愛しているといってくれ 「おまえにっ! …っその権利があるのか!?」
ミクトランパにデイビットの怒号が響く。
テスカトリポカは予想すらしていなかっただろう。サングラス越しでも目が大きく見開かれたことが分かった。思わぬ反撃に動揺した戦神の掌が、無意識にデイビットを捉えようとしたが、それを乱暴に叩き落とした。乾いた音が二人だけの空間にやけに大きく響いた。
息が上がる。心臓が破裂しそうなほど、動悸が激しい。瞳からぼろぼろと涙が落ちる。
悲しいんじゃない、悔しいんだ。
テスカトリポカが好きで、そばにいたいと伝えただけなのに、その全てを否定された。
『オマエに恋なんて出来るはずがない』
あり得ないと突き放す言葉に、芽吹いたばかりの『恋』を踏み潰された。
赤くなった掌を、呆然と眺める神をデイビットは泣きながら睨みつける。
「オレの、っ心はオレだけのものだ!!そうだろう?オレはっ……テスカトリポカが、好きなだけだっ…!」
どうか否定しないで欲しい。
この場所を満たす愛しい男の匂いすら、今は心を落ち着けることなどできなかった。俯いたデイビットから次々と溢れる涙は、ぽたり、ぽたり、と地面に染み込んでいく。
その様子にテスカトリポカは小さく溜め息を吐くと、煙草を取り出し、火をつける。
「……で?オマエはオレにどうして欲しい?愛を返して欲しいのか?」
こちらを宥めようとする落ち着いた声色は、先ほどまでと違い、柔らかく包み込むようだった。まるで駄々をこねる子どもをあやすように。
あぁ、この神はオレを愛していない。
それだけは、はっきりと分かった。
再確認しただけだったが、その事実は心に重くのし掛かる。
「……っ否定しないで欲しいだけ、だ」
引き裂かれた心が痛い。人を好きになることはこんなにも苦しいものなのか。それでもデイビットにはこの感情を捨てる選択肢はない。
「…………オレは恋にうつつを抜かす者を戦士とは認めない、が」
「分かってる」
乱暴に目元を拭う。
心は相変わらず悲鳴を上げている。それでも、涙を落とさずデイビットは真っ直ぐにテスカトリポカを見据えた。
「ここを去るよ、テスカトリポカ」
「…………は?」
ミクトランパは戦士の安息の地。
テスカトリポカが戦士と認めないとなれば、去るしか道はない。
欲しかった答えだろうに、テスカトリポカは何も言わない。呆気にとられたように、ただこちらを見つめ返すばかりだ。
それを返答と受けとり、冥界と現世の境界線に向かう。
ここから出れば、暗黒星との通信は再開されるだろう。魂だけになったデイビットは回収されてこの地球にすらいられないかも知れない。この意識が砕けることも予想の範囲内だ。
そんなことよりも、恋を否定した張本人の元にいる方が辛かった。
歩を進めるデイビットは、少しだけ後ろを振り返る。テスカトリポカはまだこちらを黙って見つめていた。
(嘘でも、最後に『愛してる』って言ってもらえばこの思いは報われたのだろうか……)
好きも、愛してるも、この世界のシステムであるテスカトリポカには不要なもの。偽りでもその言葉を欲しがる自分はなんて往生際が悪いんだろう。
自嘲して視線を前に戻そうとした。その時、令呪痕が残る右手を何かが掴んだ。
煙のようだったが、すぐに人の形を作っていく。
「……待て、デイビットっ!」
迷子の子どもが懇願するような悲痛な声だった。
「……っ!」
テスカトリポカは、デイビットが今まで見たことのない表情でこちらを見ている。
オマエの感情は恋では無い、そうはっきり否定したはずのなのに。神は自分を愛していないと十分に確信したのに。
その声と、表情はまるで。
「あ~~クソッ!!」
「テスカトリポカ?」
握りしめられた右手越しに震えが伝わって来る。逆の手で乱暴に前髪をかき上げるテスカトリポカは、今にも泣きそうな顔をしている。
「オレは誰にも執着しない。だが、オマエが消えて無くなることが我慢ならねェ……っ」
吐き捨てる言葉とともに、求めてやまなかった体温がデイビットに与えられる。
慈しむように抱きしめてくるのに、力は驚くほど強い。
何が起きているのか、理解出来なかった。突然のことに処理が追いつかなくて固まってしまう。
「自覚しちまったんだから、仕方ねぇな。どうやらオマエを放してやれないらしい」
「それは、大変だな……?」
「あぁ、全くだぜ」
心底嫌そうな声を出すくせに、デイビットの髪を撫でる指先はひたすらに優しい。声も腕も、体温までも、デイビットが必要だと訴えかける。
信じられなかった。あんなに無感動にこちらを見ていたのに。だから、疑心暗鬼で問いかける。
「……オレを、愛してるのか?」
「はは、そうかもな」
軽い調子で返されたが、また強く抱き締められたからその言葉にきっと偽りは無い。
「っ!ちゃんと、いってくれ」
それでも、明確な言葉が欲しいと我儘が顔を出す。
テスカトリポカはこちらの頬を両掌で包み込むようにすると、まっすぐにこちらを見つめた。
「愛してる」
これでいいだろ、と鼻先にキスを落として神は笑った。