天使たちの話僕は一度だけ、あのひとと共に任務をこなしたことがあった。
ずいぶんと昔の、思い出したくもない頃の話だ。
その時は、長期の任務ということもあり街の宿に連泊したものだった。大概、任務と任務の間は暇を潰つため街へと繰り出すのだが、あのひとだけは違った。ただ宛がわれた部屋に鎮座し、いつものように微笑むのだ。「あら、いってらっしゃい」と。
一日や二日そうであれば気が乗らないで済む話だが、あのひとは任務期間中ずっと、一月の間何もせずそこにいた。
ある時、僕も様子を見に行ったが、あのひとは変わらず鎮座しそこでほほえんでいた。ずっと、ずっと。
痺れを切らした他の面子があのひとを誘って出したこともあったが、誘われなければ出ても来ない。出たとしてもいつもと様子は変わらない。いつもと変わらない。ただ変わらない。
そんな不変に恐怖したのか、だれもあのひとを誘うことはなくなった。
ああ、あれはまるで機械仕掛けの人形のようだ。命令を受ければ、話しかければ反応し、それ以外はただそこに在る。
ただ、それだけであれば良かっただろう。
そこには狂った価値観があり、狂った愛がある。
人形であることが先か、狂った方が先か、僕にはわからない。わかりたくもない。
ただ……愛を囁き、首を刈る。それがあのひとの、あのひとに許された自身の発露なのだろうか。そう思うこともある。理解も、同情もしないが。
僕はただ怯える。あのひとに造られたことを。
いつか同じになってしまわないかと。
あのひとは、周囲を喰らう獣だ。僕は、何になれるだろう。
僕は、人になれるだろうか。
ヨナ/思い出話をひとつ
あなたに抱き締められた。
正面から、こうして抱き締められたのは一体何時ぶりだったのだろうと、思考を巡らせた。
でも、私たちは別の紫杯連に所属しているのだから、こんなことは殆どなかった。だから、嬉しかった。素直に。どんなことが起こっても。私はそれで嬉しかったのです。
背中の冷たい感触も、あなたの囁く言葉も、遠い遠い出来事のようで。実感なんてちっとも沸かなかった。でも、あなたは私にくちづけをしてくれた。それで全部全部、吹き飛んでいったのです。
今までのもやが晴れて行くように。爽やかで、とても冴えていた。私にとっては、この地の底の空もこの時は輝いて見えていた。
そして私は思い出した。今までのことを、私のしたことを。だから、これでお終い。
あなたから、ゆっくりと離れる。せめて、最期に見せる顔は笑顔がいいと思うのだ。世辞でも、あなたは初めて会ったときに「笑顔が素敵だ」って言ってくれたから。だから、せめて笑顔でいよう。痛む背中も、立ち消える幻ときっと同じ。
「さようなら、デミル様。私、あなた様のことを愛しています」
これは小娘の小さな恋。愛と呼ぶにはきっと、足りないものが多すぎていた。でも、私はこれを愛と呼ぼう。
だって、愛ではないと消えてしまいそうだから。
そのまま空へと歩いて行く。飛ぶ気はない。
堕ちた私はきっと、このまま落ちるのがお似合いなのだから。
振り返り、そのまま落ちてゆく。霞んだ視界では顔がよく見えなかった。でも、手を伸ばそうとしてくれていた。
ありがとう、私の愛おしいひと。
さようなら。
ふわりと香りが漂った。
いつの日か誰かが渡した、香水の。
サロメ/さよならの香りを