過剰なお世話 ある日のティータイム。
その日は内務作業を終え一息つこうと思い、リシテアは侍女の一人と共に至福のひと時の準備をしていた。
「前から思ってたんですが、奥様って愛人をお作りになられないんですか?」
唐突な質問に、リシテアは紅茶のポットを手放すところだった。すぐに凄いことを聞く侍女の意図を察した。
「ないですよ……。そういう趣味ないので」
「ええ〜? 勿体なくないんですか? リシテア様は美人ですし、適当に愛想振りまけば簡単に手玉に取れますよ!」
いつだか似たようなことをヒルダに言われたことを思い出した。まさか、今になって聞くとは思わなかったが……嫁いだ先で。
「…………してほしいんですか?」
「あっ、それはそれで面白そうですね〜!」
「要らないですよ。面倒そうですし、そういう気になりませんし」
またもアレな発言するが、彼女はこういう人だとリシテアは慣れてきていた。
お茶の時間にする会話ではないが、この手の話は貴族間では珍しくない。紋章社会が浸透してからの歴史は長く、改革や政権交代したからといって紋章の継承を第一に考えてる家は未だ多い。
となれば、愛人や妾の話も出てくるもの……か?
「大体、わたしに聞いてどうするんですか。普通は逆じゃないですか?」
「フェリクス様に聞いたら、さすがに怒られますから。揶揄いやすくなったんですが、地雷も多くなっちゃって……リシテア様に関することだと特に」
「貴女は地雷に当たっても平気そうですが」
「睨まれるくらいなら全然ですね〜!」
あんまりな発言も昔からなので、周囲も慣れていた。長い奉公歴はあるが、フェリクスとの関わりは薄く、よく遊びに来て声をかけてくるシルヴァンの方が交流が厚いらしい。
お付きじゃないからそんなものですよ! と当人は言ってるが、夫と相性が悪いからだとリシテアは密かに思っている。
「ここ最近の奥様は、内務業務ばかりしてますよね。時々買い物とお菓子作りって感じで、つまんなくないですか?」
「そんなことないですよ。復興はまだまだ問題が山積みですし、領地の安定は務めですから」
「リシテア様は真面目過ぎですよ! 三日かかる仕事を一日で終わらせちゃいますし、夜遅くまでやってますから、みんな心配しているんですよ。もっと適当にざっくりして、羽を伸ばした方がよろしいと思いますよ?」
「ざっくりって何ですか……。だからって、愛人を勧める人がいますか?」
「言葉の綾です!」
頭が痛くなる会話なのだが、これも珍しいわけではない? らしい。従者間ではわりとポピュラーな話題らしく、仕える相手によっては別の女性や男性を勧めることもままある。空気を読むのは家臣達にとって大事なことで、空気が良くなる援助もする!
リシテアもこの手の話は知っているが、縁遠かったのでいまいちピンとこない。爵位を返上して一時は平民になった身だと余計に遠く感じ、趣味でもない。
「わたしは結構ですよ」
「奥様方は政略結婚って、わけじゃないですからね。……はぁ〜意外です。意外過ぎて、今も半分信じられません」
「言い過ぎじゃないですか……」
「でも、旦那様だとつまんなくないですか〜? 愛想悪いですし、顔を合わせる度に嫌な顔してくるんですよ」
「それは、たぶん貴女だからだと思いますよ……」
露骨に態度で不快を示すフェリクスが想像できて苦笑する……。口を塞ぐため、リシテアはメアリに本日のお菓子の一つを渡す。彼女も甘党なので快く応じて、甘い至福の時を堪能する。
侍女として有るまじき行為でも、もう咎める気は起きなかった。……それに、一人のお茶は寂しいものだ。
「そういえば、フェリクス様が遠征に出てから、けっこうお日にちが経ちますね。文の一つでも寄越せば良いのに!」
「仕方ないですよ。早馬を出すほど緊急事態ではありませんし」
「緊急事態じゃないと連絡取らないなんて、寂し過ぎますよ〜! それで良いんですか?」
「……発言は控えさせていただきます」
余計なお世話と思いながら、紅茶を勧めて黙らせる。
しかし、メアリの言うことも一理はある。寂しいのは本当で便りの一つくらいほしい。気を紛らわすために内務仕事に精を出していたが、やり過ぎも良くない。まだ帰って来ないのだから、何かで羽を伸ばすのは良いかもしれない。……ということを目の前の女性に言ってしまったのが不味かった。
「なるほど〜! じゃあ、取るべき行動は一つですね!」
「あの……何か企んでませんか?」
「いえいえ、奥様の寂しさを紛らわす手助けをするのも使用人の務めですから。ご安心ください~!」
全く安心できない……。引きつるリシテアに満面の笑顔で語っていく彼女の提案は、とても甘く、胸を躍らせた。口八丁の侍女に押しに押されて、推しの弱いリシテアは流れてしまう……。
復興のためにあちこち遠征して久しいフェリクスは、此度の滞在先──旧レスター諸侯同盟で肩を落とす。この地域は未だ貴族体質が強く、弁が立つ者も多くて、彼が苦手とするタイプの当主ばかりだった。
やり辛い分、手間取ってしまう間に時間は過ぎていき、本日早馬で届いた手紙を見て絶句する。
『あんまり放ったらかすと浮気されますよ〜!』
といった内容だった。リシテアの字でないのはすぐにわかった。フラルダリウスの紋で早馬を出せて、この慇懃無礼で不躾な書き方をする人物の心当たりは一人しかいない!
以前、彼女の出鱈目のおばけ撃退法で面倒なことがあったため、フェリクスの警戒心が俄然高くなる。……早馬での報せに緊張していたのに一気に萎んでいった。
「なんだ、こいつは…!」
そう思うのは当然。だが、読んでいくと手紙の内容は決してふざけておらず、厄介だった……。
遠征は長引いていたし、リシテアへ文の一つも書いていなかった。早く終わらせたいと思っているのだが、なかなか思うようにいかないうちに……といった感じで、フェリクスに落ち度がないとは言えなかった。
だが、リシテアは賢いので、その辺は理解している! 今回の遠征先は彼女の故国でもあるので、どんな情勢でどういう体質か把握しており、フェリクスに助言していたほどだ。
『言わなくてもわかってくれる、なーんて過信したら駄目ですよ! ひび割れてから砕けるのは、あっという間ですから〜』
見透かすように辛い現実を突き付けてきて、思いっきり舌打ちをした。言われるとけっこう腹が立つ。
……実際はもっと淡々とした手紙なて、のだが、どうにもフェリクスの脳内で、勝手にいつもの調子で変換されていく。ちょこちょこ的確に咎めるあたりは長年の奉公歴を感じ取れて、少し感心してしまうほどだった。
『ということで、後はよろしくお願いしま〜す! あっ領地の方は大丈夫なので、安心してお楽しみください〜』
……またなんかやらかしたのか? と真っ先に思ったが、国の方は問題ないようだ。留守にする間の内務はリシテアがやることが多いが、心配していない。仕事は早く効率良く熟すので、フェリクスより適正度が高い。
じゃあ、なんだ? 怪しい意味深な締めに眉を顰める。ゾワゾワする悪寒が背筋を走っていった。
数分して、用意された部屋に控えめがちなノックが聞こえた。滞在先の使用人が、客が来た旨を知らせてくれた。
客の心当たりはない。そう告げるが、返された二の句に絶句して案内を頼んだ。
「……嵌められたのか」
「ま、まあ、そんな感じかもしれません!」
恥ずかしそうに姿を現したのは、領地に残っているはずのリシテアだった。先に早馬の文を読んでいたので、おおよその経緯は察せれた。……あの女に担がれたのだろうとフェリクスは考えたが、リシテアは自ら話に乗ったところがあるので胸中は複雑だ。
「なんだって、急に来た?」
「い、いいじゃないですか! わたしの仕事は問題ないようですし……ちょ、ちょっと羽を伸ばしたくて! ほら、旧諸侯同盟はわたしの故郷みたいなものですから!」
「リーガン家に用があるのか?」
言葉を詰まらせる。此度の遠征先はリーガン家で、交流めいた会談である。今は無くなったコーデリア領とは縁が薄い……リシテアは必死に頭を回転させて、それっぽい理由を考える。
「その、一応元盟主の家ですし! あ……挨拶した方が良いかな〜と思いまして!」
「そうなのか?」
「べ、別に良いじゃないですか! しばらく、あんたとも会ってないですし、わたしも羽伸ばしたいですし!」
今更苦しい言い訳しなくても良いのに……と思うのだが、リシテアの羞恥と天邪鬼が強いよう。
フェリクスは額面通りに受け取って納得する。鈍い夫に苦笑するも、メアリに乗せられて会いに来たと知られるのは恥ずかしいので、このまま押し切ろうと決める!
「悪かったな。……連絡しなくて」
「いえ、なんとなく察せれましたから。まだゴタゴタしてると思ってましたし、盟主も不在ですし」
「そんなことは…………リシテア、ちょっとこっちに来い」
言いかけて、渋い顔をして呼び付ける。彼の妙な態度に訝しがるが、素直に応じる。リシテアがフェリクスのそばに近付くと、彼は動いた。
「──何のつもりだ」
低い声と共に扉を開ける。フェリクスに倣って目を向けると……いないはずの人物がいて、悲鳴を上げる!
「な、なななんで、いるんですか!?」
「あー……覗くつもりじゃなかったんだが」
胡散臭い笑顔で現れたのは、久方振りの再会となる元盟主様だった。つまり、クロードが扉のそばに控えていたのだ。
「そんなつもりはなかったんだが、元級長で元盟主の立場として、ファーガスから遥々お越しになったご婦人に挨拶しておこうと思ったんだが……ちょっと間が悪かったな」
「気配まで消す必要はないだろ」
「さすがに、武人気質のフラルダリウス公爵様は欺けなかったか……」
「邪魔しないでくださいよ! パルミラに帰ったんじゃなかったんですか!?」
「……リシテアは口が悪くなってないか?」
叫びながらリシテアは糾弾するも、クロードはのらりくらりと躱す。対照的に鋭い眼光を放つフェリクスには、弁解を図っていく。
「まあまあ、本当に挨拶に来ただけだって!たまたまフォドラに来てたし、戦争終結後も会ってなかったしな。祝いの言葉くらいかけても良いだろ?」
「構わんが、後にしろ。取り込み中だ」
素気無く告げて、扉を固く閉める。足音が離れていくのを確認してから、ようやく息を吐く。
「クロード、帰ってたんですね……こんな時に!」
「ちょくちょく様子を見に来てるようだ。元盟主だからな、無関係ではない」
「ううぅ……知ってたら、もう少し慎重になったのに!」
リシテアの反応を見て、フェリクスは複雑になる。クロードが滞在中だと知っていたら、此処まで訪ねて来なかったかもしれないと思えば……彼とて、リシテアの訪問は嬉しかった。寂しかったのはお互い様だ。
「追っ払ったから、もう大丈夫だろ」
「意外と邪険にするんですね? 何かあったんですか?」
「……別に」
クロードがリシテアに会えば、揶揄うのは目に見えてた。あまり見てて気持ち良いものではないし、せっかくの時間を邪魔されたくない! と言うわけがないので、リシテアはフェリクスの態度に疑問符を持つ。
「まあいいです。もう、連絡の一つくらいしてくださいよ! 大丈夫とわかってても、心配になりますよ」
「悪かったな……」
「ええ! ですから、ちゃんとお詫びしてくださいね!」
頬を緩ませて、リシテアはフェリクスの胸に飛び込んだ。柔らかい熱は少し懐かしく、恋しくなって腕に閉じ込めた。久々の夫婦の時間を堪能していった。
「その気はないですけど、愛人を勧められてしまいましたよ。寂しく見えるみたいですね」
「……そうか」
リシテアの城での生活を聞きながら、帰ったら焚き付けた侍女の処分を考える。……浮気されますよ? の進言は意外と堪えてた。