かわいいひと「───ずるい。」
朝の真白い光を浴びながら、その長い蜂蜜色の睫毛からアメシストの瞳を覗かせた恋人は、起きたばかりだというのに盛大に拗ねていた。
突然、不満そうにそう言ったデイビットに驚いて、テスカトリポカは吸っていた煙草を落としそうになる。慌てて阻止したが、シーツに穴を開けたら、この目の前で可愛らしく頬を膨らませる男に小言を言われることは間違いない。
ベッドボードの灰皿にまだ長い煙草を押し付けて火を消すと、ご機嫌斜めの理由探しの始まりだ。
「お目覚めか?おはようさん。」
額に、頬に、鼻先に、ちゅっと音を立ててキスをして、唇にも下心なく口付けて、最後にシーツごと抱き締めた。不機嫌なことは間違いないが、おずおずと背中に腕を回して来るところは元来のデイビットの素直さだろう。
可愛いねぇ、なんて思って完璧に油断していたテスカトリポカは、突如として首筋に走った痛みにびくりと身体が強張らせた。
「いっ……──!!!!」
慌てて視線を落とせば、がっつりと首筋に歯を立てる恋人の姿。ついた形を確かめるように舌を這わせている。驚き過ぎて言葉を発することも出来なかった。
「うん、これでいい。」
満足げに血が滲んでいる傷口を見て、屈託なく笑う姿はもちろん愛らしいことこの上無いが、突然の横暴に納得出来るわけもなく、テスカトリポカはじとりとデイビットを見つめていた。
「突然噛むのはさすがに痛いって、テスカトリポカ思うワケ。」
「おまえだって、良く噛んでるだろう?」
恨みがましい視線を受けても、心底不思議そうに首を傾げるから、毒気も抜かれるというものだ。
シーツから覗いたデイビットの身体を改めて見れば、鎖骨から既に鬱血痕が点在し、左の乳輪を囲むように噛み跡が一つ、つい夢中になって吸いすぎた乳首はいまだに赤く、少し腫れていた。見えづらいが、記憶が正しければ肩口にもうなじにも噛み跡がある。
どうにも所有欲が全面に出た跡の付け方はつけた本人は満足だが、つけられる側はしばらく痛むかも知れない。多少の罪悪感を持ちつつも、誰がどう見ても(他のやつに見せる予定は無いが)隅々まで愛された身体はしっとりとした色気があって、思わずまた触れたくなってしまった。
そこをじっと我慢して、デイビットの真意を探る。
「ずるいっていうのは、なんだ、オマエも噛みたかったってことだったのか?」
「まぁ、簡潔に言えばそうだが、」
「他に理由があるなら、はっきり言えよ。噛まれるのが嫌なら、なんとか我慢してもいい。」
「そういうわけではない、……」
恥ずかしそうに視線をずらすから、噛まれることは嫌いじゃないんだなと、心の中でガッツポーズを取りつつ、彼の言葉の続きを待つ。
促されていることに気づいたのだろう、ぽってりとした赤い唇を開いたり、閉じたりして、何度か躊躇ったあと、小さくぽつり、ぽつりと音を落とし始めた。
「……オレばかり、こんなに身体中おまえの気配があって、セックスした翌日は落ち着かないのに、テスカトリポカの身体には何もなくて、それが、寂しかったし、いやだった。」
この可愛らしい生き物をどうしてくれようか。
猛烈なキュートアグレッションに襲われつつ、自身の感情を吐露したことに不安そうなデイビットを安心させるように、優しく頭を撫でた。
「……そういう事なら、いくらでも噛んでいい、オマエにならかまわないからな。」
優越感にも似た独占欲、こんなもの神である自分には不似合いな感情だと思っていたが、持ってしまえば悪くは無い。
「そう、か。分かった。」
ふにゃりと安堵の息を吐き、こちらに擦り寄って来たデイビットは、鎖骨や肩にも控えめに噛み付いたり、吸い付いたりしている。
でも、きっとこの愛おしい恋人はテスカトリポカの背中に引っ掻き傷を毎回残していることに気付いてないのだろう。
前後不覚になるほど、快楽の海に溺れて、突き落としている男に必死にしがみついて、爪を立てる。その様が愛らしい反面、真面目なデイビットなら気にするだろうと彼が起きる前に治していたが、この様子ならもう必要ない。
「……テスカトリポカ、」
「あ?どうした?」
「勃ってるぞ、おまえ。」
朝からこんなに可愛らしいことを言って、可愛らしいことをしてくるから当たり前の反応だと思うのに、どうして勃起しているか理解出来ないと、若干引いている恋人をベッドに沈めた。
「そりゃあ、んな可愛いことされて、勃たないやつなんて不能だろ?」
ようやく待てから開放された気分で、昨日散々暴いた身体に手のひらを這わせる。
「今日は見たい映画があると言っていただろう。」
「なぁに、時間はたっぷりあるんだ。今、オレはデイビット、オマエを愛したい、映画はその後でも遅くないだろう?」
昂りを隠すことなく押しつけて、欲の滲んだ視線を向ければ呆れたようで、どこか嬉しそうなデイビットが「仕方のない神さま、だよ。」と首に腕を回してテスカトリポカに抱きついて来ると、そのまま柔らかな唇を重ねてきた。
太陽が真上に登る前には終わらせるつもりだったのに、守れなそうだとテスカトリポカは喉の奥を鳴らした。