自室のノック音で扉を開けると、そこには意外な人物がいた。心臓が跳ね上がって、一時呼吸するのを忘れた。
「やる」
顔を出すと即座にその一言共に差し出された小さな箱。思わず受け取ってしまったリシテアだが、突然の展開に付いていけない。
「え? あの、なんですか?」
「要らないからやる」
「は? ……ちょっと、どういうことですか」
中身は何かと尋ねようとしたところ、鼻腔に甘い香りが入ってきた。よく見ると箱の印字に覚えがある……フェリクスとは無縁の老舗のお菓子屋の名前が記されていた。
「これ、有名なお店のお菓子じゃないですか!? 何処で手に入れてきたんですか!」
「さあな。俺は要らんからお前が食え」
「ええっ?! ちょっと待ってください!」
青天の霹靂……鴨がネギを背負ってきた……それに近い格言を頭に浮かばせながら、リシテアは状況の整理をしていく。
うん、全然わからない! 何故、どういうことだ? あまりにも似つかわしくない物を渡されると、かえって警戒心が沸いてしまう。
「ハッ! わたしと何か取引したいのですか?」
「何故、そんな考えになるのか知らんが違う」
「じゃあ、わたしの隠してる弱味に付け込んで何か企んでいるのですか!?」
「弱みも何も……あれで隠してるつもりか」
あらぬ疑惑をかけるリシテアを不快に思うが、自分でも意外性が大きいと感じてたのでフェリクスは黙した。食糧難でもなければ、決して口にしないと思われる甘いお菓子を携えて訪れてるのだから……。
「わかりました。とりあえず、話は聞いてあげます……どうぞ。すぐにお茶の用意をします」
「お前、話聞いてたか?」
「あんたには不要でも、名のある品を贈られて礼もなしに手ぶらで返すわけにいきません。せめて、もてなしはさせてください」
「…………」
そう言われると断りにくい。貴族として礼を尽くしたいと思えたので、少しならとフェリクスは承諾した。
恐る恐ると言った、張り詰めた様子のリシテアに部屋に招かれる。お茶の誘いより取り調べに思えた。
(なんでしょうか……何を考えているんでしょう。もしや、引導を渡しにきたのでしょうか?! さすがにないですよね……)
小刻みに震える手で普段より慎重にお茶を淹れていく。フェリクス好みと思われる茶葉がなかったため、奮発してレスターコリタニアで臨むドキドキのお茶会! だが、ときめき成分はなかった……。
透き通った紅茶のカップを手元に置くリシテアは挙動不審に見えた。何をそんなに怯えているのかわからない……と、フェリクスは呆れながら嘆息する。
「そんなに警戒しなくていいだろ」
「そういうわけにいきません! あんたは知らないでしょうけど、このお菓子は厳選された材料を使って、精鋭のお菓子職人達が奮った逸品と言われているんです。何ヶ月も待って、ようやく買えるとも噂されてます」
「菓子如きにそんな事あるのか?」
「お菓子を甘く見ないでください! 一体どうして、このような高級お菓子を手に入れたんですか……」
フェリクスに手渡されたお菓子の詰め合わせを見せて、リシテアは問いかける。甘いもの好きの彼女なので高級菓子の存在、それ故の入手困難度は熟知していた。
やる、と言われて貰うには恐れ多い……と言われてもフェリクスにはピンとこない。リシテアの話は理解不能で(いつもだが……)、見せられたデコレーションが施された焼菓子は一口も口にしたくないと嫌悪すら抱いた。
「どこでと言われたも……貰った」
「貰った!? なかなか手に入らないお菓子を! というか、人から贈られた物をわたしに渡したんですか!」
「そうなるのか? 合ってはいるが、強引に押し付けられて処分に困ったからだ」
「…………へぇ」
当然、リシテアの目が鋭くなる。冷たい気配を漂わせていき、ぶるりとフェリクスの背中に悪寒が走る。
「……人から貰ったお菓子を要らないからと他人に渡す。食べてほしいという気持ちを無視して、またも誰かに上げるんですかフェリクス?」
まずい、藪を突いた。忘れていた記憶の蓋が開き、かつて似たような所業をリシテアにしたことを思い出した! ※支援C~B参照。
「あれとは違う」
「あれと言われてもどれのことかわかりませんが、食べないのならお返ししたらどうですか?」
「……お前、まだ根に持ってるのか」
「持ってません! とっておきのお菓子だったのにとか思ってません!」
白状しているようなものだが、リシテアの機嫌を損ねる要因を作ったことは少し罪悪感を持ってたフェリクスは言葉を選ぶ。……なんか怖いし、誤解されたら面倒だ。
「押し付けられたのは同じだが、俺以外にも同じ事をしていたようだし、好きそうな奴に渡してもいいと言っていた」
「女性からですか?」
「ああ」
「…………ふーん」
どうしてだろう、さらに空気が冷たくなった気がする。闇の気配を纏わせてそうなリシテアの気迫にフェリクスは押され気味になる。
「尚更受け取れません、お返しします。わたし、他の人宛の贈り物を貰う無作法者じゃないので!」
「はあ?」
「美味しいお菓子だからって、フェリクスへの贈り物を渡されて喜ぶと思わないでください! 最低ですよ!」
「……何を言ってる」
フェリクスにはリシテアの言ってることがわからない。要らない物を適格な人物に渡した程度にしか思っていない。そして、リシテアはこれまでの経験や勘違いで闇の悋気が混ざっているので面倒くさい。
まあ経緯はどうあれ、女性からのプレゼントを別の女性に渡しているのだから間違いではないが……。
「大体失礼ですよ、相手の方にもわたしにも!」
「……?」
「そんな知らない風を装っても駄目ですよ。子ども扱いしないでください!」
「はあ……面倒な女だ」
なんで機嫌を損ねているのかわからないが、放っておけばまずいと思った。怖いし。仕方ないので順を追って、レオニーの名を伏せてフェリクスは経緯を話していった。
「……そういうことなら理解できます。レオニーは甘いものが好きじゃないですから」
名は伏せたが、リシテアには即バレした。しかし、選択肢は良かったので彼女の機嫌は向上した!
「要らんと何度も言ってる」
「羨ましい……わたしに分けてくれてもいいのに。って、どれだけ頂いたんですか?! レオニーに甘いお菓子を贈るなんてリサーチ不足ですよ」
「さあな。いくら要らんと言っても強引に渡された。どっかの菓子好きと同様にな」
「あら、どなたでしょう? わざわざあんた向けのお菓子を作って、甘いものの良さを教えてくれる親切な方は!」
話を聞いて、リシテアは胸を撫で下ろす。レオニーなら不自然でないし、フェリクス以外にも渡してたようだから、おそらく深い意味はないだろう。
「いいでしょう、納得しました。わざわざ、あんたにお菓子を渡すなんて嫌がらせですからね」
「お前が言うな!」
「わたしのは甘さ控えめでフェリクスでも食べれるお菓子ですから! そういうことなら遠慮なく頂きます。ふふっ、見てください! このお店の焼菓子はココアクリームが絶品って言われてるんですよ!」
一気に上機嫌になったリシテアは貰ったお菓子の箱を開けて、フェリクスがげんなりする甘いクリームが乗った焼菓子を見せた。
「……気色悪い」
「酷いこと言わないでください! でも、フェリクスにはまだ早いですね。早くお菓子の美味しさを知ってほしいところですが……今のペースだと、このお菓子の良さを知るには五年位かかりそうですね」
「五年経ってもわからんと思うが……」
パクリとココアクリームが乗った菓子を口にするリシテアは、まさに至福の時を堪能して微笑む。甘いものは見るだけで嫌気が走るのに、何故か彼女のその笑顔は嫌ではなかった。
手付かずにいた紅茶を飲むと香り良く、美味しいと感じた。疎いフェリクスでも良い茶葉で丁寧に淹れたのはわかり、もてなしを受けて甘味への嫌悪が薄らいでいった。
「ああ、とても美味しいです! さすが予約待ちのお菓子なだけありますね!」
「食い過ぎるなよ」
「あっ、次のお菓子はバタークリームもいいですね! 色が綺麗で映えますし、味が深くなりますよ」
「要らん」
受け付けれないとフェリクスの身体が拒否した。残念そうにリシテアは、再び箱から砂糖菓子を取り出して食べていく。キラキラ目を輝かせて頬張っていく様は、よくいる少女と相違なかった。
「……てか、飯の前に食うな」
「い、いいじゃないですか! お菓子は別腹ですから!」
やっぱりリシテアの言うことは理解不能だ。嗜好も胃袋も。
予想外の至福のお茶会からの甘い日々は、しばらく続いた。どういうわけか、お菓子を持参して訪ねて来るので、必然的にお茶会を重ねることとなる。
となれば……
「っ!? ふ、増えてる!」
浴室の隅の一角に置かれた女性の天敵に乗ったリシテアは愕然とした。想定していた数値を示しているが、その数値を信じたくなかった……。心当たりはある、たくさんある!
ふとした時に感じる異変に気付いていたが、見ないようにしていた。だが、それも限界になっていた。それはそう、とある貴族の選りすぐりお取り寄せスイーツを盛り沢山食べていたのなら、当然カロリーも盛り沢山!
美味しくて、ついつい手が伸びてしまう至福の時の代償は身体に返っていた。
「訓練……増やしましょうか……」
項垂れながらも覚悟を決めて、リシテアは頑張って訓練所通いをした。魔法より体力作りや剣の鍛錬を頻繁に行い、バレように並々ならぬ努力の末減量に成功した。乙女の意地!
ちょうどその頃、彼からのお菓子の贈り物は止み、何故か好感度が上がった。まあ結果は良し! 甘いものはほどほどに。
★★
高級なお菓子の入手経路はレオニーから、と知ったリシテアはお礼をすることにした。
「知ってしまった以上、何かしたいですし!」
なんでレオニーが大量のお菓子を所持しているのか知らないが、おこぼれを賜っている身として礼を尽くしたい。バレバレだったが、出所の名を伏せて話してくれたフェリクスの面子を保つため、知らない振りしてレオニーの部屋を訪ねた。
ノックをすると、すぐに返事をしてくれて部屋に招かれた。……其処は異様だった。
「雰囲気が変わりましたね……」
「えっ、そうか?」
「ええ、主に香りが。物も増えましたね……」
見間違いかと目を疑った。部屋の一角にこんもり盛られた包みや箱から上品な香りが漂っており、寮の部屋は広くないので充満していた。
「香り? ああ、紅茶の茶葉のせいか。実はたくさん貰って、色々飲むようにしてるんだ」
「そ、そうなんですか」
「ああ、フェルディナントからお茶の淹れ方を教わってさ。少しは上手く淹れれるようになったと思うよ!」
「お茶、ですか」
爽やかに笑うレオニーと反比例して、リシテアの顔は曇っていった。少し思案してから、思い切って口火を切った。
「あの、レオニー……もしかして、求婚でもされましたか?」
「うえっ?! な、なんで!」
「贈られた量が多いですし、お菓子も茶葉もなかなか手に入らない物なので。頻繁だったようですし……まるで、どこかの大貴族からの貢物に見えて」
「そんなわけないだろ! わたしにそんなことする貴族なんていないよ!」
大袈裟だよと笑うレオニーだが、リシテアには愛を示すための贈り物に見えた。貴族間の求婚の際には特別な物を持参する例があったので、そうだと思ったのだが……屈託なく笑うレオニーの様子を見て、気のせいだと考え直す。
「てか、さっきお菓子のこと言ってたよな。もしかして、知ってた?」
「す、すみません! 実は、フェリクスからお菓子貰ってて……レオニーの部屋にある箱も見覚えがあって」
「ああ、いいんだいいんだ! もう隠す必要はないし、みんなとのお茶も良いって気付いたからさ。そうだ、良かったら飲んでってよ」
「じゃあ、頂きます!」
破顔してリシテアは誘いに乗った。お礼に持ってきた甘さ控えめのお菓子と美味しく淹れれるようになった紅茶で、小さなお茶会が開かれた。
(レオニーにお菓子や茶葉を贈ってた人は誰なんでしょう? 上等な品質で量も凄いですし……プレゼントにしては行き過ぎな気がしますが)
頭に浮かぶ疑念は、紅茶に入れた砂糖と共に消えた。目の前の甘い誘惑に夢中になって……。