同じ学舎に身を置けば、何かと遭遇する機会がある。教室が同じ、訓練所や食堂で会う、当番が被るなど様々で、学級が違えど顔を合わすくらいなら、いつでもどこでもある環境下。
よくある偶然は珍しくもない……だが、その出会いをどうするかは人それぞれ。女神でも未来は読めない──。
「もう終わりか?」
陽が暮れ始めた書庫での出来事。
机に散らばった紙束や借りた本を整理している時、リシテアは背中越しに声をかけられる。低めの男の声は振り向かなくても誰だか判別できた。
「ええ。……珍しいですね、あんたがこの時間に書庫に訪れるなんて」
「忘れ物があったからな」
「なるほど。そうじゃなければ、まだ訓練所でしょうね」
彼の言う通り、左手にノートを携えていたので忘れ物を回収しに来たのだろう……でなければ、わざわざ此処には訪れない。
もうすぐ教団の人が見回りに来る時間帯なので、幾多の書物に囲まれた者は彼らだけだった。
「寮に戻るのか?」
「そうですね。見回りも来ますし、わたしは早く出るようによく言われてるので……」
「そんなに居座ってるのか」
「居座ってないです! 此処は窓が少ないから日没がわからないんですよ……」
常習的に書庫に籠っているリシテアは手早く片付けて、教団の巡回が来る前に退散しようとし、フェリクスも彼女に倣って書庫を後にした。
──同じ学舎の寮に向かうのだから必然的に道のりは同じになる。
「もう訓練しなくていいんですか? あんたなら、夜でもやっていそうですよ」
「やりたくても追い出される」
「あら、そちらにも巡回があるんですね」
「騎士団も使うからな。入れ替わりだ」
なんとなく共に歩く。今日のことや世間話するが、この二人だと口数がそう多くない。話すよりも沈黙の時間が増えていたが、無理に話さなくてもいい空気ができていたので気にならなかった。
帰りを共にすることは滅多にないが、馴染み深いような不自然のようなとほどよく心地良かった。
(……フェリクスから声をかけてきたのですし、何か目的があるんでしょう)
用が無ければフェリクスから呼ばれる事もないリシテアは歩きながら思案する。相手の目的を探ってしまうのは彼女の探られたくない自己防衛故か、聞くより先に考えてしまっていた。
(理学の試験はまだ先ですし、剣の実技はこの間終わりました。金鹿学級と共同授業はしばらくないですし……何の用でしょう? まさか、お菓子の催促!? いえ、フェリクスがないですね。まだその域には早いですから……)
眉を顰めたり、首を傾げるリシテアの顔変化を隣で見つめながら、フェリクスは黙していた。……何を考えているんだ、と思いつつ。
リシテアが相手の時はフェリクスから話を振るのは少ない。勝手に喋って、お菓子を押し付けてくるので、口出す暇がないのが通常。今日の彼女はお菓子がないためか、お喋りは控えめだったが、こんな日もあるか、といった具合に変わったひと時を受け入れていた。
(夕刻なら大人しくなるのか? 何故、変顔をするのかは理解不能だが……毎度何を考えているのかわからん)
素知らぬ顔をして、リシテアに対してだいぶ失礼な印象を抱いていた。知られれば、あんたのせいです! と反論が来ること間違いない。
彼らと同じく帰路を共にする学徒達と夕暮れに羽ばたく鳥の声が耳に届く中、生徒達の寮に辿り着く──。
位置的に、一階のリシテアの部屋へと先に到着する。
「あっ、何か借りたい物でもありましたか?」
「別にない」
自分の所持品が入り用かと思い立ち、フェリクスに尋ねたが空振りとなった。では何が目的なのだろう、とリシテアは再び考える。
「じゃあな」
「……えっ?!」
素っ気ない別れの挨拶を言うと、フェリクスは二階の自分の部屋へと歩き出す。呆気に取られたリシテアは、一呼吸遅れて声をかける。
「わ、わたしに何か用があったんじゃないんですか?!」
「特にない」
「ええっ? じゃあ、なんで声かけたんですか?」
背中越しの問いかけに、彼は振り向いて平然と答える。
「お前がいたからだ。どうせ帰り道は同じだろ」
「……ん?」
「寮へ戻るのに理由なんかないだろ」
「理由がないって! 用事もないのに……?」
要領を得ない回答に面食らう。おそらくフェリクスからすれば、リシテアの疑問の方がおかしく感じるのだろう。
「……もしかして、それって」
「なんだ?」
「いっ、一緒に……帰りたかったから……声かけたんですか?」
「ああ、そうなるのか」
たどたどしくなったリシテアの問いかけにも、彼は何ともない様子で答える。
率直な言葉に嘘や偽り、意味もない。だからこそ、伝わってしまう……用事がなくても一緒に過ごしたかった、と。
「っ?! ま、まさか!」
「なんだ。また変な顔をして」
「へへ、変って! だ、誰のせいですか!? そういうのよくないですし、平然と言わないでください!」
「……面倒な女だ」
よくある謎の言いがかりをしてきて、舌打ちと共にため息を吐く。赤くなっていくリシテアはフェリクスには不可解の塊だった。
「用が無くても声をかけることくらいあるだろ」
「何言ってるんですか、あんたがやると違いますよ! 今まで用も無く話しかけてきたことないじゃないですか!」
「そうか? お前が勝手に寄ってくるからな」
「そ、そうですけど……って、人を猫みたいに言わないでください!」
「……猫の方が大人しいが」
キャンキャンと喚くリシテアは犬や猫より喧しく思えた。好き勝手に菓子を押し付けるし、言ってくることは理解できないし、大体いつも面倒くさい。
そして、はたと気付く……何だって、こんなにも面倒な女に声をかけてしまったのだろう、と。そうだ、一人で帰って良かった。約束していたわけでもない、いつも通り居残りしてたリシテアを待つ必要も理由もない。
なのに、何故声をかけてしまったのか……何故、こうして一緒に帰ったのか。
「…………次からは放っておく」
「な、なんで、急に冷たいこと言うんですか?!」
「面倒だからだ。用がない時は話しかけない」
「酷いこと言わないでください、嫌なんて言ってないじゃないですか! 逆です、用事がないのに話しかけてくれる方が嬉しいんです!」
「……ますますわからん」
リシテアが何を言っているのかわからない。肩をすくめるフェリクスは気付かなったが、思わず恥ずかしい事を言ってしまったと自覚した彼女は、どんどん頬を朱に染めていく。
「ともかく、今日みたいなのは歓迎しなくもないです! 都合が合えば応じます」
「はあ……何の話をしているのか知らんが」
「あんたは、もう! これだから困るんですよね……まあいいです。そ、それでは」
これ以上の失態を晒さないよう別れの挨拶を済まして、リシテアは自室へと帰還した。扉の向こうで熱くなった顔を冷まそうと深呼吸をするが、どうせ意味がない、とわかっていた。彼女には今日のことが嬉しい出来事なのだから。
「ふふっ、今日はお気に入りの紅茶を淹れてもいいですね!」
ご満悦の彼女はとっておきの茶葉とお菓子を取り出して、あつい余韻に浸る。
「何を言ってるんだか……」
一人で豊かな百面相を繰り広げたリシテアは面白くあるが、面倒であった。疲れた……もういいか、と結論を出したフェリクスは歩調を早めて二階の自室へと向かった。
彼からすれば大したことのない一時。その価値を、他愛のない日常が尊いと知るのは、望まない未来の先にて──。