酔ってるって!「はぁ…」
思わず出た溜息だったが、ジュウォンはその行為を激しく後悔した。
季節は冬。それも屋外で夜ともなれば、空気はいっそう冷たさを増す。
反動で吸い込んだ空気が身体を一気に冷やし、ぶるりと身体が震えた。資料の整理に熱中しすぎて睡眠不足の身体に、この寒さはこたえる。段々と鼻を啜る回数も増え、いよいよ頭も朦朧としてきた。
「大丈夫ですか?」
暗闇の声の主は一人しかおらず、イ・ドンシクのあの挑発的な顔が浮かんできて顔をしかめた。
「いいえ」
朦朧としていたせいか、思わず本音が出てしまった。急いで訂正をする。
「大丈夫です。それより、もう貴方は帰って下さい。僕が紛失した証拠品ですし、手伝ってもらわなくて大丈夫です。」
「大丈夫って…かれこれ三時間くらい探してますけど、それで一人で大丈夫って言えるんですか?」
ああ言えばこう言うように、この人との会話はオウム返しのように進む。
「兎に角!僕の責任を貴方まで背負う必要はないです」
「責任?俺たちはパートナーで、パートナーは責任を共に負うものじゃないんですか。それに、さっきから『ずびずび ずびずび』鼻を啜って、うるさいですよ。貴方の方こそ帰った方がいいのでは?」
これ以上会話を続けるのは無駄な体力消耗だと結論づけ、ジュウォンは会話を一方的に切り上げた。
それから30分たった頃だろうか、ドンシクの左斜め後方から思いがけない言葉がとんできた。
「今日はすみませんでした。僕の失態です。埋め合わせといってはなんですが、今度食事を奢らせて下さい。」
普段の覇気を帯びた声色とはうってかわった、酷く弱々しい声だった。「ほう。これは珍しく弱っているんだな」とドンシクは思った。
「なるほど」
ここまでは、良かった。
「尊敬するお父様に、失態は酒の席で流せとでも教わったんですか?」
『ああ、いいですね。では今度誘ってください』とでも言えばよかったのに、普段の自分に対するジュウォンの態度と、この寒さもあって若干気分が悪かったのかもしれない。『ちょっと、揶揄ってみるか』という態度をとった。
案の定ジュウォンが何かを耐えるように「はっ」と息を短くきったのが聞こえた。
「そうだとしたら、何か問題でも?」
こういう言い回しをさも何度も使ってきたかのように、さらりと言ってのける。
「いえ、食事はいいです。それよりさっさと手を動かして家に帰りましょう。夜は冷えます。
ハン警部補に風邪をひかれたら俺が困ります。」
ついでに笑っておいて、ジュウォンに『ただ揶揄ってるだけだ』と念押ししておいた。
早く帰りたいのも、警部補に風邪をひかれたら困るのも本心だった。ただ、この坊ちゃんが何かと俺につっかかってくるのが面白くて、つい言葉で遊びすぎてしまう。
何かまた返してくると思ったら、ガサガサと草を搔き分ける音が聞こえた。振り返って見ると、靴を泥だらけにして肩で息をするジュウォンが立っていた。
「僕が他人を食事に誘うなんて滅多にないことなんですよ」
「はあ?」
怒りとも呆れともいえぬ声が、ゆれる草木の音に交じって響いた。
「前も少し言いましたけど、酔ってますよね?」
「アルコールなんて飲んでません」
坊ちゃん勘弁してくれと言わんばかりに、頭を抱える。
「アイゴー、重症だなぁ。ご自身にって意味で言ったんですよ、ハン・ジュウォン警部補」
「どういう意味です…」
手のひらを上に向け身体を前に倒しながら、まるで握手を求めるようにジュウォンに向ける。
「貴方にとっては他人を食事に誘うって事が人生においてたった数回のことかもしれませんね。はい、想像はつきます。」
「でもそれを俺が有り難いなぁ!めったにないことだなぁ!って感謝するとでも?貴方の稀有を俺が特別視しなければいけない理由がない。貴方が誘うことと、例えばジフンが俺を誘うことは同じです。いや、楽しさでいうとジフンと食事する方が数倍楽しいですね」
そこまで言って、差し出した手をゆっくりと戻した。
「なるほど。分かりました」
本当に分かったのかこの人はとは言わないが、素直な返事が返ってきて調子が狂う。しかしこの時調子が狂っていたのはドンシクだけではなかった。風邪の初期症状と睡眠不足、疲労、苛立ちがジュウォンの思考回路を狂わせていた。
「じゃあ…どうしたらドンシクさんと楽しく食事できるんですか!!!僕がいくら努力したところで、どうせ貴方は僕の事を揶揄ってくるばかりで…そもそもドンシクさんは僕と食事を楽しむ気持ちなんてないんでしょ!」
ジュウォンが大声をあげながら言い放った内容にもぎょっとしたが、それよりもドンシクを驚かせたのは、発言後にドンシクに歩み寄ろうとしたジュウォンが足に草を引っ掛けて、盛大に顔面を土にめり込ませたことだった。
三十分後、ドンシクの家にてー
「ああ、やっぱり風邪引いてるじゃないですが」
眼下で物凄くきまりの悪そうな顔をする若者を見る。ジュウォンが地球とキスした後、急いで彼を抱き起し、また『大丈夫ですか?』と聞くと今度は『大丈夫じゃない』というので、捜索を切り上げ急いで家に車を走らせた。
「取り敢えず、何か食べますか?おかゆとか?」
「僕がごはんを奢るはずだったのに…」
『まだご飯の話をしているのかこの人は』
「あー飯ですね、貴方が元気になったら、そうですね、高級な料理でも奢って下さいよ」
どうせ、この熱だから覚えてないだろうと適当な返事を返す。
「約束ですよ。僕が絶対美味しいって言わせてみせます…」
そう言ってジュウォンはドンシクの手を強く握ると、すっと意識を手放した。
ドンシクはジュウォンの発言にやや疑問を抱きつつ「楽しみにしてますよ」と小さく笑った。
数日後、ドンシクはジュウォンの自宅に招かれるのだが、そこでジュウォンの発言に対する謎が解けたのは言うまでもない。
「さあ、どうぞ食べて下さい」
ドンシクの眼の前には、皿から盛り付け全てに贅沢という言葉が付きそうな料理が並べられていた。
「どの食材も一級のものを使用し、何度も試作を繰り返しました。絶対に美味しいはずです」
『このぼんぼんは・・・』と思ったが言わなかった。
「それに僕が作ったので不味いはずありません」
「やっぱり貴方は素面でも酔ってますよ」
前言撤回。思ったことは言った方がいい。