星は遥か遠く、幾星霜の時を経ると言われてる。
だから、その輝きに目と心を奪われるのだろう。人ではない神秘的な存在に胸を膨らませて、身勝手な期待を作ってしまう。
……星もいつか終わりを迎える。幾千の時を経れば青白い新星は赤く燃え、やがて空から真っ逆さまに零れていく。流れ星は死に際の姿と知った時、震撼に悶えさせられた。
もう無邪気に綺麗と思えない……そう思うのに、その瞬きの光の筋は眩かった。消えいく瞬間の星が、喜びも不安も怖れも何もかも明るく示してくれた。美しいと、綺麗だと、ずっと見ていたいと思ってしまうのは、意味や価値を求めていたからでしょうか。目を閉じることが許されない星の空に何を見るか、何を思うのか。
──それは、私だけの宝物。女神でも知る由のない、何人にも侵されない思い出。
曇り空のない快晴の夜空の下、静かな平原が続く中に足音が響く。
「あっ、リズじゃん。見回りの当番だったんだ?」
「ええ。……もう交代の時間でしたか」
見知った顔同士なので談笑しながら、現れたハピに引き継ぎと交代をお願いする。
「なーんもないね。敵なんて来ないと思うけど、しなきゃいけないんだね……」
「万が一の事がありますから、しないわけにはいけません」
「あっ……ため息出そう。まあ良い天気だし、星座でも探して潰そうかな」
さらっと言い放つ、彼女の職務放棄宣言にリシテアは耳を傾けた。
「ハピは星座を知ってるんですか?」
「うん? そうだよ、ハピの村で教わったんだ。星がよく見えるからかな。あんまり知ってる人いないんでしょ? ユーリが言ってた」
「そうですね。わたしも本で少し知ってるくらいです」
「ふーん、なら一緒に見る? ハピ、暇だし」
見回りの最中なのだが、危険度の低い任務中であれば退屈凌ぎも必要だった。軽く誘うハピに驚くが、お言葉に甘えてリシテアは付き合うことにした。
今夜は寝るのが勿体ない、精悍な星空だったから。
「あれが、わし座だよ。全然見えないのに、なんで付けたのかハピにはわかんないよ」
「ふふっ、そうですね。本で見た時と違って、実際見てみるとわし座には見えませんね」
「昔の人は暇だったんだねー。星でも眺めて、みんなで形作って遊んでたのかな?」
「身も蓋もないですよ……。でも、そうかもしれませんね。いつまでも空を眺められるくらい平和だったのかも」
「だろうねー。朝方までやってたのかな? ……ハピなら眠くなるよ」
連なる星座を眺めながら談笑し合っていく。雑談を交えながら大きい星、小さい星、青い星、時々溢れる流れ星を見つめ合う。
「せっかくだからガーティとも見たかったな」
「ガーティ? ……もしかして、エーデルガルトのことですか?!」
「うん、そう。三人揃ったらお揃いじゃん。たしか、三つの星座を合わせて大三角形というのもあるんだよ。いいじゃん、ハピ達で大三角形!」
「今の状況で、そんな事言うなんて……。それに、お揃いってなんですか?」
キョトンと首を傾げるハピにリシテアは警戒心を高める。心当たりはあるのだが、こうもあっさり告げられると別の事かと思案してしまう。
「えっ、リズもガーティもあいつらに何かされたんでしょ? ハピも同じ、おばさんに色々やられたよ」
「っ?! ……よく平然と言えますね」
「まあ良い思い出なんて何にもないけど、過去は変えれないからねー。色々あったけど、今は生き抜くしかないじゃん」
あんまりな言い様とあっけらかんとした様子に、リシテアはまた面食らう。想像できない熾烈な事をされたであろうに、こんなに考え方が違うとは……と驚くが、捉え方は人それぞれだと思い直す。……あのエーデルガルトだって、闇に蠢く者たちと協力しているようだし。
ふと気付いて周りを見渡すが、誰もいないことを確認してホッとする。
「ハピの話は聞いた事ありましたが、誰かが流した根も歯もない噂だと思ってました。本当だったのですね……」
「うん、どんな噂か全部知らないから違うのもあるけど。大柄の化け物みたいな奴、なんてのもあったんだから! ハピと全然違うじゃん!」
「怒るところはそこなんですか……」
楽天的な思考のハピにつられて、リシテアの心も軽くなった。彼女の言う通り、過去は変えれないのだから今を生き抜くしかない。それは、戦時中の最中なら特に物語っていた。
「あの、その話を誰かに話したことは……」
「ないよー。ハピもあんまり知られたくないし、変な噂が立ったら嫌じゃん。うーん……リズだと危険な魔法を使いまくる大魔王って噂されそうだね」
「……そこは、構わないのですが」
「リズは、闇魔法少女の方が良いと思うな! 似合いそうじゃん」
「嫌ですよ! 子ども扱いしないでください!」
「そう? 魔王より魔法少女の方が可愛いと思うよ」
ハピの望んでない喩えにリシテアは声を張り上げてしまう。夜の見回り中の大声は、寝ている兵士達にも迷惑なので、慌てて声を潜めて咳払いする。そんな様子を見ながらもハピは平常運転に思えた。
「へ、変な事言わないでください」
「ごめんごめん。でも、誰かと星座の話できるなんて意外だな。あんまり知られてないしー」
「いえ、わたしはたまたま少し知っていただけですし、こうして空を見上げて星を探したことはないですよ。あとは、士官学校の頃に星占いが流行ったんですよ。その影響かもしれません」
「あー知ってるー。その占い師さん、今はアビスにいるよ」
「……えっ?」
思わぬ情報にリシテアは間の抜けた返事をする。今の今まで忘れていた星占いだが、ハピと会話する中で思い出していた。……妙な事を言われた過去を。
「まだ居るんですか?」
「たぶんねー。けっこう人気だし、先生も覗きに来ていたよ。縁結びもやってくれるから、誰か気になる人いるの? リズなら……あー、バルトは勧めないかな」
「い、いませんよ! そんな状況じゃないですし」
「そうかな? 恋愛はいつしたって良いと思うけど。バルトなんか、しょっちゅうお金擦るし、お酒入ると初恋のいい女の話ばかりしてるよ」
「比べないでください……あの人は例外です」
人物の話になったのを機に、身近な人やアビスでの生活に話題は逸れていった。数十分の賑やかな雑談をした後、リシテアはハピと別れて仮眠を取ることにした。
「星……まだガルグ=マクにいたんですね」
『落ちる星に価値を問うのは貴女ではない』
記憶力の良いリシテアは、かつて告げられた星詠みの託宣を思い返した。落ちる星……あっという間に消えてしまう流れ星。忘れられてしまうものに価値を見出すことに何の意味があるのだろうか。
瞼の裏に依然と変わらない疑念が浮かび、微睡の中に落ちていった。
☆☆☆
占い師の元へと行きたい欲はあれど、あやふやなものを当てにしたくない。若かりし学徒の頃ならいざ知らず、成人した今は合理的に未来を見定めるべきだ。
「勉強した方が確実ですから」
知識と努力は裏切らないことをリシテアは知っている。……ということで、アビスに赴いても彼女は真っすぐ書庫に向かい、幾多の本を読み耽る。紙に気になった事柄を記載して、写本の如く紙束を積むのは慣れたものだが、夢中になって寝食を忘れたことは幾度とあったので気を付けねばならない……。
今は陽が明るいから良いが、暗い時分にアビスに行くのは望ましくない。ガルグ=マクの中とはいえ治安が良いとは言えず、先日恩師に咎められたばかりである。
そんな風に耽っていた際、引き寄せられるようにリシテアは一冊の本を手にしていた。誰かの手記を記したような星々についての本を。
「日記……でしょうか。星のことばかり書いてあります」
ペラペラと捲ってみるが、星空の観察記録に思えた。一等星や流れ星、赤い星や青い星とその日見た星のことが記されていた。そして、添えられる筆者の一言二言の感想。
しかし、その一文こそがリシテアの探究心を擽らせた。
「……星も人と同じように死がある。太陽や月より小さき存在に惹かれる私は、何を求めて見ていたのだろう。天馬の節……この日は寒波が酷く、竜の咆哮のよう風が息吹いていた。雪のないこの地でも辺りは」
「いつまでいる気だ?」
「……えっ」
読み込んでいる時に、聞き覚えのある声をかけられて現実に帰還する。慌てて読んでいた本を閉じて、背中に隠す。
「な、なな、なんであんたがいるんですか!?」
「そんなに驚くことか?」
「驚きますよ! フェリクスが地下書庫に用があるんですか!」
「……言われると癪だが、俺だって本くらいは読む」
それもそうだった。フェリクスは読書家ではないが必要であれば、ちゃんと学んで修めている。
しかし、今はどうでもいい……何を読んでたか知られるのは罰が悪い。星についての本に夢中になってたと知れるのは恥ずかしい。
「まだ陽は暮れてませんから問題ないですよ。何か言われる覚えはありませんから!」
夜のアビスは治安上、女性一人はよろしくない。今は夕方になる境目だからと心を落ち着かせていくリシテア。
「俺はまだ何も言っていないが」
「……コホン、あんたはアビスに何か御用ですか?」
「セテス殿に見回りを頼まれたからな。難民の受け入れが増えた分、妙な輩がいないか偵察してくれ、とな」
誤魔化したなと気付くフェリクスの目は鋭く、リシテアは心臓を掴まれた気分になった。咎められる心当たりが多いからだが……。
「今だと何があっても不思議じゃないですね」
「ここの統率者が目を光らせているから杞憂だと思うが、引き受けたからにはやらない訳にいかない。お前もそろそろ切り上げておけ」
「……わかりました」
フェリクスの言う通り、一人で籠るのは危ない。日頃からベレトに注意されているし、今日は研究に身が入らなかったからリシテアは引き上げる事にした。
積まれた本を片付けていくが、さっきまで読んでいた手記を戻すのはなんとなく阻まれた。続きが読みたい、機密の文書でも無いのだから、と自分なりに理由を付けて借りることにした。
「……あんたって、流れ星は好きですか?」
「は?」
「あんたは興味なさそうですよね。わたしもですが」
「急に聞いて、勝手に納得するな……まあ興味はないが」
リシテアも興味がない。だけど、以前言われた占い師の言葉は未だ気になっていた。
「星にも寿命があるそうです。役目を終えた星の落ちる様子が、わたし達には流れ星に映るそうです」
「……そうか」
素気ないフェリクスの返答でもリシテアは気にしなかった。突然、星の話をされたら誰だって彼のような反応をするだろう。
「最後の力を振り絞って燃え落ちていく流れ星にちょっと親近感が湧いたんですよ」
「そんなのが湧くか?」
「最後はわたしの好きにしたい、と思っていましたから。流れ星が綺麗なのは燃え落ちる瞬間だからこそと思うと感慨深いですね」
「……よくわからん」
半分茶化して、半分本心で吐露した。星にも余命があることを知った時、彼女の心はざわめいていた。
「……落ちゆく星の価値を問うのはわたしではない」
「なんだ?」
「以前言われたことがあるんです。学校に通ってた時で……その時は怪しい事を言ってると気にも留めなかったんですが。ふと思い出して」
「お前の話は要領が得ん。流れ星がどうとか言われても俺が知るか」
フェリクスらしい口の悪い解答に笑みを浮かべる。彼からすれば、興味のない話で抽象的で答えのない話だろう。どうでもいいと捉えられる反応が、リシテアには良かった。
「まあ、そうですよね! 変な事を聞きました」
「よくわからんが、何でも消える時は消える。人と大差ないだろ」
「達観してますね。あんたの言う通りですが……消えていく星を綺麗と思うのは、どうなのかと思ってしまって」
流れ星に願い事をすると叶う、とよく聞く。だが、流れ星は死の最中にいる星。今まさに尽きようとする星に願いを乗せるのは、リシテアには卑劣に感じた。
燃え尽きる時に誰かの願いを抱えたくない……と。
「どうだっていいだろ」
「え?」
「蘇る訳じゃんだ、何を思おうと勝手だろ。いちいち気にしてられるか」
乱暴な言い草に唖然としてしまう。抽象的な星の話だが、彼の考え方はリシテアにはないものだった。
「あんたは、死ぬ星に価値があると思いますか?」
「はあ? 知らん、そんなの考えたこともない」
「流れ星の真相知って、何か思わないんですか?」
「別に。死んで無価値なら、俺もお前も皆んなそうだろ」
あまりのぶっきらぼうにリシテアはさらに目を丸くしてしまう。言われてしまえばそうなのだが、彼女の頭にはなかった事で反芻してしまう。
……余命僅かな自分と、皆んなが同じなんて思ったこともない。でも、彼からすれば大差ないことなのかもしれない。そう聞こえた。
「なら、わたしも空の星々と変わらないのかもしれませんね」
「何がだ」
「どんな星でも、いつかは燃え尽きて落ちるそうです。流れ星になって、最後に一条の光を残して深い空の底に仕舞われるんです」
「……理解不能で俺にはわからん」
素気なく淡白に答えるフェリクスにリシテアは口元を緩める。星の話は唐突で、何の話か意図不明だろう。
それでも、自分の頭にはない解答はリシテアの燻んだ柵を解いてくれた。
「わたしが問うのは……傲慢なのかもしれませんね」
落ちゆく星に何を思うのか、どんな意味を問いかけるのかは人それぞれ。考えが違うのは当然で、自分の意思でどうにかなるものではない。
頭でわかっていたはずの理屈が、実感を伴って胸に染み込んでいった。月や太陽に惹かれる者がいるように、赤い星や流れ星に惹かれる者がいる……あるかもしれないと自分の知らない未来が拓かれていく。
「何か言ったか?」
「いえ……あっ、それで思い出しました。あんた、わたしと同じ星座じゃないですか! なんで、言ってくれなかったんです!」
「……何の話だ?」
「星占いですよ! わたしが占いの話をしていても素知らぬ顔していて! 一緒の星座だったなら色々と恥ずかしいじゃないですか」
「そう、か?」
学生の時の話を突然振られても、思い出せないフェリクスは困惑した。星占い……なんかそんなことがあったような気がするが、何の変哲もない日常の一コマのため印象が薄い。
宣戦布告からの5年間とは、あまりにも状況が違い過ぎた。ありし日の平穏は遠い記憶になってしまう。
「同じでも問題ないだろ」
「あ、ありますよ! 同じだと……運勢も一緒じゃないですか。良い時も悪い時もお揃いになるから困るじゃないですか」
「いや困らん」
「困るんです!」
たかが占いといえど、星占いに関してはリシテアとフェリクスは同じ運命になってしまう。良い日なら構わないのだが、悪い日や恋愛運最高の日まで一緒ってのは複雑だった……リシテアが。どうしても気になってしまう。
「そんなに拘ることじゃないだろ」
「そ、そうですけど……誕生日くらい教えてくれても良かったじゃないですか」
「必要がなかったからな。それに、占いだか運勢がどうとか知らんが一緒でもいいだろ。誕生日は変えれないんだから、俺とお前はそういう運命なんだろ」
「……っ?!」
不意を突かれて心が騒がしくなるリシテアは、赤い顔をしながら深呼吸をしていく。
(落ち着いて。絶対、絶対に、何もないです! もう、わざと言ってるんでしょうか! 気のせいです、フェリクスなんだから意味なんてないですから!)
必死に落ち着くように自分に言い聞かせるが、フェリクスの無自覚発言はリシテアにクリーンヒットしていた。
不自然なくらい深呼吸しては、咳払いをする彼女に訝しんだ時にフェリクスは睨まれる。
「そういうこと言うから、あんたはあちこち誑かすんじゃないですか! 少しは自覚してください!」
「は?」
「あんたみたいな人は流れ星にぶつかって、痕跡残されても仕方ないですよ! 頭に星が落ちて痛い目に遭ってください!」
「……死ぬだろ」
急に訳の分からないこと言われて、フェリクスはただ呆然とする。漠然とした星で揶揄されても彼には、理解不能のまま。
アビスの見回りのはずが、白い金平糖に纏われて、なし崩しに二人で見て回っていった。星の周りを歩む衛星のように。
そして、リシテアはまたもアビスへと訪れた。今回は階段を降りてすぐの地下書庫ではなく、奥の居住区の方へと歩みを進める。
「お久しぶりですね。ご存命なのは視ていましたが、こうして再度相見えると感激致します」
「……覚えていたのですか」
思い切って部屋を訪ねると、もう忘れてしまった透き通る声で迎えられた。
「変わった星でしたので、印象深かったですから。今も尚……いえ、以前お会いした時より貴女の星は燃えていますね」
「あなたは星が好きなんですか?」
彼女に差し出すように、リシテアは水晶玉が置かれた机に一冊の本を置いた。それは誰かが書いた星への手記、アビスの地下書庫で見つけた物。
「……これを見られるのは少々恥ずかしいですね。子どもの時分から書いてましたから」
初めて見せる占い師の人間らしい一面にリシテアは驚く。一呼吸置いて、さらに問いかける。
「アビスの書庫で見つけました。どうしてそこにあったのか知りませんが」
「人の来ない本棚に隠していたのですが、お恥ずかしながら保管していた場所を忘れてしまいまして……見つけてくださりありがとうございます」
古びた羊皮紙の表紙を撫でて、愛おしげに手に取る様は思い入れが深いと察された。
「すみません、失礼だと思いましたが読んでしまいました。あなたの星への期待と不安、願いや祈りに似た想いに共感していきました」
「──なら、星も人も変わらないと知った時の絶望もご理解いただけましたか?」
「いえ……わたしは自分と家族以外の事に強い関心は持ってないですから」
元の調子に戻った占い師は、同じ人間かと疑ってしまうほど冷淡に感じた。
達観した瞳に見据えられ、リシテアは慄きながらも伝える。……わたしには理解できなかった、と。
「……いくら星を頼りにしても見えない未来があるのですね」
「ええ。私達より遥か遠く、長い時を過ごす星々を知れば、この世界の未来がわかると思いました。先のない未来を畏れて臆病者だった私は、たくさん星のことを調べて学びました。太陽、月、星は私達を導いてくれる術だと信じて」
「けれど、星は万能ではなかった。私達と同じ時を過ごして、そこに存在して、光を照らすだけ……と、あなたは記してましたね」
口元がヴェールで見えないのだが、何故か彼女は笑っているように見えた。
「当時の私は、そこまででした。今にして思えば、浅はかな願い事を勝手に託していたのでしょう」
「そんな言い方しなくても……」
「いえ、私は本質を見誤ってました。私も貴女も、このフォドラの行く末も──何も決まっていないのです。定まっていない未来は、誰にも、星でも視えない」
「……貴方のように、たくさん勉強してもわからないのですね」
「わからない事を知れました。私ができるのは未来への道しるべ、先行く命の灯火は星ではなく明日を生きる者が決めるのです」
未来は誰にもわからない。未知のものに縋ろうとも自身で決断しないと定まらない、と訴えられる。それは、リシテアにとっては眩しい解答だった……短い未来しか残されてない自分には遠い託宣だった。
「私は未来が見えませんが、貴女の側の星は覗けます。以前は幾つもの星が、集っていました。貴女の炎を消し去るもの、揺らぐ火を留めるもの、ただ見つめるものと色鮮やかな星々が」
「もう、いないのですか」
「貴方の揺蕩う火は日毎を増しています。火はやがて炎になって燃え尽くす、もはや消す事は不可能でしょう」
死の宣告を改めて受けるリシテアは苦笑するしかなかった。そこまで観られてしまうのに恐れを感じるが、今更言われたところでと冷えた自分もいた。
「ですが、その火に惹かれ、寄り添う星がいます。いつか燃え落ちても、残された欠片を抱えて暖を取る姿が見えます」
「燃えかすを持つのですか?」
「隕石と言っておきましょうか。隕石の欠片は、とても珍しく吉兆石とも言われて御守りになり得ます。同様です、燃え尽きて輝きを失った石でも誰かの大切なものになる時もあり得るでしょう」
以前と変わらず、抽象的な表現なのでリシテアは戸惑う。自分なりに解釈するが、どうにも納得いかない……彼女は寄り添ってほしいとも、自身の残影を抱えて欲しくないのだから。
「わたしは望んでいません……」
「貴女が決める事ではありませんから。落ちた物を後生大事に持つのは、残された者の自由です。貴女の価値は貴女の物差しでは計れませんし、私が先行く未来を畏れて星を頼ったように何を拠り所に光明の導べにするかは、誰一人関与できません」
「……わたしではどうしようもない、ってことですか」
「そう捉えても構いませんが、御心の赴くままに歩むのもよろしいと思います。貴女の星は、誰もいない孤高を望んでいるように視えません」
リシテアの脆い所に棘を刺された気分に陥った。戦争中だから考えることを避けていたが、終結して生き残って、平和になったら自分はどうしたいのか……本当に両親と余生を過ごすだけの望みしかないのか。
「欲の張り過ぎはよくないと思いますよ」
「これからの未来を良くしたいと願うのは、誰もが持つものでしょう。経験則ですが、矮小な夢より傲慢な明日を持つ方が光を増していきます」
「……あなたでも、戦争の結末やその先は視えないのですか?」
「ええ、星は全て知り得ませんから。人の目で視れるのはさらに狭いのです」
貴女の自由ですよ、と言外に伝えられた託宣は突き放してるようにも寄り添っているようにも聞こえた。
自身の未来は、遥か遠く数千の時を経た存在でもわからない。きっと誰にも、女神でもわからないのだろう。だからこそ、リシテアがどんな未来を迎えたいのか、どのような結末を迎えたいのか。例え、短い余生だろうともわたしと他者の自由……。
「悲惨な未来しかなくても自由なんでしょうか?」
「人間は意外と逞しい生命体です。悲惨で残酷な現実でも希望を見出して、信念を抱いて進む強さを持ち得ています。今のフォドラは混迷の最中ですが、皆が絶望を打ちひしがれているのでしょうか?」
「傲慢な見方ですよ」
「では、人の未来や感情を決めつけるのは傲慢そのものです。余人に計り知れない思いがあるのは、貴女がよく存じているでしょう」
感情的になる思いと達観して受け入れている自分がいて、リシテアはしばし茫然とする。
渦巻く心中を巡らせて、占い師の言葉に痛感している……と、受け入れた時にはもう彼女の手の震えは治まっていた。
「またいつでもお越しください。ですが、貴女はもう訪れないでしょう。星より頼れる存在は掴んでおかないと輝きを失います。ゆめ、お忘れなきよう」
「……ありがとうございました」
最後の預言に礼を述べてからリシテアは部屋を出た。茫洋とした話は釈然とせず、心の中は燈火のように揺らめいている。
だが、一つ理解した。星に願いを託したところで望みは叶わない。己で拓かなければ、明日の命も近き未来すらない。
──リシテアはもう星を頼らない。既に十分な道を示してくれた……どう歩くかは、誰も星も知る由がない。
星の巡りを織ったところで、未来は予知できず視えもしない。当然のことだ。
けれど、もしかしたらできるのかもしれない。そう思わせる予感が、果てのない空に輝く光にあった。
もう惑わされないと思うも、ふとした時に空を眺めてしまう。いつかの時に話した星座の話は面白かったし、見ていると頭が空っぽになって心地よく感じる。愚かに期待を膨らせてしまう満天の空は、いつも心を満たしていく。
「……わざわざ、こんな時に見る必要があるのか?」
言外に寒いと伝えてくる無愛想な声にリシテアは笑って返す
「冬の空が一番見えるらしいですよ。ファーガスは特に空が澄んでて、観測に最適なんですよ」
星を観るには空が透き通る時が良い。空気を凍らすほどの寒空はいつもより輝いて見える、と言われてる。
そして、今は冬の節。星を眺めるならおすすめの月のない夜が訪れた。
「だからと言って、山に行く必要がないだろ」
「いいじゃないですか、ちょっと遠出しても。近くの小さい山ですし、やっぱり空から近い方が良いですよ! 地元民のあんたと一緒なら安心です」
「さあ、どうだかな……」
リシテアは知らない、幼き頃にディミトリと二人で山に入って遭難しかけたことを……その後めちゃくちゃ怒られたことを……よく無事に生還できたな、とフェリクスは改めて思う。以降、冬の山道や気候に気を付けるようになったが、苦い思い出は消えはしない。
「俺はいいが、お前は慣れてない。ほどほどにしておけ」
「ええ。わがまま聞いてくれてありがとうございます」
月日を経て雪道に慣れたリシテアの足取りは軽い。フェリクスが先導して進んだ先を付かず離れずで付いて行ってる様は親鳥に付いていく雛を思わせるが、山に於いては逞しく見えた。
ファーガスに来たばかりはよく寒いと言って、ゆっくり歩いても転んでいたのに……と感慨深くなる彼の心中を知らず、リシテアは夜空に想いを寄せていた。
「星に願い事をしたことありますか?」
「さあな。幼い頃はした事あると思うが」
「あんたって、小さい時は素直だったからきっとしてますよ!」
「どこで聞いたか知らんが、星に祈るほど他力本願じゃない」
余計な事を知っていく妻に懸念を持ちながら、星々に願った記憶を思い返す。過去に願い事をしたことはあるが、どんな内容だったか覚えていない。思い出せるのは……。
「まあ……山から無事に生還できるように祈願した事はあるか」
「フェリクスが言うと危機が迫ってたものを感じますね。遭難でもしたんですか?」
「似たようなものだな。──甘くみていたな、お互いに」
リアリストのフェリクスは過去の行いを悔いていた。だから、リシテアが山で星を見たいと言い出した時は頑なに首を下ろさなかった。どうしても、一度だけ、と何度も懇願されれば無碍にできなかった。
今でもすぐに帰還したいのだが、極寒の中でも楽しんでる様を見て「もう少しいいか」と先送りしている。
「頂上まで行かない。中腹までだ」
「わかってますよ。何度も言わなくていいです!」
「信用できない」
「し、失礼ですね! そんなに子ども扱いしないでください」
「そういうわけじゃない。危険がある所にお前を連れて行きたくない」
さらっと言われてリシテアの鼓動が高鳴るが、当然フェリクスは気付かない。よくある不意打ちに毎度ときめかす自分に悔しさを感じている。
「……そうやって、あちこち誑かしてくるんですから。油断も隙も無い」
「人聞きが悪い事を言うな」
変わり映えしないやり取りをしながら歩みを進める。
こんな寒い中、じっくり天体観測をする気はない。ただ、一緒に夜空を見上げて眺めてみたかった。──遥か遠く天高く輝く恒星、いずれ燃え尽きて落ちる彗星になってしまう星を。夜の闇を照らす光の粒は、わたし達にはどう映るのだろうかと。
「せっかくですから星座でも教えてあげましょう」
「星座?」
「星の形をものに見立てて導べにしたり、それを題材にしたお話があるんですよ」
「作った奴は暇だったんだろうな」
「ふふ、わたしもそう思いました。でも、いくら眺めても飽きなかったんでしょうね」
星には神秘的な魅力がある。そして、誰かと何日も星を観て、考えて、語る時間が楽しかったのかもしれない。同じ時を過ごして、同じものを見る──何よりも、かけがいのない時間を星が導いてくれた。
冬の空を見上げるリシテアはそう思うようになった。
「ふふっ、星型のお菓子も可愛いかもしれません!」
「食える方が良いからな」
「あら、ファーガスの夜空は星が綺麗って言われてるんですよ。観光産業に使えるかもしれません」
「冬以外ならな」
「じゃあ、夏もまた見に行きましょう。遠くまでよく見えるかも」
「まだ星占いだかに興味持ってるのか?」
博識とはいえ、星に拘りに持つリシテアがフェリクスには不思議だった。ロマンチックではあるが、彼女は現実的に物事を考える。
「もう占いに頼りませんよ。でも、見てみたいんです……自分勝手に頼って縋ってしまう星々を。二度と惑わされように」
神妙に語るリシテアは、フェリクスには理解不能だった。
空を眺める彼女に憂いた様子はなく、何か決意を抱いているのはわかった。
「……この辺でいいだろ。長居はしない」
「はい!ココアを飲んで眺めるのが通らしいですよ」
「どこの情報だ……」
「外で飲むとさらに美味しく感じますよね」
用意していた魔法の力を用いた瓶から熱いココアをカップに入れる。やや甘めのココアは夜空の下では美酒に思えた。なんて事のないファーガスの空……遮るものがない闇色の絵に煌めく星条の群衆は言葉を失わせた。
「奇麗ですね」
「そうだな」
短い感想だが、それ以外の言葉が出なかった。ちらちら残る雲と半月の月の中でも輝いて、幾年分の強さを表していた。
「フェリクスと見てみたかったです。あんたを放っておいて、星空に魅入ってしまうのか」
「は?」
「やっぱり、そんな風になりませんでした。わたしはどこまでも遠い光より、目の前の篝火の方が惹かれます」
「何を言っている……」
何でもないですよ、と笑って答える。
星は時々眺めるくらいでいい。届かない光に手を伸ばすなら、すぐそばの大切な人の手を取りたい。
星は何も教えてくれず、導きもしない。それでいい。思いを寄せて、何をどう思うかは自由な存在だから、わたし達は好きに観ていられる。大切な至福の時を導いて──。
「今だったら流れ星に何を願いますか?」
「わからん。だが、願ってどうにかなると思えん」
「あんたらしいですね。でも、気持ちはわかりますよ。それに、願い事がなくても流れ星は綺麗です!」
「同感だな」
冷たい夜空に散らばる光を眺めて、他愛無い談笑が雪に吸い込まれていく。寒空の下での思い出は、いつかの先への糧となる。
繋いだ点で星座を為すように、一つ一つがかけがいの無い想いが詰まっていく。
落ち行く星の運命でも価値や意味を問うのは自由。
星はただ存在(そこ)にあり、遠い空と時を経ても消えはしない。きっと人の想いも同じなのだろう。