事があると言って獅子神が家を出た。たったそれだけの事だった。
いつもの様に獅子神の家に集まり、騒がしく過ごしていると電話が鳴った。家主が電話に出て暫く話し「ワリィな、ちょっと野暮用で出掛け無くちゃならねぇ、一時間もしねぇで帰るから、適当にしててくれ」
それだけ言って家を出た。
皆は帰りにアイスが欲しいだの口々に勝手なことを言い、獅子神もそれをいつもの様に文句を言いながら聞いていた。
「それがどうした。このマヌケ」
駅前で刃物を振り回した人間がいた事、それを取り押さえようとした一般男性が重体で病院に搬送された事。スマートフォンのニュース速報は無感情にプッシュ通知を送ってくる。
「これ、敬一君だ」
呆れたような声で叶黎明がテレビ画面を切り替える。誰かがネットにアップロードした動画は叫び声と駆け寄る人影、揉み合う人間が道路に倒れ込む姿が人混みの合間に映されている。
「やだ、血じゃない?」
撮影者らしい間の抜けた声、振れる画像、アスファルトに広がる赤。
白いボトムスが赤く染まる。
「けいさつ…呼ばなきゃ」
振るえる声。動画が止まる。
「似たような動画が既にいくつか上がっているな。間違い無く獅子神君だ」
自分のスマートフォンを見つめたまま、感情を含まない声で天堂が呟く。
「咎人は逃げおおせている」
「……敬一君、何やってんだよ……」
「へんなの。獅子神さんが一方的に刺されて、逃げられたの?」
「……咎人は中高年の男性。金髪碧眼だな。よく似た顔立ちだが、獅子神君は父親に似ていたのか?」
叶が天を仰ぐ。真経津は目を閉じる。
私のスマートフォンが着信を示す。見知らぬ番号。通話。知らぬ声は警察官である事、獅子神のスマートフォンの緊急連絡先に掛けた事、彼が事件に巻き込まれ緊急手術を必要としている事を手短に伝えてくる。私は彼に家族はいない事、緊急手術に同意する事を告げる。
「御家族は、…いらっしゃらない?」
「私の他にはいない。私は彼のパートナーだ。法的な問題があるのなら国に言え」
「と、とりあえず、病院は……」
戸惑いながらも警察官は救急搬送先の病院を告げる。向かう事を伝え電話を切ると、皆がこちらを見ている。
「驚いた。いつのまにパートナーになったの?獅子神さんも知らない内に?」
「勝手に外堀を埋めると言うことか?最悪だが」
「これから周辺が騒がしくなる。賭場の事も探られるだろう。少しでも触りにくいプライベートな事情にしておくほうが後々楽だ」
「まあま、一応タクシーは配車したけど、礼二君どうする?」
「時間が無駄だ。獅子神の車を出す」
「神が運転してやろう。最短時間で到着する」
開いた手に獅子神のキーチェーンが載っている。
車の中で渋谷に電話を掛ける。
現状の報告。梅野(または宇佐見)より連絡がある事、ギャンブラー死亡時には賭場の口座は即刻凍結し存在事消える事。
「パートナーシップとかなんとかそういった制度のご利用は」
「……これからの予定だった」
視線を落として小声を震わせる。突然の出来事に心を苦しめる男を演じる。病院で待ち構えていた警官はころりと信じ込んで気の毒そうに眉を下げる。安易な男だ。
「……」
ゆっくりまばたきをする。半覚醒。唇がわななく。酸素を取り込んて意識が形をなす。はず、だが、
おかしい。
獅子神の性格であれば体に取り付けられた計測機器や点滴等に敏感に反応するはず。
それなのにただ緩やかにまたたくばかり。
胸ポケットを探ろうとして私服だった事に気が付く、私が、動揺している?