拝啓 リシテア殿
遠きフォドラの地での生活はどうでしょうか? 爵位を返上したのは聞き及んでいましたが、現在は町外れでお菓子屋を営んでいると知って驚きました。夫婦揃っての随分な様変わりを拝見したく、パルミラから飛んで行きたいのですが、最近は監視の目が鋭く残念です……。
でも、安心しました。貴方は昔から意地っ張りで、本音を隠すのが下手なくせに大人振ろうと背伸びして失敗しては、何か言われるとすぐムキになるのが楽しくて……失礼、胸が弾んでいました。
穏やかな余生を送っているようで嬉しく思います。つきましては、餞別代わりにこれを贈りたいと思います。決して意図はありませぬ、我が国の文化に触れていただけたらと思っております早々。
ついでに、我が家臣お墨付きのレシピも同封しておきます。きっとリシテア殿なら、素晴らしいお菓子を拵えてくれるでしょう。楽しみにしております。……俺に味見させてくれなかったのを根に持ってるわけじゃないからな。誤解なきように。
届いた品に同封されていた手紙を一読して、リシテアから感情的な声が上がる。
「どうして、胡散臭さといやらしさが文面から溢れているんでしょうか! 大体、いつのことを覚えているんですか! 本当にクロードは余計な事ばかり覚えて、思い出させてくるんですから……」
贈り主に文句を言いながら机上の包みを開封していく。馴染みない香りが漂う物は予想通り、彼の国ではポピュラーな茶葉……懐かしき思い出が詰まったグリーンティーだった。
──お菓子屋を経営して月日が流れた。
小さな店なので品揃えは芳しくないが、どれも美味しいお菓子と謳われて来客者は日に日に増えていた。二人では手が回らないくらい盛況な時もある。
趣味から始まった店と言えど、手抜きはしない。日夜お菓子の研究は重ねている日々での異国の茶葉……甘味大全集にも記載されているグリーンティーは、彼らに打ってつけの材料だった。
「ほう、これだけあれば困らないな」
「ええ、日持ちする用法が書いてありましたし、本国仕込みのレシピも同封されていたので、すぐにでも取り掛かれそうです」
一国の王による太っ腹な下賜はフェリクスも感服する。贈られた大量のグリーンティーはフォドラでは珍しく、それを使ったお菓子は珍品、幻のお菓子と一部では言われている。
「パルミラではよくあるお茶みたいですよ。この茶葉を使ったお菓子は作った事ありますし、きっと美味しく焼き上がると思います」
何食わぬ顔をして、何でもないよう伝えるリシテアの心は揺らいでいた。記憶力の良い彼女は覚えている……早数年経た過去だが、試行錯誤して時間を費やしたグリーンティーのお菓子作りは未だ頭にこびりついていた。
プリン状にした物、シャーベット状にした物、蒸して焼いたサガルト風、渋さと香りを活かした焼菓子と、どれもこれも知恵を巡らせて作成した品々。忘れようがない……この茶葉なら甘さ控えめの美味しいお菓子ができると確信したのだから。しかし、それは……
(フェリクスのことだから覚えてないでしょう。士官学校の時の事ですし、動機もあやふやでなんとなくで……あの頃は、色々若かったですし!)
思い返すと恥ずかしい思い出は誰にでもある。時代の波をくぐり大人になった今だと、あの頃の純情や無自覚の行動は顔から火が出るほどの羞恥心に駆られた!
なんだってあんなに一生懸命だったのだろうか……と、リシテアは過去の自分に色々と言いたくなった。
「まるで、わたしがフェリクスのために作ったみたいじゃないですか!」
その通りなのだが。それしかないのだが、認めるのは悔しい。
「何か言ったか?」
「い、いいいえ、何も! そ、そうそう、早速明日から作ってみましょうか。とりあえず、お茶のグリーンティーを体験しましょうか! 味を知っておかないと困りますよね」
「え?」
過去の羞恥心を遮るため強引にお茶を勧めるリシテアは不自然だったが、ある懸念が思い立ったフェリクスは気付かなかった。
「お前、飲めるのか?」
「何がですが?」
「その緑のやつが……」
「え、飲めますけど?」
質問の意図がわからず、リシテアは首を傾げる。大の甘党の彼女がグリーンティーを飲めることにフェリクスは驚いていた。
「ちょっと苦いですが、すっと引いてほんのり甘くて後味が良いんですよ。クロードは『渋い』と言っていましたね」
「……そうか」
意外な返答に驚くも納得した。彼女の言う通り、まろやかな甘味があるから飲めてもおかしくない。
そして、彼の言動を不思議に思う。
「フェリクスって、グリーンティーを飲んだ事がありましたか?」
「ああ」
「そうなんですか!? 珍しいお茶ですから意外です……」
互いに過去の記憶を掘り返して確認していく。リシテアはフェリクスにグリーンティーを淹れた事はないし、フェリクスも淹れてもらった覚えはない。
彼は別の機会に飲んだのかもしれない、と思い当てる。
「ファーガスで飲んだのですか?」
「いや……昔、士官学校の時に飲んだことがある」
「そうなんですか。何処で手に入れたんですか?」
「クロードから貰った。……寮の部屋が隣だったからな」
「余らせていたかもしれませんね。パルミラではよく取れるみたいですし」
特に疑問を持たずにリシテアは受け入れる。それにフェリクスはホッとする。
そう……実はフェリクスは覚えていた。彼自身、疑問に持ちながらもグリーンティーとリシテアが作ったグリーンティーのお菓子は覚えていた!
さすがに食べたお菓子の味まで思い出せないが、美味しかったとうっすら残っている。
「随分前なのに覚えているのは意外ですね。……もう数年前ですし」
「そうだな……俺も意外だ」
「よっぽど気に入ったんでしょうか? じ、じゃあ淹れてきますね!」
動揺しながらリシテアはお湯を沸かしに行った。挙動不審だったがフェリクスには気付かれていないと確信していたので、心を落ち着かせながらやかんに水を入れる。
「大丈夫……フェリクスのことですから覚えてません。色々ありましたし、わたしがグリーンティーのお菓子を作っていた事なんて覚えているはずがありません」
それはそれで寂しく思うが、羞恥心の方が勝った。あの頃から貴方に夢中でした! と思われたくないし、そんなつもりもなかったのだから。
「ま、まあ……違わなくもないのですが」
まだ認めたくなかった。大人になってからの方が受け入れ難いものはある。
★★
慌ててお茶を淹れに行くリシテアを不審に思いながらフェリクスは胸を撫で下ろしていた。グリーンティーを飲んだ事ありましたか? と聞かれた時は、それなりに動揺していたのだが気付かれずに済んだ。あまりに顔に出ない自分をこの時はありがたく思った。
「…………そんなつもりはないが」
ぽつりと零す呟きは苦悶の色を差していた。
記憶力はごく平凡だと思うが、数年前の学生時代の事はおぼろげだ。特別な事や印象的に残った出来事は思い出せるが、それでもはっきりと覚えているのは数えるほど。
何しろ、突然の開戦で急いで故国に戻り、数年に渡る戦場での迎撃。苦戦を強いられる我が国にディミトリの訃報を聞いたりと穏やかとは無縁の日々だった。
のんびり過去を懐かしむのも最近になってするようになってきた……なのに、どうして覚えているのかフェリクス自身が一番不可思議だった。
リシテアがグリーンティーのお菓子を作っていた事は覚えている。何故、記憶に残っているか……その理由もなんとなく察していた。
「…………解せん」
独りしかいない部屋で苦笑する。あまり認めたくない気持ちが浮上していた。
グリーンティーのお菓子を食べたことよりも試作品と称したお菓子を色んな人に配っていたことが先に過った。理由は己のためとわかったのだが、それを知るまでは「なんとなーくモヤっとするなー……別にいいけどー」って感じで際悩まされた時があった。
さらに言うと、クロードに託されたグリーンティーは結局リシテアに渡せなく、勿体ないので自分で飲んでいた。当時の自分は渡せなかった……まるで、リシテアのお菓子が食べたいから材料を調達してきたと思われるから! そう思われるのが受け入れられなくて!
腑に落ちない行為であるが、フェリクスとて感情はある。ハッキリと名を付けられない気持ちは時を過ぎると見えてくる……受け入れたくない時もある。
一つ思い出すと、二つ三つとほろ苦い事まで思い出すのもまた思い出。お互い知らない振りをするのも一興か。