次の日は、指輪をもらった 唐揚げ、オムライス、バナナフリッター。でっかくて、いちごが沢山乗ったケーキに、冷凍庫にはチョコミントアイス。真っ赤なネイル。ぴっかぴかのストレートチップ。そして、部屋いっぱいに香りを撒き散らすのは、両手で抱えるくらいのバラの花束。
「……なんか貢がれてる気分」
「言わないでくれ……」
夜勤明けのハイテンションでそれら全てを抱えて帰ってきたドラルクは、目が覚めてからずっとこの調子だった。
八月七日、午後の十時。ドラルクが帰ってきたのはきっかり十時間前で、当然その頃俺は夢の中にいたのでこの有様に気がついたのはついさっきだ。どれもこれも、全て俺へのプレゼントだという。
「ここ最近忙しくて……君の誕生日のこと思い出す度に注文してたら、こんな……」
「料理は帰ってきてから作ったやつじゃん」
「夜勤残業ハイ舐めないで欲しい。気がついたら気絶してた」
「起きたらリビングのど真ん中で倒れてるお前見つける俺の気持ちも、分かって欲しいんだけど」
「うっ、ぐ……」
随分時間が経っているから、料理は全部冷めてしまっている。ドラルクはよろよろとダイニングチェアから立ち上がって、それらが盛り付けられた皿を手に再びキッチンへと向かった。
「……どらこぉ」
「? 食べない?」
「食べるけど……」
そんなしてまで、と思わなくもない。へとへとになって、疲れて、明日は俺のために休みをもぎとったと大層喜んでいたドラルク。俺も嬉しいけど、その為にドラルクは体重を二キロも減らした。
「……どらこぉ」
「なぁに」
油に火をかけて、二度揚げの準備をするドラルクに後ろから抱き着く。いつもなら、あっちに行っててと言うのに、今日はそれすら許されてしまうのだ。そうやって抱きしめた身体があんまりにも痩せっぽちで、いつも以上に俺の肉を分けてやりたい。最近俺、お前のせいで太ったって言われるんだ。
「……ドラ公も太れ」
「そうしたいのは山々だけど」
苦笑するドラルクが、動こうとするので、俺は念動力を使って、自分の意思で持ち主にくっつく風船のように体を浮かせた。
じゅわ、じゅわ、と気持ちいい音が聞こえて、ついでにドラルクの変な歌も始まった。やりすぎなプレゼントのことは置いておいて、頗る機嫌がいいらしい。
俺の誕生日なのに、どうしてドラルクの方が嬉しそうなのかよく分からない。俺はもう何百回も歳をとってるから、こうしてドラルクと出会って、一緒に暮らす前はすっかりいつもと同じ日にしていた。もう、誕生日にはどんな顔をすればいいのかを、すっかり忘れてしまっている。その上ドラルクがこんなに疲れているのに、俺まで喜んでいいのだろうかとよく分からない思考に陥ってしまっていた。
「どうしたの、元気ないね」
ドラルクは手元から視線を外さないまま、空いた手で俺の頬を撫でる。首を横に振ってそれを否定したけど、多分説得力が全然無かった。
「……腹減ってるだけ」
「もう少しだけ待っててね」
「うん……あっち行ってる」
俺は、嘘ではないけど、本当のところを隠してしまったことに罪悪感を感じて、ドラルクから離れた。床に降りて、ソファーを陣取っているバラの花束の隣に腰を下ろす。
真っ赤なバラが嫌いな吸血鬼なんかいない。俺は顔を寄せて、香りを嗅いでみた。これが食べるバラではないのは分かっているけれど、俺が最後にバラを食べたのは百年以上前の事だった。今みたいに唐揚げとか、オムライスとかが簡単には食べられない時代の吸血鬼にとってのおやつみたいなものだ。ドラルクの作るバナナフリッターやケーキみたいに美味しい訳では無い。
パッと見て、何本あるかを数えた。百一本あった。これを買った時、ドラルクがどんな顔をしていたのかが少し気になる。
あ、少し嬉しくなってきたかもしれない。自分の単純さに少し呆れながら、俺はその花束を膝に抱えてみた。バラは結構ずっしりと重たい。もう一度、顔を近づけてたくさん吸ってみると、動かしたせいかもっともっと強く香りが広がった。
今度は、ソファーの傍に置いてあった箱に手を伸ばす。一度開けたのでわかっているが、それは新しい革靴だ。ぴかぴかと部屋の電気を反射させる深い黒。中の詰め物を取り除いて履いてみると、びっくりするほどピッタリだった。なんでドラルクは、俺の靴のサイズ知っているんだろうか。
足を真っ直ぐ伸ばしてそれを眺めていると、向こう側のローテーブルに真っ赤なネイルが見えた。靴を履いて、バラを抱えたままそれを手に取ってみる。
俺の目は普通の吸血鬼と違って、真っ赤なそれではないから、俺はいつも赤に憧れていた。兄貴みたいな、真っ赤な目の畏怖い吸血鬼になりたい。兄貴の姿を思い起こしながら、蓋を回して開けてみると、小さな筆が赤をまとって出てきた。そういえば、ヒマリもこんな色のネイルをしていた気がする。
「……わぁ」
左手の人差し指の爪にそれを乗せる。それは正しく吸血鬼の赤色そのものだった。けれど、小さな筆は思いのほか望むように動いてくれない。何とか左手の爪全部に塗ってみたが、全部はみ出たり、塗り残しがあったりで上手くいかなかった。
せっかく上がった気分が下がっていく。利き手でやってこれなのだ。一応両利きではあるけど、右手よりも不器用な左手でやれば、結果は明白だった。しかし、両手の爪を飾る深紅を俺は想像した。頑張ればできるかも。そうして俺は、震える左手でキャップを手に取り、刷毛を右手の爪へと乗せていった。
十分後。
「何してるの? 唐揚げできたよ?」
「どらこぉ……たすけて……」
「……ホントに何してるんだ、君」
部屋の中で革靴を履き、膝にバラの花束を乗せ、乾くまで時間のかかるネイルを両手に塗ったために自由が効かなくなった俺を見たドラルクが、呆れたように笑った。
ドラルクはローテーブルに唐揚げの皿を置くと、まず俺の膝の上からバラの花束を持ち上げて、ダイニングテーブルの方へと運んだ。直ぐに戻ってきて、今度は床に膝をついて革靴を脱がしてくれる。
「それはどうしようかな」
まるで血塗れみたいになっている俺の手を見たドラルクは、動かないようにと俺に言いつけて何処かへと言ってしまった。かと思うと、すぐに何かを持って戻ってくる。
「何だ、それ」
「除光液だよ」
「えっ」
どんなに見た目が悪くても、頑張って塗ったのに。全部拭き取られてしまうことを想像して少し落ち込んだが、ドラルクは一緒に持ってきたコットンやら綿棒やらに液を染み込ませると、俺の指先を手に取った。
「少し直すからね」
「へ?」
そう言って、ドラルクは見ているうちにはみ出した部分は綺麗に拭いとって、塗られていない箇所はもう一度丁寧に塗り直してくれた。最初は綺麗になっていく爪に感動していたけれど、俺の手を取り、俯いて、真剣な顔で作業をしてくれるドラルクが目に入ると、悪いんだけど、もう爪なんかどうでもよくなってしまった。
「はい、出来た」
「えっ、わ、早い……」
けれど、ドラルクはやっぱり仕事が早いと言うか、なんでも「もう少しだけ」ってところで作業を終えてしまうのだった。そのもう少しが、あとどれ位なのかは分からないけれど。
お陰で、爪はすっかり綺麗な赤が揃えられた。電気の下に翳してみると、深い赤色がかっこいい。
「乾いてないから、しばらくどこも触らないでね」
「うん、わかっ……」
そこで俺は重大な事実に気がつく。
これでは、唐揚げが、食べられない。なんと言う大誤算。唐揚げ好き失格レベルの事態に、俺は硬直した。
「? どうしたの」
バラの花束も、靴も、ネイルも全部嬉しかったのに、目の前にあるドラルクがわざわざ二度揚げしてくれた唐揚げを食べることが出来ない。
「……ごめん」
「はっ なに なんで泣いてるの」
俺は拭うことも出来ないのに涙を零してしまう。驚いたドラルクが何事かと俺の隣に座った。
「……からあげ、食えない……」
「は? え? …………ああ、そういうこと?」
なんだ、とドラルクは肩を竦めて笑った。それからティッシュを持ってきて、涙を拭きながら「食べれるよ」と言う。
「?」
どうやって。そう聞く前にドラルクは再び立ち上がってキッチンに向かうと、今度は小皿と箸を持ってきた。隣に座って、皿に二つ。揚げたての唐揚げを乗せると、くるりと俺の方を向いた。
「ほら、あーん」
「!」
予想外のドラルクの行動に、俺は驚いて、少し飛び上がってしまった。
「どうしたの。別に初めてでもなしに」
「ど、ドラ公からされるのあんまないから……」
俺の方から摘み食いやら、味見やらで求めることはあっても、ドラルクからそれをしてくれることはそうそうない。行儀が悪いから、と言っていつもは嫌な顔をするのに。
「食べないの?」
「う、食べる……あー……」
口を開けると、唐揚げが半分差し入れられたので、前歯で食いちぎる。さく、と音がなって、ドラルクが下に添えていた皿と、俺の顎に溢れた肉汁が伝い落ちた。
「……んまい」
また、嬉しさが膨らんでくる。口の中に美味しいがたくさんたくさん拡がっていく。俺の感想に、ドラルクも笑ってくれる。
「元気になったみたいだね」
ドラルクが指で俺の顎を拭った。沢山噛んで、飲み込むと、残りの半分が口の中に入れられた。
「……どらほぉは、ふわないのは?」
「お口に入れたまま喋らない。一緒に食べるよ。零時までに食べ終わらないとね」
今日初めて叱られて、けれどドラルクがどうして零時にと言ったのかが分からず、俺は首を傾げた。
「……ロナルド君、他に欲しいものとか、ある?」
「え? えっと……」
何だろう。こんなに沢山くれたのに、やはりドラルクは貢ぎ癖でもあるだろうかと思いながら、しかしドラルクの顔がまた少し変な顔をなっていた。
「……まだ何か用意してあるのか?」
「……意外にこういう時は鋭いな君」
「当たった。ちなみに何?」
「君からなにか追加があればそれは無しにしようと思ったんだよ……」
あるわけないか、とドラルクは観念したように、溜息を吐いている。もしかすると、残業ハイってやつの、極めつけなのかもしれない。
「なぁなぁ、何? 何くれるんだ?」
「……明日まで秘密にする」
こういうのは後回しにする方がよくないのに、と思ったが、ドラルクの意思が硬そうだったので、それ以上は追求しないことにしておく。
それともう一つ、気になることを俺はドラルクに聞いてみることにした。
「なんで零時までに食べなきゃならないんだ?」
その俺の質問に対して、どうしてか、それの方がどれよりも恥ずかしいことの筈なのに、ドラルクは事も無げに答える。
まだ多分ドラルクは、残業ハイのまんまだったのだ。
「零時ぴったりに、君にキスしたいから」