「お。よく眠れたか?」
タタン、タタンと揺れる中でゆっくりと意識を世界に戻す。年の割に幼い見た目の子供は、ぼんやりと下視界の中で嫌にハッキリと映る男の顔に安堵した。
しっかりと頷くと、男は子供の頭を後ろから撫でた。まだ手が視界に入るのは、怖いらしいからだ。
各駅停車の鈍行に乗り、かれこれ数日が経った。今日こそは目的の場所に着けるかもしれないと、男は端末を操作しながら時間を確認した。
「結局年内にはいけなかったな。ああ、お前のせいじゃないから気にするな。長々連れ回してごめんな」
子供が首を横に振ると、男は優しいなと笑った。
雪が深い地域に差し掛かり、そこで足止めを食らって大幅に予定が狂った。その地で年を明かして、人もまばらな電車に2人だけが乗っていた朝。男にとっては余り好ましくない状況だが、仕方が無いと子供に幅広な襟巻きを被せた。
寒さに慣れていない子供は、身をくるむ衣服の暖かさに何度も眠りこけた。体力がロクについていない事もあるが、しかし長旅は中々に堪えたようだ。
子供を無事に親父殿の元へと送り届ける、それがこの男豊前にある任務でもあった。
豊前は純粋な人間ではない。それはこの世界にいる生きる者の極少数が彼と同じであり、それに近い者もそれより多く存在する。
元は人間ではない存在が、己の終わりを迎えた後に新しく命を得た存在。多くは人の身に似ているが、見た目は人とかけ離れることがあった。
豊前は数ヶ月前、この子供を自分の手元に戻すために1つの集落に害をなした。それがほんの少しでも外に漏れ出そうだということで、厄介になっていた男の場所を辞して元々向かう予定だった場所へと向かっている。
それが彼が親父殿と呼ぶ存在であり、その実人でありながら人外の器を生み出した存在だった。
人でない時の記憶を持ちながら、人として生きる存在は他にもおり、豊前はその男達にも助けられながら子供達の行方を追っていた。
漸くこの手に捕まえられた子供の1人が、今豊前の膝を枕にして眠っている子供だった。
「稲葉、富田、漸く篭手切を捕まえられたよ。これから親父殿と奥方様のところに連れて行くんだ。漸くだ、間に合ったよ」
眠る子供を撫でながら、乗ってくる人が増えた車内で男はひっそりと窓の外を見た。雪深い世界はしんとしていて、街の中であってもその静けさは空に残っている。
暫くは少し賑やかな方が良いと、豊前は子供を見て久方振りにそう思った。
年始と雪のせいでやや遅れて活動し始めた人の波を感じながら、豊前も身体を休めようと目を閉じる。幸い力の消耗は少ないため、終着手前までゆっくりと出来そうだった。
「ああ、ここにいるお前の父親の親族に会うんだ。細かく言うと直接の繋がりはないんだが、気軽に叔父さんとでも呼んでやってくれ。たぶん喜ぶ」
終着駅で乗り換えるが、その前に会うことになった人に会わなければと2人は駅を出た。待ち合わせとなっている場所に向かうと、既に迎えだという車がそこにあった。
子供が豊前の服の影に身を潜めると、車から勢い良く飛び出してくる人影が見えた。
「豊前!」
「あれ?稲葉。先に親父殿の所にいるって思ってたのに」
「途中野暮用が出来てな。富田とこれから向かうところだった」
「おーい風来坊。漸く来やがったか」
「相変わらずだなぁ富田!結構待ったか?」
「どの鈍行で来るかも教えねぇだろお前。おかげで稲葉と数時間はそこのメニュー飲みまくってたんだぞ」
「……その子供か?」
稲葉と呼ばれた男が、豊前の後ろに隠れた子供に目を向ける。クセのある長い前髪で顔が半分隠れた男の顔に、子供はぴゃうとまた顔を隠した。
「ちっちゃいなぁ。幾つぐらい?」
「分かんねぇ。村正が言うには、実年齢より未発達なんだと」
「じゃあ俺の出番?どうする?」
「一先ず奥方様に委ねる。後はそれ次第だな」
そうか、と富田と呼ばれた男が、子供に目線を合わせた。子供はいきなり近くなった顔にピクリとしながら、ゆっくりと豊前の影から身体を出して行く。
「初めまして。俺は富田。名前はややこしいから、富田って呼んで。えーっと」
「わりぃ、俺が呼ぶ訳にいかねぇからさ。村正は翡翠って仮に呼んでる」
「そっか。じゃあ今は翡翠くんだね。お名前決まったら、また教えてね」
それから稲葉が膝を付いて、子供と目線を合わせた。
「俺は稲葉だ。余り会う事は無いだろうが、コイツが何かしたらすぐに言え。とんでくる」
「過激にも程がある」
「翡翠、だったな。……豊前、一先ず端末を持たせても良いか?」
「おい」
「餞別だ。あとまだ満足に言葉も話せないだろう」
今日は無理だから日を置いてな、と富田が言うと、車の運転手に一言言って荷物を取り出した。
暫くすると車は動き、あれと首を傾げた豊前に富田と稲葉がよしと声を揃えた。
「じゃあ、行くか。席は取ってある」
「遠くないけどこういう時こそ金使わないと、郷の財力疑われるからさ~。付き合え」
「いやどういうことだ!?」
「だから、俺と稲葉も一緒に父上のとこに行くって。言ってたろ?」
「初耳っちゃ!」
ひょいと稲葉に抱え上げられた子供が、びくりと身体を強ばらせた。稲葉はそれに少し悲しい表情をしながらも、子供がさらさらと走り書いた文字にふと笑みを零す。
『ごめんなさい こわいとかではないです』
「そうか。久し振りにめっきり寒いからな。近くにいれば温かいだろう。怖くなったら捕まっていろ」
『わかりました いなばさん』
「……豊前、この子供を周防の養子に出来ないか」
「アンタ親父殿の息子1人養子にしてんだろ!」
おい稲葉、と豊前が言うのも聞かず、稲葉は足早に駅構内へと歩いて行く。外よりは寒さは和らぐからと言われれば、豊前と富田もそれはそうだとついていった。
帰省客と旅行客でごった返しているらしい名店街。この地では有名な富田とやけに目立つ男達、そして抱きかかえられている子供はやけに目立つ。
「土産もここで買う予定だったから、見て行こうか。例の双子は帰って来てんの?」
「ああ、今年はちと予定が合わないらしい。年明け落ち着いてから来るって」
「じゃああの2人の分も買って、おーい稲葉、お前目的忘れんじゃないよー」
「弁当は必要だろう?」
「摘まめる物にしなさい。翡翠、気になる物はあるかな?少しお腹空いたから一緒に食べてくれると嬉しいよ」
『あそこのおみせのごはん たべてみたいです』
「おっ、いいね。じゃあここをでたところにあるおにぎりも買おうか」
「富田も案外甘いよな」
「年下はいつでも可愛いもんよ。豊前はどれにする?」
「俺もか。肉の入った握り飯」
「結局でないとじゃん」
土産物を見てからコンコースに出て、コンビニの隣にある軽食テイクアウト専門の店に寄る。握り飯がメインの店だが簡単な惣菜も取り扱っており、車内販売がない新幹線や特急の乗客がここで購入することもあった。
少し空いてきた店先に富田が子供を連れだって現れたのだから、店員は驚いて目を見開いた。
「富田のご当主ではございませんか!新年のお慶び、謹んで申し上げます」
「ご当主様、明けましておめでとうございます!」
年明けの挨拶を交わし、いくつか買い込んでその1つを子供に持たせた。ほんのり温かい握り飯を見て、子供は目を丸くする。
「おや、新しい御方ですか?」
「そうだよ。大江の者として新しく迎える子供だ。これから本家の父上の元に行くところでね。ご挨拶できるかな?」
ひょいと子供抱えると、子供は急いで紙にペンを走らせた。
『はじめまして あけましておめでとうございます』
眉を少し垂れながらそう書いた紙を見せる子供に、従業員は少し驚いた後で目を細める。
「こちらこそ初めまして。明けましておめでとうございます」
「おめでとうございます!あ、そのおにぎり、食べきれなかったらお茶漬けにしても美味しいんですよ!暖まりますし、よかったら食べてみて下さいね!」
はてと首を傾げた子供に、そう言った従業員はあれと首を傾ける。
「えっと、底が深い器にいれて、温かい緑茶かお出汁を掛けるんです!美味しいですよ!」
さらさらと茶漬けを食べる仕草を見せた従業員を見て、子供は短く文字を書いた紙を富田に見せる。
『たべたいです』
「お、食べたい物が見つかったね。うんうん、じゃあそれをもう2つ貰おうかな」
「ありがとうございます!」
美味しそうだから私も試してみよう、と付け加え、苦い表情を浮かべていたもう1人の従業員にそう言った。気遣わせたと思わせない為だが、見ていて嬉しくなってしまったのだ。
「ところで皆様はこれから?」
「そうだね。稲葉と家出息子も一緒に。日が暮れる前にはつきたくてね」
「それはそれは。道中お気を付け下さい、あちらも雪が酷いと聞いております」
「それは重畳!この子が雪に触れる機会はありそうだね」
当主様らしい、と顔をほころばせられ、2人に見送られながら富田は子供とその店を後にした。少し先で待っていた稲葉や豊前と合流すると、子供は2人に握り飯を見せた。何のことかと富田を見ると、先程のやりとりを富田が簡単に説明した。
「そうかぁ!よかったなぁ!」
「自分の子供のように喜ぶんだな」
「稲葉はうれしくねーのかよ」
「嬉しいとも。さて行くか。始発とは言え乗り遅れたらまた時間を持て余すからな」
がさりと手にいっぱいの紙袋を鳴らし、4人は周りの目を惹きながら改札へと向かった。富田が駅員に一言二言言葉を交わし、目当てのホームへ向かう。既に到着していた車両の一番後部に向かい、出てきた車内乗務員に出迎えられた。
「ここまでするかぁ?」
「その子がいるなら幾らでもするよ?」
「豊前、翡翠とこちらに来るときは言え。一等良い席を用意するから」
「こえーよ」
俺より余程質が悪い、とやることなすことが度を超す2人を見ながら、物珍しげに周りを見る子供を下ろした。
ととと、と小走りに近付き、乗務員に深くお辞儀をし、ゆっくりと足を乗せた。ひょこんと飛び乗ると目をキラキラ輝かせ、遠くから見ている3人に早く来て欲しいとぴょんぴょん飛び跳ねる。
発車時間もあることだからと足を踏み入れたキャビンは上質でシックな内装。一先ず座席は何処かと探していると、富田がしれっと通路を挟んだ1人がけの席に座った。
「何処でも良いよ。貸し切ったから」
「おま、はぁ!?」
「甘えてやれ豊前。それに、余り人がいない方が良いだろう」
本家の庇護にその子供を入れるまでの辛抱だ、と言われ、何故稲葉までここにいるのかが漸く合点がいった。改めて己のした事が不完全であった事に心がまたぐらりと揺れた。
「悪い。手間をかけさせて」
「いいや。俺たちが出来ない事をお前は出来るんだ。それにこれくらいなら手間でも何でもない。寧ろ力が十全でない中良くやっているんだ。お前はいつも通りいれば良い」
「そうかな。それなら、少しは休まる」
「所で翡翠が富田に捕まっているがアレはどうすれば良い?」
「ああ!?なにしとんがちゃおっさん!」
リクライニングを倒してその膝の上に子供を乗せている富田に、ぎゃいのぎゃいのと言い合いをする豊前を見て、漸く稲葉は肩の荷が降りたなと笑った。
それから子供と豊前が2人がけの座席に、通路を挟んで1人がけの座席に稲葉と富田がそれぞれ座る。
発車のチャイムが鳴り終わると、少しの揺れのあと車体は滑り出した。
子供は窓から見える雪化粧の街並みに目を見張る。これまで見ていた景色は雪が深い物ばかりで、これまで足止めを食らっていたことから考えればなんとも言えない風景だった。
「そうか?よかった。んお?俺は何度も見てっから。そうだなぁ、今度は夏に来るか。富田に言えば何処にでも連れてってくれるぞ」
「アイツ惜しみなく力使ってるな」
「豊前にとっては特別だからなぁ、あの子は。稲葉、酒飲む?」
「折角あるなら飲むか。落ち着いて食事が出来ない事が惜しい」
「アレルギーあるか聞いて無くて、軽食だけ断ったからなぁ。アレだと大丈夫そうだけど」
コン、と杯を鳴らし、くいと傾けて飲み込む。これほどでは全く酔わない事を良い事に、早々に小瓶を空にした。
駅をいくつか過ぎて、目的の駅に着いたときには、子供はほんの少し眠たそうな目をして居た。