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    絵を描くオタク

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    ギョンサン プラべ移行
    ある日室長から怪しげな鈴を貰うアジョシ、何やらその鈴には秘密があって…

    あちらでよろしく、こんにちは死んだらあちらで鈴を鳴らしますから、貴方に一つ渡しておきます。
    私が鳴らせばその鈴がなるでしょう。

    日曜日の昼下がり、サンウォンはイナが料理をしたいと言うので、仕事を切り上げ、皺が付いたエプロンを引っ張り出してキッチンに立った。俺のエプロン姿を見たイナが「アッパだけずるい……」と言って頬を膨らませる。

    「あれ?イナには買ってなかったか……」
    「あったけど、もう小さくて着れないよ」

    懐かしい。エプロンに小さな手足が生えたような姿、嬉しそうに走り回るイナとその横で微笑む妻がいた。「今度新しいのを買いに行こうな」と言うと「そうね、アッパに頼むと子供っぽいの選んできそうだもん」という返答が返ってきた。レシピ本をペラペラと捲りながら、苦笑いをする。

    料理中、匙に盛った砂糖をすりきり棒で均していると、イナが「アッパは何でも綺麗に量るよね。ホ室長はぱぁーってして、ばってしても美味しくできるって言ってたよ」と、何か凄い事をしている職人でも紹介するようにして、匙の先を覗き込んだ。

    「ホ室長は、ほら……料理が上手だから。適当でも美味しくなるんだよ」
    「ふーん。室長すごかったんだね」

    イナの口から室長の名前が出てきて、ああ、まだこの子の日常に室長は居るんだなということに、嬉しさと安堵を覚えた。
    台所は砂糖と卵、バニラの芳しい香りに包まれていた。二人で作ったフレンチトーストは少し焦げたが、まずまずの味だった。イナは食パン一枚分をペロリと平らげ、友達と遊ぶといって外の眩しい日差しの中に駆けていった。


    リビングルームのソファーに身体をあずけ、担当しているプロジェクトの資料に目を通す。左手で口元を弄びながら、右手をいつもの位置に伸ばした。テーブルの上を指先が蜘蛛の足のように動くが、目的の物に触れず首を捻る。「確かここに……」漸く見たテーブルには、木製のコースターが一つ置いてあるだけだった。背筋を伸ばしきょろきょろと辺りを見回すと、キッチンにお気に入りのマグカップの取手が見えて、昼に飲んで置きっぱなしだったことを思い出す。俺は眠気覚ましと、さっきから気になっていた甘ったるい口内をどうにかするため、珈琲を淹れることにした。
    お湯を注いで暫く待つ、お気に入りのブレンドの香りが鼻腔を擽った。さて、仕事の続きをしようとマグカップ片手に、二階の自室に続く階段を登っていく。
    『やっぱり俺はこっちの方が性に合ってるな』
    そんな時だった「リン」鈴の音が聞こえた。


    気のせいだと思った。鳥の声だとか、子供達が遊んでいてそういう音がしたとか。
    階段の隅にコーヒーをゆっくり置いて、汗でじっとりした手を握ったり開いたりする。
    「室長、君なのか?」
    息を深く吐いて目をぎゅっと閉じる。ああ、どうやら夢じゃないらしい。俺は自室に続く廊下を歩く。正直、耳を塞ぎたかった。耳を塞ぎさえすれば、次に来るかもしれない打撃を避けられる。もし二度目が聞こえたら、音が本物になってしまう。その事実が恐ろしかった。
    だが、どれほど恐ろしくても、どれだけ事実を認めたくなくとも、耳を塞ぐことはしなかった。なぜなら、俺はホ・ギョンフンに呪われたから。



    「サンウォンさん」
    「なんだ…うぉっ!」
    「ナイスキャーッチ!」
    「なんだこれ」
    「綺麗でしょ」
    「ん、まあ。これは…鈴か?」
    「そう。これね〜高かったんですよ〜。由緒ある鈴で“僕の”人脈で特別に買えたんです」
    室長は一人で握手をするように、両手をぎゅっぎゅっと握り合わせた。
    「へー」
    「なんですその反応…しらけちゃうなぁ」
    「で、そのお高い鈴をなんで俺に?」
    「いいですか。この鈴は対になっていて、もう一方を鳴らすともう片方も鳴るんです」
    そう言って室長は、コートのポケットから黒っぽい鈴を取り出した。よく見たら黒じゃなくて深い緑、顔の前でゆらゆらと揺れるそれは、美しいというより少し不気味だった。
    「リンリン」
    貰った鈴を興味本位で鳴らしてみると、思ったよりも高い音がした。
    「あー、だめですよぉ。アジョシも僕みたいに持って」
    空いた手で俺の手首を掴んで持ち上げる。そうやって肩の高さに持ってくると「指、こうやって指を差すみたいにしてください」と言うので、素直に人差し指を伸ばした。そして、メダルをかける時のように、妙に恭しく鈴の紐を指に通した。二つの異なる色の鈴が、俺と室長の顔の間で揺れる。
    「いいですか、鳴らしますよ」
    「リン」
    「リン」
    驚いて指を引っ込めてしまった俺の手を室長が捕え、「ちょっとアジョシ危ないでしょ…壊れちゃったらどうするんですか。まったくもう」と言った。最初はすまないと思ったものの、室長のにやにやと笑う口元が目の端に映って、その気持ちは途端に薄れた。
    「仕方ないだろ!こっちは君と違って、こういうことに慣れてないんだ!」
    「嘘ついてなかったでしょ」
    「あ、ああ。でもなんで俺に?」
    室長はポケットに鈴を戻すと、俺の目を真っ直ぐ見つめ微笑んだ。
    「もし、僕があちらに言ったら、アジョシに分るようにと思って。あっちで元気にしてますよ〜ってね」
    「ダメだ」
    「何が?」
    「そんな役、俺はしないぞ」
    「アジョシしかいないんですよ。僕、人脈はあるけど根っこは浅い方なんで、こんな事言えるの貴方だけなんです」
    「やらんぞ」
    「ちゃんと聴いてくださいね」
    「だから、やらんと言ってるだろう」
    「約束ですから」
    室長はそう言いながら俺の手を勝手に掴むと、自分の小指を絡ませ、指切りをした。
    「今、お呪いかけましたから★」
    「職業倫理はないのか……」
    「部屋のどこかに吊り下げとけばいいんですよ。ほらなんだっけ、風磬みたいに」
    「こんな嫌な音がする風磬があるか…着払いで送り返してやる」
    「アジョシ僕の住所しらないでしょ」
    「夜言っていたから、把握済みだ」
    「うそ…」
    「うそじゃない」
    「うそだぁ~」
    俺は室長の肩にぽんっと手を置いて、「ご愁傷様」と言った表情をした。

    「ただいまぁ~」
    「おかえり」「おかえりなさい、イナちゃん」
    二階の踊り場に居る俺たちを見たイナが、何とも言えない表情をした。
    「また喋ってる…。アッパも室長も暇なの?」
    俺たちは顔を見合わせた。
    「あっは!言われてますよ僕ら」
    室長は笑いながら俺の肩をばんばん叩いた。昔「肩に何か憑いてますよ」と言って、急に俺の肩を叩き始めた時と似ている。今思えば、あれはただの肩凝りだったと思う。
    「イナヤー室長には、お帰り頂こうな」
    室長から距離をとって、イナに呼びかける。
    「えっ…急!?」
    「アッパ、私を理由に使わないで。自分の気持ちは自分の言葉で言わないとだめだって、学校で言ってたよ」
    澄んだ黒い瞳が真っすぐ俺を射抜く。胸のざわめきを紛らわすように、いつの間にかポケットに入っていた鈴を手で弄んだ。勘がいいというか、妙に大人っぽい発言をする娘に驚きを隠せない。この気まずさから逃れようと、横目で室長の顔を伺い見る。刹那、俺は見なければよかったと後悔した。なぜって、彼の横顔が悲しそうで何かを堪えるような、泣き笑う子供のような顔をしていたからだ。あの表情は、今でも忘れられない。
    『くそっ…あんな表情知りたくなかった』
    俺は鈴を返す機会を自分から失ってしまった。
    呪いをかけたのは室長だが、そこに決して外れぬ閂をかけたのは自分だった。

    俺が約束を守らなかったら、彼はあんな表情をするのだろうか。



    俺は手を固く握りしめ、イナの部屋を通りすぎると自室の前で足を止めた。
    ドアノブを掴んで一気に押し開く。
    開けた途端、空気の塊が自分の横を凄い速さで通り過ぎたので、それを避けるように顔を逸らした。カーテンがバサバサと音を立てながら揺れ、床には資料が散らばっていた。ドアの真向いにある両開き窓が全開になっており、資料でいっぱいになっていたデスクの上が綺麗に掃除されている。形容するならば『俺の家は床でミッ○ができるんだ』状態だった。これ以上被害を拡大させないために、急いで窓を閉める。左右のカーテンを畳みながら、ふと『そうか、さっきの音は風で鳴ったんだな』という考えが浮かんで、自分の早とちりに「ふっ」と笑いを零した。そして、それを確かめるようにスタンドの方を振り返る。
    しかし、そこにあるはずのものはなかった。
    全身の血がさぁーと抜けていく感覚、呼吸が浅くなり、以前発作を起こした時のようだった。
    付近の資料の束をひっくり返し、藻掻くように手を動かした。床に這いつくばり、目を凝らす。なぜ窓を開けた。きっと風に飛ばされてどこかに落ちたに違いない。壊れてはないはずだ。自己批判と楽観的な推測が脳内を巡る。

    どうする‥‥‥
    無くすなんて……室長になって言ったら……
    言える……そんな機会が本当にあるのか?

    そう思ったら、たまらなくなった。気づかないふりをしていた不安が、どうしようなく目の前に現れたような、鈴が無くなったことが、もう彼はこの家に帰ってこないんじゃないだろうかという不安を現実にした気がしたのだ。気づいたら、はたはたと涙がこぼれていた。こんな歳にもなって、ぼろぼろと子供のように泣くなんて。

    「はぁ……はぁ……」

    横になり呼吸を整えようと努めるが、床から耳に伝わる心音のスピードは一向に収まらない。乱れた前髪の隙間から、床を右に眺める。その時、視界の端に何かきらりと光るものを見止めた。肩を支点にして、床を尺取り虫のように移動する。デスク横にある本棚の下に、光るそれはあった。指先を引っかけるように動かすと、朱殷色の鈴がころころ可愛らしい金属音をたてて出てきた。見つかった安堵で身体が一気に弛緩する。俺は大きな飴玉くらいのその鈴を手で大切に包み込むと、心臓の上にその拳を押し当てた。

    『教えてくれ、室長は無事なのか』
    『今どこにいる』

    願いを届ける鈴でもあるまいし、そんなことを想っても何にもならないと分かっているのに、ただ只管に問い続けた。最後の言葉は問いですらなく、思いの始まりはいつだったのか分からないほど昔で、なのに一回も相手には伝えた事の無かったこと、心の底からの願望だった。

    『ギョンフンに会いたい』

    サンウォンは鈴を握りしめたまま、次第に静かになる鼓動に耳をすませ意識を手放した。



    あれから何時間経っただろうか、首のあたりに寒気を感じ俺は目を覚ました。硬い床で寝ていたせいか、身体の節々が凝り固まっている。へたりと座り込んだまま肩をランダムに動かし、身体をほぐした。「あー」気持ちよさに思わず声が出た。身体が温まってきたところで目を閉じ天井を見上げ、暫くそのようにして過ごした。そして諦めがつくと、やはり届かなかったかと右手をそっと開いた。

    『うそだろ‥‥‥』

    鈴には大きな罅が二つ入っていた。
    持ち上げ、よくよく目を凝らす。赤色の間に黒い筋がしっかり刻まれていた。壊れたと分かった割に頭は意外に冷静で、やっぱり落ちた時に割れていたのかとそんなことを思った。

    『これじゃあ願いどころか、室長が鳴らしても鳴らないな』

    ははっと、渇いた笑いが出る。目を大きく開き、じっと鈴を見つめた。瞬きの必要はなかったし、するつもりもなかった。ぼやけていく視界に、これだと罅がないみたいに見えるなと思った。
    そうしていると突然、ドアの向こうで「バンッ」という音がした。
    音の発信源はおそらく一階で、風に煽られた扉が急に閉まった時のような「バンッ」という音がした後、今度は階段をどたどたと駆け上がるような音が聞こえた。
    何が起こったのかも分からず、もしや度胸のある強盗でも入ったのかと自室のドアを振り向く。次の瞬間これまたドアが勢いよく開くと、そこには肩で息をするギョンフンが立っていた。

    「アジョシ!」

    そう叫んで俺の方に飛び込んできたもんだから、俺は床で盛大に頭を打った。

    「いった‥‥‥」
    「あっ、あっ、アジョシ大丈夫ですか?すみません、ちょっと‥‥‥」

    と言いかけたギョンフンが急に黙り込んで俺の目を覗き込んだ。どうしたのかと思った時には、俺にもその理由が分かった。左右の目尻から耳にかけて一本の線を引くように、涙が流れ落ちていた。耐えて我慢していたものが溢れ出て、耳の中に溜まっていく。

    「サンウォンさん」

    ギョンフンは俺を抱きしめ耳元で「遅くなってごめんなさい」と囁いた。
    俺は「おかえり」の代わりにギョンフンの首に手を回すと、力強く抱き返した。決して泣き顔を見られたくないなどという、恥ずかしさからした行動ではなかったと思う。ギョンフンの身体から俺に体温が移っていくのは妙なもので、以前肌を重ねた時には感じなかった不思議な感覚がした。暫くそうして抱き合っていると、ギョンフンが俺の背中を小さな子供をあやすようにさすり始めたから、流石にそれは恥ずかしくて腕を解いた。目を何回か拭って、顔を整え、室長の顔をまじまじと見ながら聞いた。

    「なんで急に帰ってきたんだ?それに遅くなってって、どういうことだ?」
    「それは‥‥‥仕事が終わったからね」

    歯切れの悪い返事に眉を顰めると、ギョンフンは降参といった風に両手を挙げ、語りはじめた。

    「まず、仕事が終わったのは事実です。まぁ、終わらせたと言った方が正しいですけどね。アジョシの応援のおかげです」
    「俺何もしてないぞ」
    それを聞いたギョンフンは、困ったなぁといった風に頭を掻くと上目づかいにこちらを見た。
    「実はアジョシには言ってなかったんですけど、あの鈴にはちょっとした仕掛けがあってですね。普通に鳴らしただけでは共鳴しないんです」
    「?」
    「あの鈴は、対になっている鈴の持ち主の事を強く想いながら鳴らさないと鳴らないんですよ。その証拠に最初アジョシが鈴を鳴らした時、僕の鈴は鳴らなかったでしょ」
    「は‥‥‥え?」

    あらゆる点で理解が追いつかなかった。強く想ったら鳴る?そんなオカルト的設定アリか?いや、オカルトを職業にしている人が目の前にいて言うのもなんだが。

    「今回の仕事は霊の悪意が強くて、あと3日は帰れないだろうなって思っていたんですが、でも、そしたら僕のこの鈴がもう煩いくらい鳴るんですよ」

    室長はポケットから深い緑色の鈴を取り出して笑った。

    「その音を聞いたら、貴方に何かあったんじゃないかと居ても立っても居られなくなって、霊を早々に退けてここに来たってわけです」
    「悪かったな、煩くて‥‥‥」
    「とんでもない!いやぁ、良い音でしたよ。泣くほど僕のこと考えてくれたんですよね?嬉しいなあ」
    「泣いてない」
    「泣いてましたよぉ、僕見ましたから」
    「室長が俺にこんな鈴を渡すからだろ。俺がどんな思いで、この鈴を持っていたと思っているんだ!」

    悲しみや不安も度が過ぎると怒りに変わるようで、気づいたら俺は声を張り上げていた。
    壁時計が秒針を刻む音が部屋に響く。その後、突然訪れたこの緊張を破ったのは室長だった。

    「はは、そうですね。僕が無理矢理押し付けたみたいなもんでしたし。すみません、アジョシがそんな深く思い込んでいるとは思わなかったです。いくら恋人でも重いですよね」

    室長はそう言うと、俺が手に握っていた鈴を奪い取ってポケットに二つの鈴を入れようとしたが、寸前で手が止まった。

    「ん?これ割れてません?」
    「そうだが」
    「落とした?」
    「多分」
    「多分?」

    室長は立ち上がって部屋を見回すと、「ああ」と何やら納得したように呟いた。

    「もしかして、鈴を無くして探しまくって見つけた感じですか」
    「‥‥‥」
    「ああ、サンウォンさんの沈黙は肯定でしたね」

    普段見えざるものと対峙しているせいか、この男の敏さが憎たらしい。

    「見つけた鈴が割れてて、俺にどう言おうか困ったって感じですか?」

    室長が二つの鈴を手で弄りながら問うた。そのどこか寂しげな様子を見ていると、変なところで意地を張っている自分が阿保らしくなった。
    「違う、いや確かにそうだったが。室長がもし、俺がこんな事をしている間に鈴を鳴らしていて、俺はそれを聞く手立てを一生無くしてしまったのかと思うと悲しかった。君の悲しそうな顔が浮かんで、たまらなくなって‥‥‥室長との約束が守れないと」

    両手を組むようにし、それを自分の額につけ言葉を続けた。

    「だから、鈴に向かって願ったんだ。君に会いたいって、今はどこにいるのか、無事なのかって‥‥‥そしたら君が現れた」

    時系列云々は置いといて、本心を包み隠さずぶちまけた。

    「アジョシ!」

    室長のはっきりとした声に驚き顔を上げる。

    「おかえりって言って下さい」
    「え?おか、えり?」
    「もっとはっきり」
    「おかえり」
    「ただいま、サンウォンさん!僕が馬鹿の考えなしでした、謝ります!」
    「は?え?」

    捲し立てられて理解が追いつかない。

    「正直言うとあの鈴を渡したのは、あの世がどうのこうのとか関係なくて、ただ僕とサンウォンさんの物質的繋がりが欲しかっただけなんです。そしたら、僕が貴方の家に行く口実というか名目になると思って」
    「口実も何も、恋人なら……」
    「ええ、それはそうです。分かっています。ただ、昔から人と深く関わるほど自分の異質さが際立つというか、この場に僕は居るべきかと考える癖があって、貴方の家に来る度にいつも最初に会った時みたいな『こんにちは』っていう感じが抜けなかった。挨拶が必要な関係性というか‥‥‥分かりますか」
    「なるほど」
    アジョシは僕の言葉には一切口を挟まず、落ち着いた口調でそう言った。
    「だからここに居てもいい確証が少しでも欲しかった。それも目に見える形で。僕の物がこの家にあることが、重要だったんです」
    「それで鈴か。ああ、そういや忘れ物をわざととして次会う機会作るタイプだしな」
    「はは、抉りますね‥‥‥」
    「これくらい室長に比べたら可愛いもんだろ」

    室長は俺の横に腰を下ろすと、デスクの柱を背凭れにするようにして並んで座った。

    「話を戻しますけど、サンウォンさんの言葉で目が覚めました。そんな物なんてどうでもよかったって。家がどうとか鈴があるからとか、どうでもよくて僕が帰る場所は貴方の元だった。僕を想って泣いてくれる人の元に僕の居場所があったんです。ほんと馬鹿ですよね、今更って自分でも思います。自分が異質だとかじゃなくて、自分意外の人間を異質だと切り離して考えていたなんて」
    「ああ、大馬鹿者だ。俺が言った「ただいま」も「おかえり」も今の今までなんだと思って聞いていたんだか。俺はずっと君に言っていたっていうのに、呆れる」
    「あはは」
    「今度、そんな事を言ったらこの家の敷居は跨がせん」
    「肝に銘じます」

    その時、開きっぱなしの自室のドアの向こうから「ただいま」というイナの声が聞こえてきた。二人してそそくさと立ち上がり、玄関の方に急ぐ。

    「「おかえり」」
    「ホ室長来てたんだ~」

    アジョシが「ほら見ろ、イナだって室長がいるのがもう普通なんだよ」と首を傾けた。
    それに極まりの悪い笑顔を浮かべると僕はアジョシの手を取って、その上にさっき奪い取った鈴を載せた。

    「返します。勿論変な頼み事とかしませんよ、ただの記念です。この鈴が僕の目を覚ましてくれたから」

    ギョンフンは、そう言いながら自分の鈴を顔の高さに持ち上げると優しく揺らした。

    「リン」
    「リン」

    揺れる鈴の向こうに微笑むギョンフンが見えた。その笑顔はいつかの寂しげな横顔を上書きするように、俺の記憶の中に美しく刻まれた。
    そして俺も握った鈴を顔の前に掲げ、同じリズムで鈴を鳴らした。

    「リン」
    「リン」

    お互いの鈴の音が等しく聞こえて、俺たちは悪戯が成功した子供のように無邪気に笑った。

    願わくはその音が互いの鼓動と共に、尽きゆく時まで鳴り続けるように。
    そして、もし尽きようとも彼らは再び最初から始めるのだろう。
    あちらでも、「よろしく」「こんにちは」と。

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