──遡ること数日前。二月に入ってすぐのことだろうか。
何でこんな所にいるんだろう……何故、こうなった。
彼の頭の中は、これでいっぱいだった。場違いと一目で理解できる会場に来てしまったからだ。
「ほら、見てください! こんなにあるんですから、どれか気に入ったのがあるでしょう?」
何言ってんだ、こいつ……と怪訝な視線を隣に送るが、どこ吹く風と気にせず頬を緩ませて笑みをこぼしている。
「興味がない……」
「なっ?! なんて罰当たりな事言うんですか! このイベントに来て、興奮しないって有り得ませんよ!」
「お前が無理矢理連れてきたんだろ。朝早くに連絡してきて、何だこれは……」
「仕方ないじゃないですか。知ったのは昨日の夜でしたし、善は急げって言うじゃないですか。美味しいお菓子を作るには美味しいお菓子を研究する必要があります!」
冷めていくフェリクスとは対照的に、リシテアは興奮した様子で熱く語る。
今彼らがいる場所は、国民文化となって久しく二月の恒例行事、リシテアが特に好むイベントの催事場──バレンタインデーチョコレート祭典だった!
「世界中の厳選されたチョコが集まるのは、この時しかないんですよ。逃す訳にはいきません」
「俺は必要ないだろ」
「あんた、チョコを舐めていますね? 一口にチョコと言ってもトリュフ、プラリネ、ザッハトルテ、オランジェットと多種多様の多彩さです。フェリクス好みのチョコレートを探すには打ってつけですよ!」
「頼んでない、それに……男はこういう所に来ないだろ」
行事に疎いフェリクスでもバレンタインデーの一般知識はある。ちらりと会場を見渡せば、多くの女性客で溢れている。
「そんなの関係ないですよ。男性もいますし、今は男女問わずチョコを贈るようになりました。お互いの好みに添った物の方が嬉しいじゃないですか」
「俺はチョコなんぞに興味ないんだが……」
「カカオポリフェノールは体に良いんです。ハイカカオチョコも流行りで苦味があって、あんたにピッタリですよ。食べないとどんな味かもわかりませんし、さぁ行きますよ!」
チョコの蘊蓄を話しながら、半ば無理やりリシテアはフェリクスを場内を連れ回していく。
スイーツを愛する女性中心のイベント故か、チョコだけでなく焼き菓子やフルーツメインのスイーツ、チョコに合うお酒やつまみなどもあり、意外なほどバリエーションに富んだ商品が並んでいた。この日のために特選素材を使っていたり、パッケージにも拘っているため、つい手が出てしまう。
「ローレンツおすすめの老舗はやっぱり高級感がありますね。こっちは以前ベルナデッタが美味しいと言っていた店ですし、先生がご用達のフォドラ有名店もあります」
「どっからそんな情報を仕入れてくるんだ……」
「事前に情報収集するのは当然ですよ」
リシテアは目を輝かせて口元を緩ませて、色んな店のコーナーに立ち止まって吟味していた。その様子が、フェリクスにとっては一番の催しになっていた。
「普段より、だらしない顔をしている」
「何か言いましたか?」
「別に……」
二周回った頃に、リシテアはようやく目的を思い出す。
「そ、そういえば……気に入ったチョコ見つかりましたか?」
「忘れてただろ」
「わ、わわ忘れていませんよ! まずは、自分の研究を優先していたんです」
幾つかのショッパーを下げたリシテアの腕を見つめる。チョコの祭典なのだから、彼女が我を見失うのは自然の摂理。
「随分楽しんでいるようだな」
「うっ……この機会でないと珍しいチョコに出会えませんから。そ、それに、美味しいチョコを食べてこそチョコ作りに役立ちますし」
「言い訳甚だしい」
「い、いいじゃないですか! 美味しいチョコとわかっているんですから食べたくなりますよ!」
「悪いと言ってないだろ」
大好きなお菓子が関わるからか、今日のリシテアは感情的に暴露してた。よくもっともらしい理由を付けては言い訳するので随分素直に思えた。
好きな物を食べたくなるのは共感できるし、好きに食べたって良いと思うフェリクスだから、お菓子好きを隠そうとする彼女の気持ちは未だよくわからない。
「それ全部食う気か?」
「一人で食べませんよ。ヒルダやアネット達に分けたいですし、先生達にも配ろうかと。あっ、そういえば、フェリクスが好きそうなの見つけたので差し上げますよ。──カカオ99%苦味MAXプレミアハイカカオチョコ限定版です」
「……苦いのが好きと言った覚えはない」
珍味が混ざっているのは、イベントあるある。
もう一周してきます、とウキウキなリシテアを見送って、フェリクスは休憩スペースに向かった。
興味のない催しの付き添いはけっこう疲れる……精神的に。あちこちでチョコ、ケーキ、なんか甘いものを目にすれば尚のことだった。当てられたのか、苦いコーヒーでも飲もうとイートインスペースに向かうが、そこでも出くわす。
「只今、当店限定のオリジナルホットチョコレートいかがですか〜? 生クリームとチョコクランチ付きですよ!」
聞くだけであまあまな商品を勧められてしまう。要らん! と言いたくなったが、ふと気付いて勢いを治める。
全く興味なく目にするのさえ嫌悪するのだが、彼は勧められるまま購入してしまっていた。自分でも意味不明と思うが、苦いコーヒーで舌を潤しながら待ち人を思う。
『今は男女問わずチョコを贈るようになりました。お互いの好みに添った物の方が嬉しいじゃないですか』と、反芻して。
およそ十分後に、さらに荷物を増やしたリシテアが現れる。
「お待たせしました。見落とした物はなさそうです」
「やる」
間髪入れず、ホットドリンクを渡す。ぬるくなった容器を見て、すぐさまリシテアは顔を綻ばせる。
「これチョコレートドリンクじゃないですか!? 可愛い、ありがとうございます!」
食べ物を可愛いと感じたことがないフェリクスは首を傾げた。喜んでいるならいいかとスルーして、目の前のドリンクに夢中のリシテアはスマホで撮って、ストローに口を付ける。
「喉が渇いていたのでちょうど良かったです。はぁ~甘いものが沁みます〜!」
「理解不能だ」
「いつか至福の時がわかりますよ。って、なんでフェリクスがチョコドリンク持ってたんですか?」
甘いもの嫌いのフェリクスに渡されたら、まず疑問に思うだろう。聞いてほしくなかったなと思いつつ、フェリクスは己の行動を振り返って回答を探す……なんとなくで、本当によくわからない。明確な解は出てこなかった。
「また試供品で貰ったんですか?」
「……そんなところだ」
「あんたって、何故かそういう運がありますよね。歩いていたらお菓子貰うとか、ずるいですよ!」
真実を伝えるのはなんとなく気恥ずかしくて、話に合わせて誤魔化す。
ストローでクリームを掬って至福の時を堪能しているリシテアを見つめると、悪くない選択をしたと考え直した。
「たくさん買ったのでチョコの研究が捗りそうです。バレンタインデー当日は期待しててください!」
「欲しいと思ってないが」
「年に一度のイベントなんですから大人しく食べてください! ……ま、まあ、他のチョコは食べなくていいんですけど」
「なんで、お前以外から貰わないといけない?」
思わぬ不意打ちで、リシテアは咽せながら高鳴る鼓動を抑える。きっと意味はない、また思わせぶりな事を言ってるだけで何も考えてない……と、言い聞かせて甘いドリンクで鎮める。何故か味がわからなかった。
「ま、まあ、あんたに合うチョコ作れるのはわたしくらいですから! 他のチョコは必要ないですよね」
「そうだな」
「くっ……いいでしょう。フェリクスに美味しいと言わせるためなら、カカオ99%チョコも研究して作ってみせましょう!」
「苦ければ良い訳じゃない」
チョコに拘りをみせるリシテアに引きながらも張り切る様子を阻害する気は起きなかった。
さすがに超ハイカカオチョコを作るのは無理だったので、ほどほどビターチョコになった。