もしもの世界「俺とお前の何が違うんだよ! 世の中は弱肉強食だ」
灰崎の言葉を。左馬刻は否定することができなかった。だって左馬刻もそう思うから。だから左馬刻は『力』を求めた。誰にも負けず、相手を屈服させる純粋な強さ。それが正しいと信じここまで来た。ーーでも、本当にそれで合っていたのだろうか。自分は灰崎と何が違うのか……。そんな左馬刻の一瞬の迷いの間に、横から声が割り込んで来た。
「せやな、世は弱肉強食や」
「簓……」
そこに居たのはかつての相棒。左馬刻が背中を預けた男だった。
「なんだか強そうなのがもう一匹でてきたぁ」
楽しそうに笑う灰崎に簓は笑顔を返した。
「俺が強いってすぐ分かってもらえるとは嬉しい事やな。昔っからなぜか俺、なめられる事多くてな。昔ブクロで左馬刻と組み始めた時なんか、色んなチームに『碧棺じゃない方』とか言われてな。失礼な話や」
ふふっと懐かしそうに笑った後、簓は改めて灰崎を睨みつける。
「灰崎、俺は強いで。そして左馬刻も強い。せやけど、お前が強いなんてちゃんちゃら可笑しくてわろけて来るわ。お前は最低最悪の弱虫や」
簓の言葉に灰崎はじろりとこちらを睨めつけ、低い声で唸った。
「俺が……弱い?」
「あぁ、弱い。弱い格下ほど世(は)威嚇したがるっちゅーのは本当なんやな。やって、お前は逃げたんやろ灰崎。大切に生きる毎日を放棄して、誰かを傷つけながら自分の不幸に酔う、そんな楽な道に逃げたんや」
小さく簓は「俺も……そうなりそうになったから分かる」と呟いた。左馬刻が目を丸くしてこちらを見つめてくる。うんーー俺かて自暴自棄になったタイミングの一つや二つある。
その一つのタイミングがオオサカで洗脳がとけた時だということを、簓は誰にも話せていない。気づけば自分はオオサカに居て、ふと見上げたテレビの中で、かつての相棒が新しいチームを組みてっぺんをとってる姿は、なかなか来るものがあったのだ。
「実はな、世界で一番自分が不幸やと思っとるときって、自分が世界で一番幸せやと思っとるのと同じくらい楽なんやで。でも、それはただの逃げや」
灰崎はうろたえ、じりっと一歩しりぞく。実際にその楽な世界に落ちかけた簓の言葉は、一言一言に重みがあった。それに気圧されつつも、それでもなお灰崎は簓に吠える。
「俺は逃げてなんかいない。それに俺はこんなに強さを……」
「ちゃうで。そんなドラッグで塗り固められて誰かを踏み台にするような感情はただの弱さや。そんな弱い灰崎魔斗よりも、毎日せいいっぱい、弟の大事な場所を守って。日々の仕事で周りの皆を笑顔にしとったーー寶井灯依⾥の方が、何倍も何倍も強いやろ!!」
簓の言葉に、灰崎は言葉が出てこなかった。苦しそうに頭を抱えうめき声を上げる。
「寶井灯依⾥の方が……俺より強い? そんな事あるわけないだろ。力を、こんなに力を求めて俺は俺になったのに、それなのに……くそっ……最低だ……最低な気分だ」
そして灰崎はその場にぐらりと倒れ込んだ。
※
「はぁ〜しんど」
そう言って肩を叩いてきた簓に、左馬刻は静かに問いかけた。
「簓、力は強さじゃねぇのかよ」
「へ?」
「いや、なんでもねぇ」
「せやなぁ、『力』と『強さ』か」
「聞こえてんじゃねぇか、ぶっ殺すぞ」
なははっ、と簓は左馬刻に笑いかけてくる。その笑顔が、その近さがとても懐かしい。だが、煙草を差し出したが禁煙中だと手を振って断られる。そんな仕草から、あの時からの時間の流れが確かにあることが身に沁みた。左馬刻の煙草の煙を横目に見ながら、簓はポケットから飴を取り出し口に放り込む。コロコロと口の中でしばらく音を響かせた後、簓は口を開いた。
「たぶん、『力』っちゅーのはただそこにあるだけなんやろな。それを強さに出来るのは。それを使うやつしだいなんやと俺は思う」
「……」
「俺が信じるのは笑いの道や、でも『笑い』もきっとそれだけやったらただそこにあるだけ。それを人を蔑む嘲笑にするのか、それとも、腹の底から気持ちよく笑える大爆笑に昇華するのかは……きっと使うやつ次第や。せやから、まぁ、きっと俺の力量しだいなんよ」
「そう……なのか」
「まぁ、知らんけど」
するりと結論から逃げる簓に腹が立ったが、少しだけ左馬刻は心が軽くなった。『力』を求めたその先。その先は……自分次第。
まぁ、それに……と簓が指し示す先に目を向ける。
「銃兎! 理鶯!」
MTCの仲間がそこに立っていた。
「五月蝿いですよ、左馬刻」
「小官も銃兎も最低限の負傷ですんだーー感謝する」
いつもの二人がそこに居ることに自分がほっとして居ることに驚く。そんな左馬刻の横をすり抜けながら、簓が軽やかに笑いかけてくる。
「お前は、お前の道を肯定してくれる仲間を見つけたんや。大切にし」
「……おいっ、簓」
言いたい事が沢山ある。でもその掴みたい言葉は、指の間から溢れていく。そんな左馬刻を置いて、簓は前に進んでしまう。
「俺もーー俺の『笑い』の道に付き合うてくれる仲間が追いついたみたいや」
簓の視線の先には今のどついたれ本舗の仲間が居る。「まぁ、これから零とは話すこと沢山あるんやけどなぁ〜」なんて笑う簓は、もう未来の事を考えている。
「そうかよ……」
左馬刻の小さなつぶやきは、簓に届かず消えていく。
※
MTCとどついたれ本舗。計六人が集まったその時だった。ゆらりと静かにーー灰崎魔斗が立ち上がる。その姿を見つめ、銃兎は一歩前へと踏み出した。
「……目が覚めましたか?」
銃兎の問いに瞬きを返したのは、灰崎魔斗ではなくーー寶井灯依⾥だった。
「銃兎くん……。灰崎は……僕だったんだね」
今となっては、寶井灯依⾥は全てを理解していた。誤魔化すことはなく、自分の中に灰崎が居る事を自覚した。
「弟を殺した、この世界を僕は憎んでいた」
「……」
「奪い奪われるこの世界はなくってしまえばいいと思っていた」
「……」
「そして、それをひた隠しにし、灰崎という怪物を気づけば生み出していた」
「……」
「過去を、怒りを、悲しみを無視する事で、無いものにしようとした歪みが灰崎を育てた。僕の……現実逃避のせいだね」
「辛いときに目をつぶる事、それ自体は悪い事ではありません」
寶井灯依⾥は銃兎の言葉を聞き、小さく笑う。
「そうかもしれないね……でも、僕はそれが長すぎて、その間に辛い気持ちが膿んでしまった」
そう言うと寶井灯依⾥は両手を銃兎に差し出した。遠くでパトカーのサイレンが鳴っているのが聞こえる。
「……銃兎くん、君に頼みたい」
苦しそうな銃兎に、灯依⾥はただただ申し訳なさがこみ上げた。でも、我儘ついでにもう一つだけ。
「あのね。銃兎くん、僕か罪を償って、もしもーーもしも時間が残されるなら……僕の、弟の話に付き合ってくれるかな」
ーーきっと、時間なんて残らない。
多くの人の人生を歪め、自分の破滅願望に巻き込んだ。
灰崎魔斗……いや、寶井灯依⾥は監獄から出てくることはおそらくない。
銃兎もそれは十分に分かっている。分かっていて……寶井灯依⾥に手錠をかける。
「お兄さん……貴方の弟は、世界を、守ろうとしていました」
うん、と灯依⾥は静かに頷く。
「そうだね。そうだったんだ」
もっと、そういう話を沢山すれば良かった。沢山話して、悲しいと言っていたら……灯依⾥の傷が膿むこともなかったかもしれない。
ーーでも、そうはならなかった。
銃兎に促され、到着したパトカーに灯依⾥は乗り込んだのだった。
左馬刻だけが戦っていたら、きっと結果は変わっていた。
灰崎は灰崎として死に、灯依⾥は自分の罪を完全に自覚することはできなかった。
左馬刻も、簓もわずかに脳裏をかすめた記憶に導かれ、
銃兎も、理鶯も、蘆笙も、零も、様々な偶然が重なって。
『ここは少しだけ早く。灰崎との戦闘が行われた世界』
だから、何かが変わった世界。
分岐は、きっとささいな積み重ね。
小さな揺らぎが運命を揺らし、大きく未来を変えていく。
おわり