眉間の皺は何のため? 僕は記憶力がいい。幼い頃からそうだったし、この先衰えたとしても、平均より良い部類に入る自信はある。
「ドンシクさん、それ。朝ご飯二回目じゃないですか」
『ジュウォナご飯まだある?』という問に、僕の記憶はそう答えた。
「え、そう?」
ドンシクさんは──記憶が正しければ本日二回目の─白飯を椀によそい、鼻歌混じりに僕の横を通り過ぎた。足の短いテーブルを挟んで、僕とドンシクさんが相対する。緩慢な動作で米を口に運ぶその様子が、妙に僕を不安にさせた。本当に覚えてないのだろうか。「丁度30分前に食べてましたよ、まさか忘れたんですか?」とは言えなかった。僕は読んでいた本に金属製の栞を挟み、机の上に静かに置いた。リクライニングチェアの上から、ドンシクさんのつむじが上下に動く様子を暫く眺める。時偶鳴る金属音をドンシクさんは気にしていないようで、何かに急かされるようにご飯が吸い込まれていく。身体が揺れる度、ドンシクさんの隆椎がシャツの隙間から見え隠れして、僕は咄嗟に視線を逸した。
いつも薄手のシャツを着ているから、控えめな背骨がシャツに小さな山を作っている。服と襟足の間に手を差し込んで、その山の一つに触ってみたい。どんな顔をするだろうか。驚き、嫌悪、無反応、それとも
眉間に皺を作るのは、何も嫌なことがあったときだけにするものじゃないと、初めて知った。好奇心を振りほどくのに、これほどの努力を要するなんて。
「ジュウォナ」
「ジュウォナ」
「ジュウォナ」
ドンシクさんと空になった器の虚ろが僕を見ていた。
「なんですか」
「ぼーっとしてたから」
「ああ…」
ああという言葉で濁せる内容じゃないんですよこれが、と心の中で申告する。
「もしかして、最近俺が太ってきてるんじゃないかとか思ってる」
「はい」
勢いよく立ち上がったせいで椅子が後ろに滑った。
「そんなこと思ってないですよ」
「ほんとにぃ?」
だってほら、ドンシクさんがシャツの裾を捲った。それとほぼ同時に顔を逸らす僕。
「ヤ―!ほらやっぱり中年の弛んだ腹が見たくないんでしょ。はいはい分かりましたよ」
「ちがいます!」
一音ずつ強調するように否定する僕を、ドンシクさんは右手でお腹を摩りながら目尻を細くして上目遣いに見つめる。それはドンシクさんが意図的に使う表情の中でも、僕が一番困る類のものだった。
「ふーん、てっきり」
「てっきりなんです」
「さっき二回目って言ったでしょ?あれ、暗に食べすぎって言っているのかと」
「あれはそういうんじゃないですよ。ただ…」
「ただ?」
「忘れたのかと思って」
「っと、つまり……俺が朝飯を食べてないと思ってまた食べようとしていたと?ぼけたのかって?」
「そこまで言ってないですけど……まあ」
3分。60秒が三回。ドンシクさんは僕の発言に笑い続けた。最初の60秒、僕は自分の考えたことが急に恥ずかしくなって、これ以上整える所のない髪の毛を無駄にこねくり回していた。あとの時間は乱れた心の立ち直りを図るべく、椅子に座ってただ黙っていた。椅子が思ったよりも遠くにあったため、僕が一瞬座り損ねたことは内緒である。
「いやぁごめんね、嘘ついて。朝飯食ったことは覚えてたんだけど、ご飯取り上げられるかと思ってさ」
「はぁ……それで急いで食べてたわけですか」
「だって貴方の家で食べるご飯、美味しんですよ」
空の椀を持って笑うドンシクさんを見て、僕はまた顔を背け、眉間の皺を一層深くするのであった。