配達記録 その村を訪れたのは、たまたまだった──。
商人の家生まれの僕は疑うこともなく、両親と同様に商売の道を歩んでいた。小麦や砂糖などの日常品を扱う小売りみたいなもの。最近は、少し前にあった戦争の影響で手紙の配達や店の斡旋とか色んなこともするようになった。……こういうのは持ちつ持たれつ、ってやつだ。
おかげで仕事は増えて、最近は貴族の家にも出入りするようになった。出世したのかもしれないけど、フォドラ統一なんだかで変わったから貴族に目をかけてもらえてもなー。……まあ仕事が増えるからいいか。
そして、その日は父の同伴で来ていた。『数ヶ月前から配達量が増えたから手伝え!』とのことで。今も現役の父だが、戦争を経て疲労が増している中年を年若い僕が放っておく理由はなかった。元気なうちが花だ! それに、引き受けておかないと後々面倒になるのはわかってたから、気乗りしなくても行くしかなかった。
「うわぁ……田舎だ」
村を訪れた最初の感想はごくありふれた表現だった。詩人だったら、もっと洒落た言い方をするんだろうけど、そんな感受性はない。あー……鳥の鳴き声がよく通る。
何にもない長閑な雰囲気で、観光するものはなさそうだ。平和で隠居には良いと思うけど、僕は人の多い町によく行ってたからものの数分で飽きた。今だと面白味のない穏やかな集落は貴重なのかもしれないけど。
「あのぉ、ここって面白い名所とかお店とかありますか?」
明るい感じで配達先の一つ、宿の主人に尋ねてみた。暇潰しがてらの雑談だ。期待してなかったけど、やや時間を置いてから教えてくれた。──最近人気になってきたお菓子屋のことを。
場所を聞いたら一番量の多い配達先だった。お菓子屋だから、そうだよな。うちのお得意様……にはまだ早いかな? 宿の店主が仕入れのついでに一緒に注文したようだし。
「ふーん、じゃあおすすめは? 僕はけっこう甘党だから。あと……」
そこの店に女の人いる? 美人? それともかわいい系? 年はいくつ?
調子よく聞くと、概ね希望通りの返事を貰えて、少しやる気が出た! なんか怖いことも言ってた気がしたけど、この時は気にしなかった。
お菓子屋は村の外れで、場所的に最後の配達先になった。父と分担してたけど、僕が配達を買って出た……一番遠くて重い荷物だったから「珍しく親孝行だな!」と言われてしまった。
それに……こんな田舎の村に連れて来られたんだから眼福くらいしておきたい! どこかの貴族だったって話も聞いたし、これで期待するなって方が無理だ!
目指す先は、村の外れの三角屋根のお菓子屋! ついでに、今日のおやつを買おう……弟と妹の分も買った方が良いかな?
重い荷物を両手で抱えて、店に入るとチリンチリンと軽やかなベルの音が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ! お好きに見ていってください」
うん、宿の主人と村の人の言う通りだった。美人さんだ! ……って、ここで呆けてたら不審者だ。仕事だ仕事、まずはやることをやってから!
「こんにちは、商会の者です。ご注文の品を届けに来たのですが……」
「ああ、わざわざ届けてくれたのですか? ありがとうございます、助かります!」
「平気です! 余裕です! これくらいどうってことないです!」
腕が痛いのを誤魔化して、平気を装った。調子が良いと自分でも思うけど、男は見栄を張る生き物だから美人に感謝されたらこう言うしかない! ……早く降ろしたいけど我慢だ。
「けっこう多いですよね……すみません、多くて」
「い、いえ、とんでもない! な、なんでしたら中まで運びますよ! 厨房ですか!」
「えっ、ええ……? 助かりますが、そこまでお手を煩わせるわけには」
「平気です、やります! 美人……じゃなくて、女性の手に重い物を持たせるわけにはいきませんから!」
いつもこんなに親切じゃないけど、勝手に口から出ていた。いいや……嘘じゃないし。
店主は見るからに細いし、今抱えてる砂糖やら小麦粉やらを持たせるのは薄情だろう。
「これも仕事ですから気にしないでください!」
「あら、お菓子作りは意外と力がいりますよ? ふふふ、そんなにひ弱でないのですが、お言葉に甘えてもいいでしょうか?」
「もちろんです!」
「じゃあ、厨房の方にお願いします。ちょうど出ていたところなので……」
美人の店主の案内で、店の厨房に運ぶことになった。つい心の中で拳を握ってしまった……お近付きの機会!
「お、お菓子が好きなんですか?」
「ええ、好きが高じてお店を開くようになりました。……成り行きですけど。村にはお菓子屋さんがなくて、何度も作っていたら腕が上がっていたようでして」
こんな田舎の村じゃあ買いに行くより作った方が早いかもなー。
店は小さいけど、厨房はそうでもなかった。
甘い匂いが充満してて、ここでお菓子を作っているんだなと実感した。少し粉っぽいけど、小麦粉を扱う店では綺麗な方だと思う。
「こっちにまとめて置いてもらってもいいでしょうか?」
「わかりました」
言われた場所に置いていく。ふぅー……やっと腕が楽になった! 悟られないように服の下で赤くなっている腕を摩った。
荷物の受領サインをお願いすると、顔と同じく端麗な指先が文字を綴っていく。……リシテアさん、でいいのかな? 綺麗な人だと名前まで美しく感じるから不思議だ。
「あっ、運んでくれたお礼です。よかったらどうぞ」
「いいのですか?」
「ええ。うまく焼けたと思いますし、他の人にも食べてもらいたいですから!」
麗しい笑み付きでそう言わたら、心臓がおかしくなるなぁ……まずい。渡された狐色の焼菓子を見て、落ち着かせよう。
近くにのテーブルに置いてたお菓子だから、茶請けか試作品かな? なんだろう……パイ生地使ってるっぽいけど、まあいいや。せっかくだから頂こう!
「あっ……美味しい!」
「ありがとうございます! 今度、お店に出す予定のお菓子なんです。──ふふふ、美味しいって言ってくれると嬉しいですね!」
そんなっ?! 僕のよくある感想で、こんな眩しい笑顔を見せるなんて! 不意打ちはずるいよ!
「美味しいですよ! いくらでも食べたいです!」
「ありがとうございます。そう言っていただけるとわたしも嬉しいです!」
さらに満面の笑みで返された。
どうしよう、胸の動悸が治らない! 今日は美人とお知り合いになれたら良いな、と思ってたくらいなのに……もうちょっと攻めるべきか。落ち着けと命じる自分と、行け! ここで引くな! と命じる自分がいる。
三秒も立たず、後者の自分が勝った。機会は逃さずに挑むのが商売魂だ!
「あの、これからは僕が配達に来ます! 砂糖も小麦粉も何でも運びますから!」
「いえ、そこまでしてもらうわけには……。今回は宿の主人のご好意で一緒に注文できたので」
「個人的な注文として扱います! 今後も仲良く……じゃなくて、ご贔屓してください!」
頑張れ、僕! ちょっと目の保養になれば良いと思ってたけど、気が変わった。彼女の笑顔なら何度でも見たい!
まずは、会う機会を増やそう。父に頼んで何とか注文を受けて、それから適当な理由を付けて通って、世間話とか雑談とかしてそれから……それから!
「──何をしている」
体と室内の温度が一気に下がった……背後から初めて聞く低音を聴いて、そう感じた。
そういえば、誰か言ってたかなー。調子に乗ったら怖い人が来るよ……とかなんとか。
「ああ、お帰りなさいフェリクス!」
さっきよりも三倍は弾んだ声と笑顔になったリシテアさんは、僕の後ろに向かった。……見なくても理解できる。ああ、そっかーそうだよなー。あんなに美人なんだから独りなわけないよなー。
「ま、まあ……いいか」
小さく呟いて自分を慰めた。いいさ! 眼福になったし、ひと時の逢瀬で満足さ!
「誰だ」
「商会の方ですよ。頼んでたお砂糖と小麦粉を持ってきてくれて、量が多かったので厨房まで運んでくれたんです。ちょうどフェリクスがいなかったので助かりました!」
背後の会話が僕の胸に刺さる。……いや、本当に刺さってる! 鋭い視線という剣が、背中にブスブス刺さってる気がする!
ま……まあ、気持ちはわかる。よかった、正面から鉢合わせしなくて。僕だって、その辺は弁えているし、相手がいる人はご遠慮します。
「ご注文は以上ですね。ありがとうございました!」
全力で営業用の笑みを作って、振り向いた。白くて可憐な花と琥珀の凍てついた視線に頬が引き攣った……温度差が激しくて、心の中は嵐だ!
「そうそう、せっかくですからフェリクスが作ったお菓子を差し上げました。美味しいと言ってくれましたよ!良かったですね!」
「……ふーん」
えっ、あなたの方が作ったの!? すっごく意外!
つい驚きが顔に出てしまって、ますます視線が冷たく感じた。いや……だって、お菓子って顔じゃないじゃん。
「お、おお美味しかったですよ! ほ、ほ本当ですよ!」
居た堪れなくて顔は逸らしてしまったが、美味しかったのは本当だ。甘さ控えめで後味も悪くなかったし、木の実が入ってて僕の好みだった。毎日まではいかないけど、週三で食べたいと思った。
へぇー……この人が作ったお菓子なんだ。意外だな、でも良いと思う。たしか、意外性がある方がモテるんだっけ?
「……礼を言う」
「あっ、いえ……」
武人みたいな言い方するんだなと思った。この人にはよく似合うけど。
さあ、お見知りおきはしたし、眼福もできたし、大人しく去ろう! 今後もよろしくお願いしますと営業文句を言って、急いでお菓子屋を後にした。
店の外に出ても、まだ心臓が煩かったから深呼吸して落ち着かせる。
「はぁ〜……男がいるなら言ってくれよ」
聞かなかった僕に落ち度はあるけど、村の人も教えてくれたっていいじゃないか! 修羅場はごめんだ。うーん、ちょっとまずかったかな……でも、手を出したわけじゃないから大丈夫だろう! ……美人の店主ってのは良いけど、身内だと心配になるかもなぁ。
三歩ほど歩いたところで、店のベルがチリンチリンと鳴った。顔を向けると凍てつく視線を送ってた男がいて、思いっきり目が合った。
「あの、まだ御入用……ですか?」
まだ何もしていないよ! 名前すら名乗ってないし、聞いてないよ! と、喉から飛び出しそうになった。
「菓子のこと……その、感謝する……」
「うえっ?!」
な、何言ってんだ??
訳がわからなくて意味を探ろうと、改めて男の顔を見れば、さっきまでの鋭さを潜めていた。……どこかそわそわして見える。たまに弟がする態度に似ている気がした。
──あっ、わかった! 照れてるのかな? えっ、すごく意外だな!
「えーと……毎日は遠慮しますが、週三で食べたいと思いました」
「いや多いだろ」
「そうですか? じゃあ、週二にしておきます。美味しかったです」
試作品だろうけど、商売に関わるならお世辞は言わない。不味かったら不味いと、美味しかったら美味しいと僕は正直に言うようにしてる。
「店に出しても売れると思いますよ」
「…………だといいがな」
今度は向こうが顔を逸らした。どうやら僕の推測は当たったようだ……少し面白い。
そして、僕が彼のお菓子を食べた時の感想でリシテアさんが嬉しそうにしていたからして、売り物として出すのは初めてかな? もし、そうなら不安になるのは普通のことだ。客は正直だし、自信作なら尚更。
「今は週二は都合付かないですが、また配達に行く時とか近くに寄った際には買いに行きますよ」
「…………そんなに食うのか?」
「あの、得体の知れない物を見る目で見ないでください……」
「わ、悪い」
「おやつくらい食べませんか? 僕はブルゼンやサガルトも好きですよ。胡桃入りは特に!」
気味の悪いものを見る失礼な視線を感じたけど、さっきの氷みたいな冷たさはない。愛想が悪いと思うけど、商売上もっと酷い人を知っているからか、あまり気にならなかった。
まあ……店主が愛想良い美人さんだから、この人はこれで良いかもしれない。悪い虫には。
「配達は感謝する」
「仕事ですからお気になさらず〜! 店主さんと仲良く〜!」
「それから、次から荷物は玄関先に置いて構わん」
あっ、しっかり釘は刺すんだ。いいけどさ、人の恋路を突っつく趣味ないから。
どうも慣れてる感じがするから、僕みたいなのが現れたのは一度や二度じゃないのかな?
「大変ですね」
「別に。……知り合いと比べたら」
「へぇ~。でも、あまり留守にできませんね」
「さあな」
僕が言うことじゃないんだけど、つい言ってしまった。この人は愛想ないけど、けっこう話は聞いてくれるようだ。
少し後ろ髪を引かれながら、今度こそ田舎の村はずれのお菓子屋を後にした。お菓子は買い損ねてしまったけど、今度来た時にするかな〜。
ご贔屓するようになるのは、また別の話──。