突然、家にやってきた黒い集団。驚く間も無く、あっという間に薄暗い地下に閉じ込められて血塗れの壁が出来上がった。
耳を劈く断末魔の叫びは幾度と無く続いて、ついにその番が自分に巡ってきた。
ああ……女神様はどうしてこんな運命を負わせたのでしょうか?祈っても願っても嘆いても誰も助けてくれない。こんな日々が永遠続くと絶望したのは数え切れない。
それでも、私は懸命に生きてきたのに、どうして──。
恨み越しの懺悔を放った後、気付いた。
誰もいない、何も聞こえない、飛び散る肉片が止んでいる。
終わった。これまでの人生は終焉し、誰のものでなく、私は私のままに生きていいのだと覚らされた。今の私こそ自由で、女神にもなれると導いてくれた。
血の惨劇の上で、私は産声を上げた。新しい私、本当の私が生を受けた。
潜入捜査をして、早々に村の集まりに誘われた。何でも定期的に行われる祈祷会という事だ。
「情報収集に打ってつけですね。行かない手はありませんし、参加しない方が不自然です」
「まあ、そうだな。……気は進まないが」
フェリクスを通して、集いへの参加を打診された。新参者の夫妻(仮)が断るのは角が立つし、怪しまれる。何より、この村の実態を探るのに有益である。
そうとわかっていても、フェリクスは渋っていた。
「俺だけでいいんじゃないか?」
「いつまでも閉じ籠っているわけにはいきませんよ。ぜひ夫婦で参加してください、と言われたんでしょ」
「そうだが……強制ではない」
「もう、及び腰になってどうするんですか」
理路整然とリシテアは反論するも、彼の気持ちはわかっていた。村の長である、アマリスに会わせたくないのだろうと。
フェリクスの気遣いは感謝しているが、リシテアと同じく白い髪を持っている以上、確かめなくてはいけない。……かつて、自分と同じように悍ましい実験を受けていたのかどうか。
「大丈夫ですよ、わたしにも考えがありますから。体が弱くて誰も姿を見た事がないわたしの状況を維持します」
「は?」
「勘とはいえ、あんたの危機感は尤もです。まだ村の長と対面するつもりはありませんから遠くから観察します」
そして、リシテアは作戦会議のように当日の流れを練っていった。
フェリクスは回想する。
「よろしかったらお茶でもいかがですか?」
仕草や誘い方が貴族のものと感じされた。庶民とは違う気品や佇まいもさることながら、ただの貴族と思えない底知れないナニカを感じ取った。
誘われた際は二人であったが、外には何人かの村人が見守っていた……というより、監視されていた印象を受けた。
「遠慮する。落ち着くまでは妻のそばにいる」
素っ気なく断れたのはアマリスに対して不信感が強かったから、とフェリクスは自身を振り返る。リシテアがいなかったからとはいえ、平然と妻と言えたのは彼自信が驚いてた。
だが、本心であった。理由はわからないが、この女はリシテアに近付けさせたくないと。
「そうですね、まだお加減がよろしくなかったとお聞きしました。このような時にお誘いして申し訳ありませんでした……。それでしたら、今度交流会がありますので、ぜひそちらの方に」
と祈祷会に誘われた経緯。
こちらが本題と言わんばかりの提案にフェリクスは思えた。一度断ると次の誘いを断り辛くなる心理が働くのを利用された、と時が経った後に邪推する。
返事を保留にして、リシテアに話すと案の定乗ってきた。情報収集に適してるし、村落の人々の様子を見れる絶好の機会だから当然とわかっているが、フェリクスは自己判断で断っておかなかった事を悔いていた。
(……任務を放棄して逃亡するか、さっさとあの女の心臓を止めた方が良い気がする)
短絡な解答をしてしまう自身を疎ましく感じつつ、直感は危機を煽り続けている。
腰に下げた剣の柄に添えた手が離れずにいた。
祈祷会は村の奥にある森で行われる。村からほど近く広場のように手入れされていた。
祈祷会というように簡素な祭壇が設けられていたが、どちらかというと木張のステージに近かった。
松明に囲まれた其処に集まる村人達をフェリクス達は森の茂みから観察していた。
「大人達ばかりで子どもはいませんね」
「月が高くない。おそらく大人達だけの集会なんだろ」
「子どもには見せれない集会だから……いえ、今は情報を集める事に専念しましょう」
木々に隠れ、息を潜めて観察していく。軍に所属いる二人には造作もない作業をしながら、違和感を探す。
「男が多いな。どいつも若くて健康そうだ」
「多くの成人男性が健康体でいられるほどの資源がある。村の規模を考えるとちょっと不自然ですね」
セテスから貰った資料でも村人は30人ほどと小規模だ。戦時中と教会を頼らない集落となると非力な女や老人が多くなるものなのに、この村では反対の人口比だ。
「全員が出席してるわけじゃないから、まだ何とも言えん……そろそろ始まる頃だな」
「ええ、予定通りに行きましょう」
森から出て、二人は何食わぬ顔で集会場へ向かった。
アマリスが挨拶をすると月明かりの下で踊り出す。軽やかに足取りで舞い、光を浴びた長く白い髪が緩やかな弧を描き、麗しき美貌が尚磨かれ、この世のものと思えない美を作り出していた。
「ああ、我らの女神様」
「慈悲を与えし御使い」
村人達の感嘆の声が森に木霊していく。
セイロス神を差し置いて、他の者を女神と同列に扱うなどファドラではあり得ない。なのに、この村では当たり前なのだ。
(女神なんぞ信じていないが、たしかにこの女にはそう思わせる力がある……人間とは思えん)
信仰深くないフェリクスでもアマリスに魅入らされる。同時に不信感が一気に膨らみ、指に触れる鞘に力が入る。
「フェリクス……殺気を抑えて。まだその時でありません」
背後からの声で、フェリクスは我に変える。剣を抜きたい衝動を抑えて歩みを進める。
皆の意識が舞い踊る村の長に集中している間に、遅れて参加した新参者として現れた。
「まあ、来てくださったのですね!ようこそ、私達の楽園へ。あなた方を歓迎いたしますわ!」
目敏くアマリスがフェリクス達に声をかける。つられて村人達の視線が二人に向く──フードを被って顔を隠したリシテアの方を注視する。
「っ……」
一斉集中を受けて、思わずリシテアの体が竦む。すかさず、フェリクスが間に入って塞ぐ。
「まだお加減がよろしくないようですね、失礼致しましたわ。夜はまだ長いのですからごゆっくりお過ごしください」
アマリスの気遣いの言葉に合わせて、村人達は壇上に視線を注ぐ。舞っているような大形な演説をする村の長に魅入っている様子に不信感が膨らむ。
「彼女の一言は村人達の総意……という感じがしますね」
「顔を隠したのは正解だな」
「ええ、このまま予定通り怯えたふりをしてあんたの後ろに隠れてますから堂々としててくださいね」
「……図太いな」
フェリクスの背中にしがみつきながら周囲を見回しすリシテア。顔が見えないフードのおかげか、泣きそうな迷子の子どもに見られながら偵察を続ける。
「──楽園は我が手中の元、この地に誕生致しました。今日まで幾多の犠牲を払ってきましたが私達はあらゆる選択から、ここに至っているのです。誇りましょう!御心のまま、自由と楽園手にした叡智を、流れ落ちる血から得た希望を!」
悦に満ちた演説が耳に入る。ビクリと背中越しに反応するリシテアを気にしたが、次の瞬間木が軋む音と引きずった金属音が聞こえてきた。
「さあ、感謝しましょう!楽園の礎となる糧を、我らを仇なすものを、そして私達に喜びを与えたもうものを!」
ジャラジャラと鳴る金属音が近くなり、祭壇の奥から人が現れた。
一人は屈強な男、一人は精悍な男……もう一人は鎖に繋がられて引き摺られている男。
「なっ…?!」
「ああ、ありがたき女神様!」
「ありがとうございます、女神様!楽園を続けてくださり感謝いたします!」
フェリクス達の驚きは村人達の歓声に埋もれた。
明らかに何かしらの体罰を受けたと思われる生々しい傷跡が顔や腕など至る所に残っている男が、側の二人の男によって鎖で繋がれ、床に伏せられている状況だと言うのに、村人もアマリスも喜びを体に表していた。
「……まるで宴の会のようだ」
「ええ……彼らにとって祝宴なのでしょう」
捕らえた男は、宴における銘酒なのだろう。誰一人この事態を不審に思わず、歓迎していた。
フェリクスは険悪な顔をして、壇上の男達とアマリスを睨みつける。
その視線を向けられてもアマリスは平然と受け止め、優雅に微笑む。
「楽園の芽はまだ芽吹いたばかり、月が満ちるまで英気を蓄える必要があります。花開くその時まで」
切なげに訴えて、アマリスは捕虜となった男の頬に口付け、血が滲む傷口を優しく撫でる。虚げな生気の薄い目と彼女の情熱的な潤んだ瞳が絡む。
「愛おしい貴方、古びた女神より私の元に来てくださったことに感謝いたします」
愛おしい人に愛撫するかのように伏せた鎖の男の顔を抱きしめて、額にキスをする。
血に濡れた男の手を取って、アマリス自身の頬に触れさせる。垂れ落ちる血が服を汚しても彼女は男の手を握り、懸命に触れ合わせる。
村人達が息を止めて、壇上での行為を見つめる。誰かが女神様の慈悲だと呟き、それを聞いた二人は虫唾が走るのを必死に隠す。
「ああ、愛おしい人よ。最上の愛を贈りますわ。私は貴方の全てを心より愛しております、枯れ果てて一滴も残らぬ体と成り果てようと、私の愛は永遠に変わりません。どうか、それまでゆっくりとお休みくださいませ」
虚だった男の目に僅かな光が宿ったように見えた。
結婚式かと思わせる宣言は、女神からの慈悲と愛情に感じる。村人達には、おそらくそう見えるのだろう……。
「あの男……だいぶ様子は違うが行方不明のセイロス騎士だ」
「そ、そうなのですか……」
やたらと震えているリシテアに訝しげるが、この状況だと当然かとフェリクスは務めて平静に続ける。
「セテス殿見せてもらった資料とほぼ一致する。それと──あの女の側にいる男も、おそらく同じだ」
「えっ……」
「信仰深い奴は取り込まれやすいと言っていた。まだ何とも言えないが」
体の震えを抑えながら改めて壇上を注視する。アマリスが聖騎士団の捕虜に愛を捧げ、同胞を捕らえながらアマリスに付き従う聖騎士団……悍ましい光景にリシテアは嗚咽が漏れるのを耐えた。
これは現実だ……想像を絶する怖しい饗宴が繰り広げらる此処は夢の中ではない。何があって、こんな事になっているのか見極めていかなければならない、と二人を心を奮い立たせる。
「あの女の側にいる奴は相当の手練だ。今此処で剣を抜いたところで、助けられるかどうか」
「逃げられる可能性が高いです。わかってます、最初の予定通り任務に専念しましょう。幸い、まだ猶予はあります」
月が満ちるまでは一週間ほどある。急いては事を仕損じる、とクロードが言っていた諺だかを思い出してリシテアは知恵を巡らす。
(それに、アマリスは間違いなく血の実験の被験者です。髪の色合いといい、仕草が平民と思えない。どんな事情で生き残ったのか、あいつらの事を何か聞き出せないか話をしたい)
自身の生に関して、何らかの手がかりが得られないかと画策してしまうリシテア。だが、同時に強い違和感を持っていた。
──彼女は、血の実験を行ったあいつらを恨んでいないのではないか、と。
「フェリクス、わたしは引くわけにはいきません。何かあったら、あんたはすぐにガルグ=マクに帰還して報告してください」
恐怖と決意が綯い交ぜになったリシテアの覚悟にフェリクスは一瞬迷う。
「腹を括るのは戦場にしろ。俺達の任務は村の調査だ。目的を忘れるな」
「わかってます」
彼女の言葉は信用できなかった。リシテアの提案を呑んでしまえば、より無茶をすると確信できたから。