とんでもない場面に遭遇してしまった──。
人通りの少ない校舎裏、誰もが想像する定番の場所にリシテアは立っていた。
「猫を追いかけていただけなんですが……」
小さな香油の瓶を手に持っていたら、灰色のぶち猫がそれを咥えて一気に走り去った。リシテアは慌てて後を追った。
そこで猫と小瓶を見つけ、ホッと一安心──したのも束の間、彼女の視線は先にいた一組の男女に釘付けになった。
「あっ、あの、ここんな所に呼び出して、すすすみません…!」
震えながら大きな声で伝える彼女は顔を伏せており、とても緊張している様子だ。これって、あれじゃないか? そう、今まさに呼び出し校舎裏イベントが発生していた!
そして、想いを伝えられそうになっている相手──フェリクスは、不愉快と隠しもせず撒き散らしていた。
「覗き見るつもりはないんですけど、ちょっと気になりますね。……覗きはよくないのですが」
場違いで不謹慎とわかっていても目が離せない。ドキドキの告白!?場面のはずなのに、何故か不穏な空気が漂っていた。
それもそのはず、草むらに身を隠すリシテアが目を向ける者、フェリクスが剣呑な様子だったからだ。
「あれは早く帰りたそうにしていますね……」
リシテアはちょうどフェリクスの後ろに位置する場所にいるため、彼の表情はわからない。
だが、日頃彼を見ていた彼女は雰囲気で理解した。
「要件は何だ。さっさと言え」
「はっ、はははい!……あの、えーと」
舌打ちが聞こえてきた。ダメだ、恋慕を伝えようとしている女性相手に最低な応対だ。
しかし、放課後の訓練前とは間が悪い。
「せめて訓練後か休憩時だったら……あと一時間後だったら、もう少しまともだったのでしょうが」
フェリクスがどうするのか気になるが、こんな態度を取られてしまった女生徒の方も気がかりで、引き続きデバガメ……見守っていく。
「い、いい一緒にお茶してくださいませんか!」
「断る」
即答だった。間髪入れず断つのは天晴れで、リシテアは絶句した。
それでも、女生徒は猛進をかける。
「あ、甘いものがお好きでないと存じておりましたので、甘くないと評判の流行り菓子を用意しております!ちゃ、茶葉はスパイスティーですので……あの、よろしくお願いします!」
断わられる前提で追撃する様は勇ましく、羨ましく思えて、リシテアに複雑な気持ちが湧く。
「それ食った事があるが、甘くて食えたもんじゃない。塩を使って甘味を抑えたと言うが、かえって甘ったるくて後味も悪い」
何、食通な返答してるんですか!?と我に返った。そして、その流行りお菓子をフェリクスに渡したのは自分だと気付くリシテア。
「しまった……甘さ控えめの売り文句でフェリクスに食べさせたんでした。結果は散々でしたね」
砂糖を不用意に減らしたからボソボソとした食感で、塩のアクセントが甘さを強調していたため、フェリクスには不評だった。
まさかの返答に、女生徒は硬直する。
「お、お口に……合わなかったのですね……流行り物に敏感でしたとは存じあげませんでした」
「面倒な奴に食わされたからだ」
つい手元にあった草をブチっと抜いてしまうリシテア。誰のことを面倒な奴と言っているんでしょうか?と、苛立ちを発散させた途端。
「──気配がするな」
突然、フェリクスが辺りに視線を向ける。異変を感じ取り、剣客に様変わりする彼の目は鋭い。
いけない、今ここでバレてしまうわけにはいかない!覗き見してたと知られたら軽蔑される!
動揺して声を上げそうになったリシテアの口に、突如後ろから大きな手が塞ぐ。
「……落ち着いて、子猫ちゃん」
「んっ?!!」
不審がる前方に気取られぬよう猫の鳴き真似をして誤魔化す男は、シルヴァンだった。
「…………猫か?」
剣を収めるかのように鎮まっていくフェリクスに、リシテア達は安堵の息を小さく吐く。
「ふぅ〜誤魔化せたか?こんなところに迷い込んじゃだーめでしょ」
「な、なんであんたが此処にいるんですか!?」
小声で話し合うリシテアとシルヴァン。覗き見していたのがバレて居た堪れないが、赤髪の青年は気にしてないようだ。
「それは、お互い様ってことで。俺は女の子の味方! ……っていうか、その女の子を止めようと追いかけたらこうなってた」
「……納得しました」
「すぐ行動に起こすと思ってなかったからさ。あーゆー子って、意外と勢いに乗ったらどんどんいっちゃうからな。度胸は買うんだけどさ」
調子良く話すシルヴァンだが、茶化してるように思えなかった。珍しい姿が説得力を増し、リシテアはこんな事態が一度や二度ではないと察した。
「あんたはモテる男のためのアシストですか?」
「そんな顔して言わないでよ!違うから、フェリクスの場合は勇気あるお嬢様への配慮だよ」
わたしには関係ないですけどーと前口上を述べて、気になってる事を彼の幼馴染に問う。
「いつもあんな断り方なんですか?」
「あんなんだよ」
「……どうかと思いますよ」
「あれでもまだ良い方だよ」
苦笑いをして、再度デバガメ観察に移る。
女生徒は言葉も発せずにいた。この事態で元気な方がおかしいか……と、リシテアとシルヴァンは同情に似た思いを寄せる。
「用が済んだなら戻る」
「あっ、待って、待ってください!せ、せめて、お菓子を召し上がってください。ちゃんと甘さ控えめに作りましたから!」
精一杯の勇気を振り絞って差し出されるハンカチ。その中にはお手製のお菓子が包まれていた……見えないが、たぶんそうなのだろう。
此処で受け取らない選択肢はない。
「要らん。知らん奴が作った菓子なんて怖くて食えん。見たくもない」
「っ?!」
──殴りたい。そう思ってしまうデバガメ組。
これはない、酷い!断るにしても最低だ!
「……あの、フェリクスってけっこう」
「クソ野郎だよな」
二人の心は見事シンクロしていた。
当然、女生徒は涙交じりで逃げ出すように去っていき、フェリクスは何事もなかった様子で訓練所に向かった。リシテア達には気付かず。
「……あの人、あれでいいんですか?」
「いやーまっ、まあハッキリ断る方が良いって事もあるからさ」
「最低な断り方ですね」
「まだ話聞くようになったから進歩したんだよぅ!」
良い方なんだ……フェリクスらしいというか、行動と言動が一致している分理解はできる。
「断り文句くらい指導したら、どうですか?」
「いやいや、それであーなってるの!フェリクスより女の子に助言した方が合理的で早い。お茶に誘うなら肉料理用意しておいた方が良いぜ!って」
「そんなお茶会嫌です!」
肉と油に塗れたお茶会を否定する。だが、フェリクスが相手なら食い付いてくれるだろう、と頭は正しく導いていた。
翌日。
リシテアはふと気付いた。そういえば、フェリクスとは一度もお茶会をしていない。
「お菓子を食べることは何度かしていますが……」
お菓子を食べて話しての訓練後の一時補給的なもの。お茶会とは程遠い。
恩師とのお茶会には参加をしているようだが、同級生達としたとは聞いた事がない。昨日の出来事やシルヴァンの話からしても真実……つまり、誰とでもお茶会をしない!
「貴族としてはどうかと思いましたが、フェリクスらしいですね」
そう呟きながら訓練所へと足を運ぶリシテア。今日は実技訓練の予定はなく、お菓子も携えていない。だが、用があった。
「ちょっといいですか?」
見計らって、フェリクスに声をかけた。
顔を向けてくる彼に、平静を装いながら声を謳う。
「あの、お、お……お茶会をしませんか?」
「茶会?」
「そう、お菓子を食べてお茶を飲む普通の茶会です」
「菓子は要らんが」
「要りますよ!お菓子とお茶は必須です」
しどろもどろになった誘いだったが、彼の指摘で調子を取り戻していくリシテア。今のところフェリクスの反応は薄い……というか無愛想で読めない。
「今度作りたいお菓子が、お茶会にちょうどいいんです。そ、それに、あんたは色んなお菓子を食べて、もっと私見を広くした方がいいですから!」
嘘じゃないのに言い訳っぽい説明に、心の中で地団駄を踏むリシテア。
「ちゃんと日時を決めておきたいんです。次回作は日持ちしないですから」
「そうか」
「あんたのために作る特別なお菓子なんですから。そうです、甘いものは頭の回転を良くすると言いますし、剣の腕も上達しますよ!」
「そんな話聞いた事がない」
「百聞は一見に如かず、と言います。ゴホン、そう言う事で今回は『お茶会』が適してます」
お茶会を強調してしまった事で羞恥が生じ、目線を逸らしてしまう。心臓が高鳴る中、数十秒……フェリクスは返事をしなかった。気になってチラリと表情を窺うと険しい顔をしていた。
(ダメでしたか……)
誰が見ても断られると判断する状況だった。
元々甘いもの好きでもないし、お茶会に興味がないから断られるのは至極同然。
でも、どこかで期待していた……なんだかんだで付き合ってくれるし、強引で理不尽なリシテアに対して無碍な対応はしてこなかった。
尚も眉間に皺を寄せて、首を傾げてるフェリクスに気圧されて、諦めようとした矢先。
「無理でしたら諦め──」
「いつがいいんだ」
「は?」
「今週は演習と先生との課外で埋まっている。可能な限り訓練に充てたい。来週の後半でいいか?」
「??? え?……するんですか?!」
「お前が言ったんだろ!」
予想だにしなかった返答にリシテアは呆けた返事をして、フェリクスに突っ込まれる。
あのフェリクスがお茶会の誘いに応じようとすれば、誰だって彼女と同じような反応をしてしまうだろう。
「何かおかしいか?」
そうとは知らないフェリクスは、不審な彼女を睨んでしまう。
「えっ?あっ、驚いてしまって……まさか、あんたがお茶の誘いに乗っていただけるとは……」
「驚くような事じゃないだろ」
「いえ、驚きますよ!」
思わず声を上げるリシテアだが、心外と言わんばかりに彼は眉を顰める。
「要らん物を押し付けられる度に付き合ってるだろ」
「な、なんて事言うんですか、要らん物って何ですか! それに、わたしはお茶会に誘ったんですよ。ただお菓子を渡すためじゃないんですよ!」
「言うまでもないだろ」
「いいえ、わかってませんよ!お茶会ですよ、お茶飲んで、お菓子を食べ合うお茶会ですよ!」
「いちいち説明しなくてもわかってる」
顔を赤らめて叫ぶリシテアと対照的にフェリクスは平静と呆れが滲む。
彼が茶会に誘われて承諾するのは恩師くらいで、その恩師はパーフェクトな回答をしようとしたり、「魅力が上がった!」と変な事を呟いてガッツポーズ取ってるし。
そう言う意味では……まともなお茶会をするのは初めてになるのか?とフェリクスは気付く。
「それで、来週でいいのか?」
「えっ? あっはい、その方が助かります。わたしも準備しないといけませんから」
「菓子は無くても構わんが」
「だから、お菓子のないお茶会なんてあり得ません! と、ともかく、約束しましたからね。忘れずに頭の中に叩き込んでおいてください!」
はいはい、と疲労を含んだ返事を聞いてからリシテアは踵を返す。不貞腐れているように見えるのに笑みがこぼれている。
「いつもの気まぐれです。どうせ意味なんてないですよ!」
深い理由はない。人を振り回しておいて我関せずなんですから、と不満を言っても足取りは軽やかだった。
お茶会が開かれる──今はそれで十分。
「ふふっ、お菓子は美味しいと思わせてやるんですから!」
来る日に思いを馳せて、彼好みのレシピを考案していく。
灰色のぶち猫が、大欠伸をして眺めていた。